ぐんと暖かくなってきた今日この頃ですが、
お元気にしていらっしゃいますか?

2月のお便りで、急逝なさった沖縄銀行の長松さんのことや、
脚本家の下島先生の亡くなられた弟さんへの想い、
奇跡的に助かられた男性の手記などを御紹介させていただき、
もしも今日が人生で最後の日になるなら今日をどう生きますか、
と書かせていただいたのですが、そのお便りに宛てて、
ユニバーサルスタジオジャパンの立ち上げで社長をなさっておられた
現・EPソリューションズ㈱代表取締役の山本さん(アメリカ在住)から
とても長いメールをいただきました。ぜひあなたとも分かち合いたいと思い
山本さんに了解をいただきここに御紹介させていただきたいと思います。

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末金様、ご無沙汰いたしております。

新年のご丁寧なメッセージはじめ、今回節分の「鬼は外、福は内!」も
テキサスの自宅で1月15日前後に拝見しました。
実に不思議さを感じているのですが、今回去る1月7日の夕刻テキサス州ダラスの自宅で発症した
極めて致死性の高い「大動脈解離」の体験をし、1週間の入院から戻って来て、
この末金さんからのメールを読ませていただいたので、殊更強烈なインパクトを感じるものでありました。
ひょっとして、1月7日あたりが私の人生で最後の日になっていたかもしれないのです。

日本から12月22日にテキサス州ダラスに戻り、翌日車で20時間かけてアリゾナ州
フェニックス郊外のメサに家内と息子の3名(および2匹のボクサー)で義理の母、娘、
義理の妹を訪ねての長旅でした。途中、睡魔が襲えば車をレスト・エリアか
ガソリン・スタンドに止めて1時間2時間と睡眠をとりながらですが、今回のように
日本から戻った翌日の早朝には出発という、今から考えれば「異常な強行軍」で
自分の体も相当に疲労困憊も極限に至っていたのではないでしょうか。
無事クリスマスをアリゾナで終え、29日の早朝にはアリゾナからテキサスへ向かって
1600キロメートルを超える長旅にまた出発したわけです。
さらには、30日午前中には息子の彼女が遊びに来るに加えて、娘と彼氏も31日午前中に
アリゾナから二人で1600キロメートルを踏破して、ダラス(正確にはKeller)まで正月を
一緒に迎えるため戻ってきました。ならば、今年こそは、
「おせち料理を少し真面目に準備しよう」と思い、Plano にある韓国系の
大型ショッピングスーパーHI Martに材料を仕入れに出かけ、30日の午後からは
「黒豆」「なます」「二色卵」「伊達巻」等々、かなりの品目をそろえるべく、料理人に早変わり。
結局は、31日の夜まで掛かって準備完了!
これも、毎年欠かさずに守ってきた「おせち料理」なのです。(なかなかやめられないのですね。)

仕事のほうはというと、昨年はアジア市場の開発をかなり積極的に展開し、
特に台湾、中国、タイ、インドネシア、韓国での事業戦略の再構築と代理店組織、
特約店組織の再組織化を推し図ってきました。特に台湾の元代理店をEPソリューション(EPS)の
中に吸収合併し、二人の若いセールスエンジニアの兄弟(中国語、英語)をEPSの
日本国外のアジア総拠点に変更して、アジア市場でのEPのソリューション販売戦略を
かなり詳細に作成しなおしました。
日本を除くこれらのアジア市場での事業総進捗表を1月5日までには作成して、
これで正月明けからはしっかりした事業開発がすすめられえると、ほっとしていました。
しかし、この作業も毎日早朝まで一人で作業し、睡眠は1日平均3~4時間程度という
過度の睡眠不足状態でした。余りにも自分の体力に過信していた自分が今思えば
情けない限りです。

こうした状況でとうとう7日の夜7時半に仕事をし始めてしばらくすると、
突然右の下腹あたりから「ドクッ!ドクッ!ドクッ!ドクッ!」と左寄りに立ち上がり、
同時に今まで経験したこともない痛みが襲いかかってきました。
そこで、まず、頭に浮かんだのが心筋梗塞ではないか? なら、まず、ニトロを
処方して貰っている家内の寝室に這うようにしてたどり着き「一錠」を
舌下に含みましたが何らの変化がありません。息子に「911」に電話して救急隊を
呼ぶように指示しました。何分経ったでしょうか?5分もたたないうちに救急隊員が
駆けつけ、心電図を撮ったりしましたが、心筋梗塞ではなさそうだが、15分ほど
離れたところに有名なベイラー医大のGrapevine病院があるので、まずはそちらに移送して
CTスキャンをとるという指示が本部から出たようです。私自身は救急車の中での会話、
それにCTスキャンのところまでは意識もありました。このCTスキャンの結果分析の結果
「心臓発作、心筋梗塞」ではなく、「大動脈解離Aortic Dissection」なので、
専門外科医のいる同じベイラー医大のPlano Heart Hospital へ、ヘリコプターで
緊急移送することになり、このヘリに乗せられたところまでで記憶は途絶えています。

それにしても一刻も早く専門医のところへ移送しなければ、「命を落とす」ことに
なったそうです。あとは、翌週の11日(火)の午後、ベッドで目が覚めるまでは
9時間の大手術も、何も記憶がありません。開胸手術だったのと、肺の中の洗浄や
新しい動脈の装着など、かなり細かい手間のかかる手術だったようです。
いずれにせよ、初めて「入院・手術」という体験でしたが、アメリカの病院は
今回のような大手術でも一週間程度しか入院させてもらえません。ご承知の通り、
医療費が莫大な金額掛かることと保険会社側も出来るだけ最小の入院日数で対応を
希望しているので、何にせよ非常に短い入院期間です。後は自宅療養で、2週間後に
執刀医を訪問して更なる診断をしてもらうことになるのです。今回何とか「存命」できたのは
「奇跡」だとしか考えられません! これが、東京であっても今回のように順調に
専門医による手術を手遅れでなく受けることができたかは、分かりません。また、飛行機の中
出張先、いずれにしてもまだ「奇病」と言われる「致死率の高い」「大動脈解離」への対応は
99.999%不可能だったと思います。つまり、とっくに絶命していたに違いありません。

このような体験をした2011年1月が終わり、2月1日節分に末金さんからのお頼りが
届いた時には、本当に「ドキッ」としました!
何故なら、そこには「人生最後の日」の人々の思いが紹介されていたからです。
私の場合は、不思議と「死んでしまうのか?」
という思いがなく、すべてを関係者に託してその結果を甘んじて受け入れようという
気持ちでした。手術直前にいつの段階化は覚えていませんが、誰かが
「Mr. Yamamoto、開胸手術して、心臓周りもメスを入れますよ。良いですね?」と言ったのを
かすかに覚えており、私も「どうぞ、最善の措置をお願いします!」と言ったのを
覚えています。

それにしても、末金さんからのメールを読ませていただいて、今回自分の命といえども
「与えられている命」であることを痛感しました。60歳の誕生日を直前にして、
「新しい命」を授けて頂いたのであり、これからの「生き方」をどのように生きるようにしようか?
今までもっと声をかけて話をしたかった人々に間違いなくお話ししたい。
この会ってうんとお話ししたい人のリストが頭に浮かんできました。
命を与えられている今日一日を大切に精一杯、正直に生きていきたいと思います。
今回のお便りは、偶然ではないと思いますが、私にも非常に貴重なメッセージとして
大事に読ませて頂きました。本当にありがとう!

麗王にお越しになっていらっしゃる色々な方々とももっと仕事を離れてお話ししたいと
思っています。自分なりに構想してきた「沖縄の独自性と10~20年社会経済開発ヴィジョン」
のようなものもお話ししてみたいですね。今は、未だ飛行機に乗っての移動にも医者からの
制限がありそうなのですが、夏ごろには再会をさせて頂きたいと願っています。
今までの人生でやはり「ある力」を頂いたことに感謝しています!
何だか、未だ頭の回転が100%元に戻っていないためか、
メールの内容が理解しづらいかもしれませんが、悪しからず。

ではまた、

山本 洋司

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山本さんのお誕生日はあさっての3月3日。
今年もまたお祝いの日を迎えられることができた喜びをうんと味わわれることと
思います。心よりお祝い申し上げます。
この山本さんのメールを拝読させていただいて、2月のお便りにも
書きましたように、いつ終わりの日が来ても悔いのないよう、今この時を
大切に精一杯生きよう、そう改めて思いました。

湯船に浸かり、ただこれだけ、と自分の身体を確かめることがあります。
ほら、これが私の手、これが腕、胸。ただ、それだけ。どんなにあがいても、
「今、ここ」にしか在りようがないのです。
あの世へは、お気に入りのスプーン1本持っていくことさえできないのです。
今、ここで、ありのままの自分と、大切な人の笑顔、それだけでいい。
そんな風に感じることができれば、それこそが人生最良の時なのでは
ないでしょうか。
人生は禅の修業のようなもの。一回りして、何気ない日常に還った時に、
初めて生きとし生けるものの慈しみが判り、ごくささいなことでも有り難いという
感謝の気持ちが湧いてくるものなのでしょう。

さあ、あさっては桃のお節句。ひな祭り。
今では、女の子のお祭りと考えられることが多いようですが、もともとは
この日に川で手足を洗って心身の穢れを祓い、邪気を、身代わりの人形に移し
川や海に流し、家族全員の厄をはらい、夫婦円満を願うという
行事だったそうですから、子どもが男の子だけの家庭であっても、
家族の、周りのみんなの、幸せと健康を願ってぜひお祝いいたしましょう。
麗王でも、無添加の白酒や、手作り海鮮ちらしずし、無添加のひなあられ、
菜の花のおひたしなどで、古式ゆかしくひな祭りを祝おうと思っています。
あなたもぜひ一緒にお祝いくださいね。

【2011.3.1 末金典子】

ようやく寒さがゆるんできましたね~。
お元気ですか。
週明けはヴァレンタインデーですね!
あなたはどなたとお過ごしでしょうか。

昔、女の人は、恋人からの手紙をきものの帯揚げの間に隠して、肌身離さず
持っていた、ということを読みました。なんて艶やかなことでしょう。
ところで今の男性は、女の人が持ち歩きたくなるようなロマンティックな恋文を
書いてくれる人がいるのかしら?

最近のお客さまはなぜだか女性が圧倒的に多くて、いろいろな恋愛話にも
なるのですが、「パートナーとの間でロマンティックなことが少ない」、
「彼が何もしてくれない」、そんな相談をよく受けます。
でも、ふたりの間のロマンティックというものは、もし彼がロマンティックな
ことをしてくれないのであれば、女性のほうがロマンティックな雰囲気を
つくってあげる、そういうものなのではないかしらと思います。
彼に望んでも無理、今の男の人にはそれだけの余裕も土壌も
ないかもしれませんよ~。(ナーンテ!男性陣ごめんなさい!)

ただ、女性は男性を立てるほうが平和だと思います。これは日本に限らず
どこの国でもそう。絶対にそうです。
私の生まれ育った関西では、まず男性を立てて、実権は女性が持ちます。
おばあちゃんや母がよく言っていたものですが、
「妻が実権をぐっと握っていても、夫を心から尊敬していれば、
男性はいい気持ちであなたに任せてくれるものよ。」と。

また、アメリカ合衆国憲法の基礎を作ったといわれるインディアンの
イロコイ族は、現在でも母系社会で、女性達が会社でいう取締役を固め、
トップの男性の罷免権を持ち、調停者の役割を担う、という社会を、
千年間もの間築き上げています。

例えば、世界中の大統領や総理大臣が全員女性であれば、世の中から戦争は
なくなってしまうかもしれませんよね。

男女の間では、女性は女性なりに、優しさや包容力をもちたいものです。
強くならなくていいんです。賢く、ただし「静かに」賢くなればいいのでしょう。
パートナーに対して、あまり強すぎたり賢すぎたりすると、相手が疲れますよね。
どんな時代でも女性こそ、優しくないといけません。
だって本来は男性のほうが優しいものなのですから。
会ったときにほっとするそんな女性になりたいものだと思います。

まだ運命のパートナーに出会っていなくて、焦っている人もいるでしょう。
でも大丈夫。必ず二枚貝の片割れのような相手がいるのです。
出会うということは、これはもう自分の力だけではありません。「縁」という
日本語には深い意味があるようです。
きっとどの人にも今までにいろいろな恋愛の経験があることと思います。
今、どうしているかはぜんぜんわからないあの人だけど、
あの時、一緒に見上げた星の美しかったこと。
互いに言葉を見つけられず俯いたままの喫茶店に流れていたあの曲。
彼が私にくれた言葉。彼女の手のあたたかさ。
あの時、あんなに笑ったな。あの時、あんなに泣いてしまったな。
そのせつなさが、今はたまらなく大切なものに思えませんか。
恋愛は面倒なもの。だからこそ、きっと残してくれるものも大きいのでしょう。
それらの出会いによって今の自分が作られているのです。
そしてまた次の自分へと導かれて行くのです。
縁とはそういうものなのかもしれません。

愛するパートナーがいらっしゃる方はその幸せをうんと噛み締めてくださいね。
そしてその愛する気持ちをちゃんと伝えてあげてください。
パートナーの方はきっと幸せな気持ちでいっぱいになられることと思います。
最も身近な人を幸せにすることは、最も難しいことであり、
それ故に最も価値のあることなのだから。

さあ、週明けはヴァレンタインデー。
どうぞあなたが愛いっぱいの、幸せいっぱいの日でありますように。

【2010.2.9 末金典子】

お元気ですか?
今年の冬はなかなか寒いですね~!
体調を崩したりなさっておられませんでしょうか。
インフルエンザも流行っていますのでくれぐれもお身体にお気をつけくださいね。
何といっても健康あってこその幸せですから。

実は10日前に沖縄銀行さんから沖縄県経済同友会に出向しておられた長松さんが
クモ膜下出血でお亡くなりになられました。
仕事を終え帰宅途中のバスの中での出来事だったそうです。まだ44歳。
お亡くなりになる1週間前にいらしてくださった時、
「正直に言うと今の会社のあり方に少し物足りなく思っているところも
あるので私なりに頑張りたいと思います。」
とおっしゃっておられたのが印象的でした。
これからという人生を歩んでおられた途中。心残り幾許であったことでしょう。
心から御冥福をお祈りいたします。

随分前に、ある男性が人生最後の日に書き残した手記にまつわるストーリーを
抜粋したものを御紹介させていただきましたが、今一度お読みいただければと
思います。

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その日の朝、彼はいつもより眠気を感じていた。疲れてもいた。
前の晩、遅くまで起きていたし、ベッドに入ってもなかなか寝つけなかったのだ。
しかし、もう少し眠ろうという考えをすぐに捨て、片づけなければならない
膨大な仕事のことに頭を切り替えた。
いつも通りに顔を洗い、髭を剃った。ここ数日、眠れない夜が続いたせいで、
顔からは生気がうせ、目元にはクマができていたが、気に留めることはなかった。
剃り残した髭にさえ気がつかなかった。
コーヒーを飲み干し、気のない「おはよう」を呟き、妻と会話もせずに家を出た。
結婚して何年もたつのに、家にいないことの多い彼に不満をぶつけ、もっと一緒に
時間を過ごすべきだと言いつのる妻が理解できなかった。彼女が求める暮らしを
維持しているだけで十分ではないのか、と思っていたのだ。
彼には、尻尾を振る犬に笑いかけたりする余裕もなかった。
娘から携帯に電話が入りランチに誘われたが、仕事をすっぽかすわけには
いかないと断った。じゃあ次の休日にでもと言う娘に「本当に時間がないんだ」と
断った。
会社に着いた彼は、社員とろくに挨拶さえ交わさなかった。予定がびっしり
詰まっていて、すぐ仕事に取りかかることが大事だったからだ。
たわいもない世間話で時間を無駄にしたりはできないと思っていた。
ランチタイムになった。彼はサンドイッチとソーダを頼んだ。
コレステロール値が高く、検査する必要があったが、その時間は来月まで
取れそうになかった。午後の会議で使う書類に目を通しながら、ランチを
食べ始めた。何を食べているのかなんて、まったく頭になかった。
電話の音が聞こえたとき、彼は少しめまいを感じ、目が霞んだ。同じ症状が
出たとき、医者が言ったことを思い出した。「ちゃんと検査しないとダメですよ」
でも、大したことはない、強めのブラックコーヒーでも飲めば何とかなるだろうと
彼は決め込んだ。
目を通すべき書類、下すべき決断、引き受けるべき責任。そうしたものがどんどん
増えていく。
会議に遅れそうになったので、エレベータが来るのを待ちきれず、彼は階段を
二段ずつ駆け下りた。ビルの地下にある駐車場が地底の奥深くにあるかのように
感じられた。
車に乗り込み、エンジンをかけたとき、再び不快感がこみ上げてきた。今度は
胸の鋭い痛みだ。だんだん息が苦しくなり…、痛みが増し…、乗り込んだ車が
消え…、周りの車が全て消え…。柱、壁、ドア、日の光、天井のライト。
彼の目には、もはや何も映らなかった。
代わりに、馴染み深い光景が心に浮かび上がってきた。まるで誰かが
スローモーションのボタンを押したかのように。一枚一枚、彼はそれを
眺めていった。妻、娘、彼が最も愛した一人ひとりを。
「俺はなぜ、娘と一緒にランチをしなかったんだろう?」
「朝、家を出るとき、妻は何て言ってたっけ?」
「この前の休み、なんで友達と釣りに行かなかったのだろう?」
胸の痛みは止まらなかった。でも、彼の心には「後悔」という名の別の痛みが
うずきだしていた。
彼の眼から、静かに涙があふれ出た。
そしてメモに書き残した。

生きたい もう一度 チャンスが欲しい
家に戻って妻と過ごしたい
娘と会いたい
できるなら できるなら――

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幸いにもこの男性は奇跡的に助かり、この手記を発表されました。

また、お正月あけに、脚本家の下島先生から
以下のようなお便りをいただきました。すごく素晴らしい内容でしたので、
先生にお断りをして御紹介させていただこうと思います。

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昨年、1月2日にたった一人の弟が、突然逝ってしまいました。
お正月いつも来る弟一家の中に弟はいませんでした。この1年、ことあるごとに
蘇った弟は、小さい頃だったり、若い頃だったり、家族の中での笑顔だったり。
でも、人は本当に逝ってしまうのですね。
一周忌を昨日、済ませました。弟を大事にし、いつも夫婦で旅を楽しんでいた
義妹も、娘、そして息子の家族と、今も弟を偲び、孫の世話と仕事に
明け暮れています。
人が生きるということ、その大事さと切なさを、今、しみじみと感じます。
その日まで、精一杯生きよう、と、思っています。
寒い日が続きます。お風邪など召さぬ様に。

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もしも、今日が人生で最後の日になるなら、
あなたは、今日をどう生きますか?
周りの人にどんな言葉をかけますか?
会ってうんとお話したい人は誰ですか?

過去と未来が存在するのは、人がそれについて考えるときだけ。
つまり、両方とも印象であり、実体はないのです。
それなのに私達は、過去に対する後悔と、未来に対する不安を
わざわざつくりだしているのですね。
いつ終わりの日が来ても悔いのないように。
今日を、今この時を、大切に精一杯生きたいものですね。

明後日は節分です。
立春が一年の始まりだった昔、新しい年神さまを招く前に、来る年の災いである
鬼を祓う行事として、前夜に行われていたそうです。
そう考えると「鬼は外、福は内」の理由がわかりますよね。
それに、新年のエネルギーは一月ではなく二月の節分を越えたあたりに
動き始めるのだとか。つまり、節分を越えると、今年のエネルギーが非常に
はっきりしてきますので、今年の目標や、新しいトライはこの頃に
幸せな気持ちで始めてみるのもいいかもしれません。

一月の内にちゃんと今年の計画を立てられなかった人は、改めてこの節分に
誓いを立てても遅くはありませんよ~。

さぁ、節分の日にはあなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は外、福は内。」
そして今年の恵方・南南東に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりなさってくださいね。
今年一年の幸せを、健康を、心から願って。

【2011.2.1 末金典子】