あなたはどのようなお正月をお迎えでしたでしょうか。
私の方はといいますと、去年は目まぐるしくいろいろなことが立て続けに起こり、
年末にその疲れがどっと出てきたものか、なんと天皇さまもお患いになられた
という「マイコプラズマ肺炎」の軽いものに罹ってしまい、あともう少しで
お正月休みという時に麗王をお休みしてしまうという不祥事となって
しまいました。
ありがたいことに名医と噂に高い頼れる私の主治医の西平先生の
丁寧な問診と触診による診断で即座に治していただきました。
驚くほど注射の上手な看護師さんやハートフルな看護師さん達にも
とても感動しました。
心で働いておられる西平医院のみなさま、この場をお借りして
心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

ということでしたので、今年は例年のように普天間神宮までランニングで初詣へ、
というのはひかえて車で行ってまいりました。それでもあとはオーソドックスに
大晦日には年越しそばをいただき、紅白歌合戦を観て今やもうついていけない
流行歌のお勉強をこなし、おせち料理をゆっくり作り、お雑煮・お屠蘇とともに
いただき、大好きな読書とDVDと思考と睡眠三昧で初夢も見たお正月でした。

さて、去年という年は、いつもの年よりも本当にいろいろな想いを経験し、
たくさんの学びを得ました。
辛いことや哀しいこと、悔しいこともありました。
もちろんたくさんの喜びも。
その中で私の性格からいってとても難しい学びとなったのが、
誤解されてもなじられても、言い返さず弁解せずにじっと相手のことを想い
思考し、時を待つということでした。
かなり落ち込みました。自分も責めました。なにより哀しかった。
そして経緯を辿りずっと考えました。
なぜなら以前にも書きましたが私のモットーは、悩みは心で悩まず、
頭まで引きあげてしっかりと考えることだったからです。

そして年が明けたある爽やかな朝、私は突然に悟ったのです。
「自分の人生は自分のものだ」と。
人のために、人のお役に立ちたいと生きているつもりになっていても、
結局それでさえも自分のために生きているのだと。当たり前のことなのですが。
愛と善意による自分の気持ちから発したことであっても
いろいろな要素で複雑なことにもなってしまう。けれどその結果もまた
全部自分の責任であり学びなのです。ならば、その責任を負うために
必要なことがたくさんあるけれど、ひとつづつでもクリアしていけばいいのだ、
それが自分のためなのだ、そう決心したのです。

自分の生活について、どこまでが外から思い込まされているものなのか、
そうでないのか。
私は時間をかけてひとつひとつ考え、今も考えています。
備えすぎてもだめだし、見ないように目をふさぎすぎてもだめなのです。
自分だけのためにカスタマイズする自分の人生。
今回その過程で気づいたいろんなことに私ははげまされました。
筋肉といっしょで、心も毎日鍛えれば、強くなっていくのです。
人に力をあずけてはいけません。
力は合わせるものであって、あずけてはいけないのです。
どんなに尊敬する人でも、愛する人でも。

一歩外に出たら、いや、実はうちにいても、人生はいつどこでなにがあるのか
わかりません。
このあいだ会えた人ともう会うことがないことなんて、あたりまえのことなのかも
しれません。
かといってぎゅっと握っていたら、なにもできません。
そのさじ加減。風に乗る、波に乗る。判断する。
そんな本能をいつでもとぎすませておきたいものです。
ぎらぎらと、あるいはたまにはのんきに。

プーケットで津波があったときにそこにいた方のお話なのですが、
その津波の朝バス停でチケットを買うときに、ふと思ったそうです。
「昨日も海を見たから、なんか、やっぱり、今日は山にしよう。」
そしてチケットを変更して、助かったそうなんです。
そんなふうに、行き当たりばったりに、野性の力はふってきます。
もし判断を失敗して死んじゃうときが来たら
「あちゃ~、はずしたか。自分もここまでだったか!」
とだけ思えるくらいに、せいいっぱい生きたいものです。

あれを食べなさい、これを食べなさい、
これを買いなさい、これを捨てなさい。
ありとあらゆる情報のあふれる海を、私達は泳いでいきます。
あくまで現実的でありたいなと思います。
なんでも想いや念じる力で解決したりするのもいやだし、
お金の力で解決するのはもっといやです。
目の前にお年寄りがいたら手伝い、小さい子がいたら大事にしてあげたい。
多少合わないなと思う人でも話を聞いてあげたいし、うるさすぎたら
「うるさいよ~。」と普通に言いたい。

あの爽やかな朝、確かに感じていた気持ちを裏切らない人生にしようと思います。
スタートは遅くとも、何歳からでもどんな状況でも取り戻すことはできるのです。
夢物語ではありません。
同じことをしようとしている仲間はきっと世界中にいるし、
動き出せばいきなり出会い始めるはずです。
人生は思い通りになんかなりません。
だったらその苦しい流れの中で泳げばいいのです。
意外なことがやってきたら、自分がどういうふうに対応するか、興味しんしんで
見ればいいのです。
泣くのか、笑うのか、あきらめるのか。
それが新しい自分なら祝ってあげればいいのです。
今日から、ひとつだけのことからでも、はじめられます。
命はひらかれているのだから。

さぁ、新しい年です。
新しい自分も始まります。
一緒にお祝いいたしましょう。

あけましておめでとうございます。

【2012.1.10 末金典子】

一時の寒さも少し和らぎましたね。
あなたはいかがお過ごしでしょうか。
今年もこうしてあなたに、一年最後のお便りをお届けできることを
心より嬉しく思います。ありがとうございます。
今年もなんとか一年を乗り越えられました。一歩一歩ゆっくり歩むこと。
このような歩みが麗王にいらしてくださるあなたと共にあることを
心からお祈りいたします。

去年の最後にお便りを書かせていただいた日からあっという間に
もう一年が経とうとしているんだなと、今日はことさらに感慨を深くしました。
大地震と津波、それに原発事故のことなど誰も思いだにしていなかった平和な
昨年の暮れの日々が確かにあったのです。

1970年代にオイルショックというものがありました。
そのとき、トイレットペーパーや洗剤などの物資不足、省エネ対策、節電など
今と変わらない現象が起きました。当時も社会のいろいろな仕組みに対しての
戒めだと感じました。けれど、そのときの気持ちを私達は忘れてしまって
いたのではないでしょうか。神様は、人の行くべき方向が間違っていると、
バランスをとるかのように向かう道を変えさせるのでしょう。
ですから、神様からの試練のような出来事に直面したら、とにかく知恵を
働かせて何か行動することが大切です。誰かが助けてくれることを
待っているだけでは何も始まりません。今いる場所から少しでも前へ。
たとえ失敗したとしても、いつか次のステージにたどりつくことができると
思います。そしてそれがきっと美しい未来につながるのだと信じています。

私の場合の何か行動することとは、「食を守る」いうことでした。
農薬、化学性の添加物、放射能など私達の体を作る食がどんどん劣悪なものに
なっていっているなか、ご縁あって立ち上げた有機無農薬野菜を生産・販売する
会社が「ダイハチマルシェ」でした。大八産業さんの事業再生も無事終えた今、
この会社は来年から玉城勉さんにバトンタッチされ運営されることになります。
その会社の入社式にお招きした大城さん御夫妻から記念のプレゼントとして
サボテンをいただきました。
ほんの少し前まで、私の最も好きなお花といえば白バラでした。
真っ白な凛とした美しさが大好きでした。ところがこの日以来、サボテンの
存在感に心を奪われるようになりました。
サボテンは健気です。人の手をわずらわせることなく、たとえ水分が少なくても
自力で生き、雨が降ればきっちり水分を蓄え、ときにはきれいな花だって
咲かせてしまう。実に力強く、一生懸命な感じがしませんか?
人からいろんな面倒を見てもらわないと生きていけないような華麗な花は、
今の私の気分にフィットしないのです。生き方だってそう。
誰かをあてにして頼って生きていくような生き方は少しも素敵ではありません。
誰もが自分のことは自分で守る。そして周りの人をも助けられる人に
なりたいものです。

自然災害、経済恐慌、国際紛争、テロ…何が起こるかわからない今、この時代に、
私達はどう生きるかを問われているのではないでしょうか。何が起ころうと、
覚悟を決めて生き抜かなくてはなりません。
なぜなら、それは今私達が生かされているから。なぜ自分が生かされているのか、
どう生きるべきなのか、それを一生懸命考えることです。
生き物としての緊張感を持って生き、何が自分にはできるのかを問うこと。
生きにくい時代ですが、それを社会のせいや政治のせい、誰かのせいにしても
何も生まれないし、答は出ないのです。自分ができる範囲のことから、
まず何か行動を起こすことです。
私は、何事も前倒しに行い、すべきこと、できることは後回しにせず、
何かあっても後悔しないように生きようと思っています。

さて、今年の初め、「麗王」という店がいらしてくださる方々にとって、
どのようなものでありたいかをあらためて考えました。
ひとつはお話をじっくりと心で聞いてさしあげること。
小さな心の機微にも気づいてあげることができること。
少し肩を押してあげることができるように。
そして、なによりも愛を持ってあなたの心をあたためられるように。
いらしてくださればくださるほど、安らぎとあたたかさを感じられる場所で
ありますように。
今は人の集う場所はたくさんあります。そういった中での「麗王」の役割は、
日々のちょっとした折にいらしてくださったときに、ほっとするような、
少しだけでも世の中の騒音を忘れさせてくれるような空間でありたい。
あなたの心をあたためられる場所でありたい。
そのような想いをこめて、今年一年「麗王」で立ってまいりました。
今年も本当にありがとうございました。
会社設立などいろいろとバタバタしオープンが遅くなったり大変御迷惑を
おかけしてしまいました。それでもなお今年もまた続けさせていただいたことを
思うと感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。
たくさんのお店の中からわざわざ選んでまでいらしてくださったあなたの
温かい想いを胸に、来年はまた軌道修正しがんばってゆきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

来年こそ平穏な年でありますように。
そして何よりも、あなたがどうかこのうえもなくお幸せでありますように。

【2011.12.21 末金典子】

え~~っ、今年ももうはや忘年会シーズン!?
なんと一年が過ぎるのの早いことったら!
わたくし的にもこの11月はネットショップ「ダイハチマルシェ」をオープンし、
先週末は米空軍とのファーマーズマーケット開催と、
コザでの「空中タウン」出店が連日続き随分とドタバタしておりましたので、
明日の勤労感謝の日の祝日はほっと一息でなんだかうれしい感じです。

そのファーマーズマーケットの日はあいにくの雨模様でしたが、
米軍内で前もって大きく宣伝してくださっていたおかげで
たくさんのアメリカ人の方達がいらしてくださいました。
エアフォースのアメリカンはオーガニックに対する意識がとても高く、
お野菜の価格も見ずにお買い物カゴにばんばん入れて購入してくださり、
1個410円する有機無農薬りんごが飛ぶように売れました。
私の「プレミアム紅豚しょうが焼きお弁当」も好評で、ある御夫婦などは
「ごはんはいいからしょうが焼きだけおかわりください」
「このソースはどうやって作るの?」「じゃあ、そのしょうがも買いたい」
などと言ってくださりとてもうれしかったです。

また、次の日は麗王でもお馴染みの沖縄美少女図鑑を立ち上げた西原くん達の
プロデュースによる「コザ空中タウン」がパルミラ通りであり、これまた
すごくたくさんの方達がいらしてくださいました。沖縄テクスファームさんの
御尽力には本当に頭が下がる想いでした。
こちらでもお野菜はたくさん売れたのですが、私のお弁当がわずか2時間で
限定32食分売り切れてしまい、急遽自宅に戻り追加の仕込みをし、また2時間で
完売してしまうほどの好評をいただきました!
お休みの日にわざわざ寒いなかをいらしてくださったみなさんの
温かいお気持ちに胸が熱くなりました。
本当に本当にありがとうございました。
初めての街頭での調理や販売でしたが、いつもの仕事では味わえない「働く」
ということのとても大きな学びや気づきをいただくことができました。

さて、明日は勤労感謝の日ですね。
一昔前は、「親の決めたレールにのるなんて絶対イヤ!」という言葉にまだ
リアリティがありました。とくに世襲制の仕事が多く残る関西で生まれ育った
私にとっては若いころ、この言葉を叫んでいたお友達が何人もいます。
かくいう私だって母が大阪で老舗のレストランを家業としていたために
子供の頃からいつも家に帰るとお手伝いばかりさせられて
「私は大きくなったら絶対商売人になんてならない!」と決めていたものです。
今から考えてみると、なんと幸福な時代だったのかしらと思います。
要は、まだ子供の人生の「レール」を親の世代が決めることができると
信じられていて、反抗することもできたのですから。
それが今は終身雇用制もアテにならず、伝統的な産業を支える産業構造も、
がらりと変わっていて、親が考えるような安定した「レール」など
存在しなくなっています。
つまり、好むと好まざるとにかかわらず、一人一人が自分自身のキャリアを選び、
進んでいかなければならない、そんな時代になった、ということなのでしょう。
キャリアとは生涯の仕事とか経歴というような意味ですが、
その語源をさかのぼると「車輪のついた乗り物」という意味があるそうです。
これは、とても面白いなぁと思うのです。
人の運命とは車輪のついた乗り物に乗って運ばれて、
浮き沈みを繰り返すのだなぁと。
日本語の運命という言葉をみても、「命を運ぶ」のが運命ということに
なっていますよね。
前の世代がひいてくれるレールなど存在しなくなった今、私達のキャリアを
導いてゆく運命の車は、列車や高速道路のようなものではなく、むしろ、
海を進む船のようなものなのかもしれません。一度一度の舵取りは大変かも
しれないけれど、それだけに私達は自由に、そして思い切った方向へと自分の
キャリアを進めてゆくことができるのです。

ただ、自由になったらなったで、何をしたらいいのかわからないという人達が
増えてきてもいます。
大学教授であり「日本はなぜここまで壊れたのか」を書かれた作家の
マークス寿子さんはこう警告なさっています。

地方の高校を卒業して東京や都会の大学へ入ろうという子供の数が
減っているという。特に勉強のできる子供達が、高校を卒業したら
大して勉強しなくても入ることのできる地方の大学に入ればいいと考える子が
多いという。親元を離れて、知らない大都会で暮らそうという意気込みが
なくなっている。無理しなくてもいいよ、楽にやろうよ、と考えている。
若い時の冒険心や向上心を刺激するものが生活から失われてしまったことも
理由にある。東京にあるものは何でも地方にある、テレビかケータイで
何でもわかる、見える。「便利」を基準にする限り、親元を離れる理由も、
独立する理由もない。
また親の方も概して「放任」で、子供に「自由にやらせます」
「好きなことをやらせます」ということもあり、勉強しなくても入ることが
できる大学に入り、楽に単位をとることができる授業をとって卒業して、
そのあとの就職は地方でするわけで、フリーターや派遣の人もいる。
親の家があり、車も買ってもらえて別に食うに困るわけじゃない、
そんな生ぬるさの中で何かをしようなどという意気込みや好奇心はどこから
生まれるのだろう。生まれるわけがない。
がんばって、苦しくても負けずに、歯を食いしばってやりなさい、などと
親や先生に言われる子供はラッキーな子供なのだ。多くの子供はぬくぬくと
育てられ、お腹いっぱい食べて、何の努力も要らない生活に慣れて、
そんな生活を失うことは恐い。それでいて、心は、気持ちは満たされずに、
もっと何かあるはずだ、興奮してワクワクすることがあるはずだと思っている。
それがプロ野球やサッカーチームの応援であるうちはいいが、
そこに落ち着くのはもっとあきらめが積もってからだ。
東京にはふるさとがないとかつて人は言った。人々がふるさとをすてて
東京へ働きに出た時代、そんな時代はとうに終わった。今や、地方にも田舎にも、
ふるさとがない時代になった。愛する村、田圃、山、川が失われた。
「愛する場所」がなくなっただけでなく、「愛する人」「愛する家族」も
なくなったようである。自分の家族のことを「唯一愛する人々」
と言えない人間が増えて、居場所と人間の絆とするべきことを失ってバラバラに
流動していく人が増え続けている。

折角レールなんかない時代に好きなことをできるのだもの、
がむしゃらに、がんばって、努力して、精いっぱい自分の道に邁進しなければ!
ふにゃふにゃのわびしい人生になってしまいますよ~。
レールがないのだからお手本がないのは当たり前。
自分自身の人生を創造的に生きるのみ!なのです。
疲れたらたまに休憩すればいいんだから。
不安と創造性は背中合わせ。
あなた自身の運命のキャリアを大胆に築いていっていただきたいと思います。

そして。
「働く」とは、はた(周りの人々)が、らく(楽)になるということ。
労働だけにならず「はた・らく」気持ちを忘れたくないものですね。

少し寒くなってまいりましたがどうぞお身体御大切に――。

【2011.11.22 末金典子】