売上論(pdf)

企業の「売上」には色がついていて、事業の本質的な強さの観点では「良い売上」と「悪い売上」の二つの要素からなり、前者は企業を強くし、後者は短期的な収益を容易に生み出す代わりに企業価値を食いつぶす性質を持つ、というのが前回のエントリー『売上論 《前編》』の仮説です。この考え方は、一般的な経営の諸問題をうまく説明できるような気がします。売上の額は収益を規定しますが、売上の質は事業力と企業価値を規定します。したがって売上の額や収益を第一に考える経営者は「収益を見て事業を見ていない」状態に陥りがちで、短期的な(とはいえ、時にはこの「期間」は10年継続することもありますが)利益成長を遂げながら、企業の凋落を招くという現象が広範に生じるのです。

売上の「色」と経営者
一般に、「売上」はこのような要素に分解されて理解されることが殆どないので、経営者の意識はどうしても売上の額に向けられ、売上の質が重要な経営課題であるという考え方をしにくいように思えます。更に、売上の額を増やすことと売上の質を高めることは相反するように見えることも、経営者が売上の質を意識しにくい原因の一つかも知れません。

売上には二種類の色がついているのですが、この色はうっすらとしたもので、殆どの経営者はこれに気がつかないか、気がついていてもあまり気に留めません。まして、どちらの色の売上も(少なくとも短期的には)同様に収益を生むため、利益成長のプレッシャーを常に受けている経営者の立場では、「そんな微妙な色の違いに構ってはいられない」という気になるのも無理ないところです。色の違いの重要性に薄々気がついている一部の経営者も、金色の売上(「良い売上」)を優先すると、鉛色の売上(「悪い売上」)が大きく下落し、総売上げと収益の急低下を経験することになりがちです。これは一般的な経営者にとっては最大の恐怖であり、金色の売上の重要性を理解していたとしても、なかなか鉛色の売上に頼らずに経営をすることができません。そして、このような試行錯誤を何度か試みた経営者は、いつも金色の売上と総売上の額が両立しないので、「所詮現実社会では実現しない理想論だ」と考えるようになります。

しかし、中には突然変異のようにロマンチックな信念を持つ経営者や、夢を追う起業家や、場合によっては破綻に瀕して退路を断たれた経営者が、金色の売上に事業を賭ける(賭けざるを得ない)ことを選択するケースがあり、少なからず大きな影響力を社会に与えることがあります。例えば1月29日のエントリーで取り上げた旭山動物園は良い事例の一つではないでしょうか。

売上の「色」を見極める
以上を経営的に考えると、①売上の質を見極めること、②売上の質と売上の額のバランスを取ること(良い売上の比率と売上の額を両立させること)、が重要な経営課題となります。売上の質を見極めるヒントですが、金色の売上は「人の役に立った結果生まれる売上」であり、鉛色の売上はいわば「人をごまかした結果生まれる売上」です。金色の売上は、「人が喜んで支払ったお金から構成される売上」であり、「偽りのない商品やサービスによる売上」であり、したがって「原材料、製造過程、原価を開示しても成立する売上」と定義することもできます。

企業会計上、売上はその質がどのようなものであっても、質の違いによって中身が区別されることはありませんが、事業価値の観点では、金色の売上が「事業」、鉛色の売上が「お金儲け」と表現すべき程の相違があります。この相違を自覚的に認識することは、企業価値を高めるための強力な経営手法になり得ます。売上の中から、事業(真実)とお金(ごまかし)を見分けることができるのは、基本的に経営者しかいませんし、経営者の重要な仕事の一つである筈です。経営者がこの違いを理解することは、事業を理解することへの大きなヒントであり、企業を強くするための重要な第一歩になるのではないでしょうか。

強い企業を作る方法
「事業」を強くすることは、「商品やサービスに隠し事がない状態で、顧客が喜んでお金を払う」金色の売上を生む力を高めることに他なりません。したがって、事業力とは、他を利する力であり、嘘のない事業を構築する力であり、開示する勇気であり、収益よりも人間関係を重視する力です。世の中で一般に理解されているような、他社を出し抜くこと、資本力、スピード、営業力などは、企業の事業力とは直接の関係がないかも知れないのです。

また、事業力を高めることは、金色の売上すなわち、「偽りのない商品やサービスによる売上」あるいは「原材料、製造過程、原価を開示しても成立する売上」を見極め、これを増加させる作業です。一見難しいことのようですが、経営者が決断さえできれば、企業の全てをオープンにすることでいとも簡単に実現できます。「金色の売上」すなわち「原材料、製造過程、原価を開示しても成立する売上」を増やすためには、…とても非常識に聞こえると思いますが…、例えば顧客に対して実際に原価を開示してしまうことが最もシンプルかつ効果的であるのは明らかです。そしてこの際、経営情報を開示するという「異文化」を企業に導入するためには段階を経ることが有効だと思います。

僕がサンマリーナの経営を担当していた時、この考えに基づいて三段階の情報開示プロジェクトを実行しました。第一段階は、経営・財務情報の全面開示です。サンマリーナでは財務会計情報が整備されていて不明瞭な点が非常に少なかったため、即時実行することができました。第二段階は、人事情報の全面開示です。役員、正社員、パートなどを含む全ての従業員の考課、給与、号俸等を全従業員に全面的に開示しました*(1)。情報開示は公正な経営を行うことが目的で、現場を不要に混乱させるべきではありません。人事考課を公正なものに見直すための時間を1年と定めて対応しましたが、現実には半年後に準備が整い全面開示を実行することができました。第三段階は、商品原価情報の全面開示です。サンマリーナでは二年以内に、(実務的に対処可能な範囲で)商品原価を顧客に全面開示する計画でした。この「非常識な」方針を実行する前にサンマリーナの経営交代がなされてしまいましたので、実現に至っていません。

オープンにすることの本質は、情報開示そのものにあるのではなく、事業を公正に構成し直すことにあります。情報管理の議論では、どの情報を開示するか、どこまで開示するか、誰に開示するか、どのような方法で開示するか、などが検討されがちですが、経営的に重要なポイントは、情報が開示されても問題が生じない公正な事業運営を行うことであり、情報の開示や扱い方は手段に過ぎません。このことによって経営が根本的に、シンプルに、公正に、効率的に生まれ変わるプロセスはとてもパワフルで感動的です。経営者が勇気を出して事業をオープンにすることができれば、企業内の驚くほど大量の問題が消滅します。例えば、社内政治(社内に限りませんが)は事業効率を大きく低下させますが、これを組織的なしくみや人事で解決することは非常に困難です。政治とは目的と手段が乖離していて真意が隠されている状態を言いますので、オープンな環境で政治は存在することができません。

なお、情報開示を実行するにあたって、最も大きな障害は経営者(および経営陣)自身です。どのような組織でも、自分だけの情報を集めることで自分の価値を高めようとする人がいますが、実はその中でも、情報を最も隠したがるのは経営者であることが少なくありません。

【2007.4.21 樋口耕太郎】

*(1) 笑われそうですが、人事情報の全面開示に加えて、社内不倫の開示原則を発表しました。男女の関係そのものに口を挟む意図ではないのですが、社内不倫は組織に嘘を持ち込み、不公正な人事や歪んだ人間関係の温床になりがちです。特にサービス業において社内不倫が盛ん?な企業は、どうしても隠微な雰囲気が顧客に伝わるような気がします。このような雰囲気を「売り」にしている企業もありますが、サンマリーナでは相応しくないと考えました。そこで、まずは幹部職員に対して、現在社内不倫状態にあれば一定期間内に「嘘のない状態」、すなわち開示可能な状態にすること(別れるでもよし、真剣交際を宣言するでもよし、離婚を決断するでもよし)としました。もっとも、その時のサンマリーナの幹部職員に該当者はいないようでした(…といっても、自己申告ベースですが)。事業経営における男女問題は一般的な経営論で語られることは殆どないのですが、対処次第で事業に大きな影響を及ぼす重大なテーマですので、別の機会にまとめたいと思います。

「強い企業」、あるいは「企業を強くする」とはどういうことでしょうか。売上を伸ばすこと?利益の成長?総資産や純資産を増やすこと?戦略的な新規事業の展開?競争力のあるビジネスモデル?優秀な経営陣や人材の確保?資金力?…。しかしながら、これらのどれをとっても、あるいはこれらの全てを達成しても企業を本質的に強くするとは限らないと思います。例えば、世の中で注目を浴びている(た)成長企業やベンチャー企業の中には、これらの多くまたは全てを満たしている企業は少なくありませんが、そのような企業がいとも簡単に凋落したり、短期間で平凡な企業に変貌してしまったり、場合によっては破綻することもまた珍しくありません。このような現象はどう理解するべきなのでしょう?

企業の強さを理解するためのひとつのアプローチとして、「企業存続の必要条件」を考えてみます。「これがなければ企業は存在し得ない」という要素の中には、企業のエッセンスを理解するヒントが含まれているかもしれないからです。そして、企業の存続にどうしても必要なもの以外の要素をどんどん切り捨てていくと、最後には「売上」だけが残ると思います。企業の付加価値は利益によって顕在化しますが、売上なしには利益は生じ得ませんし、利益がなくても大きな付加価値を有する企業は少なくありません。また、企業に全くお金がなかったとしても、売上を回収することができれば企業は立派に機能し得ます。

良い売上、悪い売上
企業社会の「常識」では、事業とは収益をもたらす活動であり、売上は企業が顧客のニーズを満たすことによって生じる顧客の購買活動によるとされています。このため、事業は「短期的かつ長期的に、どのようにして収益を上げるか」「どのようにして企業の活動範囲を拡大するか」を追求する行為、…要は「どうしたら儲かるか」そして「どうしたらより儲かるか」という企業の活動であり、「儲け」をもたらす「売上」は企業が顧客のニーズを満たすことによって生まれる、と一般に解されているのではないでしょうか。しかしながら、これが「事業」の本質的な意味であるならば、なぜ、ある時まで利益や売上を順調に伸ばしている企業が突然衰退したり破綻したりするのでしょう。一般的に、売上はなにかしら企業実体(の一部)と認識されていると思いますが、実際は企業実体がもたらす結果に過ぎません。売上と企業の本質的な事業力は異なるものと考える方が自然ではないでしょうか。

「売上が伸びている会社であっても強い会社とは限らない」ことと、「売上は企業存続の必要条件である」ことが仮に事実だとすると、「売上には企業存続のエッセンスであるもの(したがって企業を強くするもの)と、そうでないものが混在している」という仮説が成り立ちます。「良い売上」と「悪い売上」といったところでしょうか。そして、いずれの売上であっても利益を生み出す可能性があるため、いわば「良い利益」と「悪い利益」が存在すると考えると、上記の現象をうまく説明できるかも知れません。

カフェと居酒屋
先日那覇新都心のカフェでお昼を食べました。このカフェは小さいながらもガーデニングが施された洋風住宅の店構えで、株式会社サザビーリーグの「Afternoon Tea」にちょっと雰囲気が似ています。僕はハーブサンドイッチ(800円)をオーダーしましたが、お店の「小洒落た」雰囲気と「きれいな」付け合せを別にすると、要はパンにレタス(に思えました)とハムが一枚ずつ挟んであるだけ。もしこのサンドイッチが国道海沿いのカフェで売られていたら、500円でも高いと思ったでしょう。…このような商売を称して、「良い雰囲気」はお店の付加価値であり、その価値が300円の差額として顕在化したと解釈されることがむしろ一般的かもしれません。実際多くの経営者は単価を上げ、原価を下げても売れるお店作りやメニューやサービスや雰囲気作りに心を割いています。しかし、顧客が雰囲気の良いお店を選択するのは、しっかりした料理が出てくると言う期待感からではないのでしょうか?この300円は本当にお店の「強さ」なのでしょうか?

別の日に、同じく新都心の居酒屋さんに行きました。居酒屋さんでは良くあることですが、お酒を進ませるためにどの料理も味付けが濃く、食べるほどにとてものどが渇きます。僕はお酒を飲まないのですが、お腹がいっぱいになるまでの一時間少々の間にウーロン茶を2杯頼むことになりました。食事代2,500円プラス飲み物代1杯250円として500円、合計3,000円の売上は沖縄の外食としてはなかなか高い客単価となります。このようなメニュー作りは単価を上げるための事業の「ノウハウ」と解釈されることが一般的だと思います。しかし、この500円の売上はこのお店の「強さ」が顕在化したものと言えるのでしょうか?

上記のようなカフェや居酒屋さんの話をすると、このようなお店のやり方は「何かがおかしい」と感じる人は少なくありませんが、企業全体の規模で考えるとなぜか意見が正反対になります。例えば上の居酒屋さんの企業全体の年間売上が、単純に単価の100,000倍だったとしましょう。原価と販管費の合計が売上高の80%だとすると、この企業は売上3億円、費用は2.4億円、経常利益6,000万円の優良企業です。この企業がお客様に食事のおいしさを純粋に楽しんでもらいたいと考え直して食事の味付けを少し薄くした場合、飲み物のオーダーが例えば半分になり、売上は2.75億円、飲料原価は低いため費用は殆ど変わらないとして2.3億円だとすると、経常利益は4,500万円となり、25%減益を見込まなければなりません。この会社が上場企業であれば、この瞬間株価が10%くらい暴落することでしょう。これほどの企業収益を「犠牲」にしてまで、食事の味付けを顧客本位に変更することができる経営者は圧倒的に少数派だと思います。しかし、このような経営は本当に企業価値を上げている、すなわち企業を本当に強くしているのでしょうか?

嘘をつくほど売上が上がる
雰囲気でカバー(ごまか)したメニュー、食材を節約し(ケチっ)た料理、進んで(無理やり)お酒を飲ませる味付け、イメージ広告の(現実離れの)きれいな写真で売るリゾート、展示即売会にお客さんを招待し(閉じ込め)て契約するセールス、お客さんのためだと説明される多様な(不要な)オプションの保険、などはサービス業に溢れています。これらは厳密な意味では企業が顧客につく嘘以外の何者でもないと思うのですが、あまりに一般的になってしまっているために、誰も嘘だと認識していませんし、嘘だと声を上げる方が変人扱いされそうです。反面、このような企業の嘘はほぼ確実に(少なくとも短期的には)企業収益を押し上げる効果があり、経営者はこれを嘘と呼ぶ代わりに「事業戦略」、「ノウハウの蓄積」、「マーケティングの効果」と表現することが一般的だと思います。

このように企業の嘘は収益をすばやく押し上げるのですが、顧客がその嘘に気がつくと元の木阿弥になってしまいます。このため、一部のサービス企業では、嘘をどれだけ本当に見せるかが「事業戦略」となっていると言っても良いくらいの状態です。この戦略が成り立つのは、少なくとも短期的に、この嘘に気がつかない、あるいは気がついても許容できる顧客が存在するためで、企業の嘘が社会の常識になっているせいもあってか、この数は決して少なくありません。また、事業における一般的な特徴と言えると思いますが、ごまかしがあるほど、違法ゾーンに近づくほど、利害の対立を利用するほど、大きな収益が生まれる傾向があると思います。このような社会と事業の構造が現実だと考える経営者が目先の利益を最優先すると、事業戦略が嘘だらけになるのはむしろ当然だと思います。

【2007.4.17 樋口耕太郎】