今年の沖縄はずっと梅雨かのようにじとじと続きですが、
あなたはお元気にしていらっしゃますか?

私はといいますと、この週末の土曜日から東京になんと25年ぶりに!!
行ってまいります。
東京に25年間も行ったことがない人なんて私くらいではないでしょうか!?
関西人ってなんかそういうところがありがちなんですが…。
身内の結婚式のついでに今の東京をいろいろ見てこようと思っておりますので
21日土曜日~23日月曜日の3日間、勝手ながら麗王はお休みさせていただきます。

結婚式といえば…ここのところの麗王は女性のお客さまの比率がかなり高く、
それも、結婚した~い!と望む独身女性がほとんど。そこでこんなお話を…

あるバツイチの男性が、二度目の結婚をなさいました。
一度目の結婚とは「180度違う生活」が始まって、女って本当はこういうもの
だったのかと驚いたそうなんです。
「どう違ったんですか?」とお聞きしましたら、ずばり「今すごく幸せ」と、
まるで女性のような表現から始まり、「人生ってこんなに楽しいものだったんだね」
っていうくらい楽しいんだよと、のろけるのです。
この時ハッと気づいたのは、男性が女性にプロポーズする時の古典的台詞の
「あなたを幸せにします」は、もともと無理があったんじゃないかということ。
なぜなら、「幸せ」のプロは、女性の方。
幸せを人生の目的にしてきたのはいつも、女性の方。
つまり、幸せになることにかけては、女性の方がはるかに達者なはずなのです。
だいたいが、「ボク、幸せになりたい」と口に出す男性は基本的にいないはずで、
大昔から「幸せ」は女性のものでした。
どこまでいっても「幸せ」は、女性達の、女性達による、女性達のためのもの
なのです。
なのに、男性が女性を「幸せにします」なんて、
ド素人の男性が「化粧で女をキレイにしてあげる」と言っているようなもの。
逆に言うと、私達女性もそういう男性達に「幸せにしてもらおう」と思うこと自体
間違っていたんじゃないでしょうか。
初心者の男性がいくら頑張って幸せを提案しても、
「そうじゃなくて、こうでしょ」と、だんだんイライラしてくるのがオチ。
男性に「幸せ」を託すなんて、もともと無謀すぎるのです。

さきほどの男性の再婚相手は、お休みのたびに「楽しいこと」を提案し、
毎週末イベントがあるような生活を提供してくれるのだとか。
日々のお食事も今までからしたら信じられないほど意味のある時間となり、
時間が会う日は平日の夜も落ち合って外食。二人でお料理を作りもする。
それに極めて軽いフットワークでアッという間に旅に出る。
それもありきたりの旅じゃなく、その独創性を人に自慢したくなるような
愉快な旅へ、たちまち出かける。そもそも旅というものは、行けば行くほど
クセになるから、旅と旅の間にすら、幸せを感じるようになったとも。
さらには、自分の趣味に夫を引き込むだけでなく、夫の趣味にも近づいてきて、
その本当の醍醐味を教えてくれるような新しい提案をしてくれる人でもあったそう
なのです。
基本的に、男性は自分の趣味から女性を引き離そうとするのですが、
彼女はお互いの趣味を上手に掛け合わせて、新しい「幸せ」をつくる方法を
知っていたのです。同じ趣味も一人でやるより、二人でやる方が何倍も
濃厚になること、二人でないと味わえない喜びにつなげることができるのを、
彼女に教わったというのです。
そこまでいくとひとつの「才能」で、「女性はみんな幸せ上手」というレベルを
超えています。ただ、その二度目の妻は、長い間恋人がおらず、基本的には
これまでずっと「一人」で幸せのテクニックを磨いてきたはずだというのです。
どうすれば幸せを感じられるのか、それをコツコツ形にしてきた女だと。
言いかえれば、もともと「男に幸せにしてもらおう」などという甘えはなく、
誰にも頼らずに、自分で自分に幸せを与えてきた人だからこそ、
人を幸せにするのも簡単だったのです。
女同士で楽しいことは、男と女で一緒にやってもちゃんと楽しい。
もっと楽しいかもしれない。やっぱり、「幸せになる方法」を真摯に追及してきた
女性の勝ちなのです。男に幸せにしてもらおうなどと思わずに。

女性からのプロポーズで有名なのは、故・夏目雅子さんのこのひと言でしょう。
「家に私みたいなのがいたら、きっと楽しいと思うんだけどな。」
もちろん誰が言うかによりますが、一般論としても、女性からのプロポーズで
いちばん成功率が高いのは、「私があなたを幸せにしてあげる」という
アプローチなのだそうです。女性から「私を養って」というスタンスに
なっちゃいけないのは当然のことですが、「幸せにしてあげる」と能動的に
女性から男性へ与える申し出こそが殺し文句になるのにはなるほど説得力が
あります。
良い例とは言えませんが、何人かの交際男性の死と関わりがあるということで、
長い長い裁判の結果、死刑判決が先日出た木嶋佳苗被告も、なぜああいう女性が
何人もの男性を手玉に取れたのか、ちょっと不思議に思っていたのですが、
その秘密はどうも得意とするアプローチにあったとか。
それが「私があなたを幸せにしてさしあげます」的なメールでの語りかけ。
言葉はとても丁寧だったといいいますから、本物の優しさに思えたのでしょうし、
「幸せの香り」がしたに違いありません。
もともと、男性は「幸せ」というものと距離感がある上に、
恋愛に対してとりわけ不器用な交際経験の少ない男性は、自分ではとうてい
幸せになれそうにないというコンプレックスがあるので、そのワナにハマって
しまうのでしょう。
いずれにしても、男性達にとって「この人と生きていきたい」という最大の動機と
なるのが、「幸せの香り」なのは確かです。「幸薄そうな印象」は、ある種の魅力
ではあっても、一方で危険な香りをもち、男性を知らず知らず遠ざけているはず。
男性達を無条件に惹きつけるのは、やはり
「そばにいるだけで幸せになれそうな引力」なのです。
今までそれに気づかずに「幸せにしてもらうこと」ばかり考え、
「幸せにしてくれないこと」に腹を立てている女性がいたら、早く気づいて
ほしいのです。「幸せ」は女性の得意技。自分が率先して幸せをつくって、
夫をその中に引き込む努力だけはしたいもの。それが長い人生を、本当の意味で
美しいものにするたったひとつのテクニックなのだから。
たとえばまず手始めに、おいしいお食事やワインを用意して、
やさしく楽しい言葉をかけ、一応のお食事を終えたあとも、だらだらとお食事を
続けてみてほしいのです。それが幸せの手続き。
幸せって、女性が待つものじゃなく、女性が自分の手で手づくりすべきもの。
しかも女性が男性を幸せにしてあげるなんて、いとも簡単なことなのだって、
きっと気づくはずなのです。

男性諸氏、そうではありませんか?

さぁ、もうすぐゴールデンウィーク。
あなたの大事なパートナーの方と、うんとお幸せにお過ごしくださいね!

【2012.4.19 末金典子】

心持ち寒さがゆるんできましたね。
お元気ですか?
明日はヴァレンタインデーですね~!
あなたはどなたとお過ごしでしょうか。

よく「運命の人」といいますよね。
私は誰にでも「運命の人」や「二枚貝の片割れのような人」はいると
思っているのですが、最初から「これが運命的な出会いなんだ!」と
感じるものではないと思っているんです。
ただの出会いやフツーの出会い方でも、努力次第で運命的な出会いになる可能性を
秘めていて、「この人とは運命的な出会いだったんだ」というのは、
後から感じるものだと思うのです。
だから、「運命の人」と出会うためには、ひとつひとつの出会いに
アンテナを張って、自分の人生にとって運命的な出会いにするための努力を
しなければならないのだと思います。

一生に出会う人の数は限られています。
ただ出会う人は5万人、そのうち名前を覚えられる人は3千人。
名前と顔を一致させられるのは300人。
友達と呼ぶことができる人は30人くらいが平均と言われています。
たまたま同じ時代に生まれ、約69億の人がいるなかで、
出会うということは、なんと奇跡的なことでしょうか。

なぜある人を好きになるのでしょう?
考えてみれば不思議なことですよね。
お互いが相手を好きになるということは、
本当になんという不思議なことでしょう。素晴らしいことでしょう。

簡単に、「出会いがない」「運命の人に出会えない」という人は、
出会うことの難しさや、尊さを噛みしめる必要があるのかもしれません。
出会いに、なまけてしまってはいけません。
ただの出会いも、関係を磨いていくことで、努力次第で、もしかしたら
運命的な出会いに変わっていくかもしれないのです。

あらためて思うのは、男と女はやはり2人一緒にいることで初めて人生が完成する
ということ。
互いにまったく違う遺伝子を持った相手を思いやり、愛することで、
自分の魂が磨かれていくのではないでしょうか。
40代になっても、50代になっても、大切なパートナーと愛情を分かちあう作業が
人生には欠かせません。むしろ、年を取れば取るほど、誰かを真剣に愛することが
大切なのだと思います。

ところで。
愛された記憶は、暖かいカシミアの毛布のようだと言われます。
今、どうしているかはぜんぜんわからないあの人だけれど、
あの時、一緒に見上げた星の美しかったこと。
互いに言葉を見つけられず俯いたままの喫茶店に流れていたあの曲。
彼が私にくれたあの言葉。彼の手のあたたかさ。
あの時、あんなに笑ったな。あの時、あんなに泣いてしまったな。
そのせつなさが、今はたまらなく大切なものに思えるのでしょう。

また、これから出会う新しい恋は、行く先に輝く虹のようだと言われます。

そして、今あなたの隣にいる人。
あなたが手で触れられる人のことを想ってください。
そういう人がいない?
それなら自分自身に触れてあげてください。

さて、これらのことはすべて「今」あなたが持っているものなのです。
過去の毛布も、未来の虹も、今触れられるものも、
「今、ここ」には、あなたのなかには、すべてがあるのです。
つまり、あなたの人生にはいつも愛があるのです。

さあ、明日はヴァレンタインデー。
どうぞあなたにとって愛いっぱいの、幸せいっぱいの日となりますように。

【2012.2.13 末金典子】

本土は厳寒・大雪ということで、さすがの沖縄も寒い毎日が続いていますね~。
あなたはお元気にしていらっしゃいますか?

1月も終わり、2月に入ると明後日はもう節分ですね。
立春が一年の始まりだった昔は、新しい年神さまを招く前に、来る年の災いである
鬼を祓う行事として、前夜に行われていたそうです。
そう考えると「鬼は外、福は内」の理由がわかりますよね。
それに、新年のエネルギーは一月ではなく二月の節分を越えたあたりに
動き始めるのだとか。つまり、節分を越えると、今年のエネルギーが非常に
はっきりしてきますので、今年の幸せに向かう目標や新しいトライは、
この頃にまっさらな気持ちで始めてみるのもいいかもしれません。

でもふと思うに、年の初めには「今年こそ幸せに」とか、
「もっと幸せになれますように」なんて祈ったりするものですが、
あなたにとっての幸せって一体何でしょう…?

私は毎日のように家の前のアラハビーチをランニングしているのですが、
公園の遊歩道脇にクローバーがいっぱい生えているんです。
少し前のことですが、ふと目をとめると、なんと四つ葉のクローバーが!
これを摘むと、幸せになれるという言い伝えは有名ですよね。
それで麗王にいらしてくださる方々にもさしあげたいなと
捜索を試みてみたんです。
いざ這いつくばり目を皿のようにして探してみると、みつかりません。
幸せって、こんなものかもしれないですね。
探してもみつからない…。
ただ、この公園には、みつからないだけで、何枚か四つ葉のクローバーは
あるんですよね、きっと。
誰のものかなんていうことじゃなく、ただそこにある幸せって、
なんだかいいなぁ、と思ったことでした。

昨日の麗王では、東北大震災の被災地の子供達を沖縄に招いてあげようという
支援の会「ティーダキッズ」を立ち上げられた作家の奥野先生を中心に、
昨年の大震災からそろそろ1年になろうとしていますねという話となりました。
沖縄に住む私達はニュースやネットでしか状況がなかなかわからないものですが、
それでも被災された方々がどれほどの困難に立ち向わなくてはならないのかを
その度にあらためて実感します。
一瞬にして親を失った子供達。それだけでも受けとめるにはあまりに酷い事実
なのに、その両親を囲んでみんなで過ごした家、自分の大事な机、勉強道具、
自転車、一切合財津波はなぎ倒し、破壊し、海へと引きずり込んで、
すべてを奪っていきました。被災地のそうした子供達が笑顔で頑張っていたりする
映像などを見るにつけ、この子供達がどうやって生きていくのか想像も
つきませんでした。

それでも人間は生きて行きます。
ご飯を食べ、眠り、起きてその日の作業や仕事、もしくは勉強をします。
なんと強靭な存在なのでしょう。
生命があるかぎり、居なくなってしまった人の分まで生きようと決意し、
前に進もうとします。
どこから手をつけていいのか途方にくれるガレキの山にとりつき、
わずかに残った思い出の写真を探しだし、泥をぬぐって大切にポケットに
しまう人々。
たちはだかっているガレキを除き、道を確保し、泥を掻きだす人々。
子供達にはせめて勉強できる環境をと、すぐに学校を再開させました。
毎日の暮らしがままならない中での学校の再開は世界の人々を驚かせ、
感服させたのです。
身体の不自由なお年寄りは、体育館の凍るように冷たいであろう床に
じっと耐えて横たわっておられました。ひたすら静かに耐えて、
迷惑をかけまいとしておられたのです。それぞれが生きていくために
できることを精いっぱいしておられました。
生きるために自分にできること。生きているからできること。
そうしたことを誰もが直感的に感じ取って、
懸命にそれを果たしている。前に進もうとしている。
そのことに私は深く心をうたれました。
人間は苦難のどん底にあるとき、その苦痛とひきかえに本来の気高さを
とりもどすのでしょうか。

あれから一年ほどが経った今、誰しもが大なり小なりの不安をかかえています。
その根本には先の見えない福島第一原発の事故と放射性物質の飛散による
環境汚染があります。
東北や関東の方々は地震が今でもあり不安な毎日を送られています。
こんなに離れている沖縄の私達だって、野菜やお米は大丈夫なのかしら…など
不安はあります。
この先日本がどうなるのか分からない、というストレスだって。

でも生きている、のです。
だから生きている私達は、生きるために自分にできることをしなくてはならないし、
生きているからこそできることをしなくてはならないと思うのです。
なぜならば、生きているという事実そのものがすでに幸せなのだから。
津波で家族を流された初老の男性が
「いっそ自分もいっしょに流されてしまったほうが幸せだった…」と
おっしゃっていました。「生きるも地獄、死ぬのも地獄」とも。
これまで代々大切につないで、つくりあげてきた家族、家、畑。
すべてが一瞬にして奪われれば、「いっそ…」とも思われたのでしょう。
でも、きっとあの人は時間はかかるかもしれないけれど、顔をあげて、
生きているからこそできることをし始めておられると、私は信じています。
波にのまれていった家族の想像を絶する無念さと苦しさに思いが至った時、
絶対にあの人はそうされるのだと信じています。
なぜならあの人は生きておられるからです。

私は、生きていること、それこそが幸せなのだとあの震災を通じて知りました。
これまで、生きていることは当たり前で、そのうえでどう生きるかに
多くの時間とエネルギーを使ってきました。
でも生きていることはけっして当たり前のような安いものではないのです。
だからそんな暮らしは大きく転換すると思います。まずは生きていることの幸せに
感謝して、今日を誠実に生きることにしたいものです。
先が見えないから夢が持てない、何かを計画しようにもそんな気にならない、
そういう声もたくさん聞きます。
だったらいいではないですか。今日を生きていることの幸せをあらためて
かみしめてみてはどうでしょうか。そんな生きることへのまっとうな畏敬の念と
感謝の気持ちの積み重ねで、私達は必ずこの危機を乗り越えていくことが
できるのだと思っています。

さぁ、節分の日にはあなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は外、福は内。」
そして今年の恵方の北北西に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりなさってくださいね。
今年一年の幸せを、今日を生きていることの幸せを、心から願って。

【2012.2.1 末金典子】