あけましておめでとうございます!

温度も10度まで下がって寒くなり、お正月らしい雰囲気になった沖縄でしたが、
あなたはいかがお過ごしでしたか~?

私はごくごくオーソドックスに、大晦日は年越しそばをいただき、
紅白歌合戦を観て今やもうついていけない流行歌のお勉強をこなし、
おせち料理をゆっくり作り、お雑煮・お屠蘇とともにいただき、
初詣には普天間神宮までランニングで行ってお参りをし、その後なんと23時間も
ぐっすり眠って!初夢も見たお正月でした。

さぁ、新しい年の始まりですね。
年の初め、お正月の松の内、1時間、
今年1年向かう方向について、本気になって考えてみませんか。
今月は1年の計画を考える時でもあるのです。

まずは過去を振り返ってみてください。
人は昔から、愛情を人に捧げる喜びをもっていました。
その喜びを忘れ、近年では、人に与えられる愛ばかりを望むようになったため、
いつも不足を感じ、顔も不機嫌になっている人が多いようです。
前に進むためには、過去を振り返り、そのことに気づくことが大事では
ないでしょうか。

そして自分の今いる立場をよく考えてみてください。
自分の立場を、自分の心が正しく赴くところに見出すのは、
難しいようですがいちばん素直なこと。
正しい、というより、こうありたいという願望でよいのです。
誰しも、今年やりたいこと、自分にとって課題となることがあるはずです。
ない人はないはずです。もしそれがない、という人がいたら、
それは単なる怠惰ですよね。

また、自分のことを客観的に、他人の目になって見てみることも大切です。
でも決して、自分を嫌いになってはいけませんよ~。
自分は最も愛すべきものなのですから。

そして、夜が明けて朝になったら、もう後ろを振り返らず、前へ向かって
歩き出しましょう。
そのとき、歩き出す方向がほんの少し曲がると、1年間がちょっとずつ
変な方向へ向かって行きますよ~。とはいえ、何が正しい方向かは誰にも
わからないのですが。
とにかく、まずは自分が行くべき方向をしっかりと考えてみる。
それが今大事なことなのだと思います。

私は、お正月を迎えるとまたひとつ歳を取った、と感じます。
特に今年は大台の50歳になっちゃうんですもの! キャ~~ッ、こわいっ!
でもね、歳を取るって悪いことじゃないですよ。
登ったから見える景色もあるのだから。
それに50歳の今まで生かされていることを思うと、感謝の気持ちで
何かをせずにはいられません。だから私にとって年の初めは、
「人生のお返しに今年は何をできるか」を考える時間なのです。

まず考えたことは、
「あなたとのひとときを、優しさや楽しさで
包むことができますように。」
ということ。

そんな想いでスタートをきりたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、金曜日は七草です。
歴史は平安時代にさかのぼります。
朝廷では一月七日に若葉を摘み、冬の寒さを打ち払おうとする習わしがありました。
一方、海を隔てた中国でも、この日に7種類の菜の煮物を食べれば、万病に
かからないという言い伝えがありました。
七草がゆは、この日本と中国の風習が合体し、一月七日に、一年の無病息災を願い
七草を入れたおかゆをいただいて、冬に不足しがちな野菜を補い、お正月の
暴飲暴食で疲れた胃袋をいたわるという古人の知恵が、現代に行き続けている
行事なんです。
お休みモードからふだんの生活に切り替えるきっかけとしてはとっても
おすすめです!
ぜひ召し上がってみてくださいね。

【2011.1.5 末金典子】

お元気ですか~?

今年はちょうどいいことにクリスマスが週末にあたりますね。
クリスマスの由来は諸説あるのですが、古代ローマ暦の冬至の日に行われていた
太陽神への収穫祭が最初で、のちにキリストの生誕祭と結びついてクリスマスに
なったと言われています。
冬至の頃は、日が短く寒く、古代の人々は闇への不安や恐れを感じる一方で、
不滅の太陽を信じて、盛大なお祭りを各地で行っていたようです。
クリスマスに様々なお料理を食べるのは、その年の収穫物をすべて食卓に
並べていた収穫祭の名残だとか。
クリスマスを厳かに過ごす習慣は、昔太陽が休んでいる時期に騒ぐと光が
戻ってこないと信じられていたため、なのだそうですよ~。
これらは現代のクリスマスにも引き継がれていますね。
恋人とロマンチックに過ごしたり、友達同士でワイワイ騒いだり…が主流の
ジャパニーズクリスマスですが、あなたはどんなふうにお過ごしに
なられるのでしょうか。
もしも「おひとりさま」でしたら、麗王でクリスマスのケーキとともに一緒に
お過ごしくださいね! 今年は沖縄で一番美味しいスイーツ&パンのお店
「ザズー」さんの特製デコレーションを御用意させていただきます!

さて、こんなふうに季節の暦の折々に麗王便りをお送りさせて頂きましたが、
今年も最後のお便りとなってしまいました。
毎回お読みいただき本当にありがとうございました。

この2010年も随分たくさんの方々に麗王にいらしていただくことができました。
本当にありがとうございました。
初めてお会いさせていただいた方、お久し振りにいらしてくださった方、
いつも変わることなくいらしてくださっている方…。
一生のうちに出会う人の数を考えると、私の場合仕事柄、他の人より少しは
多いかもしれません。以前は毎日の新しい出会いに戸惑ったり、
悩んでしまったり、考え込んでしまったことも多々ありました。
それでも人との出会いの中から学ぶことは圧倒的に多く、
出会えるチャンスがある私は恵まれているのだとだんだん思えるようにもなり、
今では人と出会うことが新鮮で楽しい毎日です。

沖縄に住んでちょうど20年。
沖縄では出会いのひとつひとつが、なんというか、濃いのです。
特に沖縄に住む人はいい意味で何か一癖ある。
そういう自分もどこか変わっているとは思います。
またよく言われます。
「麗王に集まる人達ってインテリが多いからか、変わってる人が多いよねぇ。」
でも麗王のように変わっている人達が集まれば、それが普通であり、
むしろ普通の人のほうが変わって見えるのだから面白い。
じゃあ何をもって「変わっている」と「普通」を見分けるのか、
それを突き詰めて考えてみると、人間一人一人、顔も個性も姿形も
みんな違うのだから、本当はみんなそれぞれが変わっていて当たり前
なんですよね。それが社会的な規則やモラルや教育によって
何となく画一化されているから、一人一人の個性があまり表に
出ていないだけのこと。
でも麗王のようにただみんなでお話をする場、ということになると、
しっかり個の発言ができる方が多いから、必然お一人お一人の個性が
全面的に出てくる。
結果、「変わっている」ということになるわけなのでしょう。
でもそれは言葉を変えれば、「自分らしくある」ということなのでは
ないでしょうか。
つまり、「普通ということは、変わっているということ」なのです!

さて。
本当にあっという間に、一年の終わりということになってしまいました。
なぜとはいえない気ぜわしさと、街の賑わいとはうらはらに一抹のさみしさも
おぼえる時です。忙中に閑あり。
ここのところの麗王では、お馴染みのみなさんが、しみじみと一年の無事を
振り返る夜咄の会となっています。
あなたもどうぞ御自分らしい、あなたならではお話をなさりに
お寄りくださいね。決して「変わってるぅ!」なんて申しませんから!

そして。
今年も本当にありがとうございました。
女の子もいなくて、カラオケもなくて、オープンもおそくて、遅れて!
そんな店であるにもかかわらず、今年もまた続けさせていただいたことを
思うと感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。
たくさんのお店の中からわざわざ選んでまでいらしてくださったあなたの
温かい想いを胸に、また来年もがんばってゆきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

あなたが穏やかに一年を締めくくることができますように。
そして何よりも、あなたがどうかこのうえもなくお幸せでありますように。

さすがの沖縄もひ~んやりとしてまいりました。
あなたは油断してカゼなどひいておられませんか?
どうぞお気をつけくださいね。

さて、
先月のお便りで、大人になると1年が早く感じる理由について書いたところ
「なるほどね~。」「非常に納得感がありました。」
「なんだかホッとしちゃいました。」…などのお声をいただきましたので、
今月は「ド忘れする」のは歳のせいなのか?について書こうと思います。

「ド忘れ」――あなたにも経験がおありでしょう?
物忘れは仕事上で困るだけでなく、精神的にも不快なものですよね~。
あまりにド忘れを連発すると「私ももう歳かなぁ」などと自己嫌悪に
陥ることさえあるものです。
ところが、私が大好きな、脳の研究者・池谷裕二さんの本を読んで
なんだかうれしくなっちゃいました。

「ド忘れは大人の脳だけに特有な現象ではない。」のだそうです!
大人になると、物忘れが増えたように感じるのは、
「歳をとると記憶力が低下する」という通俗的な思い込みがあるせい、
らしいのです。
あなたの周囲にいる子どもたちをよく観察してみてください。
子供も日常的にド忘れをしていることに気づくでしょう。
ただ、子どもたちは物忘れをいちいち気にしないのです。
一方の大人は、「歳のせいだ」と落ち込む。
人によっては歳のせいにして逃げているのかもしれません。
ド忘れして落胆する前に、まず心に留めてほしいことは、
子どもと大人ではそれまでの人生で蓄積した記憶量が異なるという点です。
100個の記憶から目的の一つの記憶を探し出すのと、
一万個の中から検索するのでは、かかる労力や時間に差があって当然と
言うもの。大人のほうが多くの記憶が脳に詰まっているのだから、
子どものようにすらすら思い出すことができなかったとしても
仕方がありません。これは大容量になった脳が抱える宿命なのです。
ド忘れしたときには
「それだけ私の脳にはたくさんの知識が詰まっているのだ」
と前向きに解釈するほうが健全ですよ~。

さらに解説いたしますと、
「いつでも思い出すことができる記憶」と「ときどきド忘れする記憶」の量を
比べてみると、はるかにド忘れの量のほうが少ないと思います。
私たちは好きな芸能人や歴史についてや、食べ物やスポーツの話もできますし、
歩き方やボタンのはめ方だって知っています。
脳に蓄えられている記憶は、よく考えてみれば実に膨大で、
私たちはその記憶を自在に活用しながら生活しているのです。
たまたまあの人の名前が出てこないといった「ド忘れ」は、
些細な量にすぎません。ですから、何かをたまに忘れてしまったからといって
落ち込む必要なんかありませんし、本来ならばむしろ、膨大な情報を
記憶している自分の脳の素晴らしさに目を向けて、「わーっ、すごいなあ」と
思ったほうがいいのです。健全だし、正しいわけです。

とにかく、ド忘れは、誰でも当然するもの。
脳は常に「ゆらぎ」を持っていて、たまたまタイミングが悪いときに
名前を訊かれたら出てこない、たまたまよいタイミングのときに訊かれたら
名前が出てくる、ド忘れとは、ただ、それだけのことなんです。

また、「人の名前がでてこない。なんという人だったっけ。」というときに
他の人から「それは○○さんでしょ。」と言われると、「あっ、そうそう。」
とその名前が今時分の探そうとしていた人であるかどうかがすぐにわかります。
つまり、「ド忘れ」は本当に忘れているわけではないのです。

本当に記憶がなくなってしまって、脳から消え去ってしまう場合は、いわば
病気で、「認知症」がそれに当たりますが、
ド忘れなどの「健忘症」は、記憶を呼び出すことができない状況をいい、
あくまでも呼び出すことができないだけです。
「健忘」とは、読んで字のごとく、「健やかに忘れる」こと。
つまり、ド忘れは健忘の証。記憶はちゃんと脳に残っています。
健忘なんて起こってもいい、ド忘れだってしてもいい、
怖れる必要なんかありませんよ~。

さぁ、ほっとしたところで、木曜日は今年のボジョレーヌーボーの解禁日。
オーガニックな真新しいワインを愉しみながら、
あなたのステキな記憶をゆっくり辿ってみてくださいね。

【2010.11.16 末金典子】