あれ?梅雨ってもう終わったっけ?というほどいいお天気が続いていて
気持ちのいいうりずんの頃ですね~。
でもさすがに今日はちょっと雨模様って感じでしょうか。
あなたはお元気にしていらっしゃいますか? 素敵な毎日を過ごしておいでですか?

今日はまずまずいい一日だったなぁ。私は、一日の終わりに、そう思います。
毎日そう思うのですから、かなりのんきな人間だと思われるかもしれません。
私の暮らしは、ごく普通で、特に恵まれている訳でも、幸運ばかりの人生でも
ありません。いいこともあれば、悪いこともあります。ラッキーなこともあれば、
不運なこともあります。
疲れた日。うれしい日。何もなかった日。怒りがおさまらない日。くやしい日。
悲しかった日。楽しかった日。
毎日というのは、くるくる変わり、そこには、楽しいことも、嫌なことも、
いっぱい詰まっています。
けれども、どんな日であれ、一日の終わりには、今日もまずまずいい一日だったなぁ
と思います。たとえその日に嫌なことがあったとしても、私は何かを見たり、
聞いたり、感じたりしながら、今日一日をまるごと体験し、五感と思考、
喜怒哀楽の感情を持ったひとりの人間として、今日という一日を生きたのですもの。

以前にも書かせていただきましたが、私は麗王を始めた17年前から
「今日のいい事日記」を書いています。
一日の中で良かった事をひとつ捜して書くだけです。
今、その日記をパラパラとめくってみると、
「お天気が良くて、お洗たく物がカラッと乾いて気持ちがいいなぁ」
「お客さまに、やせたね、と言われて嬉しい」
など、些細なことが多いですが、それを幸せだと感じられる喜びを知り、
また心の持ち方ひとつで毎日が変わるんだとも学びました。
どんなにちっぽけなことでも、寝る前にひとついい事を見つけると、
あぁ今日もいい一日だったなと思うことができ、感謝する気持ちが大切だと
気づくのです。
こんな日もあります。「今日はほんとサイテーなことがあったなぁ。
でもサイテーを100%経験できたし、まずまずいい日だった。」
ちょっと理屈っぽいかもしれないけど、そんなふうに、ありのままの一日を
受け止めて、素直にいい日だったと思うことができるのです。
今あらためて「今日のいい事日記」を見てみると、
今日のいい事が集まって、あっという間に17年。
私って実は17年間毎日幸せだったんだなぁなんて単純に感動してしまいました。
幸せは自分の心の中にあるもの。
幸せがやってくるのをじっと待つだけではなく
見つけ出すことのほうが大切なのだとしみじみ思いました。

毎日というのは、虹みたいなものだなと思ったことがあります。
虹はいろんな色が集まってできています。仮に色がひとつしかなかったら、
たぶん虹を見るたびに感動することはないでしょう。どんないきれいな色でも、
いつもいつも同じ色だったら、きっとすぐにあきてしまうにちがいありません。
毎日というのもそれと同じで、いろんな出来事があって、いろんな感情が
湧いてきて、だからこそ、楽しいことを楽しいと思うことができ、
悲しいことを悲しいと思うことができるのではないでしょうか。
毎日が楽しい事だらけだったら、楽しいと感じることさえ
できなくなってしまうかもしれません。
今日一日を振り返ると、どんな一日だったでしょう。
一杯のお茶がおいしかった日。自分が無価値に感じた日。猫が甘えてきて
うれしかった日。涙がぼろぼろ止まらなかった日。穴があったら入りたい日。
空がとても青かった日。
小さな事から大きな事まで、毎日というのはいろんな色を持っています。
私達はたくさんの色を通り過ぎながら、ひとつの大きな虹をかけているのでは
ないでしょうか。
もうそろそろの梅雨明けの虹が楽しみですね。

そういえば、沖縄に引っ越してきた24年前、初めて空いっぱいにかかる大きな虹を
見た日が父の日でした。父に電話をかけてその話をしたことを覚えています。
今週末の父の日にはどんな話をしようかな…。

【2013.6.13 末金典子】

ゴールデンウィークはのんびりなさいましたか?
私はといいますと、おうちでひたすらのんびりと本を読んだりDVDを観たり
お料理を作ったりして過ごし、それだけでは太る~!っと、ランニングもしっかり
こなした連休でした。

さて、この週末は母の日ですが、あなたのお母さまはどんな方ですか?

私の母は、昭和9年生まれの79歳で、学校を卒業するとすぐに祖父の代からの
洋食レストランで働き、数年前に引退するまでずっとレストランの看板として
店を切り盛りしてきた「大阪下町のおばちゃんアイドル」のような女性なんです。
以前も書かせていただいたことですが、母は子供である私が言うのもなんなのですが、
いつもすること言うことが仏さま・観音さまのような人なのです。
例えば、私が子供の頃、母と一緒に一緒にゆうげのお買い物に行く途中、
道端のお乞食さんに出会うということがありました。
すると母は、自分のお財布の中に1000円しか入っていなくても、
今日使うことができるお金を惜しげもなく全部あげてしまうのです。
それも迷うことなく間髪をいれずにさっとあげてしまうのです。
私達の夕食のお買い物にあてるお金を全て、です。
私が「なんでぇ? 今日のお夕食はどうすんの?」と聞くと、
母は決まって「お家にあるもんですませよね。」と言うのです。
「コロッケ作ってくれるって言うたのにぃ。」と恨めしく言う私に、
「こういうことを“お布施”って言うねんよ。
考えてごらん。もしもあのお乞食さんが神さまやったらどうすんのん?
それに、お布施はしてあげるんやないよ。させていただくんやで。
させていただくことによって私達の心の中に清々しい気持ちが湧いてきて
その気持ちを逆に恵んでいただいてるんやよ。
そういう世界に私達を導いてくれはるために神さまがお乞食さんの姿に
なってはるのかもしれへんやろ?
あげてるんやなくて、もらっていただいてるんやよ。」と。
はぁ~、お坊さんだったおじいちゃんにして、この娘あり、って感じですよね~。
まぁ、そんな母でしたので、レストランには、純粋に「布施名物のコロッケ」や
洋食を食べにいらしてくださる人達の他に、いろいろな悩み事を抱えた人達が、
相談やお話をなさりに連日わんさかといらして、母はただただみなさんのお話を
じっくりとうかがっていたものです。

母親がこのように家業でお商売をしていたものですから、私も子供の頃から必然
学校から帰ってきてランドセルを置いたらすぐにお手伝いです。
遊びにも行けません。限りないお皿洗いに、寸胴いっぱいのゆで卵や海老の殻むき、
ダンボール箱にいっぱいのじゃがいもやにんじんの皮むき、紙ナプキン折り、
フライ売り場の売り子さん、ウエイトレス…。
それが終わったら暖房も冷房もない倉庫で、みかん箱の机と裸電球で宿題です。
今思えば、けなげ~。 だから、私は子供の頃に誓ったことがあります。
「大人になったら絶対商売人になんてならないから!」と。
それが何の因果でしょう…。結果、自分もお商売をし、いろいろな方達のお話を
うかがわせていただく毎日を送ることになるとは…。
ただ、母と私の違うところは、私はお節介でせっかちなところがあって、
みなさんの悩みやお話をうかがううちに、解決してあげたいという想いから
「ではこうしたらどうでしょう?」なんてつい言ってしまうんです。
でも、母の日を前に、母の仕事をゆっくり思い出し気づいたことがあります。

悩みに押しつぶされそうになる人、心を病む人というのは、
もともと心が純粋で、繊細なのだと思います。
心に傷を負った時、すぐに家族や友人達の中に支えてくれる人を見つけることが
できればよいのですが、それができないと、どうしたらよいのか自分では
わからなくなって、精神状態が大変不安定になってしまいます。
そのような人達がレストランにいらっしゃると、母は、その人の話したいこと、
思っていることを全部うけとめて聞くようにしていました。
「あなたはそう言うけれど、それは間違っているわよ」とか、
「こうすればいいのよ」とか、途中で話をさえぎるようなことはしません。
そのようなことをすれば、相手は開きかけた心をまた閉ざしてしまいます。
また、ただぼんやりと聞いているだけでは、相手もなかなか話してはくれません。
そこを母は「そうやね」「それは大変やったね」と、自分をその人の身に置きかえ、
共に喜び、共に悲しむという気持ちで聞いてました。
そうすると、自分が受け入れられているという安心感からなのでしょう、
次から次へと、みなさん心の内を話しておられました。
そうして最後には、母がその人に最も伝えたいと思っていることに
自分で気がつかれ、自分で答を出しておられたように思います。

そうなのですよね。
悩みを抱える多くの人は、本当はどうすればいいのか、自分でわかっています。
ですから、ああしなさい、こうしなさいと、アドバイスめいた指示をするのではなく、
そばにいて共感し、その人が自分なりの解決の方法を見つけるのを
お手伝いすることが、私や麗王が、いらしてくださる方のためにできること、
もしくは少しでもお役にたつことができることなのではないかしらと
改めて感じました。
支えるとは共にいることであり、寄り添うこと。
そんなふうでありたいなと思っています。

あなたがお母さまから学ばれたことはなんですか?

【2013.5.9 末金典子】

もう梅雨入り!?と思ったほどじとじととお天気が悪い日が続いている沖縄ですが
あなたは毎日心晴れやかにお過ごしでしたでしょうか。

今回の麗王便りはゴールデンウィーク前ですのでいつもより少~し長めに
お送りいたします。ゆっくりお読みになってみてくださいね。

麗王という店は「会話すること」以外何もない店ということもあってか、
お客さまはみなさんとても知性的且つ個性的。
いつも感じ入りつついろいろなお話をうかがっているのですが、
たまに新しくいらしたお客さまから
「麗王のお客さまって変わった方が多いですね~。」と言われることがあります。
実は私はそういう意見を聞くと嬉しくなってしまうのです。

子供から大人になる過程で、私達は、平均的であることをまわりに強要されて
育ってきます。「協調性」と「平等性」という名の個性切りが続くと、
私達は自分自身のユニークさを忘れていきます。
社会人になっても、平均点を重視するマニュアル型の会社で働くようになると、
いよいよ完全に自分の個性を忘れてしまいます。
でも思い出してほしいのです。
もともと人は、個性あふれる存在だということを。
他人の個性をまねるほど個性が不足している人は、一人もいないのです。
個性を表現していないから忘れているだけで、なくなってはいないのです。
個性を思い出すヒントは、たとえば、あなたが感じる「違和感」の中にあるのでは
ないでしょうか。
同じような違和感を何度も感じたとき、それは眠っていた個性が無意識に
反応している可能性が高いのです。

例えば、会社員の方ならこんな違和感をお感じになられた方は
いらっしゃいませんか?

ある方がお話してくださったことですが、
新入社員の時に毎年、問答無用でアップされる売り上げ目標を達成するために、
毎日夜遅くまで残業する先輩社員に向かって、
「なぜ、毎日皆さんこんなに遅くまで仕事をするんですか?
売り上げの拡大が社員を幸せにしないのであれば、ちょうどいい売り上げ規模で
皆が無理なく仕事ができる方法を会社はなぜ考えないのでしょうか?
一体いつまでアップし続け、売り続けたらたらいいのでしょうか?」
先輩社員は、「わかってないなあ」という顔で苦笑いをして、この質問には
答えてくれませんでしたが、その方はずっとこの青臭い疑問を持ち続けておられる
ということでした。

他にもこんな違和感はありませんか?

商品をモノとして売るだけの営業アプローチへの違和感。
売り上げ至上主義から派生する、お客さまを顧みない売り込み型営業手法への
違和感。
「戦略」「戦術」「戦力」「囲い込み」「攻略」といった、お客さまに向かって
使っている「戦争用語」への違和感。
価格を下げてお客さまに満足を提供するという手法への違和感。

こんな違和感を感じてしまう自分は、「きっと変わり者なのだろう」と思って
少し落ち込みながらも、違和感を捨てずに心に秘めながら
お仕事をなさっておられませんか?
社会に出れば、不条理な出来事は日常茶飯事ですから、いちいち正論を
主張していたら組織からはじき出されます。
普通は、折り合いをつけながら、「大人」になっていくのでしょうが、なかには
主張することも妥協することもしないで、会社の内外で、「どうすればいいのか?」
の答を探し続けておられる方もいるのではないでしょうか。

でも、こういう違和感を、新しいノウハウやメッセージを生みだす重要な要素に
替えた方もいらっしゃいます。
説得話法ではなく納得話法で話し、会社の大規模な業績向上に貢献したり、
戦争用語ではなく幸福用語を使って、満足の先の感動を生みだす手法を発明したり、
商品をモノではなくコトで表現できる感動セールストークを編み出すことが
できたり。
つまりは、違和感を無視せずに、どうすればいいのかを自分なりに
追求し続けたことが、その人自身の才能の開花へとつながり、
変わり者と思っていたその人自身のユニークさに、逆に自信を持つことが
できるようになっていったのだと思います。
またそれこそが個性ということなのではないでしょうか。

少しお話は変わりますが、アメリカの俳優養成スクール「アクターズスタジオ」の
セミナーに、ゴールデングローブ主演女優賞を受賞したシャロン・ストーンが
出演した時のこと。
セミナー後の質疑応答の時間に、俳優志望の女子学生が彼女に質問しました。
「私は、女というレッテルを張られるのが嫌で、女を前面に出すのを
避けてきました。対処の方法を教えてください。」
シャロン・ストーンは、この質問に誠実に、かつ情熱的に答えました。
「何をしようと、他人はあなたを型にはめて見ます。
女はあなたの一部であり、人格の一部。色気の有無など関係ないわ。
女に生まれたからこそ、今の歩き方や話し方、考え方になったのよ。
自分の根本を否定してしまったら、生きていく上で一番大切な心の炎を
失ってしまうわ。
あなたには、すばらしい面がたくさんあるはず。
他人の目を恐れて、開花のチャンスを逃さないで。」
そのアドバイスに対して、女子学生が笑顔でこう言いました。
「明日は、タイトなドレスを着てきます!」
笑いが広がった会場に向かって、シャロン・ストーンは静かに確信を持って
言いました。
「それが自分らしいと思うことができるならね。
身体の線が出るドレスは、私は気恥ずかしいの。
それよりも、ミニスカートが私らしい。
何であれ、自分のことを考えてね。」

女=タイトなドレスではなくて、あくまで自分らしく感じることを第一義とする。
心の炎はそうして燃え続けるのだということを伝えるすばらしいスピーチだと
思いました。
自分の中に眠るすばらしい個性を開花させるには、
ステレオタイプで自分という存在を規定するのではなく、
自分らしさを常に感じることが大切なのですね。

さて、以前麗王にいらしてくださっていた女性が沖縄から東京に転勤することに
なり、2年ほど経った後、次のようなお手紙をいただきました。

典子さん お元気ですか?
折々の麗王便りを本当にありがとうございます。

東京に引っ越した時、私は東京の生活や仕事や人間関係になじめず、
またそんな自分に耐えられず、どんどん自分を追い詰めてしまいました。
自分がつまらない人間で、生きている価値がまったくないと信じ込んでいました。
何もできなくて、息をすることすら苦しかった。こんな姿を誰にも見せられない。
だから沖縄の友達とは誰とも連絡を取りませんでした。

だけどある日、もう頭の中がぐちゃぐちゃになって、何もわからないうちに
典子さんに電話をかけていました。何を話したのかあまり覚えていないけれど、
とにかく東京での暮らしが辛いんだと泣きながらに言ったように思います。
そう言いながら、内心は、久し振りに電話なのに楽しく晴れやかな話もできない
自分が嫌でたまりませんでした。

私は自分が自分にしているように、典子さんも私のことを否定するのだと
思っていました。それまで頭の中で繰り返し聞いた言葉のように、典子さんも
「あなたは駄目な人間だ」と言うのだと思っていました。ところが典子さんは
私のことを否定しなかった。否定しないどころか、典子さんはそのままの私を
受け入れてくれました。私のことを差別したり、裁いたりせず、私は私のままで
いいんだと言いました。

それを聞いて驚きました。そのままの自分でいいなんて、考えたことも
なかったからです。その時に、自分を壊してしまおうとする力と、自分を必死で
守ろうとする力の間にあった壁が、パリンと割れてなくなってしまいました。
少し大げさな表現だけど、本当にパリンという音が聞こえたかのようでした。
それほど劇的に、自分の中のかたいものがその時に消えてしまったのです。

その日を境に、少しずついろんなことが変わってきました。
もう自分でない何かになろうと無理をする必要はなくなりました。
それができずに自分を責めることもなくなりました。私は私のままでいい。
そう思うと、毎日の生活が少しずつ楽しくなっていっています。

典子さん、麗王にいらっしゃるみなさんにもぜひそう言ってあげてください。
あなたはあなたのままでいい、って。

また沖縄に帰ったら麗王に寄りますね。その時にはうんと楽しく晴れやかな私で。
どうぞお元気で。

さぁ、ゴールデンウィークです。
たっぷりのお休みのなかで、ゆったりとあなた自身の個性を見つめ、感じてみて
くださいね。
そしてどうぞあなたらしい人生を歩まれますように。

【2013.4.25 末金典子】