トリニティのサービス論(pdf)

前回までのエントリーで紹介した「顧客体験」という概念と、その概念を利用した「商品としてのサービス」の認識をベースに、これらを実際のサービス戦略にどのように応用するかというテーマでコメントしようと思います。戦略とは差別化するということでもありますので、本稿では差別化すべき対象、つまり世の中の「一般的なサービス戦略」との比較についてもコメントします。

「顧客のコメント」について
その前提として、「一般的なサービ戦略」の基礎となっている顧客満足度を評価する際に重要視される顧客のコメントやクレームについての考え方をご紹介します。始めに、「顧客体験」と「顧客の声」の違いについて触れたいと思います。サービス業において顧客の経験や満足度を理解する重要な「窓」として顧客が残すコメント、アンケート、クレームがあり(以下、「顧客のコメント」と総称します。)、一般に顧客満足度を評価するために重要な一次情報として利用されています。トリニティのサービス論では、商品としてのサービスを評価する際に、このような「顧客のコメント」よりも、「顧客体験」という考え方を優先しているのですが、その理由は両者とも顧客が経験したサービスを顧客の価値観で表現するという点においては共通しているものの、いくつかの重要な点において異なるためです。

第一に、コメントを残す顧客やクレームを起こす顧客は極めて例外的と言って良いほどの少数派であることです。ホテル業界では、ひとつのコメントの背後には同様の意見を持つ100人の顧客がいるといわれることがありますが、決して誇張ではないと思います。まして「小さい傷」を問題視してコメントに残す顧客は殆ど存在しないと思いますし、本人ですら自分の気持ちに気づかないことがむしろ一般的ではないでしょうか。

第二に、顧客は何に満足したかを正確に表現するとは限らないためです。サンマリーナホテルでの興味深い事例ですが、トリニティ経営を導入し経営的・人事的な仕組みの全てを構築し直し人間関係を最優先する運営を開始した後、従業員に対するコメントももちろんですが、その時点では殆ど目立った改装などを行っていなかったにも拘らず、「とてもきれいな施設ですね。」などのホテルのハードに対する好意的なコメントが急増した事実があります。また、レストランなどでも、顧客は食事の味自体よりも会話の楽しさや従業員を含むレストランの雰囲気の方が記憶に残る傾向があると思います。そして、このように楽しい時間を過ごしたレストランは「おいしいレストラン」と口コミで伝えられることになります。

第三に、同様にクレームはその内容自体に顧客の真意があるとは限りません。不満が生じた直接の原因よりも、従業員に感情を伝えやすい出来事をクレームのねたにすることが少なくないと思います。例えば、「トリニティのサービス論《前編》」でのカプリチョーザでの事例では、ラストオーダーの時間を間違えたことについて僕(顧客)が指摘をした、とレジの従業員は考えがちだと思いますが、僕の本心はラストオーダーの時間が合っていようとなかろうとお店の顧客に対する配慮の不足を伝えたかった、というようなことです。

もちろん「顧客のコメント」は顧客の満足度や感想を伝える重要なツールであり続けると思いますが、以上の特質を理解し、コメントの背後にある顧客の意図を感性で補いながら評価することでより正確なサービスの現状認識が行えるのではないかと思います。

「一般的なサービス戦略」
世の中のサービス戦略を一般化することは難しいので、代表的なパターンをやや断片的に列挙し、これを仮に「一般的なサービス戦略」とします。また、顧客との直接の接点を持つ現場の裏には、商品力、流通力、費用のコントロール、情報システムなど、縁の下の力持ちがきわめて重要な役割を果たすことが珍しくありませんが、ここでの論点では、顧客と企業の直接の接点に関するものごとに限定しました。また、セグメンテーション(顧客の属性を分類して販売に役立てる手法)やターゲティング(顧客の属性に対応した商品やサービスの提供を行う手法)などのマーケティング概念も、顧客と直接の接点を構成しないためこの論点では無視しています。

第一のパターンは、顧客にとって新鮮な驚きや感動を演出するサービスパッケージで、競合他社に先行・差別化し、かつ費用対効果が合理的な演出を継続的に更新する方法です。このパターンでは顧客にとって一般的ではないアイディアを常に提供する必要があります。例えばホテルでさりげなく用意する子供用の歯ブラシ、子供のネームが入ったお風呂スポンジ、話題の先端を行くアメニティ、シーズンごとのイベント、流行のメニュー・・・。

第二のパターンは、担当者の専門性を高度に磨くサービスパッケージです。例えば1万人の顧客の名前を覚えているコンシェルジュであったり、顧客の意図の先を読む配慮であったり、言葉遣いのトレーニングであったり、跪いてオーダーを取る教育などです。

第三のパターンは、「施設は永遠に完成しない」に象徴されるように、施設を常に追加・更新し顧客に対して新鮮な環境を提供するサービスパッケージです。業態のこまめな変更、定期的な改装、新型施設の導入などが該当し、多額の資本投下を伴うことが少なくありません。

これらのサービスパッケージを実現するために、現代の企業が投下している経営資源は、研修施設、その運営費用、講師やスタッフの人件費、受講する社員の機会損失、会議・ミーティング費用、サービスにかかる広告宣伝費、企画費用と人件費、サービスシステムの導入・運営費用、施設への継続投資、デザインやコンサルティングなどのソフトコスト、などが該当し、一般的な企業(特に大企業)において投下される費用は莫大なものです。

「一般的なサービス戦略」を顧客の観点から考える
以上を前提に、「一般的なサービス戦略」がどのような考え方で構成されているかをまとめると、①上記第一から第三のパターンによるサービスの向上に努め他社との差別化を図る、②その際多額の支出を積極的に行う、③顧客からのコメントは、このようなサービス戦略の進捗、現状把握、他社とのサービスの比較評価を行うために活用する、④ネガティブな顧客コメントやクレームをなくすることが重要な目標。一般的な企業は、このような考え方でサービスの差別化が達成されると認識しているのではないでしょうか。

サービス業の立場で考えると、スターバックスはタリーズやひょっとしたらドトールと競合していると考えるのが一般的だと思います。この考え方の前提は、競合とは顧客がコーヒーを飲みたいと考えたときに選択されるかどうかであり、逆の発想では、「コーヒーを飲みたい気持ちになった」人を競合戦略における対象顧客と認識していると思います。

反面、顧客の立場で考えると、まずコーヒーを飲むことを心に決める、第二にどこで飲むかを決める、という順位で意思決定を行うことはそれほど多くないのではないでしょうか。もちろん、コーヒーを飲むことを決めてからお店を選択する顧客も必ず存在しますし、このような顧客に限定して考えれば、上記のような発想でサービス戦略を構築することの合理性はあると思います。しかし、マーケット全体で考えた場合、特に潜在的な顧客もその概念に含めた場合(「マーケティングはどうなる?」を参照ください)、「コーヒーを飲む決断」は顧客の意思決定の上位には存在しないどころか、例外的ではないかと僕は疑っています。つまり、「コーヒーを飲む顧客がスターバックスを選択する」ケースよりも、「単に顧客がスターバックスを選択する」あるいは「スターバックスだからコーヒーを飲む」ケースの方が遥かに現象として大きい、特に潜在的な顧客(足跡を残さないウサギ)も含めると莫大な規模になるのではないでしょうか。

この考え方が仮に正しいとすると、「コーヒーを提供するプロセス」としてサービスを捕らえ差別化する戦略は、経営的に非効率である可能性が生まれます。例えばスターバックスが顧客コメントやクレームなどの反響で良い顧客満足度を達成し、他社(つまり他のコーヒーサービス)と差別化することができたとしても、(全体としての)顧客の立場ではこのような比較は意思決定に殆ど影響を与えていないかもしれないのです。そして、「コーヒーを飲む」意思決定が初めに来ない、莫大数の顧客が比較する対象は「顧客の日常体験」であり、サービス事業者が本来差別化すべきは、「顧客の日常体験」と「企業における顧客体験」である、すなわち実質的な意味で従来の概念による競合は存在しない、というのが僕の考え方です。

「一般的なサービス戦略」の現状
前二回のエントリーで「顧客体験」という概念を紹介しましたが、翻って考えると顧客の現代社会におけるサービス体験は過去30年悪化し続けていると思います。現代サービス業の一般的なサービスパッケージには、お金を払っているにも関わらず、物理的な対価(例えばコーヒー)と引き換えに、言われなく非難され、ウソをつかれ、質問を無視され、人間性を無視され、間抜け扱いされる顧客体験が含まれるところまで悪化してしまいました。あたかも「自尊心があるなら消費するな」と罵倒されながらも泣く泣く消費を行っているようなものです(「トリニティのサービス論《前編》」を参照ください。)。外出から自宅に帰ってくるとどっと疲労感を感じるのは無理もない気がします。

反面、「顧客の日常体験」すなわち学校や職場や友人関係や家族との人間関係では、サービスの現場で経験するような、小さいけれどもこれほど傷だらの経験をするものでしょうか。もちろん大きな個人差はありますし、生活環境によっても多大な差がありますし、社会全体としてもこのような「顧客の日常体験」は急速に悪化する傾向にあります。「夫婦喧嘩で家を飛び出して、スターバックスで一息つく」などというパターンでは、企業での「顧客体験」が「顧客の日常体験」に比較して差別化されていることになります。しかし、概して現代のサービス業が提供しているサービスパッケージ(企業における「顧客体験」)は「顧客の日常体験」と比較してどんどん悪化しており、差別化するどころか現状は乖離し続けているように思えます。(本稿の主題ではありませんが、現代社会では「顧客の日常体験」もどんどん悪化しています。一例として「所有することの価値」をご参照ください。しかし、それ以上に企業との顧客体験が悪化しているというイメージです。)

これに対して企業の現状は、①潜在的な顧客(足跡を残さないウサギ)をほぼ無視して、矮小化された顧客群(まずコーヒーを飲むことを決めた顧客)を前提に、サービス戦略を構築する、②矮小化された(「顧客体験」の概念を無視した)サービスを競合他社から差別化するために、莫大な経営資源を投下する、・・・というサービス戦略を突き進んでいるように見えます。しかしながら、企業が莫大な経営資源を投下して向上しようとしているサービス戦略は、顧客の購買行動において、本来差別化するべき「顧客の日常体験」との格差を縮小する機能をあまり果たしていないため、実質的な戦略として非常に非効率である可能性があるのです。

戦略としてのサービス
トリニティのサービス論において、このように一見エキセントリックとも思えるほど厳格な現状認識のアプローチを取る理由は、第一にそれが現実であることと、第二にこのような現状認識が著しく経営効率を高めるからです。

トリニティのサービス論では「顧客の日常体験」と比較した、企業における「顧客体験」の向上が、最も重要なサービス戦略の目的だと考えます。例えば、特別な「サービス」を付加する努力よりも、顧客を非難したり、馬鹿にしたり、無視したり、ウソをついたりしないこと、そしてその仕組みを企業で構築し組織的に運用することが経営的に最も効率の高いサービス戦略だという考えです。

この戦略の利点は、①「一般的なサービス戦略」が要求する莫大な経営資源の投下が殆ど不要になり、資本効率が著しく高まります。②莫大な潜在顧客にアクセスすることが可能になり、営業効率を著しく高めます。③そして恐らく最も重要なことですが、企業との「顧客体験」も「顧客の日常体験」の一部を構成しますので、「顧客体験」をよりよいものにすることで、「顧客の日常体験」、つまりささやかながら顧客の人生そのもの、をより良いものにする直接の役に立ちます。

仮に以上の前提が正しいとき、皆さんがサービス業の経営者であったら、どのようにしてこの戦略を実行・運用しますか?

【2006.12.25 樋口耕太郎】

「トリニティのサービス論《前編》」では、サービス提供者の事情を勘案しない「顧客体験」が商品としてのサービスである、という考え方を紹介しました。「顧客体験」は意外に掘り下げがいのあるテーマですのでこれを補足したいと思います。

ディズニーでの「顧客体験」
1年以上前になりますが、東京ディズニーランドに行った際の個人的な「顧客体験」をご紹介します。当時6歳3歳の子供を連れて3人でディズニーシーに行った時のことです。週末だったので非常識なくらい混んでいました。

ランチタイムのレストランはどこも凄い混みようなのですが、小さい子供が一緒のときはあまり食事の時間をずらすことができません。食事の内容は二の次三の次で少しでも混み具合が少なそうなところを選んで、カフェテリア方式のチャイニーズレストランに入りました。運よくというか悪くというか、このタイミングで雨が降り始めたのでレストランは更に混雑の度合いを増すのですが、子供をつれている僕は他に移動するという選択肢も実質的になくなりました。列に並び始めてから間もなく、小さい方の子供が寝てしまいます。この時の僕の作戦は、①下の子を寝かせておける席を確保する、②三人分の食事を取って、起きている二人(上の子と僕)だけでゆっくり食事を済ませる、③下の子が起きるまで食事をしながらのんびり待つ、④下の子が起きた時点で彼の食事を済ませてからテーマパークに復帰、ということに決めました。

作戦は決まったのですが、実行するのはそれほど容易ではありません。寝てしまった下の子を片手で抱いて、三人分の食事をトレー(二つです!)で取り、支払を済ませ、子供を寝かせながら長い間時間をつぶせる条件が揃った座席を、激混みの中で確保するのは神業に近いものがあります。レジでもたもたしているうちに僕の後ろには怒りの視線を投げかける沢山のお客さんの列ができていました。空腹、疲労、混雑、雨、レジの渋滞、が重なる状態では皆が怒るのも無理はない感じです。

そのとき、レストランの担当の女性が僕のところに来てくれて、トレーを持ち「お席までご案内します。」と声をかけながら席まで先導してくれました。笑顔「マル」、言葉遣い「マル」、タイミング「マル」、トレーを持つ機転「マル」。恐らくこの女性は人事考課も高評価ではないかと思います。実際手を貸していただいてとても助かりました。

…それにも拘らず僕の「顧客体験」は落胆したものでした。小さく傷ついたといったら大げさでしょうか。なぜなら、彼女の優しい言動とは裏腹に「列を先に進ませたい」という本当の意図がはっきり理解できたからです。目に見える全ての「サービス」は非の打ち所がありませんし、恐らく彼女は人間的にも優しい人で、僕にも善意で接してくれたと思うのですが、不思議なことにどんなに態度が丁寧でも、顧客には裏腹の真意が分かるものなのです。そして皮肉なことに、彼女の言動は顧客への親切心であり、会社に対する彼女の誠意でもあり、列の後ろに並んでいた他のお客様への配慮でもあり、従業員として当然の行動でもあるのです。

感じ方には個人差がありますので、僕の感覚が一般的ではないという可能性は大いにあります(というより珍しくありません)が、ここでは僕の感覚が一般化できると仮定してお読みいただきたいと思います。その前提で、なぜ彼女の善意が顧客を傷つけるのでしょう?僕の考えでは、彼女は僕に対して思いやりを「目的」ではなく「手段」として利用したからだと思います。列をスムーズに進ませるという、彼女の本当の、かつ隠れた目的を達成するために、「思いやりの言動」を手段として僕を先導したのです。つまり、彼女は意図とせず(というより何の疑いも持たず)に僕にウソをついているのです。それに気がついた瞬間、テーマパーク全体の「演出された優しさ」を感じてしまい、とても気持ちが醒めてしまいました。

「顧客体験」の経営科学
このような出来事は実に「取るに足らないこと」です。それどころか一般的には「ディズニーで経験した丁寧なサービスの話」以外の何ものでもありません。このような「小さな傷」について言及するのは大人気ないことですし、こんなことをいちいち人に話すと偏屈に聞こえます。「じゃあ、どうしたいの?」といわれるのがオチでしょう。現実的にもサービス業でこれほどの対応をしてくれるところは多くありませんので、企業の立場としては彼女のサービスに文句をつけられたら「そんな無茶な」と感じるに違いありません。顧客の立場でも「小さく傷ついた」といってもこれを理由にクレームする顧客はまず存在しないと思います(そもそもクレームしようとしても企業に落ち度はありませんので、言いがかりにしか聞こえないと思います)。要は、社会の中では少なくとも表面上、誰も問題にしていないのです。

反面、「誰も言及しない顧客の小さな傷」は明らかに現象として存在しています。それどころか同様の「顧客体験」はびっくりするほど一般的かつ頻繁に生じているのではないでしょうか。サービス担当者や企業が顧客に対してウソをつくことは、あまりに一般的な現象になっているため、顧客にとって所与のものになっているかのようです。言葉と笑顔はとても丁寧だが、なぜか優しさが感じられないスチュワーデスやホテルの対応…。本心が違うのに無理に思いやりを(善意で)演出するサービス担当を見ると、こちらが気が引けるくらいです。サービス業の常識では、「心で泣いても顧客への誠意として笑顔を見せるのがプロ」だとされているようですが、僕はこの考え方の経営合理性に疑いを持っています。

ディズニーでの出来事を経営的に分析すると、次のようなポイントがあげられると思います。①彼女の、表面上すなわち目に見える全ての現象は非の打ち所がありません。②したがって従来の人事考課方法では必ず高評価になります。③同様に、クレームが発生する余地はほぼありません。それどころか一定数の顧客を感動させると思います。④反面、トリニティのサービス論の考え方に基づくと、彼女が実質的に顧客に伝えているメッセージは、「顧客の気持ちを最優先しなくてもよい」、「顧客をロジスティクス(物流)の対象としても構わない」、「優しい言葉と態度を見かけの手段として、別の目的を達成しようとしても構わない。」ということになります。

現代サービスの現場
とても厄介なことに、このようなケースでは顧客体験が感動を伴うものになるか落胆したものになるかはサービスの「外見」からは全く区別がつきません。つまり見かけが全く同じ(少なくともそう見えます)でありながら、根本的に正反対の顧客体験を提供する「商品としてのサービス」が現場に混在しているということになります。そして、世の中で優れたサービスを提供するといわれている企業ほど、この区別が非常につきにくくなっています。逆の発想では、世の中で良いとされるサービスとは、この区別を極限までなくす作業と考えることもできます。この前提では、現代経営における「優れたサービス」は「顧客体験」を向上するためではなく、このような区別を「うまく隠す」ための作業であり、その作業に莫大な経営資源を割いている可能性が示唆されます。そしてこの区別を隠すことができれば、少なくとも表面上非の打ち所のないサービスが提供され、企業の「本心」(例えばロジスティクスの効率化)が顧客にはっきり伝わらない限りにおいて顧客を感動させ、クレームは皆無になり、アンケートによる「顧客満足度」は向上します。皮肉なことですが、この区別が少なくなるほど、つまり「優れた」サービスを提供するほど、表面上の優しい言動と本心の乖離が大きくなります。不機嫌な気持ちで不機嫌な態度をとるよりも、本心と異なる丁寧な態度をとる方が、言動と本心の乖離が大きいということです。これはもちろんサービス担当者の善意と誠意と熱意の結果なのですが、現象として顧客に対するウソを拡大するという効果を生んでいます。

仮にこのような現状認識を前提とすると、一般的な現代のサービス業の経営は、①顧客の小さな心の傷は所与のものとして無視する、②サービス担当者の本心と言動の乖離に気づかない顧客を、主に顧客満足度向上の対象とする、③企業はこのような対象顧客に対して、サービス担当者の(必ずしも意図と一致しない)「言動」をより良いものにするように努める。④このとき従業員の心の在りかについては評価の方法などがないため経営システム上おおよそ無視する。⑤以上の事業目的に沿った従業員のトレーニングを行う、⑤本心と乖離した「言動」をカバーするため、あるいは他社と差別化を行うため、新たなサービスの仕組みを常に付加する、⑥以上の結果として「対象顧客」の満足度が向上し、クレームが減少する。

前回と同様の繰り返しになりますが、以上は非難でも中傷でも、批判ですらありません。ひとつの現状認識のアプローチに過ぎません。上記の考え方が仮に正しかったとしても、現在のサービス業のシステムが次善の策であることには変わりありませんし、事業として大きな効果があることは明らかです。

さて、以上のような現状認識はあまりに非現実的で意味を成さないものでしょうか?このような現状認識を前提とすると、経営の課題は今までと変わるでしょうか?経営はこのような課題にどう対処することができるでしょうか?次回のエントリーはこれまでの議論を前提としたサービス戦略についてです。

【2006.12.23 樋口耕太郎】

サービス理論というものが経営科学の分野で存在するかどうか詳しく把握していないのですが、少なくともあまり一般的であるとはいえないと思います。しかし、これだけ社会的にサービス業の比率が高まり(現在日本のGDPの約70%はサービス業によります)、人々の生活に決定的な影響を与えるようになっている中、サービス理論がきちんとまとまっていないことは意外なことだと以前から感じていました。本稿ではトリニティのユニークなサービス論をご紹介します。まずは、最近の個人的な経験から。以下の、事例はいずれも過去2週間以内の出来事で、日常的にそれほど珍しいことではありません。

先日車を当て逃げされてしまったので、東京海上日動に電話をかけました
僕: 「自宅前の駐車場で、当て逃げをされてしまったようなのでご連絡しています。」
保険の受付担当: 「それは、大変でございました。警察へ被害届はなされましたでしょうか。」
僕: 「いいえ、まず先に御社にご連絡しています。」
保: 「あーっと、まだされていない・・・(「なんで先にしていないのか」という非難めいたトーン)。それでは、この後できるだけ早く被害届をなされてください。」
僕: 「分かりました。警察に被害届をした際に、何か控えなどを頂いておく必要がありますか?」
保: 「それは警察の作業ですので、こちらでは分かりかねます。」
僕: 「えっと・・・、そういう意味ではなくて、後に保険の処理を行う際に御社が必要とされるものがないかをお聞きしたかったのですが。」
保: 「それにつきましては、後ほど担当のものがご連絡いたしますので、その際にお尋ねください。」
僕: 「警察への被害届はその後でいいのですか?」
保: 「ですから・・・、警察へはできるだけすぐにお届けください。」
僕: 「あの・・・、繰り返しで申し訳ないのですが、その際、御社が保険の支払を行うために何か必要な資料など、警察から発行していただくようなものがあるのかどうか、ご存じないでしょうか?」
保: 「お客様。警察での手続きは私では分かりかねます。」

*     *     *     *     *

保険会社の担当者: 「今回担当させて頂きます○○です。始めにお断りする必要があるのですが、当て逃げで保険をご利用される場合、次回からトウキュウが下がってしまいますので、この点ご了承ください。」
僕: 「?」
保: 「お客様、ご了承いただけますでしょうか?」
僕: 「すみません、おっしゃっていることをご説明いただけますでしょうか。」
保: 「お客様は現在7等級でございますが、今回保険をご利用になりますと3等級下がってしまうということをご了承頂く必要があります。」
僕: 「あの、等級とおっしゃるのは年間保険料金の基準になっているものでしょうか?3等級下がると次回からの年間保険料はいくら上がるかご存知ですか?」
保: 「お調べして折り返しお電話差し上げます。」

週末はカプリチョーザで食事をしました
ウェイトレス: (ウェイトレスは跪いてオーダーを受ける。)「・・・それではご注文を繰り返します。トマトとガーリックのパスタ・・・。以上でよろしいでしょうか。」
僕: 「はい」
(その後注文は間違ってサービングされる)

*     *     *     *     *

ウ: 「ラストオーダーです。何か追加でご注文はございませんか?」
僕: 「いいえ、結構です。」
ウ: 「ポイントカードをお持ちでしたらお預かりいたしします。お支払は現金でよろしいでしょうか。」
僕: 「現金でお願いします。」(ポイントカードを差し出す)
ウ: 「お預かりいたします。ごゆっくりどうぞ。」
(この時点は10:30pm。メニューでラストオーダーの時間を確認すると11:00pm。お店のドアにはなぜか「ラストオーダー10:30pm」とある。その後は従業員一丸となって片付けを始める。食器を片付けるものすごい音。水の追加やその他ウェイトレスにお願いしたいことがあっても殆ど関心を示さない。)

*     *     *     *     *

(レジにて)僕: 「ラストオーダーは11時ではないんでしょうか?片付けの音がうるさくて楽しく食事をする気分ではなくなってしまいました。」
ウ: 「えっ。ラストオーダーは10時半です。」
僕: 「メニューには11時と書いてありましたよ。」
ウ: 「メニューにそう書いていますか?そんな筈はありません。」(メニューを確認し始める)
僕: 「メニューを確認していただく必要はありません。ラストオーダーが何時であろうと、食事中にお勘定の話しをされたり、とても騒々しい雰囲気で片づけを始められたり、それ以降は顧客にも全く注意を払わずに、ちょっとひどいと思いますよ。「ごゆっくり」なんて言葉だけのサービスはおやめになったらいかがですか?」

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ウ: (そしておつりの受け渡しは最近チェーン店ではお決まりのパターン・・・。レジの向こうで確認のために二回お札を数える。その後、)「お客様、ご確認ください。始めに大きい方から、1千、2千、3千円と・・・」(結局僕はウェイトレスが3回お札を数えるのを見ることになりました。)

ミスドで深夜のおやつを調達…
僕: (トレーにドーナッツを2つ取りレジへ。時間は11:30pm。お店の営業時間は12時まで。)「これと、ホットカフェオレをお願いします。」
店員さん: 「これからの時間はお持ち帰りのみになりますがよろしいでしょうか?あと、ホットカフェオレは本日終了してしまいました。」
僕: 「・・・」

カフェ・ラテのないスタバ?
僕: 「ホットのカフェラテをショートでお願いします。」
店員さん: 「お客様、スターバックス・ラテになりますがよろしいでしょうか?」
僕: 「・・・」
店: 「商品はあちらの黄色いランプの下からお出しします。」
(僕はこの時、このスタバをほぼ毎日、1ヶ月間以上利用していましたので、この店員も含めてほぼ全従業員は僕の顔を何度も見ています。)
僕: 「・・・」

現代の「サービス」
上記は僕の日常的なサービス体験ですが決して特別な事例ではありません。毎日毎日どこに行ってもほぼ例外なく、多かれ少なかれ似たような経験をするのです。確かにどれも小さなことばかりといえば全くその通りで、いちいち目くじらを立てる方が大人気ないようなものばかりです。

反面、一般的な社会生活で、このような不可思議な「サービス」を経験せずに消費することは、いつの間にかとても難しくなっていることに気がつきます。僕の質問を普通に聞いてくれる保険のオペレーター、一回伝えただけでオーダーを理解してくれるウェイトレス/ウェイター、お釣りのお札を三回確認せずに食事ができるレストラン、営業時間が本当に営業時間のお店、自分のオーダーの意味を普通に理解してくれるコーヒーショップは、現代社会では臨むことのできない贅沢になってしまったようです。このような企業と消費者との掛け合い(というよりも、僕は企業の暴力に近いと感じるのですが)があまりに日常茶飯になっているので、消費者も今ではすっかり麻痺してしまい、「それが当たり前」と妙に納得していて、これらの事例が「おかしい」とすら感じない人もいる筈です。また、疑問を感じている人もあきらめてしまっているように見えます。

上記の「サービス」の事例で明らかに共通していることは、従業員の意図はどうあれ、少なくとも現象として「誰も顧客のことを気にかけていない」ということでしょう。

サービスってなんだ?
サービス事業において、第一に明らかにすべきものは「企業が提供しているサービスは何か」、すなわち「その企業の商品が何か」ということだと思います。サービス業は無形の人間関係を商品化する業態ですので、その商品を定義することは容易ではないかもしれませんが、それにしても、これほどサービス業が現代社会で中心的な役割を果たしていることを考えると、肝心の「商品」であるサービスがなにか、そして商品をどのように評価・把握するか、という点はびっくりするほど曖昧です。すなわち、多くのサービス企業は自社商品がなにかをはっきり把握していないように見えるのです。そして、商品としてのサービスが曖昧であれば、「良いサービス」についての基準も曖昧にならざるを得ません。漠然と「儲かっている会社のサービスが良いサービス」と認識されているのが現状ではないでしょうか。

サービスとは何か?という基本的な問いに対する回答は、少なくとも二つのアプローチが可能です。サービスの提供者(企業)が定義するサービスと、顧客が現場で感じるサービスです。そして現状は、商品としてのサービスは殆どの場合、前者、つまり企業が定義しているものによると思います。例えば、スターバックスでは「affordable luxury」がサービスの重要なコンセプトになっていますが、スターバックスでは単にコーヒーを提供するのではなく、顧客にとって「手に届く贅沢を経験する場」である、という考え方をするためです。そして、スターバックスの商品としてのサービスは、顧客のこのような経験であると考えられています。

トリニティのサービス論
トリニティのサービス論における「商品としてのサービス」の定義は、後者のアプローチ(顧客が現場で感じるサービス)に基づいています。すなわち企業としての目的とは全く切り離された「顧客の経験」を商品として把握・認識します。したがって、トリニティのサービス論では、その良し悪しを問わず、企業やサービス担当者が顧客に対して行った行動と、顧客に向けられた意図によって実質的に伝達されるメッセージを素直に解釈します。

解釈のポイントは、①企業やサービス担当者がどのような事情でサービスを提供したかは一切勘案しません。②企業やサービス担当者が行った行動を重要視し、一連の行動は一般的に解釈するとどのような意味をもつか、したがってどのような意味を伝達するかを検討します。③企業やサービス提供者の行動と意図が異なる場合は、いずれか企業側の利害となるメッセージが顧客に伝達されると仮定します。④企業やサービス担当者の行動と意図と言葉に矛盾がある場合、企業のウソが顧客に伝達されると考えます。

顧客体験をイメージするときは、それがあたかも商売と全く関係のない普通の人間関係でなされたものと想像するとインスピレーションが沸きやすいかも知れません。自分の友人や恋人などから同じ言葉や態度が発せられたとしたらどう感じるかを想像するのです。

以上の前提で前述の企業の「商品としてのサービス」を評価すると例えば以下のようになります。

東京海上日動:
担当者は決まり文句のように「それは大変でございました」と応対した後、「なぜ始めに警察に届け出ていないか」と顧客の初期動作を実質的に批判しています。その根拠は、顧客が保険加入時に「熟読するべき」と指示されたパンフレットに、「事故の際には至急警察に届けよ」と記載されているためだと思われます。反面、顧客はある意味信頼感の表れとして、第一に保険会社に連絡しています。保険の受付担当者は自分が顧客に指示している警察への被害届の詳しい内容を理解していません。また、被害届に関して自社が必要とする資料を理解していません。反面、その事実を実質的に隠すことで顧客にウソをついています。また、保険料の基準となる等級に関する説明は、顧客に理解させるためというよりも、説明を行ったという既成事実を作ることが目的のようです。したがって、その等級の変化による費用の差額が顧客にとって最も重要な情報であるにもかかわらず、それを顧客に提供することはいわれなければ関心がありません。

この行動によって、東京海上日動が消費者に伝えているメッセージは、「企業は自分の商品を知らなくても構わないし、知らないという事実を隠しても構わないが、顧客はそれを知らなければ非難の対象になる。」「顧客の企業に対する信頼感よりも、つつがなく自分の事務処理を進めるほうが重要である。」「顧客に言葉では思いやりを伝えながら、行動で裏切ることは全く構わない。」「顧客の質問にきちんと回答することには関心がない。」「顧客の手間や不安を減らすことには関心がない。」「顧客に有益な情報を提供するよりも、将来クレームが起こらないための連絡を行い既成事実を作ることが重要。」

カプリチョーザ:
ウェイトレスは跪いてオーダーを受けたあと、少数のオーダーを敢えて繰り返していますが、その後注文は間違ってサービングされます。ラストオーダーの時間が経過した後は、跪いてオーダーを取っていた先ほどの雰囲気は消滅し、顧客が食事中であろうと精算作業(の一部)を要求します。その後お水の追加など、実質的なサービスは全面停止します。厨房では食器の片付けるものすごい音に対する気遣いはありません。以上と同時にウェイトレスは顧客に「ごゆっくりどうぞ。」と声をかけています。レジではラストオーダーの時刻に対する指摘に対して、顧客に謝ることよりも先に自分が正しいという証拠を示すためにメニューを確認し始めます。おつりのお札を渡す際、実質的に顧客へ3回確認を強制しています。

この行動によって、カプリチョーザが消費者に伝えているメッセージは、「顧客に言葉や態度で思いやりを伝えながら、実質的な行動で裏切ることは全く構わない。」「顧客にウソをついても構わない」「顧客はラストオーダーの時間まで顧客として接するが、それ以降は全く関心を払わなくて構わない。」「優しい言葉をかけてさえいれば、時間を過ぎた後は顧客に早く帰るようにプレッシャーをかけても構わない。」「顧客の気持ちよりも自分が間違っていないことの方が重要である。」「顧客は3回お札を数えなければクレームを起こすかもしれない。あるいは、3回お札を数えなければ枚数を正確に数えられない、と企業は考えている。」

ミスタードーナツ:
営業時間終了の30分前になると、顧客が店内で食事をすることを実質的に拒否しています。売れ残りが生じると思われる商品(ホットカフェオレ)については、新たに作ることを拒否しています。

この行動によって、ミスタードーナツが消費者に伝えているメッセージは、「実質的な営業時間に関して、顧客にウソをついても構わない。」「商品の売れ残りと廃棄は顧客にウソをついても避けるべき。」

スターバックス:
誰が考えても同じものだと思えるメニューの名前を(カフェラテ)、正確な商品名で呼び直しています。また、何度も来店している顧客に対して、明らかに一度言えば理解できることを来店のたびに何度でも繰り返しています。

この行動によって、スターバックスが消費者に伝えているメッセージは、「顧客は商品名を正しく理解しなければならない。」「何度来店しようが、あなたには関心がない。」

トリニティのサービス論による現状把握
これらが上記企業の、少なくとも特定のケースにおける「商品としてのサービス」です。冗談みたいに聞こえますが、そのサービス・パッケージには、お金を払っているにも関わらず、言われなく非難され、ウソをつかれ、質問を無視され、人間性を無視され、間抜け扱いされる顧客体験が含まれています。そしてサービスはあまねく個別の体験であるため、この「サービス」は特定のケースではありながら厳然と企業が販売した「商品パッケージ」であると思います。

このように考えると、ひょっとしたら一般的なサービス業の現状は、たまたま(例えば)99%の顧客が声を上げていないだけで、「自尊心が少しでもあるなら消費するな」と顧客にいわんばかり(というより、それ自体が実質的なメッセージ) の状態なのではないでしょうか。素直に解釈すると、サービス業の現状はサービス担当者と顧客の人間関係によって付加価値を生むどころか、サービス担当者の提供する「サービス」が、物理的な商品(例えばコーヒーやドーナツ)の価値を減価させる最大の要因となっている可能性があります。顧客はこのような自尊心にかかる障害を乗り越えて購買行動を起こしており、その姿はまるで鮭の川登りのような悲壮感があります。傷つき障害を乗り越えて実際の購買にたどり着く顧客は氷山の一角であるかもしれない、という仮説が俄然現実味を帯びてくるような気がします。反面、サービス担当者が物理的な商品を減価させている大きな要因だとするならば、企業の立場としても従業員に関心を払うよりも、店舗や特典やサービスの仕組みづくりにお金とアイディアを集中させたほうが合理的と考えてもそれは全く当然のことで、これは仮説ですがこのようにしてサービス業の悪循環が生じているのではないでしょうか。

トリニティのサービス論の考え方
念のためにコメントしますが、以上は非難でも中傷でもありません。企業には経営上の物理的な制約がありますし、そのような現象が起こる事情も理解できます。ここでの論点は「問題発見」ではなく、あくまで「現状認識」なのです。そして現状認識はトラブルシューティングのツールでもありながら同時にその何倍もの意味で最大のマーケティングであり攻撃的な経営作業になり得ます。例えば、これが仮に事実であれば、これほどのグッド・ニュースはないと思います。企業が大量のコストをかけて新たな顧客を探すまでもなく、企業とニアミスを起こしていながら購買行動を起こしていない莫大な顧客が、既に、すぐ傍に、大量に存在することを意味するからです。この莫大なニアミス顧客にアクセスするために必要な第一歩は、企業が現実を直視した現状認識を行い、自らの認識と行動を変えることだけです。

以上のような考え方や評価方法について、少々エキセントリックに感じられる方がいるかもしれませんが、一見厳格なアプローチを取る理由は、サービス業が顧客に経験を提供する事業であるならば、顧客の購買意識に影響を与える経験の全てが商品と考える方がむしろ自然だからです。「顧客の経験と価値観」という大きな氷山のほんの一角が「購買」という顕在的な行動です。企業が自社商品を正確に認識するにあたって、水面下に存在する莫大な氷の塊(すなわち現象に表れない顧客の経験と価値観)を対象として認識しないことの方が不自然ではないでしょうか。

また、トリニティが考える顧客の範囲や定義は、一般的なマーケティングの考え方と比較して広範囲です(この考え方については「マーケティングはどうなる?」で触れています)。より体系的なトリニティのマーケティング論の紹介は別の稿に譲りますが、トリニティのサービス論とマーケティング論が同根の考え方で構成されていることをご理解いただけると思います。具体的には、企業にとっての顧客は商品を購入した者だけではなく、例えば「商品に関心があったが店員の印象が悪かったため購入を止めた、または追加でオーダーしなかった者」など(つまり産卵までたどり着かなかった大量の鮭、または足跡を残さない大量のウサギ)を含むと考えるためです。そしてむしろ、このような「ニアミス」顧客の方が、実際に購買行動を起こした健在顧客よりも遥かに大量に存在すると考えているためです。

企業はうそをついている
同様の考え方を「企業全体のあり方と顧客の関係」へ適用範囲を拡大すると、サービス業の現状認識においてもう一点重要なことが理解できます。いささかショッキングな言い回しになりますが、企業が顧客に、(そうならざるを得ない事情は別にして)少なくとも結果としてウソをついている、それもほぼ日常的にウソをついている、ということです。あまり適当な例ではないのですが、分かりやすいので上記各社のサービスに関する企業理念をご紹介します。

東京海上日動経営理念 「お客様に最大のご満足を頂ける商品・サービスをお届けし、お客様の暮らしと事業の発展に貢献します。」
頑張るカプリチョーザ 「あなたの笑顔は私の幸せ。全てのお客様に最高にご満足いただけるよう、スタッフ一丸となって頑張ります。」
ミスタードーナツの企業理念 「客の心を心とせよ」
スターバックスの行動指針 「顧客が心から満足するサービスを常に提供する」

この点は重要なので繰り返しになりますが、以上は非難や中傷でないことはもちろん、批判ですらありません。厳密な現状認識を行うためのひとつのアプローチです。これが唯一のアプローチであったり、最良のアプローチだと主張している訳でもありません。当然にして、このことで上記企業に直接・間接に何らかの損害を与えることは微塵も目的にしていませんし、表現に省略や意訳はあったとしても事実以外の記述は一切ありません。偏見を排除した記述を誠意を持って心がけているつもりです。

さて、仮に以上がサービス業の現状だとして、あなたが経営者だとしたらどのように対応するでしょうか。

【2006.12.20 樋口耕太郎】