爽やかに晴れたゴールデンウイークも過ぎ、また日常が戻ってきました。
あなたはどのように楽しまれたGWでしたでしょうか。

私はと言いますと、まとまったお休みになると必ずと言っていいほどカゼをひいたり
病気になって寝込んだりしてしまうのですが、案の定カゼをひいてしまい、
ひたすら安静にしていた休日でした。
でもそのおかげでじっくりと睡眠と栄養をとり、また元気に麗王を再開しております!

さて、週末の日曜日は母の日ですね。
毎年この月には母との思い出を書かせていただいているのですが、
今年ふと思い出した母とのエピソードは秋の季節の場面です。

私がまだ10歳ぐらいの頃だったでしょうか。
コスモスが咲き乱れる道を車で通りかかった時に、私が、
「お母さん、コスモスの花びらって何枚あるのん?」と尋ねたことがありました。
もうすでに夜遅く、帰路を急いでいたものの、母は運転していた父に車を路肩に
止めてもらい、「一緒に見てみよか。」と私と一緒にコスモスの花びらの枚数を
数えてくれました。
こんなふうに母はいつも「後でね。」「今はちょっとわからへんわ。」とは言わずに
私の好奇心を削ぐことなく、後回しにできることはすべてほったらかしても、
私につきあってくれた人でした。お料理の途中でガスの火を止めて一緒に事典を
見てくれたりというようなこともありましたっけ。
今思えば私の「なぜだろう?」にきちんと答えてくれなければ、「?」が行き場をなくし、
いずれしぼんでしまっていただろうと思います。
日曜日には母に改めて「ありがとう」を伝えようと思います。

さて。
麗王に時折いらしてくださる沖縄人財クラスタ研究会・マネージャーの前関さんは
食にとても気を配っておられる方で、まだお若いイケメン男性だというのになんと!
ぬか床までお持ちで、ぬか漬けを御自分で作っておられるということを数年前に
お話してくださっていましたが今もまだお持ちでしょうか。
御存知のようにぬか床って3日も放っておいたら駄目になってしまうもの。
毎日必ず手を入れてかき回さないといけない手間を必要とします。
私の大阪の実家にも100年以上使い続けている白和えのようにやわらかく、
ぽってりとしたきめこまやかなぬか床がありました。
ひいおばあちゃんが使っていたぬか床をおばあちゃんが受け継ぎ、さらに母へ。
毎晩、家族が食べる分だけかぶや大根やにんじん、瓜などのお野菜を入れて
仕込んでおくのです。こうして三代の食卓を支えてきたぬか床に、おばあちゃんも
母も、毎日、戦争中だって、手を入れてかき回してきたそうです。

ふいにルターの言葉が頭に浮かびました。
「たとえ明日世界が滅びようとも、今日私はリンゴの木を植える。」
この言葉を耳にしたとき、学生だった私は
「明日がないというのに、希望を育てることなんてできるはずがない」と思ったものでした。
いまの私にはリンゴの木を植える強さがあるかしら…。
ただ、どんな明日が来ようとも、私達は「今日、ぬか床をかき回す」ことは忘れないだろう、
と思うのです。お母さんやおばあちゃん達や、お台所に立つ人たちがそうしてきたように。
ぬか床にとっては100年なんてあっという間だったかもしれませんが、
ぬか床をかき回す人の世界には、さまざまなことがあったでしょう。
何もない日なんて一日もなかったはずです。それでもどんな日も、誰かがお台所の床に
膝をついて腕まくりし、ぬか床に手を入れた。家族の食べるお野菜を仕込み、
その先に私達の今日があり、明日もまた来るのだと思います。
ぬか漬けの習慣がない私がこんなふうに考えるのは、とてもおかしなことですが、
誰もが心のどこかにぬか床を据えている気がします。

久し振りに母のぬか漬けが食べたくなりました。
あなたにとってのお母さんの味って何ですか?

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* 麗王でお馴染みの若手実業家で頑張っておられる観光業・WAKON社長の
許田さんが、沖縄大学の樋口先生がコメンテーターで出演されている
QAB「ジョブアンテナ」にカタリストとして登場なさいます。
(5月27日土曜日17時~)
3ヶ月間毎土曜日出演された樋口先生の最終回でもありますので
是非ご覧になってみてくださいね。

* 麗王便りのバックナンバーは弊社HPよりどうぞ。
http://www.trinityinc.jp/updated/?cat=103

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麗王
トリニティ株式会社
末金典子

沖縄の桜は2月に満開でしたが、本土で今月満開だった桜も
なかなか見事だったそうです。
あなたは桜はお好きでしょうか。
私にとって、桜という国花は子供の頃にはそこまで好きなお花でもなかったのですが
大人になるにつけどんどん好きなお花として変化していきました。

人間が住み始める遥か昔から、この日本列島に自生していたといわれる古き樹木、
桜。
春が兆し満ちるころには、宿した命を産むがごとく、すさまじいエネルギーで咲き、散り、
その曼荼羅のような営みを、何千年と繰り返してきました。
永遠に繰り返す輪廻なのに、ひと春ひと春が桜にとっての全身全霊。
ここに日本人は理想の生き方を見てきたのではないでしょうか。
誰もがたったひとりこの世に生まれ、それなりに複雑な人生を歩んで死んでゆきます。
ひとりひとりに、記念日があり、記念にならない日もあり、ほかの誰とも違う人生を
歩みます。まさか来年の桜を見ることがないなどと、つゆとも考えずにお花見を
していたはずなのに、あるとき人は突然に逝ってしまいます。
人間が生きて死ぬ、というこの運命もまた連綿たる営みなのです。

若いころに「盛りだ」と騒ぎながら見た桜と、
少し成熟した今「美しい」と心から思える桜と、
そして未来には「来年の桜は見られるのだろうか」と切なく眺める桜と。
桜は誰しもの人生に響きます。なぜなら桜は「無情」を知る花だから。

先日弁護士の白先生と李さんの結婚式にお招きいただき、若く凛々しく美しい
お二人に清々しい感銘を受けました。
人間の一生の間に、大きな幸せと呼べるものは数える程しかないものです。
私も昨年結婚パーティーを開きましたが、結婚式当日の幸せは輝くばかりのもの。
でもその後に続く日々は決してその連続ではなく、ある意味平々凡々たるものです。
その中で幸せになるということは、並んで一緒にご飯を食べたり、笑い合ったり、
小さくてもいい、なんでもない時間を「ああ、幸せ」と思うことができる機会を
増やすことにかかっています。

「今の心」と書くと「念」という字になると気づいた時、「念ずれば花開く」ということばの
意味がわかるように思いました。「今」をたいせつにして生きないと、花は開きません。
「今」をなんとなく生きると、次の瞬間もなんとなくなものとなり、なんとなくな一生しか
送ることができないことになってしまうのではないでしょうか。

桜のはかなさのように、永遠に美しく輝き続けるものなんてきっと存在しません。
生きていれば、つぼみの時期もあり、枯れ木の時期もあります。
でもどっしりとした大きな幹やしっかりとした枝に支えられてこそ、また華やかなお花を
咲かすことができるのでしょう。
繊細な花びらに比べて、対照的なほど力強く堂々とした幹には、畏れを抱くぐらいの
凛々しさが感じられます。
なんだか夫婦のあるべき姿と似ていますね。人も植物も、生き物はすべて
きっとひとりではだれも輝けない。スポットを浴びるようなキラキラした時間は
永遠ではないし、だれにもいろいろな季節があります。
一生懸命吸収して成長する時期もあれば、じっと力を蓄えるべき時期もあります。
でも、どんな季節であっても、家族やパートナー、友達に支えられ、
びっくりするほどのきれいな花を咲かせることができるのではないでしょうか。
私の場合も、いつもどっしりとしたパートナーに支えられていることを感じています。
だから周りの方々のためにしっかりしたいと思うし、仕事でも頑張ることができる。
どんな季節も支え合い、お互いを輝かせる、いつまでもそんな夫婦でいるのが
理想です。
謙虚で美しく、一生懸命な凛々しい桜のように、そういう空気を放てる
思いやり深い夫婦でいたいと、若い素敵なお二人の結婚式に出席させていただいて
思ったことでした。

さぁ、週末からゴールデンウイークですね。
連続したお休みではありますが、どうぞ一日一日を大切に、御家族やパートナー、
恋人やお友達とどうぞ楽しくお過ごしください。

* GW中、麗王はカレンダー通り営業いたします。(日曜祝祭日お休み)

麗王便りのバックナンバーは弊社HPからご覧ください。
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末金典子

春の訪れを感じる今日この頃ですね。
新しい年度も始まりました。
あなたはお元気にお過ごしでしょうか。

いつも麗王にいらしていただきましてありがとうございます。
心より感謝いたします。
毎年この頃になりますと大切な人へ一年に一度の手紙を綴るように、
人を想う愛情という心を精一杯働かせて書かせていただいておりますこの
ごあいさつメールも今年で21年目となり麗王はおかげさまでこの3月で22年目を
迎えることができました。たくさんのご支援をこの21年間本当にありがとうございました。

新しい節目に改めて思いを巡らせてみました。
みなさまが一体どういうお気持ちの時に「今夜はちょっと麗王に寄ってみようかな」と
思ってくださるのか。
そして幾人かの方にお尋ねもしてみました。

「悩みや愚痴を聞いてほしいとき」「いいことがあったとき」「人生の転機を迎えたとき」…
など、お答えは様々でしたが、こういう御意見もいただきました。

「身辺が忙しいほど、会社での悩みがあったりするほどに家路から気持ちは遠のき、
帰る前に社会と家庭との軌道修正を試みるのか、なぜか寄り道したくなるんです。
疲れているほど誰を誘うことなく一人どこかに行きたくなるものなんです。
きっとこのワサワサした気持ちをどこかに落としたいんでしょう。
なので今日は麗王に寄りました。来るといつも典子さんがみなさんのお話を
一生懸命聞きながら一人でパタパタと働いていてなんだかとてもうれしいんです。
それは正直な気持ちです。で、そうやって働いている姿を見ていると、
ああ、ぼくも頑張ろう、なんて単純に思ってしまうんです。みんなそうなんじゃないかな。
そして、ちょっとした特別な一言、たとえば『いつも、ありがとうございます』なんて
言われれば実はとびきりにうれしかったりするのです。
それで何かがポトンと落ちるんです。きっとぼくみたいな気分で訪れている人も
いるはずです。たくさんの人の寄り道を作ってくれているんです。
時間がなくたって、ああ、麗王でちょっと飲んでいこう。笑顔に会いにいこう。
言葉にはしないけど、『いつもありがとう』って思ってます。」

わぁ、そんなふうに思っていてくださる方もいらっしゃるんだなぁと、
とてもうれしく思いました。

もし、なんのトラブルもなく、小さな悩み事さえもない日々ならば、
自分の人生について考えることなどないでしょう。
けれども、そんな人はこの世に一人もいません。
なぜなら人生は何か起こるのが当たり前で、つまづき、ときに転ぶことにこそ、
この世に生まれてきた意味があると言っても過言ではないからです。

現世はトレーニングジム。
たましいを鍛えるために、私達は現世に生まれてきたのでしょう。
それは私達がみんな未熟な魂だからなんでしょうね。
もしも完璧ならば鍛える必要もないわけですから生まれてくることはないのかも
しれません。人生におけるつまずきは、「未熟な部分はここですよ」と
教えられているようなもの。トレーニングをして筋肉痛になったり、苦しい思いを
したりするのは当然です。

もう少し踏み込んで言うなら、未熟な部分とは何度も何度も再生を繰り返してきた
たましいの歴史で、取りこぼした科目と言ってもいいでしょう。
現生でそれをクリアするべく、日々、取り組んでいるのです。
自分に起こることはすべて意味があり、自分にとって必要なこと。
仮にトレーニングがキツイからと逃げても、その科目をクリアするまでは
再びやってくるんでしょうね。

そうとはわかっていても問題が目の前に現れると本当に苦しくて時には逃げたくも
なりますよね。
そんなときにあなたの悩みをたとえ解決してあげられなくとも
一緒に考えたり聞くことで少しでもやわらかなお気持ちになることができればなぁと
思いつつ私はいつも麗王で立っているのです。

人を癒しているつもりはありません。
基本的には、人に人は癒せないのではないでしょうか。
人の心は深いものだから。
癒しとは、自らの気づきによって心を解放した時に得られるもの。
私はその人のお話を一心に受けとめて、本人が気づくのを見守るだけなのです。
人は認められたと思うことができると心底ほっとして、ふと自分を見つめ直し、
自ら解決策を見つけていくものなのだとみなさまから学びました。

どなたのお言葉だったか、「やさしさとは?」と聞かれて、人に星を教えること、
といった答えがありました。
「あれはね」と指さしても、自分の目と隣の人の目から見える星の角度は
なかなか一致しないもの。
相手の立場に立ち、なんとかわかるようにがんばる気持ちがやさしさなのだと。
麗王は、つねにそんなやさしい場所でありたいと思っています。
そしてその思いを胸にまた学び続けてゆく所存ですので
これからも長く永いおつきあいをどうぞよろしくお願いいたします。

この21年のご愛顧、ご声援に改めて感謝申し上げます。
また新しい22年目の始まり。
あなたにもいいことがたくさんありますように。

うららかな春の日にあなたへの感謝を込めて

P.S. おとりいただきましたボトルは期限なく大切に
お預かりさせていただいております。どうぞいつでも
お気軽にお寄りくださいませ。

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