あけましておめでとうございます。

いつもよりは暖かめのお正月でしたね。
私はと言いますと、ごくごくオーソドックスに、大晦日は年越しそばをいただき、
紅白歌合戦を観て今やもうついていけない流行歌のお勉強をこなし、
おせち料理をゆっくり作り、元旦にお雑煮・お屠蘇とともにいただき、
初詣には普天間神宮までランニングで行ってお参りをし、
あとはひたすら読書とお料理とDVD三昧というお正月でした。
あなたはいかがお過ごしでしたでしょうか。

さて、東京から時折いらしてくださるお客さまで、ドイツ史やドイツの軍服を研究し
著書も出しておられる山下氏は、私にいつもこんなふうに話しかけられます。

「マダム、私はこう思うんですがね…」

こんなふうに「マダム」とよばれるのは、なんと気持ちのよいことだろう、と
いつも思うのです。フランスの女の人は、結婚していようと、していまいと、
若かろうと、若くなかろうと、みんな一様に「マダム」と呼ばれます。
マダムという呼び方は、大人の男の人がすべてムッシューとよばれるのと一対で、
もちろん、職業のいかんも、地位の高低も、年令も問いません。

ドゴール将軍がなくなられた時、テレビを通じてドゴールの死を告げる
ときのフランスのポンピドウ大統領のスピーチは、「フランセーズ、フランセ」で
はじまっていたのを子供心に覚えています。
日本語になおせば、「フランスの女の人達、フランスの男の人達」と
なるところではないでしょうか。でも日本語ではどうも格好がつきません。
こういう呼びかけは、その国の習慣と、片づけてしまえばそれまでですが、
日常の習慣のなかに、相手の年令や職業にかかわらず同じに呼びかける、
そういう気持ちが出ていて、本当にいいと思います。

おばさん、おかみさん、奥さん、ママさん、……
相手によって呼びかえている私達の日本語も、なにか「マダム」のように、
ひとことで、誰も同じに呼ぶことができる言葉が出来るといいなと。

今、日本はいろいろな面でとても子供っぽいと私は思うのです。
ファッションも子供っぽいし、仕事の仕方も子供っぽいし、
結婚の仕方もすごく子供っぽい。
若さに価値を置いたり、それをよしとしすぎる社会も子どもっぽい気がします。
これは見方を変えると、「だれかにプロテクトしてほしい」とみんなが
思っているからかもしれません。

女性が結婚をゴールと思っていた時代は、相手に求めるもの、依存するものは
とてもたくさんあったと思います。だけど、今はもう男性にはそれだけの
キャパシティがないのではないでしょうか。
自分では生活の糧を得るすべもなく衣食住すべてを男性に依存するという女性を
背負い込むだけのゆとりは、若い男性にはもう持つことができない社会の構造に
なってきているのだと思います。生活にかかるコストとか、世の中に転がっている
チャンスの比率とか、ゆとりや隙間があまりにないと思いませんか?

だから、今、どういう女性と本当に結婚したいと男性が思うかといったら、
「自分で自分のことができる女性」だと私は思うのです。
今の女性は社会的にも、別に男性に衣食住を用意してもらう必要はないかも
しれません。自分で手に入れられる収入があれば、相手に依存することなく、
もっと純粋に一緒に居て楽しい関係でいられるし、また男性側も
それを望んでいるのではないでしょうか。

去年の麗王は若い女性がとても多くいらしてくださったので書いておきたいのですが、
27歳くらいから34歳の間が一番女性が迷ってしまう時かもしれません。
この時期というのは、恋愛も盛り上がる頃だし、気持ちが何かに集中すると同時に
見失いやすく、すごく気持ちが揺れる時でもあると思います。
だからこそ、その時期に、寂しいからとか年齢的なことだけで無理に結婚をして
キャリアを失うことは避けたほうがいいと思います。仕事は絶対に続けたほうがいい。
結婚までいかない恋愛にしても、相手に自分を守ってもらおうと思ったら、
そこでもう何か違うものになっている気がするのです。

年をとったら不安だから特定の人を決めておきたいという考え方もあるけれど、
自分の老後を見させるために配偶者を選ぶものではありません。
そんなことはなんの価値もない投資で、相手が先に死んだり病に倒れたりしたら、
自分のほうが面倒を見ないとならない。まったくあてにならないことです。
それよりも純粋に「この人と一緒にいたい」「この人と時間を過ごしたい」という
気持ちが重要であって、面倒を見てくれることに価値を置くと、実は不安を自分で
抱え込んでしまうということに気づくべきなのです。

人はなぜ不安になるかというと、「失ったら困る」というものを持っているから。
失ったら自分はどうやって生きてこの生活を維持していけばいいの?と
執着する相手やお金や空間……失うものを持っていればいるほど不安の原因は
多いということです。でも、何を失っても自分の足で立って生きていくことが
できるという心の準備があれば不安は和らぎます。
それには、自分で食べていくことができる、つまりは収入があることが基本です。

大人は自分で自分の身を守らなくてはいけないもの。
そして極力、自分の中から不安を取り除いて生きる姿勢が、
快適な人生といい運を引き寄せるのだと私は思っています。

さぁ私もまた今年もしっかり働かなくては!
麗王にいらしてくださるあなたとのひとときを優しさや楽しさで包むことが
どうぞできますように。
そんな想いでスタートをきりたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

明日は七草です。
歴史は平安時代にさかのぼります。
朝廷では一月七日に若葉を摘み、冬の寒さを打ち払おうとする習わしが
ありました。
一方、海を隔てた中国でも、この日に7種類の菜の煮物を食べれば、万病に
かからないという言い伝えがありました。
七草がゆは、この日本と中国の風習が合体し、一月七日に、一年の無病息災を
願い、七草を入れたおかゆをいただいて、冬に不足しがちな野菜を補い、
お正月の暴飲暴食で疲れた胃袋をいたわるという古人の知恵が、
現代に生き続けている行事なんです。
お休みモードからふだんの生活に切り替えるきっかけとしてはとっても
おすすめです!
明日は麗王でもこの七草粥を御用意しておりますので
ぜひ召し上がってみてくださいね。

なお、今日はおせち料理を、
11日土曜日には「鏡開き」のおぜんざいをご用意いたしておりますよ~。

【2014.1.6 末金典子】

お元気ですか?
街にクリスマスキャロルが流れるころ、北風は寒くても心はウキウキしてきますね。
クリスマスはだれもが幸せを感じるシーズンです。
このクリスマス、実はキリスト教よりも古い起源をもっていることを
ご存じでしたか?
クリスマスはイエス・キリストの誕生日を祝うものではありますが、もともとは
ローマで行われていた冬至の祝祭をキリスト教が取り入れたものだと
いわれているのです。冬至の日、昼が一番短くなりますがこの日を境に光は
また徐々に復活していきます。光の死と再生を祝うとても大事な祝祭だったようです。
クリスマスのころ、人々の希望がもう一度復活します。
贈り物をしあうのは、そのことをお互いに歓び、わかちあうため。
また、このころには、目には見えない世界からたくさんの妖精たちもやってくると
されています。
このクリスマスのシーズンにあなたの心にある希望にもう一度、目を向けてみては
どうでしょう?

文筆家の松浦弥太郎氏がヘンリー・ディヴィッド・ソローの「森の生活」について
書いておられるのを読んで懐かしくなりました。
私が読んだのは何歳の時だったかなぁ。

「気持ちのよい春の朝には、すべての人間が持つ罪は許されている…」。

私はこの一文がとても好きです。朝、目が覚めてから部屋の窓を開けたとき、
この一文を、あたかも祈りの言葉のように唱えることがあります。
そんなときは、疲れていたり、弱っているときかもしれません。
季節がいつであろうとも、気持ちのよい朝は、どこにいる誰にとっても、
心が新しく生き返り、安らぎと平和と慈愛に満ちたひとときなのでしょう。
そして夜になり、明日になれば、そんな朝は必ずまたやってくる。
なんてすばらしいのだろうと思うのです。
朝がまたやってくるなんて、当たり前すぎて、なにを言っているのだろうと
思われるかもしれませんが、当たり前のことにこそ、その一つ一つにありがとうと
感謝したい。いつもそこにある、当たり前のことが、私達の日々の暮らしを
助けてくれているからです。

今年もいろいろと不安なことや悲しいことばかりが起きる世の中でしたが、
リスが夏の間に、冬のための木の実をたくわえるように、そういった出来事にも
感謝し、麗王にいらしてくださるみなさまとの語らいのために、来年からもまた
努力を積み重ねたいと思います。

人は話すことで、心の内を整理しています。
もし私の周りに悩んでいる人がいたら、話し相手になりたいなぁと思って
19年前にはじめた麗王でもありました。
なにも意見を言わなくても、ただ話を聞くだけで、相手の気持ちが
落ち着くはずではと思ったからです。

そうして学んだことの一つは、人にやさしく接するということは、
細かく世話を焼くことではなく、その人の状態にあった態度で接する
ということでした。過干渉は、かえって相手の不安を大きくしてしまいますから。
でもこれがまたなかなか難しい。その人の状態をちゃんと知ることも、
それにみあった態度とは何かを見つけることも。

人が集まれば、その数だけ価値観や考え方があります。
自分が周りにどう見られているかを気にしすぎると、自分が感じていることや
思っていることを、素直に表現するのが難しくなってしまいます。
「私は私。あなたはあなた。」なのです。

なので、意見の食い違いを恐れてはいけないのです。
他人と意見が食い違うことはよくあること。
大切なのは、意見が食い違ったときに、お互いにどう歩み寄ることができるか
なのだと思います。

そのなかでは時に、人に傷つけられたり、人を傷つけてしまったりということも
起こってきます。傷つけられた方も、傷つけた方も、苦しまねばなりません。
そして、どれほど苦しんでも、傷は癒えないかもしれません。
他人はどこまでいっても自分の思い通りにはなりませんから。
たとえ、相手から「もう気にしてないよ」なんて言われても、そう単純には
救われないですよね。
考えてみれば、私達は人を傷つけ、嘘をつき、自分をも傷つけながら
生きていくしかないような存在です。
だから人を傷つけた苦しみを背負ったまま生きていかねばなりません。
そして、そのことをごまかさず、きちんと背負うのです。
ひとつ間違えれば、自分を守るために大切な人さえも傷つけかねない、
それが私達の実相です。
そのことに自覚的であるか、無自覚であるか、そこが分岐点なのでは
ないでしょうか。
自覚的にあろうと決意して、踏み出した一歩先に救いの扉があるように思うのです。

さて。
今年も残すところ2週間ほどとなりました。
この一年本当にお疲れさまでした。
今年もいろいろと苦労があり大変でしたね。
あなたは今どんなお気持ちでお過ごしでしょうか。
お疲れになっていませんか。
心配事はございませんか。
夜はよく眠れていますでしょうか。
ご病気などされていませんでしょうか。
楽しいことはありましたか。
困ったことなどありませんでしょうか。……

日々麗王に立ちながら、ふと手をとめて、こんなことばかりを思います。
あの人のお顔、この人のお顔…。
とても不安定で、不景気な今、たくさんのお店の中から、麗王を選んで
いらしてくださることが、どんなにありがたいことかと考えると、
こんなふうにみなさまのことを思わずにはいられないのです。
この前いらしてくださった時、何かひとつでもお役に立つことはできただろうか。
行ってよかったと思っていただけただろうかと、一人一人のお声を聞きに
お伺いしたい気持ちで一杯です。
いつものように麗王に行ってはみたものの今日はつまらなくて損をしたと
がっかりされないよう、みなさまの大切なお金を無駄にしないよう、
隅々まで心を配り、そしてみなさまにどんなふうに楽しく時間を
お過ごしいただこうかと深く考えながら、大きく反省もしながら、
お一人お一人の肩にそっと手を当てるような気持ちで、
これからも麗王に立たせていただきます。
みなさまのおかげで、こうしてまた一年間、麗王を続けることができました。
本当にありがとうございました。
どうか来年からもまた麗王にいらしてくださいますよう心からお願い申し上げます。

あなたが穏やかに一年を締めくくることができますように。
そして、あなたがどうかこの上もなくお幸せでありますように。

【2013.12.19 末金典子】

カレンダーも残すところもうあとひと月ちょっととなりましたね~!
本当に月日の経つことの早いことったら!

今年の麗王は女性のお客さまが多くて、カウンターのお客さまのほとんどが女性
なんてことも少なくありませんでしたし、
男性でも以前のように既婚者が圧倒的というのではなく、
バツイチや(マルイチと言ったほうがいいのでしょうか)、
独身の方も多かったように思います。
そんななかでよく耳にした言葉が「出あいがない」という悩みについてでした。

でも、実際私達は毎日のように、なにかに出あっています。
それが「運命の恋人」のようなものでなくとも、道端で見かけた新しいお店や
季節の移り変わりを教えてくれる花達、はっとさせられるような誰かの優しさなど、
さまざまなものに出あい続けているわけです。
出あいは「単体」ではなく、一連の小さな出あいの連鎖が、
最終的に大きな出あいに結びついていきます。これは、特に珍しいことでは
ありません。
例えば、友達に出あうこと、親戚に会うこと、好きな仕事に出あうこと。
それが、結婚や出産などの縁に結びついていくことが、実際、非常に多いわけです。
小さな出あいを大切にすくいあげていくうちに、それらが飛び石のように、
私達を特別な出あいの場所にいつのまにか、導いてくれるのです。

私は星占いも好きなのですが、この世界では2013年の後半から来年の夏までは
「水の時間」と言われています。
水は、霊的な世界とこの世との触媒になるらしく、
だからなのか私は夏場でも毎日お風呂にしっかり浸かっていますし、
住んでいる自宅は海の真ん前にあって、海沿いの道は車にも遭わず、
途中には何本かの川も流れているなど、日課である夕方のランニングに
ちょうどいいコースになっていて、水に近いそんな暮らしを
私は結構気に入っております。
海の波が寄せては返し、川の水が流れているという景色は、
取るに足りないことですが、私にとっては、日々のささやかな癒しになっています。
気持ちが落ち着かないときや、何かあって悲しいとき、気分がすっきりしないとき、
水辺をぼんやりと眺めながらゆっくり走るのです。
あなたには、何かあった時、ぼんやりできる場所があるでしょうか。

川の流れを見ていて、いつも心に浮かぶ好きな言葉があります。
「流水不争先」(流れる水は先を争わない)という中国の教えです。
水はかたちも無く、どんないれものにもこだわりなく入ることができます。
傾ければ下に流れるようになすがままです。
自分自身が、水のように自由自在で、ゆるやかで流れるようであれという教えです。

川の流れをぼんやり眺めていると気づくのです。
まっすぐまっすぐ流れようとしがちで、頭でものごとをあれやこれやと考えて、
いつも先を争って、流れる川になることができない自分がいることを。

力を抜こうよ、
素直さや、心の柔らかさを取り戻そうよ、
何でも受け入れようよ、
と川の流れは教えてくれます。

また、星占いの世界では、水は、感情、すなわち、喜怒哀楽を表します。
感情を表に出すことを恥ずかしがる人は大勢いますが
(特に沖縄は多いような気がします)、人と人とを結びつけるものは、まさに
感情でしかありません。
もし、この先大切な出あいを望むならば、今出あったもの達に感情ゆたかな
レスポンスを返していくことこそが、心から望むものにたどり着くためのコツ、
と言うことができるかもしれません。
つまりは、出あった相手にしっかりと向き合い、恐がることなく喜怒哀楽を
しっかりと伝え、また相手の感情もしっかりと受け止め、お互いの心を
触れ合わせていくという作業です。

そして、水のようにいつも透明であり続け、流されるのではなく、
自分自身で、自由自在にゆるやかにさらさらと流れていきたいものですね。

さぁ、明日は今年のボジョレーヌーボーが解禁となる日。
日々いろんなものに巡りあい、新たな気づきを得て成長を続けている
あなた御自身への御褒美に、人生を豊かにしてくれる今年の新しいワインを
プレゼントしてあげてくださいね。

(麗王では今年もJAL国際線ファーストクラスで唯一採用された
EUオーガニック認証ボジョレーヌーボーを御用意いたしております。
酸化防止剤は入っておりませんので安心してお召し上がりください。)

【2013.11.20 末金典子】