お元気ですか?
街にクリスマスキャロルが流れるころ、北風は寒くても心はウキウキしてきますね。
クリスマスはだれもが幸せを感じるシーズンです。

このクリスマス、実はキリスト教よりも古い起源をもっていることを
ご存じでしたか?
クリスマスはイエス・キリストの誕生日を祝うものではありますが、もともとは
ローマで行われていた冬至の祝祭をキリスト教が取り入れたものだと
いわれているのです。
冬至の日、昼が一番短くなりますが、この日を境に光はまた徐々に
復活していきます。この光の死と再生を祝うとても大事な祝祭だったようです。
クリスマスのころ、人々の希望がもう一度復活します。
贈り物をしあうのは、そのことをお互いに歓び、わかちあうためなのだとか。
またこのころには、目には見えない世界からたくさんの妖精たちもやってくると
されています。
このクリスマスのシーズンにあなたの心にある希望にもう一度、
目を向けてみてはどうでしょう?

さて、私はいつも自宅の目の前のアラハビーチから北谷公園、美浜、
フィッシャリーナという7キロほどのコースをランニングしているのですが、
しばしば見かける仲睦まじくウォーキングしておられるアメリカ人御夫婦や、
黙々とビーチクリーンしておられる男性、小さなワンちゃんとおしゃべりしながら
お散歩している大きな黒人のおじさまといった方々がいます。
彼らのおうちがどこにあるのか、なんというお名前なのか、私は知りません。
ただ、いつも会う時間にその姿がないと少し心配になり、
また別の日にばったり会うと安心し、軽く会釈を交わし会ったり挨拶をして
不思議とほんわりとした気持ちになる、それだけの関係性なのです。

また、私がまだ幼かった頃、たまに銭湯に連れて行ってもらって大きなお風呂に
入るのがとてもうれしかったのですが、その銭湯にすごく粋な女性がいたんです。
なにが粋かといえば、それは洗い方。手拭いで身体の隅から隅まで
くまなく洗いきる動作に一切無駄がなく、ともかく手早いのに指先まで丹念に
お手入れしている。かかとを軽石でこする仕草がまた、とびきりかっこいい。
菖蒲湯の日には、くるくるっと束ねた髪に湯船に浮かんだ菖蒲をかんざしにして
とめたんですから、その鮮やかさのかっこいいことったら。
幼かった私は、自分もあんなふうに粋に洗うことができるようになりたいと、
彼女が洗い場にいると目を皿のようにして動きを研究したものです。
それが彼女の気に障ったんでしょう。あるとき、湯船に浸かっていた私に向かって
一喝。
「あんた、なんでいっつもあたしのこと見てんのんっ! いくら子供やからって
他人様の裸をジロジロ見るなんて、お下品やで!」
至極ごもっとも。以来私は「観察」を遠慮したのですが、
密かに彼女の軽石の使い方を真似し、母に「子供にそんなん必要ないでしょうに。」
と笑われてしまいましたが…。

人は誰しも孤独な側面を持ちます。他人に自分の深部を理解してもらうのは
簡単なことではないからです。
半面、一見接点はなくとも、見知らぬ誰かがあなたを気に掛けている、ということも
少なからずあるように思います。そうしてその誰かが励まされたり、影響を受けたり、
憧れたりしているかもしれないのです。
ただ自然に存在することが、他人の生きる糧となっているー。
人と人との繋がりというのは案外、思いがけない軌跡をたくさん描いているのでは
ないでしょうか。

さて。
今年も残すところ10日となりました。
あなたにとってどんな一年でしたでしょうか。

この一年本当にお疲れさまでした。
今年もいろいろと御苦労があり大変でしたね。
あなたは今どんなお気持ちでお過ごしでしょうか。
お疲れになっていませんか。
心配事はございませんか。
夜はよく眠れていますでしょうか。
ご病気などされていませんでしょうか。
楽しいことはありましたか。
困ったことなどありませんでしょうか。……

日々麗王に立ちながら、ふと手をとめて、こんなことばかりを思います。
あの人のお顔、この人のお顔…。
とても不安定な世の中の今、たくさんのお店の中から、麗王を選んで
いらしてくださることが、どんなにありがたいことかと考えると、
こんなふうにみなさまのことを思わずにはいられないのです。
この前いらしてくださった時、何かひとつでもお役に立つことはできただろうか。
行ってよかったと思っていただけただろうかと、一人一人のお声を聞きに
お伺いしたい気持ちで一杯です。
いつものように麗王に行ってはみたものの今日はつまらなくて損をしたと
がっかりされないよう、みなさまの大切なお金を無駄にしないよう、心を配り、
そしてみなさまにどんなふうに楽しく時間をお過ごしいただこうかと深く考えながら、
大きく反省をしながら、お一人お一人の肩にそっと手を当てるような気持ちで
人と人との繋がりを大切にと麗王を続けさせていただいて今年で21年が
過ぎました。

そしてみなさまのおかげで、この一年も麗王を続けることができました。
本当にありがとうございました。
また来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

あなたがどうかこの上もなくお幸せでありますように。

* 年内は30日(金)まで、新年は6日(金)から営業させていただきます。

* 沖縄タイムスの電子版・「沖縄タイムスプラス」で麗王でお馴染みの
沖縄大学・樋口先生の、「樋口耕太郎の沖縄ニューメディア」の
コーナーが好評で全国的に拡散しています。ぜひお読みになってみてくださいね。
http://www.okinawatimes.co.jp/category/tc-s-higuchi

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麗王
トリニティ株式会社
末金典子

2日からお休みさせていただいて今更ながらのハネムーンで久々にハワイに
行ってまいりました!

ハワイというと、何をイメージなさいますか?
世界中の旅行者を魅了する南国のリゾート。
人であふれかえるワイキキの喧騒。
ありとあらゆる商品がそろうショッピングモール。

「ハワイなんて、いったいどこがいいの?」
よく聞く言葉ですが、ハワイの表向きの顔だけを見てそう思うのは実にもったいない。
この土地には「人気のリゾート地」の顔だけではない、奥の深い魅力が
隠されているんです。

まず私達が訪れたのは、ワイキキビーチのあるオアフ島ではなく、ハワイ諸島の中で
一番大きい島で、別名「ビッグアイランド」と呼ばれるハワイ島。
火山から流れ出た溶岩だらけの島。道路には電灯もなく夜は漆黒の闇。
星が降り注ぐように光り輝いていて、まるで宝石箱をひっくり返したよう。
ビーチにはウミガメだって訪れます。
そのハワイ島に、ハワイの中でも最も神聖な場所とされる、緑に覆われた深い谷の
ワイピオ渓谷があります。
その場所にたたずむと、気持ちのいい風が頬をなで、長い髪を揺らしていきます。
たちまち私はいつもの感覚におそわれるのです。
優しくて力強い大きな力に包まれるような安心感。
心と体から余計な力が抜けていき、その場に溶け込んでしまうような感覚。
自分がここにいて、ここにはいないような不思議な、恍惚とした感じ。
足を踏み入れた瞬間、ここに満ちるハワイの大自然に流れるエネルギー「マナ」の
存在が実感できる場所です。

マナとは、ハワイ語で目に見えない超自然のエネルギーのことをいいます。
日本語でいう「気」と同じもの。ハワイの人々は、海や山や川、動物や鳥や植物、
そして地面に転がる小石にさえも、このマナが宿っていると考えてきました。
自然だけではありません。人間ひとりひとりにもマナが宿っていると言われています。
そしてそのマナの量が多ければ多いほど、その人はエネルギーに満ちあふれ、
魅力が増すといいます。
誰しもエネルギーのあるものや人に惹きつけられます。マナに満ちあふれたものに
触れれば、その豊かなマナを分けてもらえることを本能で知っているからです。
「この頃疲れてきたな」と思ったら、ハワイの美しい海や山を訪れると、みるみるうちに
力がみなぎってくるはずです。
これも、大自然のマナのおすそわけ。この地の人々にとって、マナは自然に息づく
聖なるエッセンスなのです。

ハワイはここ沖縄とも似ているところがたくさんあるのですが、
ちょっと違うなぁと思うところは、静と動の魅力、「力強さ」と「優しさ」に、
大きく心を揺さぶられるところかもしれません。
たえまなく溶岩を流しつづけ、新しい命を生み出すキラウエア火山。
サーファー達を惹きつけてやまないノースの荒々しい波。
古代より、生贄の体をいくつものみこんでいった、切り立った崖。
そのどれもが、圧倒的な自然の力で、訪れる者達の心をわしづかみにします。
その一方で、日本にありがちな島じゅう護岸工事でコンクリートの要塞のように
なっていなくて、どこも穏やかな波が寄せてはかえす美しい砂浜が続いていて、
目にもまぶしい緑が茂った森などが、訪れた人々の心にゆっくりとしみわたり、
都会での生活でためてきた緊張をときほぐしてくれます。
動きのあるドラマティックな大自然と、その興奮をなだめてくれる穏やかな自然。
この静と動のバランスこそが、ハワイの魅力でもあるのです。

今回の旅では、オーガニックがとても進んでいる環境で美味しいものをたくさん
いただいたり、3か所の素晴らしいホテルに滞在できたり、ウミガメが目の前に
いたり、目の前でたくさんのイルカが一斉に飛び跳ねてくれるという不思議にも
出会ったりと、たくさんのことを経験したのに、
いちばん印象に残っていることはといえば、ハワイ島の海やゴルフ場の傍の道、
ダイヤモンドヘッドの麓や運河の脇、ひたすら豪邸が続くカハラの高級住宅地を抜けて、
女性として初めて大西洋単独横断飛行をしたアメリア・イアハートがホノルルから
アメリカ本土に飛び立った記念碑のある場所まで…といったところをひたすら一緒に
ジョギングして走ったこと。
8キロほどの距離を毎回毎回、幸せだね~と言い合いながら走りました。
自然がいっぱいの太陽燦々の道のりと、波音と、二人の足音。
あれは、旅の前には知らない、予想していないことでした。
たくさんの人とすれ違いあいさつを交わしながら、ただただ走ったこと。
これからはハワイと言われたら、青い海やウミガメたちよりも前に、
私はあの音を思い出すのでしょう。それが、行ってみるということなのだと思います。
お金も時間もかかるし、なんだよ、ハワイまで行って足音?と思うけれど、
それが生きていくことの中でその人にしかない宝物なんだと思うのです。

そもそも私達はどこで間違ってしまったのでしょうか。
朝から晩まで働きづめで、のんびりお休みも取ることができない日々の暮らし。
望みどおりの人生からは、とうていほど遠いと感じている方もいることでしょう。
身も心も疲れきり、自然と切り離された環境ではストレスもたまるばかり。
子供の頃のように、無邪気に笑いころげたのは、いったいいつのことでしょう。
自分の心をごまかして、無理を通して生きていれば、心も体もずれてきます。
少しずつ、少しずつ、じわりじわりと確実に。
人を本当に癒すことができるのは、じつのところ本人だけなのかもしれません。
誰にでも、自分を癒す力が生まれながらに備わっています。
ありのままの自分を取り戻し、肩の力を抜いて自然に生きる。
周りの意見なんて気にすることはありません。
その人が、その人らしく自然に生きることこそが、何より強い力となるのです。
そのありのままに生きるお手本となるのが、いつの日も人間を見守ってきた大自然。
自然はただそこにあるだけです。人の目を気にしたり、誰かに好かれようと思って
海や山はそこにあるわけではありません。そして、人間も自然界の一部なのです。
つまりは、大自然のように、ただそこに自分であり続けること。
その時、魂は真の強さを知るのでしょう。
あなたもいつかハワイの大自然に抱かれて、その力強さを感じてみてくださいね。
そうすれば、自分の内に眠る、忘れ去られた強さのことを、きっと思い出す時が
くることと思います。

さて。
今週木曜日は今年のボジョレーヌーボーの解禁日!
麗王で毎年御用意しているボジョレーヌーボーは、
ドメーヌ デュ クレ ド ビーヌ(シュブラン家)のワイン。
シュブラン家はボジョレー地区南西部で5世代前から続くぶどう農家。
現当主のフランソワさんは元農学校教授。2008年にビオディナミを実践する
友人のワインに感動したことからオーガニック、ビオディナミ農法への転換を
決意しました。畑には草花があふれ、みみずなどの動植物が土を耕します。
醸造は、昔ながらの製法で、潰したぶどうから出た二酸化炭素のみで
ゆっくりおいしさを引き出す、伝統的な「マセラシオン・セミ・カルボニック製法」を実践。
25℃を超えない低温でゆっくりと仕上げ時間も労力もかけて丁寧に造られています。
そんなシュブランさんのワインは花崗岩質の畑の特長を生かしたミネラル感と
きれいな酸味を楽しむことができる味わいです。
今年も夏~秋にかけて天候に恵まれ、非常に出来の良いぶどうができたことから、
シュブラン家では、保存料であるSO2(二酸化硫黄)を添加せずに仕込みを行った
とのこと。他ではほとんど味わうことのできない酸化防止剤の入っていない自然のままに
造られたボジョレーヌーヴォーであり、昔ながらの手作りの温かさと、造り手の哲学によって
生まれた洗練さをあわせ持つワインを今年もぜひ麗王でお楽しみくださいね。

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麗王の11月のお休みは20日(日)・23・24日(勤労感謝の日)・27日(日)です。

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麗王
トリニティ株式会社
末金典子

もうすぐ11月だというのにまだまだクーラーガンガンだなぁと思っていたら
昨日あたりから少し秋の雰囲気が漂い始めました。
季節の変わり目で体調を崩しておられる方も多いようです。
あなたはお元気でしょうか。

過日、教育関係のお仕事に就いているお客さまから、こんなお話をうかがいました。
今は小学校に上がると、まず転び方や飛び降り方を教えるんですよ、と。
不思議に思って詳しくうかがうと、椅子から飛び降りたり、道で転んだりした場合に、
とるべき姿勢を教えるのだそうです。
高い所から飛んだときは、腰を曲げてクッションにすること。
転びそうになったら、手をついて身を守ること。
それができずに、膝を伸ばしたまま着地して骨折したり、転んでも手が出ずに
顔面を派手にすりむく子が多いのだとうかがい、大変驚きました。

私の子供時分は、近所の塀の上を伝い歩きしてポーンと地面に
飛び降りるようなことも、転んで手のひらに細かい砂利粒をめり込ませるようなことも
日常茶飯事でした。
当時は整備された公園などあまりなく、代わりに至る所に空き地がありました。
みんな、ここでゴム飛びをしたり野球をしたりバッタを捕ったり鬼ごっこをしたり
したものです。「ドラえもん」で、のび太たちがよく土管の置かれた空き地に
集まっていますが、まさにあんな感じ。ボールが近くのお宅に飛び込んでしまい、
「すいませーん、ボール捕らせてくださーい」と、お願いすることもしょっちゅうでした。
道は普通に遊び場でしたし、子供達はみんな外で遊んでいたものです。

ところが今は、公園でもキャッチボール禁止、自由に遊ぶことができる空き地は
皆無に等しい。道は車がばんばん通っていて危ない。
これでは、転んだり飛び降りたりする機会もないでしょう。
それどころか子供の声まで騒音として保育園などへの苦情が続出していて
問題になっている。
確かにレストランなどで騒ぎまくっている子を見ると、「むむむ」という時もあります。
幼稚園や学校の御近所は相応に御苦労もあるでしょう。
けれど、町から子供たちの声が全くなくなってしまったら、それはとても寂しいと
思うのです。

ジャポニカ学習帳は花や虫の写真が表紙を飾るおなじみのノートでしたが、
4年前、表紙から昆虫が消えました。親や教員から「気持ち悪い」との
クレームが相次いだからだそうです。
子供たちの声にしても、虫にしても、自分の気に入らないものは
排除してしまう傾向が世に強まっているのではないでしょうか。

荒木経惟氏の写真集に「さっちん」という昭和30年代の活き活きとした子供たちの
笑顔を撮った作品集があります。
紙芝居に真剣に見入る姿、全速力で駆け回る姿、トラックの荷台に乗って
おどける姿。みんな、顔だの、足だの、泥だらけの傷だらけで、鼻水も垂らしています。
生きている躍動感そのものなのです。子供というのは、こんない力強く逞しい
生き物なのか、と改めて感じてしまいました。
荒木氏はこの写真集のあとがきにかえて、語っています。
「少年性っつうのはね、一番の魅力のことなんだ。そんなものはね、十歳とか
そんな頃に、いくらまわりの環境がどうだったって、奪い取れるもんじゃない。
それをね、いまの時代がだめにしたなんていったりしちゃあだめだよ」

そうして、こう続けるのです。
「チャンスがあればいつだって呼び戻すかもしんないよ。もって生まれた少年の
野生っつうのをさ、そういうものを」

子供時分に育まれる「野生」は、大人になって強く生きていくためになにより必要な
創造力であり知恵であり胆力でありコミュニケーション力のもとになるものだ
という気がします。
そしておそらく、ある年齢を過ぎると身につけることが難しくなる力でもあるのでしょう。
それを抑えつけるような社会を大人が作ってはいけないな、と改めて思うのです。

さて、週末はハロウィンですね。
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、
充分な供物がないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、
同時に秋の収穫を祝う祭りを行っていたとか。
その後、多くの聖人たち(Hallow)を祝う万聖節となり、近年、欧米では
魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を回ったり
仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのことで、
子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事がポピュラーなアメリカでは
大人達も本格的な仮装に身を包み、街中はもちろん職場にまで登場。
仲間同士で集まり盛り上がります。

私達もたまには童心に戻って、もって生まれ子供時分に育まれた野生を
呼び戻してみるのも大切なことかもしれませんね。

なので、麗王でも賑やかにハロウィンの飾り付けをし魔女に扮してお待ちしております!
「麗王に来てくれなきゃイタズラするぞ!」

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