お元気ですか?
街にクリスマスキャロルが流れるころ、北風は寒くても心はウキウキしてきますね。
クリスマスはだれもが幸せを感じるシーズンです。
このクリスマス、実はキリスト教よりも古い起源をもっていることを
ご存じでしたか?
クリスマスはイエス・キリストの誕生日を祝うものではありますが、もともとは
ローマで行われていた冬至の祝祭をキリスト教が取り入れたものだと
いわれているのです。
冬至の日、昼が一番短くなりますが、この日を境に光はまた徐々に
復活していきます。この光の死と再生を祝うとても大事な祝祭だったようです。
クリスマスのころ、人々の希望がもう一度復活します。
贈り物をしあうのは、そのことをお互いに歓び、わかちあうためなのだとか。
またこのころには、目には見えない世界からたくさんの妖精たちもやってくると
されています。
このクリスマスのシーズンにあなたの心にある希望にもう一度、
目を向けてみてはどうでしょう?
さて、私はいつも自宅の目の前のアラハビーチから北谷公園、美浜、
フィッシャリーナという7キロほどのコースをランニングしているのですが、
しばしば見かける仲睦まじくウォーキングしておられるアメリカ人御夫婦や、
黙々とビーチクリーンしておられる男性、小さなワンちゃんとおしゃべりしながら
お散歩している大きな黒人のおじさまといった方々がいます。
彼らのおうちがどこにあるのか、なんというお名前なのか、私は知りません。
ただ、いつも会う時間にその姿がないと少し心配になり、
また別の日にばったり会うと安心し、軽く会釈を交わし会ったり挨拶をして
不思議とほんわりとした気持ちになる、それだけの関係性なのです。
また、私がまだ幼かった頃、たまに銭湯に連れて行ってもらって大きなお風呂に
入るのがとてもうれしかったのですが、その銭湯にすごく粋な女性がいたんです。
なにが粋かといえば、それは洗い方。手拭いで身体の隅から隅まで
くまなく洗いきる動作に一切無駄がなく、ともかく手早いのに指先まで丹念に
お手入れしている。かかとを軽石でこする仕草がまた、とびきりかっこいい。
菖蒲湯の日には、くるくるっと束ねた髪に湯船に浮かんだ菖蒲をかんざしにして
とめたんですから、その鮮やかさのかっこいいことったら。
幼かった私は、自分もあんなふうに粋に洗うことができるようになりたいと、
彼女が洗い場にいると目を皿のようにして動きを研究したものです。
それが彼女の気に障ったんでしょう。あるとき、湯船に浸かっていた私に向かって
一喝。
「あんた、なんでいっつもあたしのこと見てんのんっ! いくら子供やからって
他人様の裸をジロジロ見るなんて、お下品やで!」
至極ごもっとも。以来私は「観察」を遠慮したのですが、
密かに彼女の軽石の使い方を真似し、母に「子供にそんなん必要ないでしょうに。」
と笑われてしまいましたが…。
人は誰しも孤独な側面を持ちます。他人に自分の深部を理解してもらうのは
簡単なことではないからです。
半面、一見接点はなくとも、見知らぬ誰かがあなたを気に掛けている、ということも
少なからずあるように思います。そうしてその誰かが励まされたり、影響を受けたり、
憧れたりしているかもしれないのです。
ただ自然に存在することが、他人の生きる糧となっているー。
人と人との繋がりというのは案外、思いがけない軌跡をたくさん描いているのでは
ないでしょうか。
さて。
今年も残すところ10日となりました。
あなたにとってどんな一年でしたでしょうか。
この一年本当にお疲れさまでした。
今年もいろいろと御苦労があり大変でしたね。
あなたは今どんなお気持ちでお過ごしでしょうか。
お疲れになっていませんか。
心配事はございませんか。
夜はよく眠れていますでしょうか。
ご病気などされていませんでしょうか。
楽しいことはありましたか。
困ったことなどありませんでしょうか。……
日々麗王に立ちながら、ふと手をとめて、こんなことばかりを思います。
あの人のお顔、この人のお顔…。
とても不安定な世の中の今、たくさんのお店の中から、麗王を選んで
いらしてくださることが、どんなにありがたいことかと考えると、
こんなふうにみなさまのことを思わずにはいられないのです。
この前いらしてくださった時、何かひとつでもお役に立つことはできただろうか。
行ってよかったと思っていただけただろうかと、一人一人のお声を聞きに
お伺いしたい気持ちで一杯です。
いつものように麗王に行ってはみたものの今日はつまらなくて損をしたと
がっかりされないよう、みなさまの大切なお金を無駄にしないよう、心を配り、
そしてみなさまにどんなふうに楽しく時間をお過ごしいただこうかと深く考えながら、
大きく反省をしながら、お一人お一人の肩にそっと手を当てるような気持ちで
人と人との繋がりを大切にと麗王を続けさせていただいて今年で21年が
過ぎました。
そしてみなさまのおかげで、この一年も麗王を続けることができました。
本当にありがとうございました。
また来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
あなたがどうかこの上もなくお幸せでありますように。
* 年内は30日(金)まで、新年は6日(金)から営業させていただきます。
* 沖縄タイムスの電子版・「沖縄タイムスプラス」で麗王でお馴染みの
沖縄大学・樋口先生の、「樋口耕太郎の沖縄ニューメディア」の
コーナーが好評で全国的に拡散しています。ぜひお読みになってみてくださいね。
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麗王
トリニティ株式会社
末金典子
| 麗王だより 2016年
2日からお休みさせていただいて今更ながらのハネムーンで久々にハワイに
行ってまいりました!
ハワイというと、何をイメージなさいますか?
世界中の旅行者を魅了する南国のリゾート。
人であふれかえるワイキキの喧騒。
ありとあらゆる商品がそろうショッピングモール。
「ハワイなんて、いったいどこがいいの?」
よく聞く言葉ですが、ハワイの表向きの顔だけを見てそう思うのは実にもったいない。
この土地には「人気のリゾート地」の顔だけではない、奥の深い魅力が
隠されているんです。
まず私達が訪れたのは、ワイキキビーチのあるオアフ島ではなく、ハワイ諸島の中で
一番大きい島で、別名「ビッグアイランド」と呼ばれるハワイ島。
火山から流れ出た溶岩だらけの島。道路には電灯もなく夜は漆黒の闇。
星が降り注ぐように光り輝いていて、まるで宝石箱をひっくり返したよう。
ビーチにはウミガメだって訪れます。
そのハワイ島に、ハワイの中でも最も神聖な場所とされる、緑に覆われた深い谷の
ワイピオ渓谷があります。
その場所にたたずむと、気持ちのいい風が頬をなで、長い髪を揺らしていきます。
たちまち私はいつもの感覚におそわれるのです。
優しくて力強い大きな力に包まれるような安心感。
心と体から余計な力が抜けていき、その場に溶け込んでしまうような感覚。
自分がここにいて、ここにはいないような不思議な、恍惚とした感じ。
足を踏み入れた瞬間、ここに満ちるハワイの大自然に流れるエネルギー「マナ」の
存在が実感できる場所です。
マナとは、ハワイ語で目に見えない超自然のエネルギーのことをいいます。
日本語でいう「気」と同じもの。ハワイの人々は、海や山や川、動物や鳥や植物、
そして地面に転がる小石にさえも、このマナが宿っていると考えてきました。
自然だけではありません。人間ひとりひとりにもマナが宿っていると言われています。
そしてそのマナの量が多ければ多いほど、その人はエネルギーに満ちあふれ、
魅力が増すといいます。
誰しもエネルギーのあるものや人に惹きつけられます。マナに満ちあふれたものに
触れれば、その豊かなマナを分けてもらえることを本能で知っているからです。
「この頃疲れてきたな」と思ったら、ハワイの美しい海や山を訪れると、みるみるうちに
力がみなぎってくるはずです。
これも、大自然のマナのおすそわけ。この地の人々にとって、マナは自然に息づく
聖なるエッセンスなのです。
ハワイはここ沖縄とも似ているところがたくさんあるのですが、
ちょっと違うなぁと思うところは、静と動の魅力、「力強さ」と「優しさ」に、
大きく心を揺さぶられるところかもしれません。
たえまなく溶岩を流しつづけ、新しい命を生み出すキラウエア火山。
サーファー達を惹きつけてやまないノースの荒々しい波。
古代より、生贄の体をいくつものみこんでいった、切り立った崖。
そのどれもが、圧倒的な自然の力で、訪れる者達の心をわしづかみにします。
その一方で、日本にありがちな島じゅう護岸工事でコンクリートの要塞のように
なっていなくて、どこも穏やかな波が寄せてはかえす美しい砂浜が続いていて、
目にもまぶしい緑が茂った森などが、訪れた人々の心にゆっくりとしみわたり、
都会での生活でためてきた緊張をときほぐしてくれます。
動きのあるドラマティックな大自然と、その興奮をなだめてくれる穏やかな自然。
この静と動のバランスこそが、ハワイの魅力でもあるのです。
今回の旅では、オーガニックがとても進んでいる環境で美味しいものをたくさん
いただいたり、3か所の素晴らしいホテルに滞在できたり、ウミガメが目の前に
いたり、目の前でたくさんのイルカが一斉に飛び跳ねてくれるという不思議にも
出会ったりと、たくさんのことを経験したのに、
いちばん印象に残っていることはといえば、ハワイ島の海やゴルフ場の傍の道、
ダイヤモンドヘッドの麓や運河の脇、ひたすら豪邸が続くカハラの高級住宅地を抜けて、
女性として初めて大西洋単独横断飛行をしたアメリア・イアハートがホノルルから
アメリカ本土に飛び立った記念碑のある場所まで…といったところをひたすら一緒に
ジョギングして走ったこと。
8キロほどの距離を毎回毎回、幸せだね~と言い合いながら走りました。
自然がいっぱいの太陽燦々の道のりと、波音と、二人の足音。
あれは、旅の前には知らない、予想していないことでした。
たくさんの人とすれ違いあいさつを交わしながら、ただただ走ったこと。
これからはハワイと言われたら、青い海やウミガメたちよりも前に、
私はあの音を思い出すのでしょう。それが、行ってみるということなのだと思います。
お金も時間もかかるし、なんだよ、ハワイまで行って足音?と思うけれど、
それが生きていくことの中でその人にしかない宝物なんだと思うのです。
そもそも私達はどこで間違ってしまったのでしょうか。
朝から晩まで働きづめで、のんびりお休みも取ることができない日々の暮らし。
望みどおりの人生からは、とうていほど遠いと感じている方もいることでしょう。
身も心も疲れきり、自然と切り離された環境ではストレスもたまるばかり。
子供の頃のように、無邪気に笑いころげたのは、いったいいつのことでしょう。
自分の心をごまかして、無理を通して生きていれば、心も体もずれてきます。
少しずつ、少しずつ、じわりじわりと確実に。
人を本当に癒すことができるのは、じつのところ本人だけなのかもしれません。
誰にでも、自分を癒す力が生まれながらに備わっています。
ありのままの自分を取り戻し、肩の力を抜いて自然に生きる。
周りの意見なんて気にすることはありません。
その人が、その人らしく自然に生きることこそが、何より強い力となるのです。
そのありのままに生きるお手本となるのが、いつの日も人間を見守ってきた大自然。
自然はただそこにあるだけです。人の目を気にしたり、誰かに好かれようと思って
海や山はそこにあるわけではありません。そして、人間も自然界の一部なのです。
つまりは、大自然のように、ただそこに自分であり続けること。
その時、魂は真の強さを知るのでしょう。
あなたもいつかハワイの大自然に抱かれて、その力強さを感じてみてくださいね。
そうすれば、自分の内に眠る、忘れ去られた強さのことを、きっと思い出す時が
くることと思います。
さて。
今週木曜日は今年のボジョレーヌーボーの解禁日!
麗王で毎年御用意しているボジョレーヌーボーは、
ドメーヌ デュ クレ ド ビーヌ(シュブラン家)のワイン。
シュブラン家はボジョレー地区南西部で5世代前から続くぶどう農家。
現当主のフランソワさんは元農学校教授。2008年にビオディナミを実践する
友人のワインに感動したことからオーガニック、ビオディナミ農法への転換を
決意しました。畑には草花があふれ、みみずなどの動植物が土を耕します。
醸造は、昔ながらの製法で、潰したぶどうから出た二酸化炭素のみで
ゆっくりおいしさを引き出す、伝統的な「マセラシオン・セミ・カルボニック製法」を実践。
25℃を超えない低温でゆっくりと仕上げ時間も労力もかけて丁寧に造られています。
そんなシュブランさんのワインは花崗岩質の畑の特長を生かしたミネラル感と
きれいな酸味を楽しむことができる味わいです。
今年も夏~秋にかけて天候に恵まれ、非常に出来の良いぶどうができたことから、
シュブラン家では、保存料であるSO2(二酸化硫黄)を添加せずに仕込みを行った
とのこと。他ではほとんど味わうことのできない酸化防止剤の入っていない自然のままに
造られたボジョレーヌーヴォーであり、昔ながらの手作りの温かさと、造り手の哲学によって
生まれた洗練さをあわせ持つワインを今年もぜひ麗王でお楽しみくださいね。
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麗王の11月のお休みは20日(日)・23・24日(勤労感謝の日)・27日(日)です。
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麗王
トリニティ株式会社
末金典子
| 麗王だより 2016年
もうすぐ11月だというのにまだまだクーラーガンガンだなぁと思っていたら
昨日あたりから少し秋の雰囲気が漂い始めました。
季節の変わり目で体調を崩しておられる方も多いようです。
あなたはお元気でしょうか。
過日、教育関係のお仕事に就いているお客さまから、こんなお話をうかがいました。
今は小学校に上がると、まず転び方や飛び降り方を教えるんですよ、と。
不思議に思って詳しくうかがうと、椅子から飛び降りたり、道で転んだりした場合に、
とるべき姿勢を教えるのだそうです。
高い所から飛んだときは、腰を曲げてクッションにすること。
転びそうになったら、手をついて身を守ること。
それができずに、膝を伸ばしたまま着地して骨折したり、転んでも手が出ずに
顔面を派手にすりむく子が多いのだとうかがい、大変驚きました。
私の子供時分は、近所の塀の上を伝い歩きしてポーンと地面に
飛び降りるようなことも、転んで手のひらに細かい砂利粒をめり込ませるようなことも
日常茶飯事でした。
当時は整備された公園などあまりなく、代わりに至る所に空き地がありました。
みんな、ここでゴム飛びをしたり野球をしたりバッタを捕ったり鬼ごっこをしたり
したものです。「ドラえもん」で、のび太たちがよく土管の置かれた空き地に
集まっていますが、まさにあんな感じ。ボールが近くのお宅に飛び込んでしまい、
「すいませーん、ボール捕らせてくださーい」と、お願いすることもしょっちゅうでした。
道は普通に遊び場でしたし、子供達はみんな外で遊んでいたものです。
ところが今は、公園でもキャッチボール禁止、自由に遊ぶことができる空き地は
皆無に等しい。道は車がばんばん通っていて危ない。
これでは、転んだり飛び降りたりする機会もないでしょう。
それどころか子供の声まで騒音として保育園などへの苦情が続出していて
問題になっている。
確かにレストランなどで騒ぎまくっている子を見ると、「むむむ」という時もあります。
幼稚園や学校の御近所は相応に御苦労もあるでしょう。
けれど、町から子供たちの声が全くなくなってしまったら、それはとても寂しいと
思うのです。
ジャポニカ学習帳は花や虫の写真が表紙を飾るおなじみのノートでしたが、
4年前、表紙から昆虫が消えました。親や教員から「気持ち悪い」との
クレームが相次いだからだそうです。
子供たちの声にしても、虫にしても、自分の気に入らないものは
排除してしまう傾向が世に強まっているのではないでしょうか。
荒木経惟氏の写真集に「さっちん」という昭和30年代の活き活きとした子供たちの
笑顔を撮った作品集があります。
紙芝居に真剣に見入る姿、全速力で駆け回る姿、トラックの荷台に乗って
おどける姿。みんな、顔だの、足だの、泥だらけの傷だらけで、鼻水も垂らしています。
生きている躍動感そのものなのです。子供というのは、こんない力強く逞しい
生き物なのか、と改めて感じてしまいました。
荒木氏はこの写真集のあとがきにかえて、語っています。
「少年性っつうのはね、一番の魅力のことなんだ。そんなものはね、十歳とか
そんな頃に、いくらまわりの環境がどうだったって、奪い取れるもんじゃない。
それをね、いまの時代がだめにしたなんていったりしちゃあだめだよ」
そうして、こう続けるのです。
「チャンスがあればいつだって呼び戻すかもしんないよ。もって生まれた少年の
野生っつうのをさ、そういうものを」
子供時分に育まれる「野生」は、大人になって強く生きていくためになにより必要な
創造力であり知恵であり胆力でありコミュニケーション力のもとになるものだ
という気がします。
そしておそらく、ある年齢を過ぎると身につけることが難しくなる力でもあるのでしょう。
それを抑えつけるような社会を大人が作ってはいけないな、と改めて思うのです。
さて、週末はハロウィンですね。
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、
充分な供物がないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、
同時に秋の収穫を祝う祭りを行っていたとか。
その後、多くの聖人たち(Hallow)を祝う万聖節となり、近年、欧米では
魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を回ったり
仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのことで、
子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事がポピュラーなアメリカでは
大人達も本格的な仮装に身を包み、街中はもちろん職場にまで登場。
仲間同士で集まり盛り上がります。
私達もたまには童心に戻って、もって生まれ子供時分に育まれた野生を
呼び戻してみるのも大切なことかもしれませんね。
なので、麗王でも賑やかにハロウィンの飾り付けをし魔女に扮してお待ちしております!
「麗王に来てくれなきゃイタズラするぞ!」
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麗王
トリニティ株式会社
末金典子
| 麗王だより 2016年
今年初めての沖縄本島を直撃する台風でしたが
被害などございませんでしたでしょうか。
秋分の日やお彼岸も過ぎ、もう10月となりました。そろそろ秋ですね。
人恋しい季節でもあります。
さて。
男女が交わって、子どもが生まれます。
今では科学技術が進み、必ずしもHをしなくとも出産は可能ですが、
クローン技術のようなものを用いない限り、
「他者同士が交わって、新たな存在が生まれる」という条件は、
出産という行為の中にいまだ含まれていると考えられます。
ですが、哲学者のプラトンは著書「饗宴」の中で、人と人が愛し合って起こる
「出産」は子どもに限ったことではない、と説いています。
私達の精神はもともと懐妊したような状態にあって、しかるべき相手に出会って
愛し合った時、そこには精神的な「出産」が起こり得るのだ、と言うのです。
男女の交わりに限らず、愛による交わりのもとには必ず「生まれるもの」があるのだ、と。
この「愛」をごく広く捉えるなら、私達は日常的に、この「出産」を
ちゃんと経験しているように思うのです。
誰かとの出会いによって、自分の中に新しい体験や思想、価値観が
生まれるのですから。
私達の人生はすべて、出会いと、それによって生まれた新しい自分の積み重ね
なのではないでしょうか。
沖縄や麗王のように人と人が濃い関係にある場所で生きていると、
非常に広い意味で、「他社との交わり」と「それによって生み出されるもの」の
世界を生きることになります。
人と人とが、あるいは人と「麗王のような場」が交わって、お互いにはらんでいた
何事かが新たな人生に加わることになるのです。
ちょっと占い話をしますと、今年は申年(さるどし)ということもあり、年頭から、
どんな大きな出来事が起こってもちっともおかしくないような壮大な「転機」の年だと
言われていて、それは来年いっぱいまで続くのだそうです。
幾つかの重要な条件が絡まり合って、これまでの環境や人間関係から脱出し、
まるで新しい立場を獲得するような、熱く激しいターニングポイントになるだろうと
言われています。
この転機は自分個人だけのものではなく、むしろ、周囲の人々の転機に
巻き込まれるようにして自分の人生も変化した、という人も少なくないようです。
社会的立場を賭けたような「勝負」であっても、自分の望みでやっているというよりは
周囲の人々の人生を引き受け、いくつもの命を背負って戦っているという意識が
強い人もいるのではないでしょうか。
そうした転機・勝負が続いている人は、今月からはもっと別な世界が
見えてくるのだとか。
私自身も今年は随分といろいろな出来事が押し寄せてきました。
それまでの「闘い」が、実は他者や世界、「麗王という場」との「交わり」だったことが
よく分かりました。
そして、その交わりによってできた子どものような何事かを、「産み落とす」ことに
なるのではないかと思うのです。
たとえば、人によっては、誰かと共同事業を始めて、その最初の利益を得る、
というような展開もあるでしょう。
また、誰かと熱い会話を重ねた果てに、斬新なアイデアを得て活動を始める、
という人もいるかもしれません。
第三者の紹介を通してパートナーに出会う、という場合も、自分と第三者の交わりが
パートナーを「生んだ」と考えることができます。
しばしば、芸術家にインスピレーションを与える「ミューズ」がいるように、自分自身に
何かを生み出させる「誰か」に出会えるのかもしれません。
あらゆるかたちで、誰かとの出会いと「交わり」が、有形無形の素晴らしい出産に
つながっていくのでしょう。
私自身は子どもを持つことはついぞできませんでしたが、「麗王という場」によって
たくさんの出会いをいただくことができました。
そのなかではとても大きな出会いもありました。
そこで、ここに私事で大変恐縮ではございますが、
御報告をさせていただきたいと存じます。
もうみなさん御存知のこととも思うのですが、麗王でお馴染みの沖縄大学の
准教授・樋口先生と私はこの12年間事実婚の関係にあったのですが、
ここのところ新聞などでも読まれたことと思いますが事実婚・同性婚などに対する
認識が変わり、この度行政上にて、夫婦という届け出をいたしました。
麗王は変わらずに続けてまいりますのでどうぞ末永くよろしくお願いいたします。
* 誠に勝手ながら、帰阪と内輪でのお披露目の関係上、
8日(土)~17日(月)までの10日間お休みさせていただきます。
* 沖縄タイムス・電子版「タイムスプラス」の社説・オピニオンのページに
「樋口耕太郎のオキナワ・ニューメディア」というコーナーができました。
大好評拡散中です。是非お読みになってみてくださいね。
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麗王
トリニティ株式会社
末金典子
| 麗王だより 2016年
台風が来るような来ないようなここのところの沖縄ですがいかがお過ごしでしょうか。
とても暑い今年の夏でしたね。
きっとお疲れになったことでしょう。
でも重陽のお節句も先週過ぎて、明日は十五夜のお月見。
暑さも少しずつですがやわらぎ、連休もありますので、どうぞ無理をなさらず、
気持ちとからだのちからを抜いて、のんびり休んでくださいね。
お仕事はそうはいかないかもしれませんが、家のこと、お掃除やお洗濯、
お料理、ちょっとした用事など、2、3日休んだからといって、どうってことは
ありません。何もしない日をおつくりになってもよいですね。
私はこの夏倒れてしまい2ヶ月も麗王をお休みしてしまったのですが、
あんなにしっかりと運動もしてきて、食事もほとんど外食することなく
添加物も取らず食材にもこだわって手作りしたものをいただき…と
健康に留意してきたつもりがどうして?と自分でも驚きました。
どこかのバランスが崩れてしまっていたのか、加齢によるものなのか、
接客というお仕事のなかで人とエネルギーをやり取りするうちに、
神経がショートしていたのか…。
どういうことだったのか、今はまだわかりません。
でも、50年以上生きてきたなかで、これもひとつの味わいだと思いました。
楽しいことばかりでも、その味覚に飽きちゃいますものね。
どころか、死に至らずに本当にありがたいという思いでいっぱいでした。
それに、病気は私自身の体の中から生まれたもの。
だから、拒絶せずにちゃんと受け入れ体の声をちゃんと聞こうと思いました。
拒絶するだけでは前に進めないような気がしたのです。
もちろん、受け入れるだけじゃなくて、肥やしにするという太さも持ちつつ。
なので今は、いろいろなことがうまくできなくなると、
ああ、自分は疲れているんだなあと思って、ちょっとばかり怠けて休むことに
しています。どうしてもやらなければならない用事があると、気になって
落ち着かないので、ぱぱっと簡単に片付けてから、あとはもう、頭とからだの
ネジをゆるめてしまいます。すみません、何もしません、と宣言して、
本や雑誌を読んだり、TVを観たり、昼寝をしたり、ぼんやりしたりと、
とにかくちからを抜いて、好きなことだけをするようにします。
何もせずぼんやりするってなかなかいいですよ~。
昔のことを思い出してみたり、頭に思い浮かぶことを考えてみたり、
頭のスイッチを切って、ひたすらぼんやりするだけでも、
とてもリフレッシュできるんです。
人間というのは不思議なものですね。そうやってぼんやりしたり、
からだを休めたりしていると、あんなに疲れていたのに、どこからともなく元気が
むくむくと湧いてきて、さーっと気持ちのよい風が心の中をそよいだと思うと、
気持ちやからだがいつしか軽くなっているのです。
元気を取り戻し、にこにこしている自分に気付きます。
そうしたら、新しい気持ちで頭とからだのネジを締め直して、さあ、またがんばろう、
と思うことができるんです。
「生まれ変わる」なんていうと大げさですが、そんなふうに気持ちと体の疲れを
しっかりととると、そんな気分になることができるのです。
疲れを溜めない工夫というか、自分なりの程よい方法を知っているといいですね。
おすすめの、いい休み方がございましたら、ぜひまた麗王でお教えください。
明日は十五夜の月を眺めながら、時にはゆったり力を抜いてくださいね。
あなたの毎日が、どうかいつも健やかで楽しくありますように。
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麗王
トリニティ株式会社
末金典子
| 麗王だより 2016年
暑い毎日が続いておりますが、お元気ですか?
(いつもより少し長めの麗王便りですので、お茶でも飲みながら
おつきあいくださいませ。)
私事で恐縮ですが、実は、先月6月8日に麗王に出勤したものの、
あまりの激痛ですぐに自宅に戻ることとなり、
そのまま麗王をお休みさせていただくことおよそ2ヶ月。
その間に麗王に折角いらしてくださった方や、「今から行くよ~」とお電話を
くださった方などには大変ご迷惑をおかけしてしまいました。
本当にすみませんでした。
わざわざ足を運んでくださったお気持ちや、労力や、費用のことなどを思うと
申し訳ない気持ちでいっぱいです。
たくさんの温かい励ましやお見舞いのメールやお電話など
本当にありがとうございました。
心に染み入るようにありがたく温かく感じ入りました。
おかげさまで、ようやく回復し今週いっぱい体調を調整して、
また今日から元気に再開させていただくこととなりました。
何の病気に罹ったかと申しますと、過労死の前兆ともいわれる
「後頭部神経痛」で、あまりの激痛で救急車で運ばれるような方もいるそうです。
なんだかぞっとしました。過労死する人って意外と自覚がないんだそうです。
病気の間はかなりの激痛の毎日を過ごしました。もう痛いなんてもんじゃありません!
ちょうど麻酔せずに歯を削られているような、高圧電流をバシバシッと
流されているような、そんな鋭い痛みが右耳から後頭部に4秒ごとぐらいに24時間
襲います。
漢方薬とビタミンB12を呑んでひたすら休むか横になって安静にするという
日々でした。
この病気、今増えてきているそうです。麗王にいらしてくださる方々もみなさん
働き盛りの方ばかり。どうぞくれぐれもお気をつけくださいね。
ちょうどそのお休み中に、よく麗王にいらしてくださる40代の女性からメールをいただき
「くも膜下出欠で救急車で運ばれ8時間もの手術を受けましたが
ようやく退院しました。」とのこと。彼女の無事退院に心から安堵したことでした。
他方で、麗王でおなじみ樋口先生の大学の親しい同級生の方が
山登りの途中で心筋梗塞で亡くなられたりもして生と向き合う機会となりました。
そしてこうも思いました。
今回自分はこの病気になったからこそ、自分の身体のSOSに
気づくことができたんだと。もっと大事に至っていたかもしれなかったんだと。
「痛み」ということだって、イヤなことだけれど、仮に、人がもしも「痛み」というものを
なくしてしまうことができたとするとどうでしょう?
ストーブなどに触ってしまっても、痛みがなければ、そのまま手を焼き続けて
しまいます。体をケガしても病気をしても、痛みがなければ、気づかなかったり、
放っておいてしまったりして、腐ったり、死んでしまったりするのではないでしょうか。
そう考えると「痛み」を感じるということはとても大切なことですよね。
あなたも痛いところはありませんか?
心は悲鳴をあげていませんか?
しっかり感じてあげてください。
しっかり耳をすませてあげてください。
自分の感覚を感じることができたり、自分の声を聞くことができるのは、
自分だけなのですから。
ところで。
このお休みの間はひたすら安静の毎日でしたので、随分いろいろなことを
考えました。
私の場合、病気になって気弱な気持ちになると、決まって必ず始まるのが
「反省する」こと。
「どうしてこんな痛い病気になっちゃったんだろう。」
「きっとこれは普段私が人に痛い想いをさせてしまっているからその罰なんだ。」
「あの時のあれが返ってきたのかも…。」
「あの人にこう誤解されているのかもしれない。」…
というようにいろいろな想いが頭をよぎります。
私は、反省するうえで大切なのは、自分のしたことを振り返り、確かめることだと
思っています。それをしてよかったのか、悪かったのか、あらためて考えることに
意味があるのだと思います。
自分が悪いことをしたと思うなら、いったい何がいけなかったのか、
どうすればよかったのか、考えます。
そして、ああすればよかった、ここをこうするべきだったと自分なりに答えを出したら、
次の機会にはそうしよう、と教訓を胸に叩き込み、その話はそこでおしまいにします。
もう過ぎてしまったことですから、それ以上思い悩まず、恨みや悔いや怒りなど、
マイナス要素はすべて、捨ててしまうのです。
反省の「省」は「はぶく」という文字。振り返って、事の善し悪しを確認して、
マイナスな必要のないものを心から捨て去るということなのでしょう。
つまり反省とは、人生の復習であり、生きるための知恵だと思うのです。
過去の自分にとらわれることはやめて、今の自分をしっかりと見つめる。
変えることができるのは、未来のほうですものね。
また反省する時には、大局的に考えることも大切なことだと思います。
手鏡に映る自分の姿だけを見ていたのでは、自分のアップの表情しか見えません。
自分が他人からどう見えているかを知るには、等身大の鏡に全身を映す必要が
あります。
つまりは、沖縄にいる時分、日本の中の自分、世界の中の自分と枠を大きく広げ、
グローバルな視点で自分を俯瞰してみることもしてみます。
そうやって今回の自分の病に倒れたことを考えてみての反省は、
「何事も過ぎないように」ということでした。
働き過ぎると今回のように病気になる。
人間関係に深く入り込み過ぎると相手も自分も傷つくことがある。
同様に、食べ過ぎるとメタボ。飲み過ぎるとダウン。遊び過ぎるとお金がなくなり、
言い過ぎると友達をなくす。
見過ぎると目が疲れるし、知り過ぎると他人が信じられなくなりそうだし、
信じ過ぎると自分が見えなくなる。
歩き過ぎると足が張るし、寝過ぎると体がダルイ。
好過ぎると後が辛いし、悪過ぎても辛すぎる。
若過ぎると相手にされないし、年寄り過ぎるとついていけない。
クール過ぎるとつまらないし、ホット過ぎるとうっとうしい。
空気を読み過ぎると何も発言できなくなるし、空気を読まなさすぎると馬鹿にされる。
将来を考え過ぎると暗くなるし、過去を振り返り過ぎると今を生きることができない。
勝ち過ぎると負けが怖くなり、負け過ぎるとやけくそになる。
暇過ぎるとロクなことを考えないし、忙し過ぎると他人のことを考えられなくなり
やさしさも忘れてしまう。
要するに、過ぎてはいけないということ。
過ぎそうになったとき、それに気づくことができる自分でいられるかどうか?
それが他人とのかかわりの中で生きていくやさしさってものなのかもしれないなぁと
思いました。
自分の気性として、とにかく世話好き、お節介なところがあって、
人にどんどん自分の正義で入り込んでいってしまうのですが、そのことが時には
人との摩擦を引き起こし、自分もまた傷ついたりしてしまうことがあります。
その原因は、たいていの場合、私と相手を同一に考えていることに起因するのだと
思います。
他人は他人、自分は自分なのですよね。
温室で肥料を与えなければ咲くことができないバラもあれば、野原でのびのび育つ
タンポポもあります。バラとタンポポは、初めから違う生き物です。バラの育て方を
押しつけられても、タンポポはうれしくありません。
相手の生い立ちや育った環境経済状況から教養、モノの考え方や感じ方まで、
全部推し量ってみると、なるほど相手の言い分も、わかるような気がしてくるものです。
相手は、私とは全く違う個性の持ち主。私と意見が何もかもぴったりと合うはずが
ないのです。
相手の立場に立ってみる。
大きな視点に立ってみる。
違う角度から考えてみる。
そうやって反省してみると、これから先の人生を充実させるための、前向きな作業が
できた気がして、潔く生きていくことができるような気持ちでいっぱいになりました。
人づきあいは「腹五分くらいで」とよく言われますが、私には「腹八分くらい」でも
何か物足りない気がまだまだしちゃいます。
でも「何事も過ぎないように」の反省を活かし、8月の始めからまっさらに
またがんばります!
それに20代の時からずっと「睡眠時間が短くても深く眠れば大丈夫!」なんて
「二足の草鞋」で突っ走り続けてきたものの、もう50代。
無理がありますよね~やっぱり。
身体のサインに気づいて、しっかり労わってあげなければ。
自然も時には休息します。土だって休ませる必要があるし、熊や蛇は冬眠する。
魚さえ目を開けたまま眠る。私達もこの姿勢から学ぶことができるはずです。
いったん立ち止まってみることです。休息し、振り返り、よく考え、
時にはただそこにいるのです。それも必要なことなのです。
休息をライフスタイルの一部にすると、休ませた後の土と同じように、
次に活動したときの生産性がぐっと高まるんだと思います。
誰もが愛される大切な存在です。
あなたも自分の身体を、心を、存在を、慈しんであげてください。
感謝して大切に扱ってあげてください。
そしてどうか心のどんな小さな声も聞き、大切に、大切にしてあげてくださいね。
いつもあなたがお健やかでいらっしゃいますように。
今日からまた麗王をよろしくお願いいたします。
*****************************
* 樋口先生のタイムスプラスの記事
「沖縄から貧困がなくならない本当の理由1,2,3」が
人気記事上位を独占していました! 大反響を呼んでいます。
是非御一読を!
またポリタスの記事「政治が社会問題を解決できない理由」も好評です。
併せてお読みになってみてくださいね。
http://politas.jp/features/10/article/497
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麗王
トリニティ株式会社
末金典子
| 麗王だより 2016年
ゴールデンウイークの連休中の方も、カレンダー通りに出勤なさっておられる方も
いらっしゃることと存じますが、春の爽やかな気候を味わっておられますでしょうか。
熊本や大分で地震による恐く不便な思いといまだに闘っていらっしゃる皆様、
被害に遭われた皆様には、心よりお見舞い申しあげます。
まだ避難所にいらっしゃる方々が一日も早くおうちに帰ることができますように。
どうぞ被災地が一日も早く復できますようにと願わずにはいられません。
******************************
さて、今年のゴールデンウイークの最終日は母の日ですね。
毎年この時期には母との想い出を書かせていただいているのですが、
あなたの胸にあるお母さまとの思い出はどんなことでしょうか。
私は沖縄に住んで26年になるのですが、人生で一度だけの入院という体験を
30代の頃にここ沖縄で経験したことがあります。
肺炎手前のような症状だったのですが、その病状よりも、地縁血縁のいない
この地で入院ということが心細くて不安な思いを経験しました。
幸いなことにあっという間に退院できそうでしたので、
大阪でレストランを営んでいる母が「これから沖縄まで行くわね」と
電話をくれたのですが、「お店を休んでまで来なくても大丈夫よ。」と断って、
自宅で3日ほど休んでいました。すると速達で母からお見舞いの封筒が
届きました。水彩画のように繊細なタッチで、淡い色とりどりのの花々と
四葉のクローバーがかわいらしい封筒で、そこには、ひらがなで「こころばかり」と
書いてありました。最初は、家族なのだからこんなことしなくてもいいのにと
思いましたが、母らしいと思い直し、「ありがとう」と心でつぶやいて
受け取りました。
私が子どもの頃、母は挨拶にとてもうるさい人でした。その頃には頼られることも
多かったので、今もこういうことをきちんとする母を嬉しく思いました。
その母がまたいつも私にうるさく言ったことは、
「何かをしていただいた時には、そのありがたい感謝の思いを必ず言葉にして
文字にして、お伝えしなさい。」ということでした。
私がこうやっていつも麗王にいらしてくださるあなたに心を込めてお手紙を
書き続けることができているのは、母の影響に他なりません。
はるばる母が届けてくれたお見舞いの封筒は、今も私の手元にあります。
ときどき眺めては、母の「こころ」を思い出しています。
日曜日の母の日は温かな感謝を伝える日にしたいですね。
【末金典子】
| 麗王だより 2016年
また大きな地震が日本を襲いました。
麗王にいらしてくださるお客さまのなかにも被災された方がいらっしゃいます。
自分にできることは何だろうと思わずにはいられません。
被害に遭われた地域の皆様には、心よりお見舞い申しあげます。
被災地の一日も早い復旧をお祈りいたします。
****************************
今年は春になってからもまだぐずぐずとした雨模様が多い毎日なので
今週からいよいよ始まるゴールデンウイークにはすっきりとした晴れ間が
続いてほしいものですね。
さて。
先日、麗王にいつもいらしてくださっている若手男性弁護士の方から
メールをいただきました。
内容は、以前より麗王にも一緒にいらしていた「彼女と別れました。」
ということでした。
彼女と少々の違和感を持ちながらも、良い人だし一緒にいて楽しい人だったので
特段別れる理由もなくずっとつきあっていたのだとか。
でもこのままズルズルいくのは申し訳ないし、彼女もお年頃でもあり
そろそろ別れた方がいいのかもと考えていた矢先、ちょっとしたことでケンカし、
悩んだ結果、別れを切り出しだということでした。
今年は激動の年と言われていて、この弁護士先生に限らず
麗王でも毎日のように「会社を辞めました」「結婚します」「会社を設立します」
「留学します」「転職します」……などと人生の大きな節目を迎えられている方が
続々と御挨拶にいらしてくださっています。
そういう転機には必ず人との出会いと別れがつきもので、特に別れは、
悲しくもありつらいものです。
ただ、私は人間関係にも「消費期限」のようなものがあると思っています。
全ての人といつまでもお付き合いするのは無理があります。
人間関係をいつ終えてよいかわからなくなってしまった時、私はいつも
花瓶に生けたお花を思うのです。
お花を何回水切りをしても、もうここから先はダメだなとわかる線があります。
水切りをすればもちろんお花は日持ちするけれど、ここから先はさよならだなって
わかるときがあります。
もうここから先は自分が決めたことじゃないなって。
もちろんそこにくるまで愛情をかけ心を尽くして真剣に向き合ってきたからこそ
自ずと関係が終わったり深まったりするのだと思います。
別れは、それぞれが正しい人に向かうためにお互いの手を離し合うこと。
今までの出会いと別れはすべて、この人と出会うための準備だったんだ、
それどころか、この人と出会わなければならないからこそ、今までの恋愛は
実らなかったのだ、と思うこともできるぐらいの出会いが
次に必ずあるはずなのです。
よぉく物事を見ていくと、一つ一つの事柄がどれほど繋がり合っているか
ということに気づいて、ぞっとしたり、びっくりすることがあります。
たとえば、コーヒーをどういうタイミングで飲み終わるのかとか、
もし私がコップを倒したとしたら、その本当の原因がどこにあるのか、
それはもしかしたら、今朝起きたときの目覚まし時計を止めたときの感じから
来ているんだとか。それくらい繋がっているんです。
だけど、そういうことをいちいち意識していたら、それこそ、本当におかしくなっちゃう!
だからこそ一瞬一瞬を雑にしないということが、唯一自分ができることなのだと
思います。
「このコーヒーをいつ飲み終わろうかな、そしたらその後どうなるんだろう」と
気にするのではなく、自分は完璧なタイミングで完璧なことをしているんだって
自信を持つことが大事なのだと思います。
つまりは、ネガティブなことにもすべて意味があると考えると、人生は一瞬たりとも
無駄になりません。
どんな恋愛も、自分の人生の必然だったと思えるはずなのです。
結婚なさっている方ならぜひ自分の結婚の意味を見直してみてほしいのです。
なぜ自分は今の夫や妻と結ばれたのか?
あるいは結ばれなければならなかったのか?
もちろん、自分たちの子供を授かるためにこそ、この相手と出会ったのだと
考えてみるのもいいでしょう。
でもそれだけじゃなく、もっと自分自身の人生においての、大きな意味を
見つけてみてほしいのです。
たとえば、自分に与えられた使命を全うするために、そのパートナーとして、
そのサポーターとして相手がどうしても必要だった、みたいに。
あるいは、自分の親に対する相手の優しさを見つけて、なるほどそのために
自分はこの人を選んだのかもしれないというふうに。
後からその意味に気がつくのも、また素敵なこと。
必ず探し出せます。まさに宝探しみたいに、とても大切なモノを
ようやく見つけた喜びに心が震えるはず。
みんな同じボートに乗っています。
すごいバランスのもとで、私たち一人一人がこの世に、そして同じタイミングで
生きているのです。
このゴールデンウイークはパートナーやお友達や御家族と出会った意味を
噛みしめながら尊びながらどうぞ楽しくお過ごしくださいね。
かけがえのない時間の中でお読みいただき、ありがとうございました。
あ、因みに、件の弁護士先生ですが、彼女と別れた後で、
東京に結婚式に行かれた折にビビッときた女性と出会い、
早や結婚が決まったとか! お慰めメールまで送ったというのに。もうっ!
* GW中、麗王はカレンダー通り営業いたします。(日、祝祭日お休み)
【末金典子】
| 麗王だより 2016年
早いものでもう3月。少~しですがなにやら春の香りがしてまいりましたね~。
寒かった2月もお元気に乗り切られたことと存じます。
さて。
この春から始まる連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のモチーフとなり
急に話題の人となっている「しずこさん」こと大橋鎭子さん。
26歳の彼女が、敗戦の翌年の1946年に、銀座のビルの片隅で、
戦禍で荒れ果てた暮らしの復興に少しでも役立つようにと、
今でも売れ続けている雑誌「暮しの手帖」の前身である「スタイルブック」を
出しました。
「はげしい風のふく日に、その風のふく方へ、一心に息をつめて
歩いてゆくような、お互いに、生きてゆくのが命がけの
明け暮れがつづいています。せめて、その日日にちいさな、
かすかな灯りをともすことが出来たら……この本を作っていて、
考えるのはそのことでございました。」
(1948.9「美しい暮しの手帖」第1号あとがき)
当時の若い彼女の一文が胸に迫ります。「生きてゆくのが命がけ」なんて
今の世の中においてはヘンな表現ですが、とてもリアル。
人間として最低限の暮らしが脅かされている日々ということですね。
敗戦後の日本を生きのびる人々の苦しい息づかいが伝わってきます。
そんな疲れ果てた日本の時代にあっても、虐げられた女性を勇気づけ
鼓舞し続けた「しずこさん」。
「どんなに みじめな気持ちでいるときでも
つつましい おしゃれ心は失わないでいよう
かなしい明け暮れを過ごしているときこそ
きよらかな おしゃれ心に灯をつけよう
つつましい おしゃれは
あなたの心ににおう一束の青い花
あなたの夢に流れるとおい子守唄
そして あなたの日日を太陽へ翔らせる翼
お友だちよ 嘆くのはやめよう
私たちに青春のあるかぎり
私たちには希望がある」
(1946.6「スタイルブック」冒頭)
今の世は敗戦後ではないにしても、私達の暮らしを揺るがすように
吹きつけてくる風が日々強くなってきています。
そんな世にあって、美しくあること。おしゃれでいること。素敵を求めること。
全て大事であり、享受してゆきたい。
けれどそれらはとても壊れやすい形をしています。突風一つで吹き飛んで
しまいます。
だからこそ本物を探さねばなりません。テレビ・雑誌・ネットに溢れる広告的な、
雰囲気だけの「ステキ」は、きらびやかなものもシックなものもナチュラルと
されるものも、もうおなか一杯になりました。
本物の美しさとはもっと強靭なものです。優しさとは強いもの。
誰もが逆風を感じ始めているはずの今こそ改めてそれを求め、
見出したいものです。
自分の大切な人たちと営む「美しい暮し」を守り持続するためには、
時には風に向かわねばならないのではないでしょうか。
そのためにも敏感でありたい。そう思います。
暮らしが命がけになってしまう前に、その源を、本物を、見極める目や賢さ、
対峙する術、時代を乗り切る能力を身につけたい。
仲間や後輩や子供たちにそれらをきちんと伝えてゆきたい。
あさってのおひな祭りを前に女性の生き方や美しさについて
想いを馳せたことでした。
その「おひな祭り」。もともとはこの日に川で手足を洗って心身の穢れを祓い、
邪気を身代わりの人形に移し、川や海に流し、家族全員の厄を祓い、
夫婦円満を願うという行事だったそうですが、後に、親が女の子の成長の節目を
祝い、年中行事に寄せて女の子の将来の幸せを祈るものとなったそうです。
あさっては麗王で、酒かすから作った手作りの白酒や、桜餅、
無添加のえびといくらの手作り海鮮ちらしずし、無添加ひなあられ、
菜の花のおひたし、三重県産特大ハマグリの潮汁などで古式ゆかしく
お祝いしようと思っています。あなたもどうぞ御一緒くださいね。
【末金典子】
| 麗王だより 2016年
年末年始の夏日のような暖かさはどこへやら、1月の後半からは
沖縄本島で初のみぞれも降るなど冬らしく寒い日が続きましたね。
インフルエンザも流行っておりますが、あなたはお変わりございませんか。
明後日の日曜日はバレンタインデーですね。
バレンタインデーというと、若い女性のための恋のお祭り、という印象が強いかも
しれませんが、この日の歴史は古く、ルネッサンスのヨーロッパの宮廷では
紳士淑女が愛を記念して食卓を囲んだり、ゲームに興じていたという記録が
あります。由緒あるものなんですね~。
御存知のとおりバレンタインデーとチョコレートの結びつきは日本独自のものです。
面白いことに古い時代のヨーロッパではバレンタインデーには鳥料理を食卓に
出すのが宮廷での定番だったよう。仲睦まじい鳥のカップルにあやかろうと
したのだとされています。
2月14日頃に小鳥たちがつがいになるという伝承もあり、このあたりが
バレンタインデと-恋が結びつくきっかけになったのかもしれませんね。
さて。
私の好きな言葉に
「スコアボードではなく、グラウンドで行われている試合をしっかり見る」
というのがあります。結果やデータを知るのに一所懸命になるのではなく、
実際にそこで変化していること、そこで動いていること、そこで起きていることを、
よく観察するという意味です。
何でも簡単に知ることができる時代だからこそ、とても大事なことだと思います。
永六輔さんが以前こんなふうなエッセイを書かれていました。
通信簿をお母さんに見せたら
「これは学校の先生がお前を見ているのであって、私には関係ない」
と言って、一切見なかったそうです。
通信簿に表れない自分の息子の良さがあると思うお母さんの気持ち。
ちょっと極端だけど、とてもいいお話だなと思いました。
常々思い、麗王でも心がけていることは、
どんなことでも、よく見るということです。
よく見るということは、見つめるということ。
見つめるということは、隠れているいいところを見つけるということ。
人でも、モノでも、見えていることがすべてではありません。
自分のことを贔屓目に考えてみると目に見えないすてきなところや
自信のあるところ、いろいろな秘密もありますよね。そういうものは、
ぱっと見では見えませんもの。
いいところを見つけられたら、それは自分が第一発見者であり、
自分だけの「好き」になります。そういう「好き」は一生の宝ものです。
たとえば、人を好きになることも、見つけた宝ものがあってのことでしょう。
宝ものなんだから、自信を持って大好きになればいいのです。
このバレンタインデーを、大人の穏やかな愛を大好きなあの人に伝える、
いいきっかけにしてはと思います。
【末金典子】
| 麗王だより 2016年
1月も早や終わり、明後日はもう節分ですね。
節分というのは、平安時代の宮中儀式「追儺(ついな)」が始まりといわれていて、
この日は立春の前日で文字通り季節を分ける境目。
旧暦でいう大晦日なんです。それで前年の悪疫邪気払いの行事として
この「追儺」が行われていました。
では、なぜ「豆」を投げるのでしょう?
実は鬼の目「魔目」に豆を投げれば「魔滅」するからだとか。
じゃあ煎った豆でないといけないのはどうしてでしょう?
生の豆は芽が出てくるため、そこから鬼が芽を出という説や、
豆(魔目)を煎ることにより鬼を退治するという説もあるそうです。
つまり豆自体が鬼なので、外に投げ「鬼は外!」、あるいは
食べてやっつけろ!というわけですね。
そして節分が明けると立春。旧暦の新年です。
新しい年のエネルギーは一月ではなくて、二月の節分を越えたあたりに
動き始めるのだとか。つまり、節分を越えると、今年のエネルギーが非常に
はっきりしてきますので、今年の幸せに向かう目標や新しいトライは、
この頃にまっさらな気持ちで始めてみるのもいいかもしれませんね。
さて、作家の松浦弥太郎さんが、いつも通っておられる理容室のご主人に
こんなことを聞かれたそうです。
「お仕事でいつも心がけていることはありますか?」と。
なぜなら長年行きつけておられながらも、慣れることなく常に礼儀正しく、
さりげなくこまやかなお客さまへのあたたかい心配りに、
いつも感謝と感動で胸がいっぱいになっておられたからだそうです。
「そうですね。『添え手』という言葉がありますように、仕事はすべて
その心持ちです。」と、ご主人は微笑みながら答えてくださったそうです。
何をするにも、必ず手をやさしく添えて、次の動作なり行いを相手に知らせる
ひと手間をかける。また、手をそっと添えていることで、何があってもすぐに
助けることができる心づもりとでも言いましょうか。
見えなくともその先にいつでも生身の人がいることを忘れずに、
単なるていねいさだけではなく、相手をおもんぱかった振る舞いと、
少し先を読んだやさしさこそが、どんな仕事においても大事であると、
ご主人は教えてくださったということです。
私の仕事は、あなたが麗王にいらしてくださった時に、たのしく、
幸せな心持ちで、笑顔で溢れた時を過ごすことができるように
心を尽くすことです。
この「麗王便り」も大切な人へ一か月に一度か二度お手紙を綴るように、
人を想う愛情という心を精一杯働かせて書いているつもりです。
そして、理容室の御主人のように、「添え手」という言葉をお守りにして、
あなたへ手を添えることを決して忘れずに、仕事という日々を過ごしていきたい、
新しい節目に改めて自分に言い聞かせました。
水曜日はあなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は~外、福は~内!」
複雑な課題の多い今日この頃、厄払いはしっかりとしたいものです。
私も邪気を払うべく、もっと元気になるべく豆を今までより少し多めに撒き、
しっかりと数え歳プラス1個のお豆をいただくことにいたします。
そして今年の恵方の南南東に向かって、幸運をおいしく呼び込む
恵方巻き寿司をガブリ!とまるかぶりするぞ~!
あなたと私の今年一年の幸せを心から願って。
* 麗王でも水曜日は「無添加恵方巻」を御用意いたしておりますよ~。
【末金典子】
| 麗王だより 2016年
新しい年が始まりましたね!
今年の沖縄のお正月はまるで常夏!?とでもいうぐらい暖かい毎日でしたが
あなたはどんな2016年の始まりをお迎えでしたでしょうか。
私はと言いますと、ごくごくオーソドックスに、大晦日は年越しそばをいただき、
紅白歌合戦を観て今やもうついていけない流行歌のお勉強をこなし、
おせち料理をゆっくり作り元旦にお雑煮・お屠蘇とともにいただき、
初詣には普天間神宮までランニングで行ってお参りをし、初風呂の後は
ヨガも楽しみ、あとはひたすら読書とお料理とDVD三昧というお正月でした。
久々にそういうのんびりとした時間を持つことができましたので、
改めて昨年という年を振り返ってみました。
あなたにとってはどんな一年でしたでしょうか。
禍福さまざまでしたが、とりわけ、戦後70年にあたる年として、いろいろなことを
考えた年だったように思います。
話は少し遡りますが、2001年9・11の後に、アメリカでブッシュ大統領に
武力行使権限を与える決議に対して、上院は98人、下院は420人、
ほかの全員が賛成するなかで、たった一人だけ反対票を投じた下院議員が
いたということを覚えておられるでしょうか。バーバラ・リーという女性議員です。
彼女は、武力の悪循環が制御不能にならないように、熟慮して
決断すべきだと異論を提示しました。すべてが同じ流れに動くときに、
圧倒的多数に対して、一度冷静に考えようという投げかけは、とても
勇気がいる、大きな意味のあるものです。
日本では、安全保障関連法が9月に成立しました。これは、暮らしを
左右する大きな転換です。集団的自衛権の行使容認や、その先の
憲法9条改正が取り沙汰される流れのなかで、賛成にしろ反対にしろ、
私達個人個人がしっかりと考えを持って判断できるようにしなければ
ならないのだと思います。誰かがやってくれるだろう、誰かが考えてくれるだろう
とはもう言っていられないときなのではないでしょうか。
今後もしっかりと注視していきたいものですね。
しっかりと考えたい暮らしの問題は、ほかにもいろいろとあります。
原発やエネルギーの問題をどう解決し、暮らしやすく接続可能な社会に
していくのか、
貧困や経済的な格差をどうなくしていくのか、
都市と地方の格差を少なくし、どこに住んでいても豊かに楽しく
生活できるようにするにはどうすればよいのか、
子育てしやすい社会や、高齢者が安心して暮らすことができる世の中に
するには……。
麗王で様々な立場の方々とこういったいろいろなお話をさせていただいていて
いつもつくづく感じることですが、私達は多様な考えや立場の人たちと
共生しています。
それぞれの人を慮り、相手の気持ちをきちんと理解して行動しつつ、
自分の考えもしっかりと持って誠実に伝えていきたいものだと、
新年の最初に改めて思いました。
今年も麗王でのひとときを優しさや楽しさで包むことができますように。
私もそんな想いで今日からスタートをきりたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます!
*************
7日の木曜日は七草です。
歴史は平安時代にさかのぼります。
朝廷では一月七日に若葉を摘み、冬の寒さを打ち払おうとする習わしが
ありました。
一方、海を隔てた中国でも、この日に7種類の菜の煮物を食べれば、万病に
かからないという言い伝えがありました。
七草がゆは、この日本と中国の風習が合体し、一月七日に、一年の無病息災を
願い、七草を入れたおかゆをいただいて、冬に不足しがちな野菜を補い、
お正月の暴飲暴食で疲れた胃袋をいたわるという古人の知恵が、
現代に生き続けている行事なんです。
お休みモードからふだんの生活に切り替えるきっかけとしてはとっても
おすすめです!
麗王では4・5・6日はおせち料理を、7日はこの七草粥を
御用意しておりますのでぜひ召し上がってみてくださいね。
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麗王
トリニティ株式会社
末金典子
| 麗王だより 2016年