秋の気配とはいえまだまだクーラーが必要な沖縄ですが
お元気ですか?

夜空を見上げると、今日も美しい月が、漣のように輝いています。
秋の夜長を美しく演出してくれる月。
この週末は秋の真ん中「中秋」の名月を眺めるお月見の日ですね。
日本と中国では、月を愛でる観月の習慣が古くからあり、さかのぼること
縄文時代の頃から、日本ではお月見をしていたようです。
おとぎ話のかぐや姫にも月が描かれていることを思うと、私達の心の奥には、
夜空に輝く月への思慕が古の時代から秘められているのかもしれません。
また近いところでは、昔は日本の各地で子供たちの“お団子盗み”を歓迎する
風習があり、その分は神が食べたとされ、翌年の豊作が見込めたとか。
同じく定番の供え物のススキは月の神の剣に見立てられ、供えた後も
魔除けとして軒に吊されたそうです。
お月見には収穫への感謝とともに、幸せを願う心が込められていたのですね。

さて、私はいつも色々な方々にお礼のお便りやメールを
贈らせていただいているのですが、なかには御丁寧にお返事をくださる方も
いらっしゃって、先日は拓実住宅の上原社長からメールが届きました。
この上原社長、社員のおうちに家庭訪問に行かれる方なんです。
トイレを見せていただくとなんとなく家庭がわかるとおっしゃいます。
また、お父さんが厳しい人であれば、その社員に優しく接し、逆にお父さんが
少し線の細い方であれば、厳しめに接する、といった接し方をなさるそうです。
この会社から独立して起業した卒業社員は20名近くいらっしゃるとか。
社員の方達におうかがいすると、休みの日でも会社に行きたくなってしまうほど
素晴らしい会社だと言い、辞めた元社員の方達もしょっちゅう社長に会いに
やってきます。常務の弟さんとも本当に仲がよくって息もぴったり。
とても清々しい会社だなぁと思いました。
その上原社長、あだ名はゴジラというぐらいの楽しい方ですが、
文章がすっごくお上手なんです。ばりばりのロマンチック。
今回いただいたメールをこっそり御紹介したいと思います。
(御本人に了解をいただいて)
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メールありがとうございます。
また、先日のメールにもいろいろ考えさせられました。
あると思うあたり前の状況が本当にありがたいと思うのは
残念ながらそれをなくした時、失ったときかもしれませんね。

今の私は幸せです。周りにいる妻や子供達、母、兄弟、社員、友人、取引先、
先輩や後輩、多くの人のかかわりに恵まれていると思います。

しかし、それを気が付かない間に当たり前になるのですね。

ふと、一日のうち、何度かそれを考える時に感謝と感極まることがあります。
朝の光を浴びたとき、出勤時に海を見るとき、太陽が力強く照るとき、
夕暮れの朱色の空を見るとき、満月の青白い光に包まれたとき、
側にいる人に伝えて、ともに感じたい。
周りの自然の美しさがそう導いてくれるのかもしれませんね。

そうは言っても昨日も飲みすぎてしまい、反省です。
健康や心のゆとりも・・と思いますが・・・・

今度の休みも息子の剣道部の合宿と会社の内装工事で忙しくなりそうです・・
忙中閑有・・・そういう時は空を見上げますね・・・ (^ ^)v

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何故引用させていただいたかというと、最後の一行にもありましたが、
上原社長はいつも「空を見上げる」ということをし続けてきた人だからなんです。

話は4年前に遡りますが、私が大阪へ帰った際大好きな奈良にも出かけました。
薬師寺では心が洗われる思いでした。ここでは、お坊様が、拝観される人達を
集めてお説教をしてくださいます。その日のお話はこういった内容でした。

「辛いこと悲しいこと嫌なことがあると、人はついつい顔を下に向けてしまう。
つまり、面が倒れるから、面倒、という気分になってしまう。
そういう時は、あえて顔を上に上げなさい。そうすると面が上に上がり、
月や太陽の光を浴びて白くなる。つまり、面白く、なるわけです。」と。

私も以前書きましたが、心を忙しくしすぎていたり、ゆとりがなくなると、
そこに花が咲いていても気がつかず、物は単なる物質として、当たり前の日々に
埋もれてしまいがちです。そんな時は自分の身の回りにあるやさしい幸運達を
見落としてしまいがちなもの。
あなたの傍で、あなたを幸福に導こうとしてくれる温かな意志に、いつの時も
気がつけるように、心はいつも柔らかくしていたいですね。
実は、私にも以前、自分の心を見つめてあげる暇もないほどに、
次々といろいろな事がおこり、走りぬけるように日々を過ごしていたために、
心が石のようにカチンカチンに固まってしまっていた時がありました。
あなたもこんな状態になってしまったことはありませんか?
忙しさに流され、感情が滞り、心が固くざらざらしていて、悲しくても
涙も出ないし、日々が疲れてたまらない、なんて状態です。
そういう時こそ、一瞬立ち止まって、変化する月の力にあやかって、そっと月を
見上げてみてください。
私達の魂には、進むべき方向があるからです。魂から流れるまっすぐな道は、
常に上へ上へ上がる方へ、上る方へと続いています。あなたの夢も幸せも、
下がる方ではなく上がる方、つまり上にあります。それゆえに魂は常に上に
向かおうとする力があるのです。
心が滞っている時、実は、私達の心は下を向いています。落ち込んでいる時、
私達の顔は下を向いているでしょう。それは生命のエネルギーの流れに
逆らっているから苦しいのです。
だからそんな時は、あえてなにか美しいものを見上げてみるといいのです。
実際に何かを見上げるという行為が、あなたの落ち込んだ心のエネルギーを
上に向けて引き上げてくれるんですね。

週末の十五夜にはぜひ、謙虚になって、素直な心で、月を見上げる優しい時間を
持ってみてくださいね。
今のあなたからさらにステキな未来に動きだすために。

そして今宵はどうぞ月を見上げながらお出かけくださいね!

【2009.9.29 末金典子】

暑~い夏も一段落し、少し身体に優しい風が吹き始めました。
お元気にしておられますか?
インフルエンザも流行っていますし季節の変わり目は体調も崩しやすいので
くれぐれもお身体にお気をつけくださいね。
何といっても健康あってこその幸せですから。

実は先月、お客さまが心筋梗塞で亡くなられました。
まだ50歳になられたばかり。
時を同じくして、同じ年齢の女性もガンで亡くなられました。
共に人のために尽力される素晴らしい人生を歩んでおられた途中でした。
心残り幾許であったことでしょう。心から御冥福をお祈りいたします。

今の日本人の三大疾病は、この「心筋梗塞」・「ガン」・「脳卒中」
なのだそうです。

以下は、ある男性が書き残した手記にまつわるストーリーを
抜粋したものです。

**********

その日の朝、彼はいつもより眠気を感じていた。疲れてもいた。
前の晩、遅くまで起きていたし、ベッドに入ってもなかなか寝つけなかったのだ。
しかし、もう少し眠ろうという考えをすぐに捨て、片づけなければならない
膨大な仕事のことに頭を切り替えた。
いつも通りに顔を洗い、髭を剃った。ここ数日、眠れない夜が続いたせいで、
顔からは生気がうせ、目元にはクマができていたが、気に留めることはなかった。
剃り残した髭にさえ気がつかなかった。
コーヒーを飲み干し、気のない「おはよう」を呟き、妻と会話もせずに家を出た。
結婚して何年もたつのに、家にいないことの多い彼に不満をぶつけ、もっと一緒に
時間を過ごすべきだと言いつのる妻が理解できなかった。彼女が求める暮らしを
維持しているだけで十分ではないのか、と思っていたのだ。
彼には、尻尾を振る犬に笑いかけたりする余裕もなかった。
娘から携帯に電話が入りランチに誘われたが、仕事をすっぽかすわけには
いかないと断った。じゃあ次の休日にでもと言う娘に「本当に時間がないんだ」と
断った。
会社に着いた彼は、社員とろくに挨拶さえ交わさなかった。予定がびっしり
詰まっていて、すぐ仕事に取りかかることが大事だったからだ。
たわいもない世間話で時間を無駄にしたりはできないと思っていた。
ランチタイムになった。彼はサンドイッチとソーダを頼んだ。
コレステロール値が高く、検査する必要があったが、その時間は来月まで
取れそうになかった。午後の会議で使う書類に目を通しながら、ランチを
食べ始めた。何を食べているのかなんて、まったく頭になかった。
電話の音が聞こえたとき、彼は少しめまいを感じ、目が霞んだ。同じ症状が
出たとき、医者が言ったことを思い出した。「ちゃんと検査しないとダメですよ」
でも、大したことはない、強めのブラックコーヒーでも飲めば何とかなるだろうと
彼は決め込んだ。
目を通すべき書類、下すべき決断、引き受けるべき責任。そうしたものがどんどん
増えていく。
会議に遅れそうになったので、エレベータが来るのを待ちきれず、彼は階段を
二段ずつ駆け下りた。ビルの地下にある駐車場が地底の奥深くにあるかのように
感じられた。
車に乗り込み、エンジンをかけたとき、再び不快感がこみ上げてきた。今度は
胸の鋭い痛みだ。だんだん息が苦しくなり…、痛みが増し…、乗り込んだ車が
消え…、周りの車が全て消え…。柱、壁、ドア、日の光、天井のライト。
彼の目には、もはや何も映らなかった。
代わりに、馴染み深い光景が心に浮かび上がってきた。まるで誰かが
スローモーションのボタンを押したかのように。一枚一枚、彼はそれを
眺めていった。妻、娘、彼が最も愛した一人ひとりを。
「俺はなぜ、娘と一緒にランチをしなかったんだろう?」
「朝、家を出るとき、妻は何て言ってたっけ?」
「この前の休み、なんで友達と釣りに行かなかったのだろう?」
胸の痛みは止まらなかった。でも、彼の心には「後悔」という名の別の痛みが
うずきだしていた。
彼の眼から、静かに涙があふれ出た。
そしてメモに書き残した。

生きたい もう一度 チャンスが欲しい
家に戻って妻と過ごしたい
娘と会いたい
できるなら できるなら――

**********

幸いにもこの男性は奇跡的に助かり、この手記を発表されました。

私もここまでではありませんが死にかけたことがあるんです。
今からちょうど10年前、昼も夜も仕事を続けていてもう毎日がくたくたで、
年末から体調がひどく、もう少しでお正月休みだからと無理を重ねていたところ
ある朝起き上がれなくなるほど体調がひどくなり、なんとかタクシーで
中部病院へ。「ただのカゼですね。この薬を飲んで温かくして眠れば治りますよ」
と先生に言われ総合感冒薬をもらいました。その日はその通りしてみましたが、
熱はどんどん上昇し、咳はひどく、どんどん悪化していきます。
次の日、一人暮らしの私を、コザから那覇まで毎日お世話になっているタクシーの
運転手さんがすぐ近くの医院まで抱きかかえるように運び込んでくださいました。
診察してくださったお医者さまはすぐ異常を察知し、「すぐに入院させます。
インフルエンザをこじらせ、肺の状態がかなり悪くなっています。
危ないところでしたよ。」と運転手さんに告げたそうです。
点滴を受ける間、朦朧とした頭で、なんだかとても「生きたい。死にたくない」と
思いました。お医者さまに危機を聞いていたわけではありませんが、本能的に
感じ取っていたのかもしれません。
あと1日生きられるなら、あと3日生きられるなら、あと1週間生きられるなら、
と遠くなる意識の中、必死に考えました。「もう一生さぼりません。頼みます、
生きさせてください!」
丸2日眠って目が覚めたとき、ちょうど病室の窓から朝焼けが見えたのを
よく覚えています。一番最初に見たのは看護婦さんの笑顔。あぁ~生きてる!
と思いました。もう与えられた人生を無駄にはしない、と。

「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった者があれほど生きたいと
願った明日」

この言葉は、韓国のベストセラー小説「カシコギ」の一節ですが、私が当時感じた
「生きたい」「もう無駄にはしたくない」という強い気持ちをいつも私に
思い起こさせてくれます。ちょっと長い言葉ですが、私はとても大事にしています。

そんなことを振り返っていたら、ある素敵な出会いを思い出しました。
7月に名護からとても素敵な女性が私に会いに来てくださいました。
彼女は今41歳で、6年前に乳ガンを患われ、手術や抗がん治療も試みるもまた再発。
今度は坑がん治療などの化学療法だけに頼らず、沖縄のセンダンなどの
自然代替療法に果敢に挑戦され、見事にガンが消え克服された女性なんです。
そう書くとやたら強い女性を想像されると思うのですが、
彼女が入って来られた時、あまりにふんわりと美しい光に包まれ、
きらきらと輝いておられてびっくりしたほどなんです。
彼女のお顔の美しさだけではなく、すごくにこにこ、いきいきとなさっていて、
とてもガンを患っておられた人には見えないんです。どころか、健康な人よりも
はるかに「今を生きている!」という光り輝く美しさに圧倒されてしまったほど
でした。きっと、今この瞬間を大切にし、謳歌しておられるお姿なのでしょうね。

土曜日からシルバーウィークが始まり、お忙しいあなたも少しほっとしますね。
人生という行路をずっと走ってきたのですもの、少しのんびりなさってくださいね。
そしてどうか、あなたの命、あなたの愛する人、あなたを支えてくれる周りの
人達を大切になさりながら、今この瞬間を、限りある時を、楽しくお過ごし
くださいね!

【2009.9.17 末金典子】

お元気ですか?
毎日とっても暑いですね! 伊是名島では過去最高気温を更新したほどです。
風もやみがちで、こめかみに玉のように汗がころがり、ジョギングしていると、
腕や、うしろ頭が、じりじりと焦げてゆくようです。
夏バテなどなさっておられませんか?
暑いのはいや!という方も多いですが、あなたはどうでしょうか。

こういう「ちょっとしたいやなこと」が引き金となって「パニック症候群」や
「うつ」になってしまう人が全国的に増えてきているようです。
のんびりムードの沖縄には「パニック症候群」や「うつ」の人など
いないだろうなぁ…なんて高を括っていたのですが、とんでもないそうで、
沖縄のあちこちでも耳にするようになりました。
ある税理士事務所の若い職員の彼などは、普段からとても真面目でお人柄も
よかったそうなのですが、ある日の朝、いつものようにバイクで事務所に
出勤しようとすると、雨が降っていて、途端に憂鬱で頭がいっぱいに
なってしまったようで、心がそこでプチッとキレてしまって、その後の一ヵ月半、
無連絡のまま失踪。家族や職場はもう大パニックだったそうです。
当の本人は失踪に至るまでのことは全く覚えていないそうで、
いきなり航空券を買って東京まで行き、そこから横浜まで歩き続け、
ネットカフェにずっといたのだとか。
私の好きな作家の白石一文さんも、文芸春秋の編集者時代に、
頭の中が憂鬱や恐れでいっぱいになる発作が突如襲うというこの「パニック症候群」
に罹ってしまい、退社後福岡に戻られ、作家になられた方で、
その頭が狂いそうになる恐怖や苦悩を「すぐそばの彼方」という小説の中でも
書いておられます。
「うつ」に至っては今やもう日本中に蔓延していますよね。

一体どうしてこんなことになってしまったのでしょう。

理由はたくさんのことが複合的に重なっているのだと思うのですが、
私が思う一つの仮説は、長い時間をかけて学校でつけてしまったクセに
あるのではないかと思うのです。
そのクセというのは「すべてのことに答えを求めてしまうこと」なのでは
ないでしょうか。
当然、出される試験には答えがあり、それはたいがい一つです。
ある人が「私なりの答えを出してみました」と、言ったところで、
それではいい点はもらえませんよね。
そして学校を卒業すると今度は、定期的な試験こそありませんが、
決心や実力の程度を試み、試すための試験が待ち構えています。
それには苦難がつきもので、逃げ出したりするとダメな人ということになって
しまいます。言い方を変えれば、人はダメな人と呼ばれないためにがんばって
いるのかもしれません。
でも、問題なのは、ダメな人は本当にダメなのだろうか? ということです。
そもそも自分の判断基準はどこからきたのでしょう?
みんなが同じ答えでなくてはいけませんか?
疑いもなく、それが答えだと思い込んでいるフシはありませんか?
例えば、仮にこの世に平等ということがあるとすれば、それは人それぞれ違うと
いうことを認めることが平等なのではないでしょうか。
男女の平等にしたって、男が男らしく、女が女らしくなったとき、本当の平等が
あるのだと、私は思います。
自分と違うからといって、ダメかダメじゃないかを判断しているなんて
おかしな話ですよね。

どうやら、試験と違って、生きることに答えはないようです。
それでも答えを出そうとすると必ず頭が痛くなるのがその証拠です。
ないと思えばもう楽ちんでしょう?
だから、いい点を取る必要なんてまったくないんですよ~!

それでも「なんだかむしゃくしゃするな~」と感じるなら、
心持ちに、暑さに、へこたれないように、
体に精をつける食べ物をとるべく、食い養生をいたしましょう!
日曜日は丁度「土用の丑の日」です。
「鰻ごはん」をがっつり食べちゃいましょう!
この土用の丑の日にうなぎを食べるようになったきっかけは、
江戸のうなぎ屋が商いがうまくいくようにと、物知りで知られていた平賀源内に
相談をしたそうです。夏の土用の丑の日は一年のうちでも最も暑い日といわれ、
体調をくずしがちになる時期で、「う」のつくものを食べると病気にならない
という言い伝えを知っていた源内は「本日、土用の丑の日」と書いた貼り紙を
店先に出すことを提案しました。するとお店が大繁盛したのだとか。
その様子をみて、ほかのうなぎ屋もまねをしはじめ、いつの間にか
土用の丑の日には、うなぎを食べることが定着したのだといわれています。
つまりは、江戸時代の平賀源内の広告コピーが功を奏した結果が、
現代まで受け継がれているということのようです。
恐るべし源内。
ま、うなぎが苦手という方でも、「う」につくものであればいいようですので、
「梅干し」「うどん」「うり」などを召し上がってみてはいかがでしょうか。

食い養生、ということで思い出したことがあります。
女には辛いとき、悲しいときに独りで泣くという特技があるものですが、
同じように独りでお料理を作ってがつがつ食べるという特技もあると
私は思っています。
以前、精神的に苦しい時期に、誰の顔も見たくないとか、誰にも自分のことを
話したくないということがありました。仕事が終わるとさっさと帰宅し、
揃えた贅沢な食材や調味料を使って毎晩お料理を作って食べ、
少しずつ立ち直っていったことがあります。
この「食べる」ということは非常に不思議なもので、
お腹がいっぱいになってくると、まずは心身が落ち着いてきます。
すると、ささくれ立っていた気持ちが次第におさまっていくんですね。
身体と心とは本当に一つにつながっているんだなぁと実感したものです。

あなたも土用の丑の日の「美味しい」週末をお過ごしくださいね!

【2009.7.17 末金典子】