爽やかな秋晴れの毎日ですね。
あなたはお元気にしていらっしゃいますか?

週明けはハロウィンです。
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、充分な供物が
ないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、同時に秋の
収穫を祝う祭りを行っていたとか。その後、多くの聖人たち(Hallow)を
祝う万聖節となり、近年、欧米では魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を
回ったり仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのこと。
日本では子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事が
ポピュラーなアメリカでは、大人たちも本格的な仮装に身を包み、
街中はもちろん職場にまで登場。友達や仲間同士で集まり、パーティで
盛り上がります。
大人もたまには、子供に帰って遊ぶ、童心に戻るということは大切なことかも
しれませんね。

さて、この童心に戻るということは、初心に帰ることにも繋がります。
私はいつも自分のモットーである「初心の気持ちを忘れずに」仕事をしている
つもりでいたのですが、先日とても大きな学びの機会を得ることができました。

沖縄一のクラブである「絹」のナンバーワンと評判の高い、私のお友達でもある
郁子さんはよくお仕事が終わった後に麗王にお顔を見せてくださいますので
御存知の方も多いのではないでしょうか。
その郁子さんが先週お誕生日を迎えられました。
いつもお世話になっている私としてはこんな時ぐらいにせめてもの感謝の
気持ちをと想い、この日は郁子さんに何十もの花束が届くのですが、
その中でも一番大きく品のある花束を贈ろうと、昨年は沖縄一のお花屋さんと
呼び声が高い「ディテイルフル」さんからお贈りさせていただきました。
でも今年は、麗王のお客さまで親御さんのお花屋さんを継がなければ
ならないことになった女性に、彼女への応援の意味も込めてお願いすることに
したのです。
その女性は初めての特大の花束を作製するということで、プロの方にアレンジを
相談されたり、郁子さんのイメージを実際会われた印象やお写真などから
膨らませ、旦那さまと一緒に仕入れに出向き、一生懸命花束を作って
届けてくださいました。
ところが私への領収書は贈りたかった金額よりも5000円安い金額。
訳をおうかがいすると、私への思いやりのお気持ちから少し少なめに作製し
おまけに値引きまでしてくださったとのこと。ありがたいなという気持ちの半面、
郁子さんへの想いの表現が小さく届いてしまったな、どうしようという気持ちが
半面でした。そこでその女性に感謝の気持ちと共に、残念の気持ちも正直に
お伝えしました。するとその女性は怒るどころか私の説明を冷静に
受け止めてくださり、
「典子さんへの感謝の気持ちを優先して考えてしまい、その先にある典子さんが
感謝したい郁子さんへの思いやりにまで考えが及んでいなかったと思います。
申し訳ありませんでした。」
との大変意識の高いメールまでくださり、逆に私もまた自分のコミュニケーション
不足を反省しお詫びをしたことでした。
すると、お花を贈った次の日のこと。
郁子さんが「典子さん、昨日はお誕生日のお花をありがとうございました」と
メールもくださっていたのにわざわざ麗王に5人でいらしてくださいました。
私は正直にお伝えしようと思い、
「郁ちゃん、昨日はごめんなさい。いつもの感謝の気持ちを特大の花束で
表したかったのに、善意の気持ちの行き違いから小さめの花束に
なってしまいました。本当にごめんなさい。」
と謝りました。すると郁子さんがこう言ってくださったのです。
「とんでもないことです。典子さんのイメージより小さくとも、充分に大きな
花束でしたし、何より、今回のお花、何故だかすごく感動してしまいました。
ありがとうございました。」と。
つまりは、いつもの一流店なら値段どおりの手馴れたプロらしいものを
作ってくださったのでしょうが、今回お願いした女性は不慣れではあっても、
一生懸命郁子さんをイメージし、仕入れも郁子さんのためにわざわざ出向き、
思いを込めて作製し、その工程をずっと見守っていた旦那さまが届けてくださった。
その想いが花束にプラスアルファとなって郁子さんに届いたのではないかと
思うのです。
私もつい想いの表現を値段で、と安易に考えていたのです。
このお花屋さんの女性のように「想いを込めて仕事をすること」の大事さを
改めて学んだ出来事となりました。

仕事には、「勤め」と「努め」という二つの意味があるとおもいます。
「勤め」とは、いわゆる会社や、何かしらの団体や組織との契約によって
与えられる仕事を、一生懸命やりとげること。
ここには必ず契約というやりとりがあるので、金銭が発生します。
わかりやすくいえば、社会との関わりのなかで、お金のために健全に働くことが
「勤め」ということ。一般的にいわれている職が「勤め」です。
「努め」とは、日々の暮らしと仕事を支えるべくして、自分から創造し、
精いっぱい果たすこと。
金銭は一つも発生しない行為です。たとえば、家庭の主婦の育児、家事などは
「努め」です。また、社会の一員の役割として、健やかであること、
いろいろなことを面白がったり、しっかり休息をとること、すなおで勤勉で
あること、見返りを求めず人をおもいやるといった心の働きも「努め」
でしょう。
つまりは、誰にとっても「勤め」と「努め」があるのです。

でも、人それぞれで「勤め」と「努め」のバランスは違うもの。
一般的なサラリーマンは「勤め」が7割、「努め」が3割くらいでしょうか。
専業主婦なら「努め」がほとんどで、「勤め」はわずかかもしれません。
そしてこの二つは、均等にはなかなかできません。
ただ、大切なのは、「つとめ」の空白を作らないことではないでしょうか。
たとえば「勤め」が5割で、「努め」が1割、どちらでもない空白が4割
というのはよくありません。やることがひとつもない。うっかりすると
そうなりがちだから恐いのです。

たとえば、今、職を失っている人もたくさんいらっしゃいます。
そんなふうに「勤め」がおもうままにいかなくても、「努め」はあるでしょう。
そこで自分の「努め」とは何だろうかとしっかり考える。
そんな自分の「努め」を大切にして一生懸命に果たしていれば、
今はなかなかうまくいかない「勤め」の補いができますし、
いつかまた来るであろう「勤め」の時のために何かを学ぶこともまた
「努め」なのだということになるのだと思います。

もしくは逆に、必要に迫られて仕事漬けになってしまい、
家庭や自分の暮らしを犠牲にせざるを得ない人もいらっしゃいます。
「努め」が果たせなくても、今は「勤め」の時なのでしょう。
そういう時期は誰にでもあるものです。休日に、少しでも「努め」を果たそうと
すればいいのではないでしょうか。

自分にとっての「勤め」とは何か。「努め」とは何か。
それを一度考えてみましょう。
そして、今の自分の「勤め」と「努め」のバランスを冷静に自覚することが大事
ではないでしょうか。
「勤め」と「努め」。どちらも生きてゆく上で大切な「つとめ」です。
何があろうとも元気を出して「つとめ」ていきたいものです。
しっかりと「勤め」、ていねいに「努め」を果たしたいと、今回の花束の一件で
初心に帰ったことでした。

さぁ、週明けのハロウィンの日には、子どもの時の気持ちに帰って、
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と
わいわい楽しんじゃいましょう!
私も魔女に変装しハロウィンの飾り付けやかぼちゃのお菓子とともに
あなたをお待ちしております。

「麗王に来てくれなきゃイタズラするぞ!」

【2011.10.27 末金典子】

折角の連休でしたのに、なんだか中途半端な台風がちょろちょろしていて
計画がだいなしになってしまった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
とにもかくにもあなたはのんびりお過ごしになられましたでしょうか?

ここのところは暑さも随分マシになりようやく秋の気配がしてきましたね。
私の住む北谷のアラハビーチ前のアパートメントは、真夏以外なら冷房いらず、
扇風機いらず。海側の西の窓とベッドルームのドアを開け、
東側にあるリビングルームの窓を開けると、気持ちのよい風が、サーッと一気に
吹き抜けます。風通しのよさは快適性に欠かせないものです。
圧迫感のあるものをなくし、風の通り道をつくると一気に風が通り抜けて行きます。
片方の窓だけ開けても風は入りません。
どんなことでも出口を作らないと入り口から入ってこないのです。
道をつくってあげることが風を感じる第一歩。

そこでふと思い出したのは、水泳のレッスンを受けていたときのこと。
昔私が泳げなかったのは、息継ぎが上手にできなかったからなのですが、それは、
息を吸うことばかり考えていたせいでした。
息継ぎのポイントは顔を水面に上げると同時に口で息をふっと吐くこと。
そうすると自然と息を吸うことができます。息継ぎは吐くことだけを考えれば
できるようになる。これは大きな発見でした。
これもまた風と同じ、何事も出口がないと入って来ないのです。

手に入れることばかり考えていては何も手に入らない。
きっと何でもそうだと思います。
私がよく使う喩えなのですが、
両手に荷物を持っていては、次なる新しい荷物は拾えない、と。
つかんでいるものがあったら手放してみましょう。
空っぽになった手の中に次のものが入ってきます。
捨てること、出すこと、デトックスをすること…。それはとても大切なこと。
運気もお金も健康も、風通しを良くすることが重要なのだと思います。

またそうなると人生がどんどん変わり始めます。
私はよく思うのですが、人生というものは、突きつめていくと
いつも二者択一の連続だな、と。
どうすべきか迷ったとき、答が見つからないときは、その悩みを分析していくと、
結果、ふたつの選択肢に突き当たるはず。
その何かと何かのどちらかをチョイスすれば前に出られるようにできています。
そのひとつひとつの選択が、パイ生地のようにミルフィーユケーキのように
層になって未来を大きく決定づけていくのです。
すべては自分で決めたことの積み重ね。
そう思うと、やはり大切なのは小さな毎日の決断。そして今この瞬間、なのです。

それから、何事も自分の意思で決めていくこと。
自分の小さなプライドや決め事、他人の視線などにとらわれず、
自分の心がのびのびとできるように、自然体で風通し良く、快適に生きることを
日々大切にして、迷ったときには自分で考えながら選択していきたいものです。
そうすればどんな未来も後悔しないはずです。

明後日は秋分の日。
あなたの心にやさしい秋風を通してみてくださいね。

そして、
今日を人生の最高の日にしてくださいますように。

【2001.9.20 末金典子】

本当に毎日暑いですね~。なんだかまた台風も近づいてきているようですよ~。
あなたはお元気にしておられますか?

10日の日曜日の夜のことなんですが、
自宅前のアラハビーチから北谷公園、ビーチタワーといつものように
ランニングをしていると、ドドーン!とすごい花火の連続。
そうなんです。北谷シーポートカーニバルの花火大会。
海上いっぱいに扇状に広がる花火はけっこう圧巻。
しばしビーチに座って見とれていると、周りの歓声やら拍手やらに混じって
こんな発言が。
「あぁ~、夏の終わりって感じやっさ~。」…
ぐふふふ。夏はこれからですよ~。

さて、
3・11の大震災以降、直接震災に遭われた方でなくとも、
気が滅入ってしまって…という方がとても多いですね。
震災直後はショック状態だったのが、4ヶ月経った今頃になってくると、
自分にどういった援助ができるのか、復興はどうなるのか、
私達への生活への影響はどうなのか、放射能はどういうことになっているのかなど
現実問題としていろいろな事が気になったりして、不安で暗い気分に
陥ってしまうのも無理はありません。
だからなのかはわかりませんが、ここのところいただくメールや皆さんとのお話は、
「すごく悩んでます…」「激しく落ち込んでるんです…」
「無力感でいっぱいなんです…」「自分の道が見つかりません…」といった話題が
よく出てきます。そして聞かれるんです。
「典子さんは、激しく落ち込んだ時、どうしますか?」って。

確かに、
落ち込んだ時、どう落ち込むか?
そこからどう抜け出すか?
あるいは抜け出せないままもがくのかどうか?
それ次第で人生、ずいぶんと変わってきます。

一見、能天気な楽天家に見える私も昔は、じつは「激しく落ち込むタチ」でした。
仕事の小さな失敗でも、その日一日心に重しがついているように、
暗幕がかかっているように、落ち込むだけ落ち込む。
人との関わりでも、ほんのわずかな言葉の行き違いを気に病んだりして、
しっかり落ち込む。
たった一度の不倫を経験した時なんて、ひたすら悩みに悩み、
他のことで気を紛らわすなどということさえできませんでした。
でもそんな狭く小さな自分に気づき、こんなことじゃ人生前に進まないなぁって
強く思った時期でもありました。

そして、私が立ち直る術として行き着いたのは、悩むのじゃなく「考える」こと
だったんです。
多くの人は、それまでの私も含め、悩んでいるだけで考えない。
考えないと、問題はいつまでたっても体から出て行ってはくれません。
つまり、何事も悩んでいるだけだと、問題はずっと胸のあたりに停滞していて、
何も状況は変わらず、延々同じことを悩み続けることになります。
でも、考えるということは、問題を胸から上に引きあげて頭にもっていく
ということで、立ち直るにはこれほどいいことはないんです。
あなたもぜひ試しにやってみてください。
胸から頭へ、問題を引っ張りあげる。
するとおわかりになるはずです。
「悩むのではなく考える」ってどういうことなのかが。
そして、問題はちゃんと頭の中で考えると、頭のてっぺんから外へ抜けていく
のだということにハッキリお気づきになるはずです。
だから私はみなさんにいつもこうお答えしているんです。
「私は落ち込んだりしそうになった時、
心で悩まないんです。頭まで引きあげて、逃げずにじっくり「考える」。
そうすると意外に楽になっちゃいますよ。」って。

じゃあ何を考えるのか?
もちろん「なぜこうなったのか?」。
でも結論はいつも同じ。「すべてのことに意味があるから」ということでした。
この試練は神さまが何かを教えようとしてわざわざもたらしたものなのだと。
また、やがて、本当に、なぜそうなったのかの理由が明らかになるから
不思議なものです。
「あぁ、あの時はこういうことを学ぶ必要があったのだな」
「自分にはこういう至らなさがあったのだな」
というように。
何があっても「必ず意味があること」なのです。そしてつまりは、
「毎日毎日の今ここをしっかりやっていれば、やがてすべて上手く行く」
っていう当たり前の結論に至るわけです。

また、悩みとまではいかなくとも「憂うつ」な気持ちも同じようなことが
言えます。
小さなことでもやらなければいけないことが2つ3つ4つ…と重なってくると
人ってどんどん憂うつになってきてしまうものですよね。
「あれもこれもやらなければ…」「でもこれも今日までにしなければ…」
「あ~、憂うつ!」という具合に。
これも私のモットーなのですが、
心の片隅に憂うつが3つ4つところがっているのなら、
たとえ明日まで延ばすことができる用事でも、今真っ先に目の前に憂うつを
グイっと引っ張ってきて、サッサと片付けてしまうのです。
やってみれば意外と早く終わってしまったり、楽しかったりするものですし、
何よりも憂うつが明日まで持ち越されることがなくなり、時間も有効に使えて
スッキリするものですよ~。とってもお勧めです。

これらの考え方はずっと私の生き方の軸になってくれています。

さあ、週末は海の日の連休ですね。
人間も自然界の一部。ぜひ沖縄の美しい海や自然に抱かれて、その力強さを
ぜひ感じましょう。そうすれば、自分の内に眠る、忘れ去られた強さのことを、
きっと思い出す時がくるはずです。そうすればきっと悩みや憂うつなんて
吹っ飛んじゃうはずですよ~。

目を閉じて聴いてみてください――寄せてはかえす波の音。
いのちのリズムを聴いてください。

寄せてはかえし、かえしてはまた打ち寄せる波の音。
そのリズムにすべてを委ねたら
人生にも満ちる時と引く時があるのだと
優しい波は教えてくれるでしょう。

例えば失敗してもいい。
落ちこむ日があってもいい。

ある日幸福が
あなたから離れていくかに見えたとしても
再び波は満ちてくる。
何度も何度も打ち寄せる。

【2011.7.14 末金典子】