今日の夜は樋口の次世代金融講座がある日なので早めの夕食となるため
味のしみたこうばし麺が絶品の焼きそばと高菜ごはんをいただきます。

【末金典子】


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▶中華蒸し麺には油が付いていますので、さっと水洗いして臭みをとった後、ペーパータオルで水気を拭いて、純米酒、有機しょうゆをふって馴染ませます。スイスダイヤモンドのソテーパンオーサワの一番搾り菜種油を熱し、中華麺を広げて入れて、へらで抑えながらこんがり焼き色がつくまで焼いて上下を返します。

いったん麺を取り出して、再び菜種油を熱してから、伊平屋島の塩有機粗挽きこしょうをふった沖縄県産紅豚の肩ロース(2㎜スライス)を炒め、肉の色が変わったら、有機キャベツ、有機たまねぎ(1㎝幅のくし形切り)を純に加えて炒めます。

中華麺を戻し入れ、純米酒、有機しょうゆ、カゴメ有機ウスターソースメガシェフの無添加オイスターソース、伊平屋の塩、有機粗挽きこしょう、を混ぜたソースを麺にかけ、ほぐしながらからめます。もやしを加えてできあがり。

器に盛ってから、削り鰹節、青のり、創健社の無添加紅しょうがを添えて、最後に宮城農園のEM有精卵の黄身を落として頂きます。

▶紅しょうがは、麺類には欠かせない薬味ですが、スーパーに置いてあるものは添加物の盛り合わせのような状態です。たとえば、本来の紅しょうがが赤く色づくのは一緒に漬けるシソの葉の色素が移るからですが、ほとんどの「紅しょうが」はコストを下げるために、タール系の赤色102号などの合成着色料が添加されています。ちなみに、赤色102号はベルギー、カナダ、アメリカなどでは食品への使用が禁止されています。合成着色料の赤色はすぐ分ります。一般的なおきなわそば屋さんで出される紅しょうがは、十中八九このようなものだと思います。創健社の紅しょうがは、国内産しょうがを国内産特別栽培の梅から作った梅酢で丁寧に漬け込んであり、原料は高知県産しょうが、奈良、和歌山、三重県産の特別栽培梅、和歌山県産しそ、沖縄県産食塩のみです。北谷町のグリーンリーフで入手できます。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

無投薬刀根鶏のもも肉を食べやすくそぎ切りにしたしょうが焼きです。
お肉はこんがりと焼き色がつくまで焼き、おろししょうがと有機醤油と
有機みりんと日本酒を合わせた黒酢だれを加えて煮からめると、
コクのある仕上がりになりますよ~。

【末金典子】


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▶1.5㎝のそぎ切りにした宮崎県産無投薬刀根鶏もも肉を、エキストラバージンオリーブオイルをしいたオールクラッドのフライパンでこんがり焼きます。有機おろししょうが、有機しょうゆ、タカラの有機本みりん、純米酒、内堀醸造の臨醐山黒酢を混ぜた黒酢だれを加えて、汁が少なくなるまで煮からめてできあがり。

黒酢料理は、食材がふっくらと仕上がり独特な味わいがありますが、やはり品質次第だと思います。

【樋口耕太郎】

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炊きたての白いご飯、とくれば、やっぱり汁だくのおかずでしょう?
とろける有機じゃがいもをご飯にお汁ごとかけたいおいしさです!

【末金典子】


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▶人気料理研究家コウケンテツさんのレシピです。家庭料理の定番肉じゃがに有機にんにく、有機しょうがを加えると韓国風に仕上がりますので、妻家房のキムチを添えました。飲み物はもちろん無添加のとうもろこし茶です。

宮﨑産の無投薬尾崎牛の切り落とし肉をボウルに入れて、おろし有機にんにく、おろし有機しょうが、純米酒、有機しょうゆ、粗糖(甘糖太陽)にからめます。スイスダイヤモンドのソテーパンマルホンの太香ごま油をしいて上の牛肉を汁気を切って入れ、有機たまねぎ(1㎝幅くし形切り)、有機じゃがいも(1.5㎝輪切り)を加えてさっと炒めます。肉の色が変わったら、ボウルに残ったたれと水を加えて15分煮てできあがり。器にもって有機万能ねぎ(小口切り)、宮城農園のEM有精卵の黄身を落とします。

▶食器は、スウェーデン製のホガナスのケラミックのスーププレート(カカオ)です。

【樋口耕太郎】

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今日は女の子の健やかな成長と幸せを願う桃のお節句・ひな祭り。
古式ゆかしいごちそうの数々を食べれば、穢れ払いにもなるそうなので
我が家では毎年手作りして、お雛さまを飾り、いただいています。

はまぐりは必ず左右が同じ大きさで、まだら模様が合致するものはふたつと
ありません。つまり、はまぐりがピッタリ合わさる組み合わせはただひとつなのです。
そこから女性の貞操のシンボルとされてきました。
同時に、はまぐりのように和合して、仲のよい夫婦になるように、という願いも
込められています。
さらに、はまぐりは古くから魔除けにも用いられてきました。
今年は出雲の桜そばと一緒にいただきます。

お酒は古来より神事に欠かせないもので、白いお酒の色が身中の穢れを
祓い、心身を清めると言われています。

もともと菜の花は、桃のお節句に故人を招くために活けられたもの。
おひたしなどにして食べる時は感謝を捧げ、残してはいけないとされています。

【末金典子】


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▶毎年ひな祭りに作るちらし寿司も作るたびに工夫が加わります。龍の瞳のごはんに、ニューカレドニア産の「天使の海老」、北海道産無添加いくらを取り寄せて、さらにグレードがアップしました。

▶今年ははまぐりのお吸い物にかえて、春らしい桜そばに千葉県産のはまぐりを添えました。ひな祭りに欠かせないはまぐりはサンエーハンビータウンで購入。この時期だということもあり1つ300円以上しましたが、こんな立派なはまぐりはあまりみたことがありません。国内産の桜の葉を使用して優しい香りのする桜そばは、五代目本田屋製のものをオイシックス経由で取り寄せました。

▶わさび風味の菜の花のおひたしは、だし汁と薄口しょうゆとわさびのすりおろしで味を付けたもの。

▶甘酒は、酒粕から作ろうと思いましたが、サンエーハンビータウンのものは醸造アルコールが含まれていたので、瓶入を探したところ、国盛の酒蔵の甘酒をみつけました。

▶桜餅は新潟県魚沼産のもち米で製造したゆのたに社製の無添加のものを、やはりオイシックス経由で取り寄せました。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

少~しですがなにやら春の香りがしてまいりましたね~。
寒い2月もお元気に乗り切られたことと存じます。

私は滅多にテレビを観ることはないのですが、
随分前に、観たかった番組が終わってなんとなくテレビをそのまま
観続けていた時のこと。
何の番組だったかもう忘れましたが芸能人の出産を伝えていました。
夫妻の結婚式から始まって、妊娠中に海辺でたたずむシーンも盛り込んだ
ストーリー仕立てです。二人が迎えた生まれたばかりの赤ちゃんは可愛くて、
それはそれで微笑ましいものでしたが、「出産」が、そこにいたるプロセスも
含めて、いよいよ「究極の商品」になってきた、とも思うことができるような
内容でもありました。

今、モノがあまり売れていないそうです。
だから、「こどもの誕生」とか、その前段階の「恋愛」とか「結婚」とか、
ベタなプライバシーを夢仕立てのストーリーにしないと、広告で成り立っている
マスメディアももたないと言われています。
でも、人間の営みって、商品なのでしょうか。

もう他界した私の大正生まれのお祖母ちゃんの姉は、戦前の
「産めよ殖やせよ」時代の、大家族の長姉に生まれた人でした。
母親を早くに亡くした一家には、この大叔母の下に5人の弟妹がいて
(私のお祖母ちゃんもその一人)、彼女はごく当然のように
母親代わりとなって、生涯を独身で過ごしました。
沖縄でもこういう話を幾度か聞いたことがあります。

小さかった私の記憶に残っているのは、予告もなく、さぁ~と家にやってきて、
ジュースやらお菓子やら、食べ物やらお小遣いやらを置いて、また、さぁ~と
出かけていく姿です。「お茶でも」と引き留めても、腰もおろしません。
「次があるから」と、豆タンクのような体で、それぞれ家庭を持った弟妹達の家を、
順番に回っていくのです。

そのいつも明るい大叔母は、ほっぺたがりんごのようにつやつやとしていました。
気ままで、ちょっと自分勝手なところもある人だったので、その明るさは、
ムリして、とか、強がって、とかいうのではなかったようです。
いつも健康で、大正生まれらしくとてもモダンな人でもあり、海外旅行にだって
出かけていました。弟妹達にはいつも「私はいつも幸せやわ~」と楽しそうに
笑って言っていたそうです。

大叔母の好奇心の発露は、一人で出かける旅にありました。
そして、小さな旅を予定していた朝に、ぽっくりと亡くなりました。
傍らには、簡単な支度をまとめた旅行かばんがあったそうです。

大叔母の人生には、結婚、出産はおろか、恋愛なんていうものの欠片も
なかったように聞いています。マスメディアからの情報も、世の中の流行も、
まったく縁がありませんでした。でも、いつも元気で幸せな女性だったのです。

マスメディアと、それから新たに登場したネットメディアは、今日も毎瞬間、
「人生を充実させましょう」「そのためにこれをしましょう」と、
さまざまなメッセージを送ってきます。さすが商売だけあって、
「あなたの人生にはこれが欠けています」というメッセージを送られると、
つい惑わされそうになりますが、でも、それらはしょせん他人の欲望なのです。
だから、そういうものは、いったん、すべて無視したいものです。
普通に生まれて、普通に生きて、普通に楽しい。
そういう人生が、私達にはあらかじめ約束されていると思うのです。

明日は桃のお節句、おひな祭り。
女性の生き方や幸せについて想いを馳せたことでした。
いえ、男性も同じことかもしれませんね。
あなたにはあなただけの幸せが必ず用意されているはずです。
そのあなただけの幸せを、どうぞゆっくり、じっくりと生きてくださいね。

明日は麗王で、有機酒かすから作った手作りの白酒や、桜餅、
天使のえびと無添加いくらの手作り海鮮ちらしずし、無添加ひなあられ、
菜の花のおひたしなどで古式ゆかしくお祝いしようと思っています。
あなたもどうぞ御一緒くださいね。

【末金典子】

東南アジアの蒸し鶏ご飯を、土鍋で炊いてみました。
無投薬刀根鶏を一緒に炊くから、ご飯ももっちり、おいしさもアップします。
本場では蒸し汁で炊くご飯を、有機ジャスミンティーにチェンジし、
風味のよいご飯に仕上げます。

【末金典子】


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▶昨年末からスタートした【今日なに食べた?】シリーズは既に55回目。そのうち★★★は今回のタイ風蒸し鶏ごはんで8つ目です。毎日の料理のレシピは、多くの候補の中から写真と材料と料理方法と料理人をみて、私たちが「おいしそう!」「食べてみたい!」と思うものを選んでいますが、実際に作ってみるまではほんとうの価値は分らないものです。★★★料理は私たちが実際に作って、食べて、楽しんで、特に美味しいと思っただけでなく、ぜひ誰か他の人にご馳走したいと感じるレシピであることを基準にしています。『次世代金融講座』でも、いつも私たちの手料理で懇親会を開催するのですが、いつも★★★メニューの中から選別しているのです。

▶私たちが強くお勧めする★★★のお料理は、レシピを省略せずにご紹介することにします。材料は私たちの2人前の分量(恐らく普通の人が食べる倍の量)です。

宮崎県産無投薬刀根鶏もも肉(400g)に、伊平屋島の塩(小1強)、有機ブラック・ペッパー(パウダー)(適量)、有機にんにくすりおろし(小1/3)をもみ込みます。
ハリオの土鍋に、磨いだ龍の瞳(2合)を入れて、有機しょうが(10g)の千切りと①をのせ、有機ジャスミン茶(360cc)を入れて炊きます。
③小鍋に有機しょうゆ(大2)、メガシェフの無添加オイスターソース(大1)、粗糖(甘糖太陽)(大1)、水(大3)を入れて火にかけます。ひと煮立ちしたら、片栗粉(小1/2)を水(小1/2)で溶いてから混ぜ、とろみをつけます。
④ボウルに、有機きゅうりの長め乱切り(1/2本)、ヘタを除いて半分にカットした有機ミニトマト(6個)、手で一口大にちぎった有機レタス(1枚)、ざく切りにした香菜(2、3株)、伊平屋島の塩(適量)、有機レモン果汁(適量)を入れ、軽く混ぜます。
⑤②が炊きあがったら、鶏肉を取り出し、食べやすい大きさに切ります。器にごはんを盛り、鶏肉をのせ、④を盛り合わせます。③のタレを鶏肉にかけてできあがり。

▶私が考える料理のポイントは、鶏肉の皮下脂肪をキチンと取り除くこと(食感と食後感がずいぶん違います)、可能であればぜひ土鍋で炊いて頂きたいこと、有機ジャスミン茶はペットボトルではなく煮だしにこだわって頂きたいこと(ペットボトルのお茶にはアスコルビン酸が添加されていて、煮だしのお茶とは味がまったく違います)、炊き込み料理でもごはんの質に妥協しないこと、付け合せ(サラダ)の材料の組み合わせをできるだけ自己流にしないこと、でしょうか。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

2月27日は私の50歳の誕生日でした。人生の節目の誕生日にメッセージを下さった方々に、「生まれてくる」ということについて、私からお返しのメッセージを差し上げたいと思います。私たちは誰でも、愛の天才として生を受けます。誰の誕生日であっても、そのことをお祝いする日ではないかと思うのです。 ほんとうにありがとうございました。

*   *   *

私に子供が生まれたとき、なぜこれほど子供に愛情を感じるのか、とても不思議に思った。いろんな人に聞いてみたが、納得できる答えは得られなかった。その理由を7年間考え続けて、自分なりの答えが見つかった。

確かに自分は子供を愛しているのだけれど、それは、そもそも、「子供が親を無償に愛しているからなのだ」、というのがそのときの結論だ。

子供は、親がダメ社員でも、失業中でも、嘘つきでも、犯罪者でも、それどころか、自分が虐待されていても、親をかばい、思いやり、無心で愛する存在である。私たちが一生の間、これほどの愛情を受けることは、実の親からも、配偶者からも、その他の誰からも、殆どあり得ないことだろう。・・・親の愛は決して無償ではない。一般的な子供にとって、愛が条件付であると学ぶのは、自分の親からである。

この世に生を受けたほとんどすべての人にとって、人生でもっとも大切なものは、自分に向けられる無償の愛だとすると、その無償の愛を経験することができるのは、生まれてから3歳くらいまでの期間、子供からの愛のみではないか。私たちの一生で、無償の愛を受ける機会は、この時しかないのである。

子供のために自分の命を投げ出すことができる親は少なくないが、親が子供のために命を賭けるのは、自分が子供を愛しているからというよりも、それ以上に愛されているから、ということはないだろうか?人が本当に大切なもののために命を賭けるのは、太古の歴史から何度も繰り返されてきた一般的な現象である。 自分にとって人生で最も大切な、無償の愛のためであれば、命を引き換えにするのは当然だろう。一方で、子供が親のために命を賭ける話はそれほど聞かない。 それは、やはり、子供の愛が親の愛を遥かに上回っているということではないだろうか?

私は、人は誰でも、生まれてからの3年間で、一生分の親孝行を終了しているのだと思う。人の親にとって、後にも先にも得ることができない究極の愛を、3年以上もの長期間、絶え間なく、惜しみなく注いだのだから。

子供は親に恩返しをするべきだという考え方が一般的かも知れないが、私は、親こそが一生かけて子供に恩返しをするべきではないかと思う。

夫婦の間に愛がなくなっても、子供のために仮面夫婦を続ける親は少なくない。離婚の際に子供を取り合って、血みどろの争いになることもある。両親はそれぞれ、自分こそが子供を養育するのに相応しいと考えるが、現実は、子供の愛を取り合っているに過ぎない。愛しているのは子供であって、親は子供からの無償の愛に執着しているのだ。

このように考えるようになってから、私は、世界がまったく違って見えるような気がした。

世の中には、親不孝な子供だと、自分を責め続けている人は少なくない。自分らしく、一人の人生を歩みながらも、親に対して冷たい自分に苦しんでいる人がいる。反対に、親に対する義務感でがんじがらめになって自分を見失いかけている人もいる。

自分の子供に心からの愛情を感じることができなくて、深く傷ついている親も多くいる。十分な手助けが得られない現代社会で子育てに奮闘する中、愛しているはずの子供に対して、ときには強い怒りを感じ、そんな自分を責めている親もいる。自分が愛情の薄い親だと悩んでいる人が、誰にも相談できずに苦しんでいる。離婚に際して、子供を捨てた親だという社会からのレッテルに深く傷ついている人もいる。

でも、人は誰でも、愛の天才として生まれてきているのだ。すべての人は、この世に生を受けてから3歳までの間に、一生分の親孝行を終了している。親を愛せなくても自分を責める必要はないし、親も子供を愛せないからと悩むことはない。そのように考えることができるのであれば、どれだけの人の心が救われるだ ろう。

年に一回の誕生日は、自分が愛の天才であることを思い返す日にしよう。それはきっと、誰かのためになるから。

【樋口耕太郎】

ふんわりハンバーグにきくらげを混ぜ込み、食感豊かな一品に仕立てます。
青梗菜はいったん取り出してシャキッと仕上げます。

【末金典子】


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沖縄県産紅豚ニュージーランド産のオーシャンビーフをフードプロセッサーでミンチした合い挽き肉、有機たまねぎのみじん切り、きくらげのみじん切り、岩手県産南部小麦で作った無添加パン粉、有機しょうがすり下ろし、伊平屋島の塩有機粗挽きこしょうをよく練り混ぜ、オーサワの一番搾り菜種油をしいたフライパンで焼いていったん取り出します。

3㎝四方に切った沖縄県産有機キャベツを同じフライパンに入れて炒め、油が回ったところでミニバーグを戻し入れ、水、純米酒、有機しょうゆ、粗糖(甘糖太陽)無添加スープのもとを加えて、弱火で10分間煮て器に盛ります。

残ったスープに水溶き片栗粉を混ぜてとろみをつけ、器に盛ったミニバーグと有機キャベツにかけて出来上がり。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

今日の夜は樋口の次世代金融講座がある日で、早めのお夕食となるため
何にのせてもご飯が進む万能肉みそおうどんとスープとおにぎりで軽食風に。

【末金典子】


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▶国産小麦の冷凍うどんをゆでて皿に盛り、千切りにしたきゅうりとパプリカ(赤・黄)、肉みそをのせて、有機白いりごまをふってできあがり。

▶万能肉みそは、オールクラッドのフライパンオーサワの国産菜種油をしいて、みじん切りにした有機にんにく、沖縄県産紅豚ひき肉、ユウキ食品の無添加甜麺醤、有機しょうゆを混ぜて炒め、伊平屋島の塩少々で味を整えてできあがり。ごはんにのせても、美味しいです。

▶お皿はアスティエ・ド・ヴィラットのロビンソンを合わせてみました。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

27日は樋口の50歳という大台に乗る誕生日。
どんなメニューにしようかなといろいろ考えましたが、
揚げ物好きな我が家らしく今日はカツレツで。
無投薬刀根鶏むね肉をめん棒でごく薄くなるまで百たたきしてのばすと、
お肉がやわらかくなり、外はサクサク、中はふんわりのカツレツに。

【末金典子】


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宮崎県産無投薬刀根鶏むね肉の厚みに切り目を入れて開き、大きめのラップに挟んでめん棒で叩いて薄く大きく伸ばします。むね肉に伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩有機粗挽きこしょうをふって、ムソーの有機小麦粉、溶いた宮城農園のEM有精卵岩手県産南部小麦で作った無添加パン粉を両手でこすりあわせて細かくしクラフトの粉チーズをまぜたチーズパン粉、の順にころもをつけます。オーサワの一番搾り菜種油で揚げるとできあがり。

▶ソースは、バター、デルモンテ有機トマトケチャップカゴメ有機ウスターソースを混ぜてつくります。

▶飲み物は、ムソーの有機ストレート100%りんごジュースをナチュラル・ミネラル・炭酸水ゲロルシュタイナーで割ったもの。

ディナープレートル・クルーゼ。たっぷり添えたクレソンに濃いめのブラウンを合わせてみました。本日は南部に出向く用事があったので、クレソンは糸満市のファーマーズマーケットで購入。JAが経営するこのお店に有機野菜はほとんどおいていませんが、野菜の品揃えは沖縄で一番だと思います。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

味のしみたまぐろが濃厚でさらにおいしいですよ~!

【末金典子】


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ハリオの土鍋で炊いた龍の瞳(2合)をどんぶりによそって、有機新たまねぎの縦薄切り(1/4)、一口大にちぎったサニーレタス(大2枚)を広げてのせます。

細切りにして包丁で軽くたたいた刺身用のまぐろ(5ミリ、200g)と、有機おろしにんにく(ひとカケ)、ユウキ食品の無添加コチジャン(小2)、マルホンの太香ごま油(小2)、有機しょうゆを(小2)を混ぜたものを上のごはんに乗せ、最後に有機白すりごま(小2)、卵黄(4個分)をのせて出来上がり。

分量は私たちの2人前(標準レシピの4人前)です。

▶沖縄県内のスーパーにあるキムチは添加物にまみれています。スープの具と付け合せのキムチは、料理に合わせて妻家房のキムチオイシックス経由で取り寄せました。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

無投薬尾崎牛を純米酒や有機醤油、無添加塩漬け実山椒で煮てから、
昆布とかつおのおだしでのばします。

【末金典子】


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▶「ミセス」1月号から、料理研究家河村みち子さんのレシピです。私たちは毎月およそ50種類の雑誌に目を通しますが、その中から「これは」と思う書評や商品やサービスや記事やレシピをストックして、生活、事業、学習、教育、研究など、さまざまなことに活用しています。その中でも、「ミセス」のレシピは繊細で深さがあって、勉強になります。レシピに指定されている微妙な手順が料理のうまさを引き立てるカギになっていますので、今日は材料4人前(といっても、私たちの2人前ですが)のレシピを省略せずにご紹介します。

宮﨑産の無投薬尾崎牛の切り落とし肉(200g)を食べやすい大きさに切って、70度のお湯でピンク色になるまで加熱し、水気を切ります。
オイシックスから取り寄せた、九州産フクユタカ大豆100%使用絹こし豆腐(2丁)をそれぞれ8等分に切ります。
ル・クルーゼの鍋に純米酒(大さじ2)を煮立たせ、タカラの有機本みりん(大さじ2)、播磨屋本店の化学調味料無添加薄口しょうゆ(大さじ2)、有機しょうゆ(大さじ2)、①、飛騨高山の実山椒(塩漬け)(小さじ1)を加えて2〜3分煮ます。
昆布と鰹節でとっただし汁(3カップ)を加えて、煮立ったら②を加え、再び煮立ったら味をみて、足りなければ、伊平屋の塩(垢抜けないウェブサイトですがご注文はこちらです)、粗糖(甘糖太陽)で味を調えます。
④器に③を盛り、有機長ねぎを天盛りにしてできあがり。

*  *  *

*播磨屋本店は美味しいおかきで全国的に有名(おすすめです)ですが、代表の播磨屋助次郎氏の強烈な個性でも知られています。ウェブサイトは彼の哲学が満載で、初めて見るとびっくりする人も多いと思います。彼の主張は別にして、私たちは、播磨屋氏の自分の信念を恐れずに口にする勇気と、噓のない製品を誠実に製造し続けている事業姿勢に共感しています。

▶牛肉をいったん茹でて水を捨てるのは、旨味が逃げてしまってもったいないと感じるかも知れないのですが、これは昆布と鰹の繊細な旨味を(肉のダシと混ぜずに)活かすためだと思います。この牛肉を純米酒、有機本みりん、薄口しょうゆ、有機しょうゆ、実山椒と一緒に煮ることでしっかりと味をつける一方、昆布と鰹のだし汁を加えた後、絹ごし豆腐を最後に加えるのは、お肉にはしっかり、豆腐にはあっさりした味つけをするためでしょう。薄口で繊細な昆布と鰹だし汁を基調とし、牛肉味わいにアクセントを残しながらも、だしでのばして全体のバランスをとる。この微妙で繊細な気遣いにはしびれました。インパクトのある濃い味を楽しむ料理とは対極の、薄口の中で微妙な味の変化を楽しむレシピです。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

赤いトマトとパプリカがきれいな一皿です。
スープがしみ込んだサーロインがほろほろと柔らかく口に広がり、
贅沢な気分にしてくれます。
食卓がぐんと華やぐ、オレンジとグリーンのコンビのサラダも添えて。
オーガニック白ワインの酸味と柑橘の甘味が、ドレッシングのように
ほたてとれんこんを引き立てます。

【末金典子】


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▶週末の料理は仕込みからたっぷり3時間。グヤーシュまたはグーラッシュと呼ばれるハンガリーの代表的な煮込み料理です。ニュージーランド産のオーシャンビーフのサーロインを4㎝角に切って、伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩有機粗挽きこしょうをふってビニール袋に入れ、有機赤ワインと有機パセリの茎を揉み込んで、冷蔵庫に2時間ほど置きます。

▶長時間の煮込み料理には、焦げ付きにくいル・クルーゼの鍋が威力を発揮します。バターを溶かしてみじん切りにした有機にんにくと有機たまねぎを蒸らしながら炒め、皮を湯むきした有機トマト、デルモンテの有機トマトピューレ、パプリカパウダー、2㎝角に切った石垣産赤パプリカ、有機ローリエを入れて煮ます。

オールクラッドのフライパンにラウデミオ・フレスコバルディ・エキストラバージンオリーブオイルをしいて、ムソーの有機小麦粉(薄力粉)をまぶしたオーシャンビーブの表面を焼きつけ、有機赤ワインと一緒に鍋に入れて、ここから1時間ほど煮て出来上がり。盛りつけのときに有機パセリのみじん切りを散します。

▶実は私たちが、メインのグーラッシュよりもおいしいと感じたのは、ホタテのオレンジマリネサラダです。おもろまちリウボウで仕入れたホタテに伊平屋の塩をふって、ラウデミオをしいたフライパンで強火で表面をさっと焼き、粗熱がとれてから皿に盛りつけます。

水にさらしてから茹でた薄切りレンコン、有機ディルと有機セルフィーユのみじん切り、有機白ワインビネガー、ラウデミオ・オリーブオイル、伊平屋の塩、皮を剥いて2㎝に切ったオレンジ、オレンジの汁、をボウルで混ぜてからホタテにかけて出来上がり。フライパンで軽く炒ったアーモンドを砕いて伊平屋の塩少量と一緒に上から散らします。

グーラッシュとサラダのレシピはフードコーディネーターの冷水希三子さんのもの。料理研究家の方が提案して下さるレシピを試すことの醍醐味はここにあります。自分では到底思いつかない食材の組み合わせを、驚き愉しみながら学ぶことができます。ホタテとオレンジとオリーブオイルの相性が抜群で、セルフィーユとディルを双方加えるとその相性がさらに引き立つ感じです。レンコンの食感とアーモンドのミックスも素晴らしく、これは価値のある一皿でした。

【樋口耕太郎】

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エビチリを鶏胸肉にチェンジしたアレンジ版。下処理も少なくて、エビより簡単!
ビックリするほどやわらかくてプリプリ! 何度も作りたくなるお味です。
我が家は辛味大好きなので無添加豆板醤で辛めに作ります。

【末金典子】


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宮崎県産無投薬刀根鶏むね肉をそぎ切りにして、ムソーの有機小麦粉(薄力粉)をまぶします。オールクラッドのフライパンに、オーサワの国産菜種油をしいて鶏肉を焼き付けてから、デルモンテ有機トマトケチャップ、純米酒、粗糖(甘糖太陽)無添加スープのもと無添加豆板醤、有機たまねぎのみじん切りをまぜたものを加えて出来上がり。

【樋口耕太郎】

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とろとろのアボカド&チーズがまろやか~。熱いうちにいただきます!

【末金典子】


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沖縄県産紅豚ロースの厚目のスライス(1センチ)に、伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩有機粗挽きこしょうをふり、オーサワの国産菜種油をしいたオールクラッドのフライパンで8等分に切った黄パプリカと一緒に焼きつけます。両面がこんがり焼けたところで、なめらかにつぶしたアボガド、手作りマヨネーズ、無添加練りわさびを混ぜたディップを豚肉にのせて広げ、生乳100%のピザ用チーズをのせて蒸し焼きにして出来上がり。

最高に使い勝手の良い鍋が世界的に有名なル・クルーゼですが、ディナープレートも生産しています。アボカドの淡いグリーンに濃いめのブラウンを合わせてみました。カトラリーは吉田金属工業のグローバル。グローバルといえば包丁が有名ですが、フォークナイフも切れ味抜群でソテー系の料理には使いやすいのです。

【樋口耕太郎】

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無投薬刀根鶏のうまみがしみしみの有機にんじんの彩りが美しいピラフです。

【末金典子】


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ハリオの土鍋に、龍の瞳、脂肪分を取り除いて伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩をすり込んだ宮崎県産無投薬刀根鶏もも肉、有機にんじんすり下ろしと有機にんじんの乱切り、無添加スープのもと、有機しょうゆ、おろし有機しょうが、バターを入れて炊飯します。炊けたら鶏肉を食べやすく切り、みじん切りにした有機パセリをふって出来上がり。

有機しょうが、バター、有機しょうゆの香りが、鶏のダシと混じりあって最高においしい一品です。

▶中華風スープは、水で戻した海草、貝割れ、無添加鶏ガラのもと、有機しょうゆをお湯に入れ、有機白すりごまをふります。

▶お皿は芦田淳デザインによる前畑陶器製。金彩と濃緑のラインが、有機にんじんのオレンジとたっぷり散らした有機パセリのグリーンに良く合います。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

昨日のバレンタインデーに落ち着いてディナーできなかったので
今夜はゆっくり二品作ろうと思います。
メルガレホ・ピクアル・プレミアム・オリーブオイル+有機酢醤油のさっぱりとしたソースが自慢の
ステーキに、クリーミーでほんのり甘いサラダを添えます。

【末金典子】


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ニュージーランド産のオーシャンビーフのサーロインを薄切りにして、伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩有機粗挽きこしょうをふり、フレスコバルディ・ラウデミオをしいて両面をさっと焼きつけます。

有機たまねぎの薄切り、4センチに切ったクレソンをしいた器にお肉をのせ、砕いた無添加アーモンド、ソースをかけます。ソースはスペイン産メルガレホのピクアル・プレミアムに、美濃有機純米酢粗糖(甘糖太陽)、有機しょうゆを混ぜたもの。

ステーキによく合うクレソンは、サンエーやコープではなかなか入荷してくれません。ジミー(Jimmy’s)大山店に置いてある確率が高く価格も最も手頃です。やはり復帰以前から続いているアメリカン食材と総菜中心のスーパーならではでしょうか。

▶付け合せのかぼちゃのクリーミーサラダは、電子レンジで加熱したかぼちゃに、生乳100%のプレーンヨーグルト、アメニティグループの手作りマヨネーズ、伊平屋の塩、有機粗挽きこしょうを混ぜたドレッシングに和えたもの。

▶お皿はパリのサントノレにショップを構えるアスティエ・ド・ヴィラット(Astier de Villatte)の「フルール」。パリ在住の人気アーティスト、ナタリー・レテがデザインしたシリーズです。写真左端に薄く「LOVE」の刻印が見える平皿で、一日遅れのヴァレンタイン・ディナーにピッタリです。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

今日は心熱き日・バレンタインデーですね~。
我が家はといいますと、樋口が今日は次世代金融講座の日なので
ディナーの時間までにお出かけとなってしまいますので、
バレンタインディナーは明日の日曜日までお預けということで、今日は
少しだけ手間はかかりますが、お味は格別なオムライスで楽しくいただくことに
いたします。

【末金典子】


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▶バレンタインデーの今日は夕食に時間があまり取れず、オフィシャルディナー?は明日に持ち越し。それでも、とってもおいしいレシピにあたりました。最近「当たり」の多いsyunkonこと山本ゆりさんのレシピです。どこにでもある材料で、みんなが好きな料理を提供してくれるスタイルは、私たちが大好きなケンタロウさんに少し似ています。

一流ホテルでも、有名レストランでも、素晴らしい料理をつくる方は多くいらっしゃいますが、どれだけ有名でも、どれだけはやっていても「この人は、実は、食べることがそれほど好きではないのでは?」と感じることが少なくありません。ほとんどの料理人たちは、売るためのプロであって、おいしいものをつくるプロではないのです。私たちが前のめりになるくらいに「食べたい!」と共感する料理人のスタイルは、本人がなによりも食べることが好きな人、おいしいものに目がない人、料理以上に食事を楽しんでいる人、食いしん坊な人。例えば先のケンタロウさんなどはその典型でしょう。他にも「世界一の朝食」と紹介されて有名になったビル・グレンジャーさんもそんな人ではないかと思っています。街場のレストランでも、一流レストランでも、希に「このオーナーは相当おいしいものが好きなんだろうな」というお店に出会うととても嬉しい気持ちになります。

オールクラッドのフライパンオーサワの国産菜種油(小3)を中火で熱し、有機たまねぎみじん切り(1/2個分)と有機にんにくみじん切り(2かけ)を炒め、しんなりしたら有機ケチャップ(大4.5)を加えて軽く水分を飛ばしてハリオの土鍋で炊きあがったいつもの龍の瞳(2合を炊いたもの)を加えて炒め合わせます。伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩有機粗挽きこしょう(各少々)をふって、隠し味の有機ウスターソース(小1.5)で調味して半量ずつ器に盛ります。

▶ボウルに宮城農園のEM有精卵(6個)、宮平乳業の低温殺菌牛乳(大6)、伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩(少々)、有機粗挽きこしょう(少々)を加えて混ぜます。

フライパンをきれいにしてオーサワの国産菜種油(小3)を中火で熱し、溶き卵の半量を流し入れます。まわりが固まってきたら菜箸で大きく混ぜて半熟状にし、ご飯の上にのせます。残りも同様にします。

▶フライパンを軽く拭いてバター(大1.5)を中火で溶かし、2㎝角に切った宮崎県産無投薬刀根鶏もも肉(3/4枚)を炒め、火がとおったら4〜5㎝長に切った有機ホウレンソウ(1/2束)を加えて炒め合わせ、ムソーの有機小麦粉(大2.25)をふりからめます。宮平乳業の低温殺菌牛乳(2.25カップ)を少しずつ注ぎ、混ぜながらとろみがつくまで煮ます。伊平屋の塩、有機粗挽きこしょう(各少々)、無添加洋風だし(小3/4)で味を整えてから、等分にして上のオムライスにかけて、有機粗挽きこしょうをふってできあがり。少しだけ手間がかかっていますが、それだけの価値があります。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

緑野菜を組み合わせた炒めものです。
フレッシュな有機にんにく風味をつけたいので、にんにくは最後に加えます。

【末金典子】


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▶世界最高品質ニューカレドニア産の「天使の海老」はほんとうに素晴らしい食材です。瞬間冷凍された有頭えびが送られてきますので、冷蔵庫でゆっくり解凍してからカラをむき、背中に切り目を入れて背わたを除き、有機片栗粉をまぶし、水洗いしてから水気を拭いて伊平屋の塩、有機粗挽きこしょうをふります。

フライパンオリーブオイルをしいて、アスパラガス、そら豆、絹さや、有機たまねぎを炒めます。塩、こしょう、無添加スープのもとをいれて蒸し煮に。両面を焼きつけた天使の海老、有機にんにく、無添加有機白ワインを加えて煮詰め、こしょうで味を整えて出来上がり。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

昨夜は遅い夕食でしたので今夜はあっさりとしたリゾットで。
最後にたっぷりの粉チーズを加えて、まろやかな味わいに仕立てます。

【末金典子】


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ル・クルーゼの鍋にたっぷり(60cc)のラウデミオ・フレスコバルディ・エキストラバージンオリーブオイルを入れて、有機かぶと頂き物の北海道産の鮭の角切りを炒めます。水と無添加スープのもとを加えて煮立ったら、炊きあがったばかりの龍の瞳のごはんを入れてさらに5分間煮ます。クラフトの粉チーズ伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩、有機粗挽きこしょう、有機パセリのみじん切りを加えて出来上がり。

オリーブオイルをたくさん使いますが、それだけにオイルの質の善し悪しは料理の完成度に決定的な影響を与えます。また不思議なことに、ほんとうに質のよい油は多く採ってもちっとも太りません。私は質の良い食材は燃焼効率の高い薪のようなものではないかと想像しています。暖炉に湿った薪をくべるといつまでも燃えずに残っていますが、カラカラに乾燥したおがくずをくべると大量のエネルギーを発しながら、あっという間に燃えて後には何も残りません。私たちの生きるエネルギーのすべては食べもの(と呼吸)から補給しています。質の高い燃料から質の高い人生が生まれるのは当然の理屈でしょう。

質の高い食事は、破格においしいことはもちろん、ダイエットにも効果的で、なによりも人生にパワーが漲ってきます。60ccのラウデミオはそれだけで600円の原価に相当しますが、目に見えない食材に価値あるものを使うかどうかは人生で発揮するエネルギーの量を大きく変えます。皆さんはポケットの600円を何に使いますか?料理とは人生の価値観を問われているものでもあると思うのです。

▶付け合せの有機かぶの葉と有精卵のマヨサラダは、茹でてから水気を絞った有機かぶの葉に、角切りの有精卵ゆで卵、マヨネーズ、有機しょうゆを混ぜて出来上がり。マヨネーズは先日牧港コープから買ってきたアメニティグループの製品を使ってみました。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

さすがに2月ともなるとこの沖縄でも寒~い毎日が続いておりますね~!
カゼなど体調を崩しておられませんか?

この週末は寒さも吹き飛ばす心熱きバレンタインデーですよ~。
麗王は若い女性や男性のお客様も多くいらしてくださるのですが、
どの方にも彼氏彼女がいて今ラブラブかというと、意外にそうでもなく、よく
「出会いがないんです~」
「婚活中です~」
なんてお話になるのです。
特にバレンタインデーやクリスマスなどのイベントの時には
ちょっぴり淋しい想いも抱えて麗王にいらしてくださる方もいて、
そんな時に必ずお話するのが、
「恋愛をしていない時間も、大切にしてくださいね。」
ということ。

相手に届かない気持ち。
すれ違うお互いの気持ち。
どんなに想っていても、うまくいかない「恋愛」もありますね。

自信をなくして落ち込んだり、寂しさに戸惑うこともあるでしょう。
でも、そんな時だからこそ、持つことができる時間があります。

今まで、相手のことばかり考えていた毎日が、
自分のことを見つめる時間になる。
その時になって初めて、自分の弱さや、周りの優しさに気付くのです。

1つの恋愛を終えたばかりの人も、恋愛に後ろ向きになっている人も、
今が、あなたにとって大切な時。

自分自身と正面から向き合うことができる、素敵な時間なのです。

人は必ず同じレベルの人と愛し合う、と言われます。
高いレベルの人と愛し合いたかったら、自分も高いレベルの人にならなくては。
だからこそ、一人でいる時の時間が貴重なのです。
恋愛中はお互いのことに時間を取られてしまいますが、
一人の時なら時間は全部自分の物。
映画を観たり、本を読んだり、友達と楽しい会話をしたり、
美味しいお食事を楽しんだりと、自分磨きのために自分自身に
時間や労力やお金をどんどん投資し、毎日を楽しみましょう。
そうしているうちに、うつむきがちなオーラが消えて、
あなた自身が光りだし、素晴らしい相手があなたに気付いてくれるはずです。

週末のバレンタインデーに誰もいないという方はぜひ麗王で楽しいお酒とチョコを
御一緒に。
ラブラブだよ~、という方は心ほっこりの温かな一日をパートナーと御一緒に
幸せいっぱいにお過ごしくださいね。

【2015.2.12 末金典子】

かけるだけで一品できるスグレモノの香味だれ1つで、
(みじん切りにしたねぎ、有機酢、有機醤油、有機みりん、ごま油で)
白身魚が食卓のスターになっちゃいます。
フライパンでていねいに焼きつける揚げだし豆腐や、プチトマトのサラダも添えて。

【末金典子】


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▶季節やタイミングにもよりますが、有機野菜や魚介類はサンエーハンビータウンよりも牧港コープの方が充実しているという印象が常にあります。建国記念日の休日は多少時間に余裕がありましたので、牧港まで買い出し。有機水菜、有機万能ねぎ、有機白ねぎ、有機プチトマトをはじめ、白身魚はロシア産のかれいと愛知県産の鯛(養殖)を仕入れました。

だいこんの花などを多店舗経営し沖縄の飲食業を牽引し、数年前から農業に深く関わりはじめたアメニティグループの手づくり食材のコーナーが新設されていましたので、木綿豆腐、マヨネーズなどを買ってみました。今晩の「揚げない揚げ出し豆腐」はこちらの豆腐で作りました。

▶揚げない揚げ出し豆腐は、有機片栗粉をまんべんなくまぶしてから、オーサワの国産菜種油をしいたフライパンで焼きつけたもの。有機大根おろし、有機万能ねぎといっしょに頂きました。

▶白身魚は切り身に伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩をふって、有機片栗粉をまんべんなくまぶし、オーサワの国産菜種油をしいたフライパンで焼きつけます。有機水菜、赤パプリカをしいたお皿に盛りつけて、香味だれ、有機赤唐辛子をかけて頂きます。

▶白身魚と揚げ出し豆腐の工程がほぼ同じで手間いらずだったので、今晩はもう一品、有機プチトマトと有機たまねぎのマリネを加えて三品のごちそうとなりました。スライスした有機たまねぎ、半分にカットした有機プチトマトに美濃有機すし酢宮崎県西澤養蜂場製のはちみつ、有機レモン汁を和えるだけ。

▶香味だれは、みじん切りにした有機しろねぎ、美濃有機純米酢、有機しょうゆ、タカラの有機本みりんマルホンの太香ごま油を混ぜ合わせたもの。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

お野菜入りで彩りよく、さらっと食べることができ、寒い日に元気が出る
韓国ごはんです。
龍の瞳の有機JAS米ご飯はお水でさっと洗ってぬめりを除いてから加えると、
さらっとした仕上がりになりますよ~。

【末金典子】


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ルクルーゼのココットロンド(ホーロー鍋)に、そぎ切りにした宮崎県産無投薬刀根鶏のささみ、薄切りにした有機にんじん、原木しいたけ、有機ねぎ、ユウキ食品の化学調味料無添加ガラスープを加えてアクを取りながら煮ます。次に炊きあがった龍の瞳をさっと水洗いしたもの、有機春菊、マルホンの太香ごま油、有機しょうがすりおろし、有機白いりごまを加えて出来上がり。椎茸は原木椎茸が手に入りました。菌床栽培のものと比べて香りも味もずいぶん異なります。

▶付け合せのキムチは、無添加のものが沖縄のスーパーには一切置いてありません。私たちはいつも小禄のキムチのやまだ屋さんに買いにいきます。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

相性抜群の無投薬尾崎牛と有機ごぼうに、こんにゃくの食感をプラスした
甘辛煮に、きゅうりやトマトのあっさりとした白あえを添えて。

【末金典子】


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スイスダイヤモンドのフライパンに、オーサワの国産菜種油をしいて宮﨑産の無投薬尾崎牛の切り落とし肉を炒め、肉の色が変わったら、有機ごぼう、糸こんにゃく、有機しょうがを加えて炒め、純米酒を加えます。水、有機本みりん、粗糖を加え蓋をして弱火で10分煮てから、有機しょうゆを加えてさらに10分。蓋をとって中火で鍋を揺すりながら汁が殆どなくなるまで煮詰めます。私たちはすき焼き風にして、県産EM有精溶き卵につけて頂きました。

沖縄県内で尾崎牛を扱っている小売店はありませんので、ネットで直接お取り寄せ。尾崎牛は本当に素晴らしい食材で、脂身がさらさらしていて、触っているだけで手の中で雪の結晶のように解けていきます。

▶きゅうりとトマトの白あえは、ゆでた木綿豆腐を泡立て器でつぶし、薄く小口きりにしたきゅうり、一口大のトマト、有機白すりごま創健社有精卵マヨネーズ伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩有機粗挽きこしょうであえたもの。私の好みではきゅうりをできるだけ薄く切ると食感がやわらかくなります。ごまの香りが食欲をそそり、優しくてとてもおいしい味に仕上がりました。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

きゅうりはさっと煮るとシャキシャキ感が残って美味しいんですよ~。
無投薬刀根鶏のささ身でだしをとったら、いったん取り出してほぐします。
それを戻し入れれば、ささ身も具として食べることができるんです。

【末金典子】


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▶きゅうり、有機にんじんはサンエーハンビータウンで、ザーサイはカルディ・コーヒーファームで仕入れました。きゅうりは農薬を多く散布しながら育てる野菜の典型なので、可能なかぎり有機栽培のものを入手したいのですが、沖縄ではなかなか手に入りません。今日は沖縄県産の慣行(つまり農薬)栽培もの。

▶ルクルーゼの鍋に宮崎県産無投薬刀根鶏のささみ、純米酒、有機にんじん、水を入れて沸騰したら弱火にして5分煮ます。いったんささみを取り出してから手で裂いて、ザーサイ、きゅうりといっしょに戻し入れ、伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩、有機粗挽きこしょうで味つけます。マルホンの太香ごま油有機白いりごまをふって完成。ささみとザーサイと有機にんじんのだしが合わさって、最後まで飲み干したくなるおいしいスープができあがりました。

▶ごはんはスープに合うように、グリーンリーフで買ってきた有機高菜漬けの具でおにぎりにしました。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

今日は節分。
健康と幸福を願って、おうちで手作りの恵方巻きをいただきます。
おもに関西地方の習慣の恵方巻きですが、今は全国的に有名になりました。
その年の福徳をつかさどる歳徳神がいる縁起のいい恵方の方角
(今年は西南西)に向かって、無言で福を願い、
無病息災と幸運をお祈りしながら、縁を切らないようにと、1本切らずに
丸かじりで巻きずしを食べきるのがお約束、といううもの。
私は大阪生まれなので子供の時からの風習でもあるのですが、今思えば
家族全員が同じ方角に向かって黙ってもくもくとただただ巻きずしを食べる、
というのもなんだかおかしな光景でもあります。
でもおうちで作ると、おいしいんですよ~。
今日は「鬼は~外、福は~内!」と豆まきをしてから、この海鮮恵方巻きと、
きつねうどんで、節分を過ごします。

【末金典子】


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▶末金とは違って、岩手県盛岡市育ちの私。恵方巻きという食文化は、最近コンビニやスーパーなどで盛んに宣伝をするようになるまでまったく耳にしたことがありませんでした。日本全国に認知されてきたのはここ10年くらいのことではないでしょうか。節分の今日はサンエーハンビータウンの寿司コーナーにもコンビニにも、恵方巻きが山積みになっていましたが、私が見るかぎりそれらのすべてにおいて大量の添加物が使われていました。バレンタインデー、ホワイトデー、恵方巻き・・・食文化が大手食品産業のマーケティングと経済原則によって塗り替えられていくようですが、それだからこそ手作りの恵方巻きを大切にしたいと思うのです。丁寧な食事は、収益と効率だけを突きつけてくる社会に対する私たちの「おいしいレジスタンス」でもありますから。

▶お寿司の基本は酢飯。ごはんはいつもの岐阜県下呂産「龍の瞳」(有機JAS)を、ハリオ製フタがガラスの炊飯鍋で炊いて美濃有機すし酢をまぜたシンプルなもの。具は、サンエーハンビータウンで入手した韓国近海太平洋産きはだまぐろ、宮城農園のEM有精卵の炒り卵、きゅうり、世界最高品質ニューカレドニア産の「天使の海老」(ボイルしたもの)をシンプルに合わせました。

▶100%国産小麦のうどんは、かつおと昆布のあわせダシがベース。有機万能ねぎと有精卵のEMたまごを加えました。汁を最後まで飲みたくなるおいしいうどんです。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

あさりとムール貝をオーガニック白ワインで蒸したあと、
蒸し汁にサフランを加えて龍の瞳有機JAS米を炊き上げます。
華やかな色と、香り、味を充分に出すパエリアです。

【末金典子】


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▶1984年開業、今年30周年を迎えるフランス料理の名店「シェ・イノ」(東京京橋)古賀純二料理長のレシピです。メインの食材はなんといっても有頭海老。世界最高品質といわれるニューカレドニア産の「天使の海老」をスローフード専門のハイ食材室から取り寄せました。化学的な薬品や飼料を使わずに、自然に近い環境で育てられ、最高級食材として主にフランスと日本に輸出されているブランド海老です。透き通るようなブルーの海老は他に見たことがありません。

▶北海道産のイカは頂き物ですが、その他のあさり、チリ産ムール貝むき身(冷凍)、北海道産帆立貝柱はいずれもサンエーハンビータウンで入手しました。ムール貝がむき身ではなく殻付きだとさらに良いダシがとれたと思うのですがやむを得ません。トマト、韓国産赤パプリカ、プチトマト、広島県産レモン、サフラン、岩手県産有機にんにく、北海道産有機たまねぎ、パセリはいずれもサンエーハンビータウンです。

サフランはアヤメ科の花のめしべで、独特の上品な香りを持ち、料理を優しい黄色に色付けます。1グラムのサフランを採るのに160個ほどの花が必要で、ひと花ずつ手作業で摘み取るために高価なスパイスです。街場のレストランでは、コストを抑えるためにサフランの代わりにターメリックなどで黄色く色を付けるところが多いと思いますが、料理のふくよかさはまるで別物になると思います。S&Bからは有機サフランも販売されているのですが、今日はGABANのサフランを使いました。あさり、ムール貝を有機白ワインで蒸した後、蒸し汁にサフランを加えて色、香り、味を十分に引き出します。

オールクラッドのフライパンにオリーブオイル、有機にんにくみじんぎり、有機たまねぎみじん切り、湯むきトマトの角切り、パプリカ角切りを入れて炒め、岐阜県下呂産「龍の瞳」(有機JAS)を加えてお米が透き通ってきたら、サフランを加えた蒸し汁を加えて炊き上げます。最後に有機白ワインで蒸したあさり、ムール貝、イカ、背わたをとって軽く焼いた天使の海老(有頭)、プチトマトを加えて蒸らした後、パセリのみじん切りをふり、レモンを添えて出来上がり。

私が今まで食べたパエリアの中で最高の一品でした。ごはんが炊きあがった後からシーフードを入れて蒸すのがポイントで、具がしっとりとしてみずみずしく仕上がります。

▶飲み物はケニア産有機紅茶のアイスティーに自家製粗糖のガムシロップです。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

1月も早や終わり、明日はもう節分ですね。
節分というのは、平安時代の宮中儀式「追儺(ついな)」が始まりと
いわれていて、この日は立春の前日で文字通り季節を分ける境目。
旧暦でいう大晦日なんです。それで前年の悪疫邪気払いの行事として
この「追儺」が行われていました。

では、なぜ「豆」を投げるのでしょう?
実は鬼の目「魔目」に豆を投げれば「魔滅」するからだとか。

また煎った豆でないといけないのはどうしてでしょう?
生の豆は芽が出てくるため、そこから鬼が芽を出という説や、
豆(魔目)を煎ることにより鬼を退治するという説もあるそうです。
つまり豆自体が鬼なので、外に投げ「鬼は外!」、あるいは
食べてやっつけろ!というわけですね。

さて。
あなたは、「マスターズ甲子園」という大会を御存知ですか?
私は野球のことは全然詳しくなくって、以前、藤田設計・所長代理の
玉代勢さんが麗王にいらしてくださっていた時にお話をうかがいして
初めて知ったんです。
(この玉ちゃん、高校野球の審判をボランティアで20年近くも
続けておられる方で、麗王では数限りない高校野球のエピソードを
お話してくださり、高校野球といったら玉ちゃんの右に出る人はいない
という方なんですよ~。)
この「マスターズ甲子園」。
かつて高校野球に出場した元・高校球児たちが甲子園球場を舞台に
世代を超えたOBチームを結成して再び甲子園を目指し、
野球を通しての同窓会を行いそれを生涯スポーツとし発展させ
また次世代の子供たちに野球の素晴らしさを伝えていくことを目的に
2004年から創設された大会で、別名「秋の甲子園」とも呼ばれているんです。

この「マスターズ甲子園」を舞台に、「アゲイン 28年目の甲子園」という
映画が作られ今公開されています。
http://www.again-movie.jp/

再び夢を追う不器用な父親たちの物語で、野球を通して生きる喜びを
再認識し、人生と向き合っていく姿が描かれています。
原作は直木賞作家であり、2006年から、「マスターズ甲子園」の応援団長も
つとめておられる重松清さん。主演は中井貴一さん。
主題歌が浜田省吾さんです。

元高校球児だった影もなく、バツイチで一人娘とも絶縁状態の
サビついたオヤジが主人公。そんな彼のもとに、
「元高校球児達が再び甲子園を目指すマスターズに参加しませんか?」と
一人の女子大生が訪ねてきたことから、オヤジ達の心が揺れ始めます…。

社会的には、元気がないと言われる40代、50代。
だけど、私自身、50歳を迎えた時に思ったんです。
ああ、やっと50歳になることができたな、と。
40代、50代は、親の介護を経験したり、人の生き方というものを一番
体感する時でもあり、会社の中や、社会でも自分の意見が通るように
なってきたり、いろいろな人とも繋がりやすい世代です。

だけど、男性は特にそうだと思うのですが、55歳、60歳で定年を迎える
今の日本の社会だと、男として最も脂ののっている時期に、あと何年…と
終わり方を考えなくてはなりません。40代後半、50代がなんだか
前を向くことができない社会。
人間、歳を重ねると涙もろくなると言うけれど、それはいろいろな経験を
重ねたからこそ、痛みがわかり、泣くことができるようになる、ということだと
思うのです。本来なら、40代、50代は人としてそんなふうに
いい時期なのに…。

そういうオヤジ達が再び挑む甲子園への道のりの中で、たびたび耳にするのが、
「ちゃんと負ける」という言葉です。確かに、真剣に挑んだ後の、オヤジ達の顔は
勝ち負けなんかに関係なくすがすがしい。きちんと負けることの大切さ
というものも伝わってきました。
人生の中では「勝つこと」以上に「負けること」も大切だと思います。
「勝つこと」は自信になるけれど、「負けること」は成長に繋がります。
次に勝つために負けるのです。
言い換えると、負けを知るからこそ勝つことができる。
負けを知ることで、もっと大きな何かを得るという価値観。
負けたことから逃げないという自覚。
負けっぱなしではなく次は勝つようにしようという精神性。
大切なのは闘い続ける勇気を持つことなのだと思います。

またこの映画では登場人物たちが10代の頃の後悔と向き合うのですが、
「あの時やっておけば」っていう悔いって、その頃からあるんですよね。
30代、40代も結局その繰り返し。
なので私は学習しました。
やりたいこと、やるべきことはとにかく今やろうと。
50歳から80歳まで30年。0歳から30歳までの30年を思えば、
いろんな経験を積むことができると思うのです。
年齢なんて関係ないとずっと思っていたけれど、50歳の扉って意外と重いもの。
50歳を迎えた途端、人生の終わりについてもちらりと考えてしまったり…。
以前は先を見てばかりいたけど、これからは今をしっかり生きたい、
そう思うようになりました。今をしっかり生きることが、悔いなく生きる人生に
つながるのではないでしょうか。

麗王には30代40代の方も多くいらっしゃるのですが、
20代のころに比べたら30代40代なんて何をするにも遅すぎると
思っているかもしれません。
でも、今からいろんなことができるということを忘れないでほしい。
夢なんて今さらと思わないで。
歳を重ねてから叶う夢だってあるんだから。
つらいことや大変なこともあるけれど、経験を重ねてこそ得ることができる喜びが
あるんです。
歳を取るのも決して悪くないですよ~。
山に登るように、登ってみると初めて見えてくる景色があるんです。

あなたには、再び挑みたい「アゲイン」ってありますか?

さぁ、明日は節分。
新年のエネルギーは一月ではなく二月の節分を越えたあたりに
動き始めるのだとか。つまり、節分を越えると、今年のエネルギーが非常に
はっきりしてきますので、今年の幸せに向かう目標や新しいアゲインやトライは、
この頃にまっさらな気持ちで始めてみるのもいいかもしれませんね。

私にとってのアゲインってあるかなぁ…。
実はないかも…。
だって、後悔のないように常に挑戦し続けている気持ちでいるから。
ただ、ちゃんと負けて次に勝つことは学びたいですし、
今をしっかり生きて、悔いなく生きる人生にしたいと思っています。

火曜日はあなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は~外、福は~内!」
複雑な課題の多い今日この頃、厄払いはしっかりとしたいものです。
私も邪気を払うべく、もっと元気になるべく豆を今までより少し多めに撒き、
しっかりと数え歳プラス1個のお豆さんをいただくことにいたします。
そして今年の恵方の西南西に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりするぞ~!
あなたと私の今年一年の幸せを、今日を元気に生きていることの幸せを、
心から願って。

* 麗王でも明日は「手作り恵方巻き」を御用意いたしておりますよ~。

【2015.2.2 末金典子】

かために炒めた有機キャベツに、ゴマ油と有機すりゴマの香ばしさがからんで、
お箸が止まらないおいしさです!
ゴマ油は火を止めてから仕上げに加えると、ゴマ油の香りをしっかり楽しめます。
シャキシャキとした食感が楽しいサラダも添えて。

【末金典子】


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▶私たちは毎月約50種類の雑誌に目を通しています。今日の料理は扶桑社ESSEに連載されている「クリトモ食堂」栗原友さんのレシピ。栗原さんは言わずと知れた、売れっ子料理研究家栗原はるみさんの娘さんです。巷には料理本や番組やレシピが溢れていますが、ほんとうにおいしいレシピを提案して下さる料理研究家はそれほど多くありません。その中で、「あ、この人いいな」と思える方のプロフィールを拝見すると、成功した料理研究家の子どもたちだったり、お母さんがとても料理が上手だったりすることが多いのです。

栗本友さんをはじめとして、ケンタロウさんは有名な小林カツ代さん、コウケンテツさんは韓国料理研究家・李映林さんの息子ですし、辰巳芳子さんのお母さまも料理家でした。有元葉子さんの記事を拝見すると、「父親の実家は、福島県会津若松市の400年くらい続いている醸造元で、お酒をつくったり、おしょうゆ、おみそとかをいまだにつくっていて、そこのおみそ、おしょうゆを私はずっと使っています」「 母親は長崎の医者の娘で、本当においしいものだけ食べて、おしゃれして・・・そういう娘時代を過ごしていました」とあります。有元さんが子どもの頃から質の高い食事に触れていたことが容易に推測できます。栗原はるみさんも、インタビューの中で、母親が見事な和食の作り手だったとおっしゃっています。小林カツ代さんも「食べることが大好きだったという両親に育てられたため、彼女の周りには、いつもおいしいものがたくさんあった」とおっしゃいます。

味覚は子どもの頃や若いときにとる食事によって大きく影響され、後々の人生やその子どもたちにまで重大な影響を及ぼし続けていくのではないかと思います。近年食事があまりに「便利」になったことで、家庭で丁寧に料理をする両親がずいぶん減っています。豊かな食事が豊かな社会の要素であるならば、子どもたちの世代、若い世代にできるだけ丁寧な食事を提供するような社会でありたいと思うのです。

オールクラッドのフライパンに、オーサワの国産菜種油をしいて、岩手県産有機にんにくのみじん切り、宮崎県産無投薬刀根鶏のもも肉、伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩を加えて炒めます。肉に火がとおったら、有機キャベツ、長ねぎを加え、最後にマルホンの太香ごま油を入れて出来上がり。最後に有機白すりごまをかけて頂きます。有機キャベツ、長ねぎ、ごま油はサンエーハンビータウンで。

▶私たちは一食一品が基本なのですが、週末はもう一品作ることにしています。品数が多い食事を好む方も多いと思いますが、ほんとうにおいしい料理は一品でも最高に幸せになりますし、そしていくらでも食べられますので、一品増えるだけでも相当贅沢な感じがします。セロリたっぷりの中華風サラダは、無添加のタコを薄切りにして、千切りの有機セロリ、有機にんじん、きゅうり、無添加ザーサイを、マルホン太香のごま油、美濃有機純米酢粗糖(甘糖太陽)、伊平屋島の塩で和えるだけ。丁寧に千切りするほど食感が良くなります。無添加のザーサイはサンエーハンビータウンに置いてありませんので、いつもサンエーコンベンションシティ内のカルディ・コーヒーファームに買いにいきます。

▶お皿は女性陶芸家野村晃子さんの作品です。色とりどりのサラダやキャベツの優しい色合いに合わせてみました。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

無添加明太子のうまみがきいたこくのあるホワイトソースを、有機じゃがいもに
たっぷりとまとわせます。有機じゃがいものとろとろ感に夢中になるグラタンです。

【末金典子】


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▶スーパーなどで販売されている明太子のほぼ100%は保存料などの添加物が入っています。私の知るかぎり県内で無添加の明太子を買える場所は存在しません。外食・中食産業でも添加物なしの明太子を材料にしているとこは恐らく存在しないので、めんたいパスタやめんたいおにぎりなども到底注文・購入する気にはなれません。今日の辛子明太子は佐賀県の蔵出しめんたい本舗製の天然調味料辛子明太子オイシックス経由で取り寄せ。

▶北海道産有機じゃがいもをレンジで加熱してからフライパンでバターで焼きつけ、長ねぎ、沖縄県産しめじと一緒に炒めます。伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩有機粗挽きこしょうをふって、ムソーの有機小麦粉(薄力粉)を加えて炒め合わせてから、宮平乳業の低温殺菌牛乳を加えて煮てから、最後に辛子明太子を加えます。これを耐熱の器に入れてオーブントースターで12分焼いて出来上がり。最後に無添加の海苔をちぎって散らします。今日の材料は、明太子、塩以外はサンエーハンビータウンで入手できます。長ねぎは有機のものがありませんでしたので通常のもの(埼玉県産)です。

▶サラダは、有機農家から頂き物の沖縄県産リーフレタスとトマト。ラウデミオ・フレスコバルディ・エキストラバージンオリーブオイル、有機しょうゆ、伊平屋の塩、BIOCA有機レモン果汁を混ぜるだけで、あっという間に世界最高級のドレッシングができあがります。質の高いドレッシングは、付け合せのサラダを豪華なごちそうに変える力があります。今日のリーフレタスは特に気持ちのこもった私たちの友人が育てたもので、見るからにパワーが溢れていて単なる有機野菜とは違った凄みを感じます。有機野菜だからといっておいしいとは限りません。力のある、おいしい食材は、育てる人の強い気持ちによって倍増すると思います。以前有機野菜の流通業の経営を手伝っていたときは、有機農家から納品されてくる野菜を見て、農家の体調や気持ちの起伏を感じることができました。

▶サイドの食パンは、浦添市牧港外人住宅で人気上昇中のイッペコッペの食パン。オーナーの西村剛さん、美奈子さんご夫婦が「究極の脇役を目指す」とおっしゃる通り、主張し過ぎず、しかし存在感がある、何度でも買いたくなる日常使いの食パンです。

▶飲み物はカルディ・コーヒーファームで購入した有機栽培のブラジル豆。アイスコーヒーにするときは、安価なナチュラル・ミネラルウォーターを凍らせておいたものを使います。水道水の氷とはまったく飲み物の味わいが異なります。以前は市販の有機砂糖のガムシロップを使っていたのですが、あるときから自分たちで粗糖(甘糖太陽)をミネラル・ウォーターで煮たものを冷やして使用してみたら、白糖やコーンシロップや人工甘味料とはまったく異なるあまりに優しい甘さに驚きました。以来それ以外のシロップを使う気にはなれません。空き瓶に入れて冷蔵庫で保存すると、ずいぶん長い間保存できますのでとてもおすすめです。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

有機にんにく、有機たまねぎ、有機セロリ、ブラウンマッシュルーム、有機じゃがいも、
有機にんじん、有機さやいんげんなどの温め食材たっぷりのひと皿です。

【末金典子】


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ニュージーランド産のオーシャンビーフのサーロインに伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩有機粗挽きこしょうをふって、ムソーの有機小麦粉(薄力粉)をまぶします。ざく切りの北海道産有機たまねぎと沖縄県産有機セロリ、つぶした岩手県産有機にんにくをエキストラバージンオリーブオイルで炒め、先のオーシャンビーフ、黒ビール、有機ホールトマト、有機ローレル、無添加コンソメを入れて40分間煮込みます。最後にブラウンマッシュルームを加えて塩・こしょうで味を整えてできあがり。

▶黒ビールはヱビスのプレミアムブラックサントリープレミアムモルツ黒なども良いビールだと思いますが、サンエーハンビータウンで手に入らなかったので、キリンの一番搾りスタウトを使ってみました。アサヒビール(とオリオンビール)は原材料にコーンスターチが使用されているため、私たちはいかなる料理にも利用しません。

コーンスターチは主に米国産のデントコーンから精製されています。米農務省2007年の推計によると、栽培面積ベースでトウモロコシの73%が遺伝子組換え作物で(現在はもっと比率が上がっていると思います)、日本で消費するトウモロコシの約97%が米国産である以上、相当量の遺伝子組換え作物が既に日本で消費されているのは明らかでしょう。アサヒビール、オリオンビールに使用されているコーンスターチの原材料であるトウモロコシが遺伝子組換え作物であるかどうかの表示義務はありませんので、その事実関係を確認する術はありません。ただ、以前オフレコで、(どちらとは言いませんが)上記ビール会社のある開発担当社員が、「自社のビールには米国産の遺伝子組換え作物が使用されているということについて否定できない」と私に告白してくれたことがあります。

▶付け合せのオーガニックマッシュポテトは北海道産有機じゃがいも、宮平乳業の低温殺菌牛乳、伊平屋の塩、有機粗挽きこしょうで作りました。熊本産有機にんじん、沖縄県産自然農法いんげんを添えて。

▶お皿はスウェーデン製ホガナス社のケラミック(黒)。黒いお皿はたくさんありますが、独特のつや消し漆黒の質感が料理を引き立てます。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

有機醤油、有機みりん、日本酒を煮詰めると、コクが増して
ご飯がすすむ一品に。
有機キャベツの千切りもたっぷり添えて。

【末金典子】


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▶みんな大好きな定番料理のしょうが焼きは、とてもシンプルな料理ですが、それだけにひとつひとつの素材に少し気を使うだけで、食事の楽しみがぐっとアップします。材料は沖縄県産紅豚スライス(4ミリ)、熊本県産有機しょうがすりおろし、キッコーマン特選有機しょうゆタカラの有機本みりん、純米酒、オーサワの国産菜種油のみ。

砂糖を加えるレシピもあると思いますが、みりんの甘さだけでほんのりした優しい味に仕上げるのも大好きです。有機しょうゆはいろいろなメーカーのいろいろな商品が販売されていますが、今のところシンプル?な選択に落ち着いています。

これに有機キャベツの千切りを添えます。トンカツやしょうが焼きなどに添えるキャベツの千切りなど、加熱せずにそのまま食べるものは特に、有機キャベツの甘さが最高です。買い物に行って普通のキャベツしかない日は残念です。最近サンエーハンビータウンでも有機キャベツを見かけることが多いので、とても嬉しいですね。

▶今日のお皿はウェッジウッドクイーンズプレーン。乳白色の優しさがおいしいキャベツとしょうが焼きの色を引き立てます。

【樋口耕太郎】

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無投薬刀根鶏手羽の骨からうまみを出すラーメンです。
無添加高菜漬けのチャーハンも一緒に。

【末金典子】


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ルクルーゼのココットロンド(ホーロー鍋)に水、宮崎県産無投薬刀根鶏の手羽先、岩手県産有機にんにくをつぶしたもの、北海道産有機玉ねぎ角切りを入れてアクを取りながら煮ます。もっとも刀根鶏は何度料理してもほとんどアクが出ません。質の良い食材を使うと、料理でアクが出るのが決して普通ではないということが良く分かります。にんにくとたまねぎを取り出してラーメンのスープにします。味付けはユウキ食品の化学調味料無添加ガラスープ伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩のみですが、骨付き手羽先からのダシがたっぷり出て、伊平屋の塩のふくよかさが重なって、とても優しい味になりました。麺は無添加のものをオイシックスから取り寄せて、私たちの冷凍室にストックしているものです。

ルクルーゼのホーロー鍋を使いはじめてから8年くらい経ちますが、この鍋のためにどれだけ料理が軽やかで楽しくなったことでしょう。使えば使うほど素晴らしい鍋で、世界中で絶大な人気があるのが良く分かります。日本では直径24センチまでしか販売していないようですが、私たちは16センチから大型30センチまで揃えて、料理の種類やイベントごとに使い分けています。

▶無添加高菜漬けのチャーハンに使うごはんは、岐阜県下呂産「龍の瞳」(有機JAS)を、ハリオ製フタがガラスの炊飯鍋で炊いたもの。冷や飯でチャーハンを作る人も多いと思いますが、炊きたてのごはんを惜しげなく使うのがおいしいのです。

沖縄のスーパーでは無添加の梅干し、漬け物はほとんど置いていません。今日の高菜漬けはグリーンリーフで購入しました。

【樋口耕太郎】

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さっと焼きつけた柔らかい紅豚で、有機ピーマンや有機玉ねぎやしめじの
炒めものを巻いて食べても美味しいです。
サラダのにんじんのあえごろもは無添加クリームチーズを加え、こくをプラスします。

【末金典子】


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▶沖縄県産ピーマン、しめじ、北海道産有機たまねぎをオーサワ国産菜種油で炒めて、伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩有機粗挽きこしょうを振ります。

▶沖縄県産紅豚に伊平屋の塩、有機粗挽きこしょうを振って、ムソーの有機小麦(薄力粉)をまぶして、軽く焼き色がつくまで両面を焼きます。小麦粉をまぶしてから焼くと、こっくり+カリカリの独特の食感になるので、私たちは大好きです。私たちは、つなぎの小麦粉の質は重要だと考えています。目に見えない、安物を使っても誰も気がつかないような食材こそ丁寧に選ぶことで料理全体に大きな影響を与えると思うからです。だいいち、たいした分量を使いませんので、多少高価な食材を使うには最も適当だともいえるでしょう。

▶有機粒マスタードのソースは、紅豚を焼いたあとのフライパンに、フランス産エバーナットの有機粒マスタードと水を加えて半分くらい煮詰めてから四葉バターを溶かしたもの。ソースをかけたお肉で野菜を包むようにして食べるとさらにおいしいのです。野菜のソテーの控えめな味付けがぴったりです。いずれの食材もサンエーハンビータウンで入手できます。

▶付け合せは、熊本県産有機にんじんの乱切りを茹でて、電子レンジで加熱した絹ごし豆腐とクリームチーズを潰しながら混ぜて、塩こしょうで味を整えたもの。有機パセリを軽くふります。クリームチーズと豆腐の組み合わせは意外にさっぱりしています。クリームチーズは泣く泣くクラフトのフィラデルフィアクリームチーズを使いましたが、安定剤としてローカストビーンガムが添加されているので、次回以降は無添加のものを本土から取り寄せることにしました。

▶私たちは食器も食事の重要な一部だと思っていますので、料理に合わせて毎回使用するお皿を変えています。今日のお皿はフィンランド製イッタラ社オリゴ。お食事と付け合せの色合いに合わせてみました。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

もやしとエビだけなのに、見た目もお味もインパクト大の生春巻きです。
無添加ナンプラー、有機酢、タバスコ、有機にんにく、粗糖の
甘辛い有機ケチャップソースでいただきます。今日は温かいラーメンも一緒に。

【末金典子】


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▶生春巻きの具にはニューカレドニア産の「天使の海老」をスローフード専門のハイ食材室から取り寄せました。化学的な薬品や飼料を使わずに、自然に近い環境で育てられ、最高級食材として主にフランスと日本に輸出されているブランド海老です。日本では高級料亭で刺身に使われているほど。注文すると冷凍されてキロ単位で届きますが、すべてを解凍しなくても1匹ずつ取り出せるため家使いにはとても助かります。ハイ食材室はオイシックスに加えて、最近私たちの利用頻度が上がっているネットショップです。生春巻きの皮、もやしはいずれもサンエーハンビータウンで。

▶生春巻きのソースはデルモンテ有機トマトケチャップ、水、24ヶ月発酵熟成させたトラチャンの無添加ナンプラー美濃有機純米酢粗糖(甘糖太陽)、岩手県産有機にんにくすりおろし、タバスコを混ぜたもの。無添加のナンプラーはカルディコーヒーファームで仕入れました。それ以外はサンエーハンビータウンで入手できます。

サンエーの各店舗の中でも、有機食材、無添加食材が充実しているのは那覇メインプレイス、宜野湾コンベンションシティなど一部の大店舗に限ります。小規模店や食品館ではまったく品揃えがなく、大山店くらいの規模でも私たちが購入するものはほとんどありません。例外的に中規模店のハンビータウンでは大店舗に匹敵するか、ときにはそれ以上の取り扱いがあるのですが、オーガニックに対する意識の高い米国人が多い中部地区の特性が反映されているのかもしれません。米軍属(米兵とその家族)は可処分所得が高いため、質の高いものであれば高い価格帯で飛ぶように売れます。それとも、ひょっとしたら、私たちが毎日のように利用するサンエーハンビータウンで、有機野菜などの取り扱いをするよう相当な頻度で投書していることも少なからず影響しているかもしれません。

▶しょうゆラーメンは無添加のものをオイシックスから取り寄せて、私たちの冷凍室にストックしているもの。食材を大量に扱うようになってから、冷蔵庫のフリーザーでは足りなくなり数年前に別途冷凍庫を購入しました。台風のときはいつも、停電が長引いて食材が溶けてしまわないかが心配になります。

▶飲み物は、生春巻きにあわせて有機ジャスミンティーを淹れました。サンエーハンビータウンのオーガニックコーナで入手できます。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

本日沖縄タイムスに私のインタビューを基にした記事を掲載頂いた。経済部の座安記者は、長時間にわたる私の複雑な話を本当にうまくまとめて下さった。

*   *   *

おおよそ10年に一度、沖縄に津波のように押し寄せる投資バブルが、昨年あたりから再来している。今回の波は、2005年〜2007年のファンドバブル以来。

日米で長らく金融事業に関わってきたが、その間もっとも重要視してきたことのひとつは、「金融とは事業の黒子であるべき」ということ。社会は人が作り上げる事業によって支えられている。人が生み出す本質的な事業価値のために力を貸す、金融は「ブースター」として存在するべきであり、車の舵取りとメインエン ジンはあくまで事業者のものだ。

逆説的だが、金融が「ナンバー2」に徹することで、金融収益も最大化するというのが私の考え方だ。これまでその哲学を貫くことで大きな金融収益が生まれる経験を何度もしてきたし、その度に確信を強めてきた。

ところが、1995年頃からだったと思うが、資本市場を中心に、金融が事業をコントロールし始め、事業はどんどん持続性を失っている。特に2000年を超える頃から、事業会社でも、不動産でも、開発案件でも、資本市場や金融ファンドが社会に大きな影響力を与えるようになった。金融主導で事業が設計され、商品が作られ、従業員が雇用される。こんな社会に持続性はないと思うのだが、この傾向はいまのところ拡大する一方で、それに呼応するように社会の歪みが次々 と顕在化している。

日本において、そして沖縄において、2000年頃を境に生活保護者が急増しているのは、このことと無関係ではないと私は(密かに)考えている。

【樋口耕太郎】

バーボンウイスキー&有機黒コショウや赤とうがらしやパプリカパウダーといった
スパイスでマリネした無投薬刀根鶏のソテー。パンチのあるお味ですよ~!

【末金典子】


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▶いつもの宮崎県産無投薬刀根鶏はいろいろな食べ方を試みましたが、「焼き」が特においしいと感じます。いちばん素材の良さが活きるからでしょうか。骨付きもも肉に伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩をすり込んでから、スパイシーなマリネ液に1時間以上つけ込み、フライパンで焼きつけます。

スパイシーマリネ液は、有機しょうが、有機にんにく、有機長ねぎ(各みじん切り)、有機粗挽きこしょう、有機赤唐辛子、パプリカパウダー、粗糖(甘糖太陽)にバーボンウィスキーを混ぜたもの。バーボンは古いワイルドターキーを使いました。

刀根鶏はじっくり育てられているために肉が大きいので、料理にも時間がかかります。焼きつけてから火を止めて余熱で火を通すまで1時間ほどじっくりと時間をかけました。

有機イタリアンパセリを添えて、広島産のレモンをたっぷりしぼって頂きました。今日の食材はほとんどサンエーハンビータウンで入手できます。

▶ごはんはいつもの龍の瞳ハリオの土鍋で炊きましたが、有機いりごまをかけると、スパイシーチキンのエキゾチックな感じに合って、食事がさらに楽しくなります。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

鶏の胸肉は柔らかいのでピカタがおすすめ!
無添加マヨネーズのこくのある有機ごまソースで元気にいただきます。

【末金典子】


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▶溶いた宮城農園のEM有精卵に、クラフトの粉チーズと有機パセリのみじん切り(いずれもサンエーハンビータウンで入手)を混ぜて作った卵液に、宮崎県産無投薬刀根鶏のむね肉を絡めてオールクラッドのフライパンで焼きつけます。

▶むね肉のピカタにかける有機ごまソースは、創健社の有精卵マヨネーズデルモンテ有機トマトケチャップ有機すりごま有機ウスターソースを混ぜたもの。有機ケチャップ、有機すりごま、有機ウスターソースはサンエーハンビータウンで入手できます。有精卵マヨネーズは牧港コープで。

▶飲み物はドイツ産のナチュラル・ミネラル炭酸水ゲロルシュタイナー。ミネラルがたくさん含まれている硬水は飲みにくいのが難点ですが、炭酸の硬水はすっきりしていてとても飲みやすく、私たちは常備して愛飲しています。サンエーハンビータウンで購入できます。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

クリーミーなかぼちゃのソースをからめた、カフェ風のパスタです。
常備菜にしてもおいしいピクルスも添えて。

【末金典子】


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▶ペンネはイタリア産有機デュラム小麦セモリナ原料のオーガニックパスタグリーンリーフで購入。ペンネは表面に細かい溝があってソースが絡みやすいので、クリームソースと合わせることがよくあります。今回もその一品。

▶フライパンにオリーブオイルをしいて、岩手県産有機にんにくみじん切り、しめじ、無添加のハーブソーセージを炒め、ゆであがったペンネを加えます。電子レンジで過熱した後で皮を取り除いて柔かつつぶしたかぼちゃ、低温殺菌牛乳、伊平屋の塩、有機こしょう、無添加洋風スープの素を混ぜたものをパスタに和えて完成。

▶牛乳は毎日使いなので、毎回送料をかけて取り寄せるよりも手軽に入手できるものを選んでいます。サンエーハンビータウンでもっとも質が高いと思えるのは、大正8年創業宮平乳業の低温殺菌牛乳です。通常市販されてる牛乳のほとんどが130度で2秒加熱する高温殺菌ですが、宮平低温殺菌牛乳は65度30分かけてゆっくり加熱殺菌したもの。牛乳のタンパク質などは熱で変質しますので、低温で殺菌することで生乳本来の風味が残ります。

その他、沖縄県内で入手できる低温殺菌牛乳は、リウボウ本店の地下食品売り場においている島根県木次乳業木次パスチャライズ牛乳など。木次牛乳は低温殺菌(パスチャライズ)であるだけでなく、乳牛の自然な飼育方法に強くこだわる良心的なメーカーとして全国的にも有名です。ただし一般にリウボウは価格設定がかなり高めなので、同じ商品がネットではずいぶん安く入手できたりします。一定量まとめて購入すると送料が無料になるサービスなどがありますので、その際はネットの方が割安になります。

▶ソーセージは添加物の代名詞のような商品で、沖縄の大手スーパーで販売されているものにはほとんど例外なく大量の添加物が含まれています。一方で、無添加を謳っているハム、ソーセージは、どうもあまりおいしいものがないという印象です。私たちの強いこだわりは、どれだけ安心安全であっても、おいしくなければ意味がないということ。体に良いからといって、味気ない食事をするような人生はまったく納得がいきませんし、そもそも、そんな食事が本当に体にいいのでしょうか?いろいろ試した結果、現時点でおいしいと思える無添加ソーセージは、北海道食創造さんだかんの無添加ソーセージです。原材料は、北海道産豚肉、塩、はちみつ、香辛料、ハーブ(パセリ、マジョラム)のみ。私が知るかぎり沖縄ではグリーンリーフで取り扱いがあります。

▶つけあわせはカリフラワーのはちみつピクルス。耐熱ボールにカリフラワー、イタリア産有機白ワインビネガー、はちみつ、伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩を混ぜ入れ電子レンジで加熱します。はちみつは、もちろん蜜蜂がつくるものですが、近年世界的に蜜蜂が大量に死滅する原因不明の蜂群崩壊症候群(CCD: Colony Collapse Disorder)が問題視されており、自然な環境からとれるはちみつに対する関心が高まっています。またはちみつは、価格を抑えるために質の低いものも少なくありませんので、決して価格では選ばないようにしています。今日のお料理には頂きものの宮崎県西澤養蜂場製のはちみつを使いました。本当のはちみつは、蜜蜂が蜜を集める花の種類によって香りと味わいが異なります。

▶サイドの食パンは、浦添市牧港外人住宅で人気上昇中のイッペコッペの食パン。オーナーの西村剛さん、美奈子さんご夫婦が「究極の脇役を目指す」とおっしゃる通り、主張し過ぎず、しかし存在感がある、何度でも買いたくなる日常使いの食パンです。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

有機レモン入りのねぎ塩だれは、さっぱりとした味わいです。
お塩はもちろん野甫の塩で。
「炉端大将・炙家」でじゅじゅうお肉を焼いて、
磯の香りの塩蔵の鳴門わかめとともに、葉野菜に包んでいただきます。
無添加のたらこに香味野菜や唐辛子を加えた、風味の良い一皿も添えて。

【末金典子】


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▶お休みの日の今晩は、ニュージーランド産のオーシャンビーフの焼き肉を、水で洗った鳴門産塩蔵(えんぞう)わかめ、特製ネギ塩ダレをサンチュに包んで頂きます。オーシャンビーフのステーキ用厚切りリブプレミアムを焼き肉用に薄く切って使います。

素材の味をぐっと引き立てるネギ塩味は私たちの大好物です。ネギのみじん切り、BIOCA有機国産レモン果汁伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩、有機粗挽きこしょうを混ぜるだけ。レモンの酸味と塩の味わいが絶妙な塩ダレで食べる焼き肉は格別でした。

▶今日はサンエーハンビータウンで有機かぶが手に入りました。有機かぶの水気をしぼって、無添加たらこ、すり下ろした岩手県産有機にんにくと熊本県産有機根しょうがで和え、有機しょうゆ、有機一味唐辛子を混ぜ合わせます。たらこといえば添加物。県内のスーパーに売っているたらこ(明太子)で無添加のものは存在しないのではないでしょうか。調味料(アミノ酸等)、甘味料(ソルビット)、酸化防止剤(V.C)、着色料(赤102、黄5、赤3)、発色剤(亜硝酸Na)などがごく普通に添加されています。ですから、街場でもホテルでも、明太子パスタ、明太子おにぎりなどはとても食べる気になりません。

私たちは明太子メニューの場合は、100%取り寄せた材料を使用します。今日の食材は佐賀県の蔵出しめんたい本舗製の天然調味料辛子明太子オイシックス経由で。この会社は添加物を含んだ商品も数多く販売していますが、一部無添加の商品も作っています。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

名古屋名物、手羽先のから揚げを、食べやすく無投薬刀根鶏モモ肉で
アレンジしました。甘辛の味つけが食欲をそそりますよ~。

鶏肉は1枚丸ごと少なめの菜種油でカラリと揚げ焼きにするのがポイントです。
【末金典子】


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▶今日のレシピは、ESSE(エッセ)からコウケンテツさんの一品。彼のレシピは本当にはずれがありません。片栗粉をつけて揚げたカリカリさくさく感と、優しいタレと、白すりごま、レモンのミックスは絶品でした。

宮崎産無投薬平飼いの刀根鶏のもも肉に伊平屋の伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩有機粗挽きこしょうを少し振って、片栗粉をたっぷりまぶします。私たちはフライパンで揚げ物をすることが多いです。浅い油で揚げても十分おいしく出来上がりますので質の高い油を節約できますし、いつでも新鮮な油で揚げることができます。菜種油はいつものオーサワ国産菜種油。国産菜種は供給量の1%に満たない希少なものですが、その菜種の一番搾り油です。

▶岩手県産有機にんにく摺り下ろし、有機しょうゆ、純米酒、有機栽培米100%を使った有機本みりん粗糖(甘糖太陽)、水を小鍋でひと煮立ちさせたタレをかけ、有機白すりごま、有機こしょう、国産レモンをふって頂きます。いずれの材料もサンエーハンビータウンで入手できます。あまりのおいしさに、「このまま永遠に食べていたい」と感じるほどです。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

有機にんにくとパセリの風味がくせになる肉巻きです。

焼きたてを、有機醤油、はちみつ、有機白ワインビネガーをひと煮立ちさせた
たれでいただきます。

【末金典子】


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宮﨑産の無投薬尾崎牛が「今日なに食べた?」シリーズ初登場。牛は鶏や豚と比べて高価な食材ですが、だからといって質を落としたくはありません。そこで、家庭の日常使いには部位とメニューをうまく組み合わせて利用します。今回のレシピはもも薄切り肉の指定でしたが、切り落とし肉を使いました(単価が倍違います)。沖縄県内で尾崎牛を扱っているお店はありませんので、ネットで直接お取り寄せ。尾崎牛は本当に素晴らしい食材で、料理しているときからその違いが実感できるので、料理がさらに楽しくなります。見た目にも洗練され、脂身がさらさらしていて、触っているだけで手の中で雪の結晶のように解けていくイメージです。今回の香味肉巻きも、一口食べて「口の中で蒸発したのでは?」と感じるくらい軽やかに仕上がりました。感動的。

▶フライパンにカルピス特撰バターを溶かし、北海道産有機たまねぎ、岩手県産有機にんにく、パセリのみじん切りを炒めます。伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩有機粗挽きこしょうを振ってからいったん冷まし、有機小麦粉を振った尾崎牛で巻くように包んでから、フライパンで時々ころがすようにして5分焼くとできあがり。お肉に小麦粉を振ってから焼くと、カリカリ感とこっくり感が出るので私は大好きです。このつなぎの小麦粉は、ムソーの有機小麦(薄力粉)をサンエーハンビータウンで購入したもの。良質な食材を多く揃えているオーガニックのパイオニア、ムソー商事は国産有機小麦も扱っていますが、こちらはサンエーハンビータウンでの取り扱いはありません。

▶レシピでは、有機しょうゆ、はちみつ、イタリア産有機白ワインビネガー(いずれもサンエーハンビータウン)をひと煮立ちさせたものをかける、とのこと。私たちは写真のように、サイドに用意してお肉を漬けながら頂きましたが、正解だったと思います。安物食材をつかって濃いソースで食べるよりも、素材が素晴らしいほどに、ソースは主張しない方が楽しい食事になると思います。結局、有機しょうゆと有機純米酢をまぜただけのシンプルなタレの方がおいしいと思いました。

ところで、はちみつは体に優しいというイメージがありますが、一般にスーパー販売されているはちみつは劣悪なものが多く、内容を吟味して選ぶ必要があります。今日は詳しく書く時間がないので、次の機会に。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

無投薬の刀根鶏と椎茸をこんがり焼き、
メープルシロップと日本酒と有機醤油の甘じょっぱい漬けダレに漬け込み、
海苔をちらしたご飯にのせ、無添加梅酢漬けのしょうがを添え、
七味唐辛子をかけていただく丼です。

【末金典子】


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▶今日の料理は料理研究家として第一人者の一人有元葉子さんのレシピです。毎日違うレシピを試していると、レシピを提供する料理研究家の方々の料理に対する姿勢と、経験の深さと、センスの違いがだんだんわかるようになってきます。数多くの料理研究家が様々なメディアに登場しますが、素晴らしいと思える方はそれほど多くはありません。私たちのお気に入りは、有元葉子さんを始め、コウケンテツさん栗原はるみさん辰巳芳子さんなど。ケンタロウさんも素晴らしかったのですが、バイク事故にあわれて今はリハビリに専念されているようです。

▶どんぶりの最後にのせる紅しょうがは、創健社のものをグリーンリーフで購入。もちろん化学調味料、着色料、保存料無添加。国産しょうがを、国産特別栽培の梅から作った梅酢、国産しそ、にがりといっしょに漬けたもの。スーパーで販売されている紅しょうがのほとんどは着色料で赤く染まっています。この紅しょうがはたこ焼き、お好み焼き、焼きそばなどに使っても、さぞかしおいしいと思います。

宮崎産無投薬平飼いの刀根鶏のもも肉と椎茸を網焼きします。有元さんのレシピでは網焼きと指定されていましたのでその通りにじっくり焼いてみたところ(焼き上がりまで少し時間がかかります)、なるほどフライパンなどで焼きつけるのとまったく異なるふっくらした焼き上がりになります。理想を言うならば炭火焼にしたいところですが、家庭では網焼きにするだけでも料理がぐっと盛り上がります。

焼き上がった鶏と椎茸を、純米酒を煮立ててからカナダ産ナチュラルメープルシロップ、有機しょうゆを加えた漬けダレに漬け、焼き海苔をちらしたごはんにのっけて、七味唐辛子を振ります。しょうゆと砂糖ベースの照り焼きダレと比べて、メープルシロップの方がぐっと優しい味になります。有元さんならではの選択といった感じ。

▶椎茸は原木椎茸の方が断然おいしいのですが、残念なことに今日は入手できませんでした。よって、菌床栽培の椎茸です。

▶ほうれん草のお味噌汁は、チョーコーの有機麦味噌で。味噌は米味噌、麦味噌、麦米合わせ味噌などがありますが、私たちは麦味噌の優しさが好きです。サンエーコンベンションシティで手に入ります。なぜかサンエーハンビータウンにはおいていません。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

無添加えびや紅豚が入って、お野菜もたっぷりの五目うま煮。
いろいろな素材のうまみを、とろみあんがまとめてくれます。

具に入れるきくらげは九州産の物を使っています。
ひじきやわかめもそうなのですが、中国産と国内産とでは価格が何倍も
違ってきます。
安全性も大事ではありますが、お味にもぐんと差が出てきますので
国内産のものを使いたいものです。

炒めたあと少し蒸し煮にして、素材のおいしさを引き出す一品です。

【末金典子】


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▶むきえびは、普通のスーパーでは、冷凍のものであっても酸化防止剤などの添加物が含まれていないものはほとんど置いてありません。私たちはえびのメニューのときはオイシックスから取り寄せます。最近のネットショップは、食品の成分表示が明記してあるものが多く、注文する際に添加物の有無や原材料の詳細を確認できます。

▶豚肩ロースはいつもの沖縄県産紅豚マルホンの太香ごま油をしいて、有機しょうがのみじん切りを炒めたフライパンの上に、一枚一枚(手早く)広げて焼きつけます。色が変わる頃まで広げておくと、その後他の具と混ぜた後でもお肉がひらひらして、私はこの食感が好きです。

フライパンは、オールクラッドスイスダイヤモンドを併用していますが、最近はオールクラッドの方がお気に入り。

▶きくらげは国産と中国産では価格が3倍くらい違いますが、私たちは選択肢があれば必ず国産を選びます。純粋においしいと思うからです。

▶ヤングコーン水煮、うずらの卵水煮は(できるだけ)添加物のないものを選びます。いずれもサンエーハンビータウンで。ヤングコーン水煮はクエン酸が添加されていました。クエン酸は毒ではないと思うのですが、それでも選択肢があれば無添加のものを選びます。

クエン酸はレモンや梅干しにも含まれている酸味の成分で、食品の酸化を防ぐために添加されることがあります。とはいえ、レモン汁のクエン酸と、でんぷんや糖を発酵させて工業的に精製するするものが同じであるとは、私たちには思えないのです。

また、「酸化防止剤(ビタミンC)」と表示されているものがあります。食品に添加されている「ビタミンC」は、でんぷんを加水分解してグルコース(ブドウ糖)を作り、そのグルコースを発酵させて化学的に合成されるアスコルビン酸のことです。化学式はビタミンCと同じなのですが、やはり私たちにはレモン汁と同じものだとは思えないのです。ペットボトルのお茶にはほとんどアスコルビン酸が添加されていますが、直接お湯を湧かして淹れたお茶とは味わいがまったく変わってしまっていて、私にはとても飲めません。

▶オイスターソースは、無添加の商品はサンエーハンビータウンにも、牧港コープにもありません。ユウキ食品の化学調味料無添加オイスターソースは増粘剤(加工でんぷん・キサンタン)が添加されているため敬遠しています。キサンタンも毒ではないと言われていますが、とろみをつけるためにわざわざ添加しなければならないのは、そもそもまっとうな製法で作られていないからではないかと推測しています。サンエーコンベンションシティ内にあるカルディコーヒーファームにあるメガシェフを使うことが多いです。中のソースが出づらくて少し不便ですが。

▶今日のお皿は、五目うま煮の色合いに合わせて、フィンランド製アラビア社のアピラです。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

アメリカでは過去50年で結婚率が20%低下。4割は、結婚制度が社会的な機能を失いつつあると考え始めている。

この傾向は特に低収入層に顕著で、過去のパターン(高収入・高学歴ほど結婚しにくい)と逆転している。現在、30歳までに結婚する確率は、大学卒の方が高くなっている。

・・・味気ない言い方だが、男性の収入が減少していることが原因だろう。あくまで一般論だが、女性は収入優先。男性は容姿・服従優先。どちらにとっても人間性は二の次のように見える。超・資本主義が進み、男性の収入が減って、女性の要求を満たすことができなくなれば、婚姻率が減少するのは当然だ。

仮に、男性の収入減が婚姻率低下の原因ならば、結婚という制度はお金が介在しなければ成り立たないのだ。そんな機能はなくなっても構わないと思う。

そもそも婚姻制度は愛とは無関係だ。皮肉な言い回しで恐縮だが、私が知る限り、結婚で不幸になっている人は五万といるが、離婚して後悔している人はあまり見たことがない。できの悪い冗談のようだが、結婚の90%は過ちで、離婚の100%は正しい。それは結婚の多くが、愛を目的としていない関係になってしまっているからだろう。

逆に、本当に愛に生きるのなら、なぜ婚姻制度が必要なのだろう? 結婚という仕組み自体が、男女という最も重要な人間関係から愛を奪っているということはないだろうか?

女性の悩みを聞いていると、いかに稼ぎの良い男性を見つけるか、という話になりがちだ。しかし、男性はこれを批判できるだろうか? 対象が異なるだけで、これは男性の仕事に対する姿勢と瓜二つだからだ。男性も女性も、結局「お金」「安定」のために、本当に大事なものを二の次にして生きている。

結婚相手を探すとき、私たちはとかく相手の条件を検討する。そして、自分の状況と刷り合わせて妥協する。そろそろ子供を生みたいし、親がうるさいし、これ以上良い人が現れそうにないし、待つのに疲れてしまったし、相手が好きだといってくれるし・・・ 自分の愛はいつも二番目だ。

世の中はとてもうまくできていて、この人「でも」いいか、と妥協すれば、相手からも必ずこの子「でも」いいか、と妥協される関係になる。そんな人間関係が継続するためには、お金か子供でもいなければ成り立たないのは当然だろう。

本当に深みがあり、継続する人間関係を求めるのならば、「相手の人生を、そして二人の人生をどれだけ豊かにできるだろうか。そして、そのために自分は何ができるだろうか」、と問うべきだろう。

結婚に限らず、人間関係の価値とは「1+1>2」が成り立つかどうか。それ以外に二人でいることの理由はないと思う。

【樋口耕太郎】 (2010年11月24日のツイッターより再掲)

昨夜は晩ごはんがとても遅かったので少し軽めに、
有機赤とうがらしのピリッとした辛みで味を引きしめる炒めものと、
有機麦味噌のおみそ汁、有機納豆のお夕食です。

【末金典子】


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▶材料の有機トマト、国産無添加ちりめんじゃこ、県産EM有精卵溶き卵、島根県産有機赤唐辛子、岩手県産有機にんにくみじん切り、乾燥わかめはサンエーハンビータウンで手に入ります。ちりめんじゃこは添加物が含まれているものが少なくありませんので、ひとつひとつ確認して選びます。

調味料は伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩ラウデミオ・フレスコバルディです。食材は和食なのですが、味付けはにんにく、塩、オリーブオイル、唐辛子と、ペペロンチーノ風でなかなかエキゾチックに仕上がりました。

いつものことですが、伊平屋の塩、ラウデミオ・フレスコバルディを使うことで、料理全体の豊かさがまるで違ってきます。特にラウデミオは高価な食材ですが、それでも価値があると思うのです。

ところで、日本で一般に言う「ペペロンチーノ」とは、イタリアではアーリオ・オリオ・ペペロンチーノ(aglio, olio e peperoncino)と呼ばれ、それぞれにんにく、オリーブオイル、唐辛子の意味です。つまり、元の意味ではペペロンチーノ=唐辛子。なるほど、私もこの原稿を書くまで知りませんでした。

▶私は子どもの頃から納豆をたっぷり食べられる食事に憧れていました。大人になって好きなだけ食べられるのが嬉しいかぎりです。有機納豆はサンエーハンビータウンで入手できます。いろいろな種類を試してみましたが、それぞれ味がずいぶん違います。

国産「大豆」納豆か、アメリカ産「有機大豆」納豆かでは迷いますが、今のところ後者をよく使っています。大豆は国内自給率が数パーセントしかなく、消費量のおよそ8割がアメリカからの輸入です。しかし、アメリカ産大豆のおよそ8割は遺伝子組み換え作物だと言われていますので、「遺伝子組み換えでない」と表示されていることを確認して購入します。サンエーに国産有機大豆納豆の登場を待ちたいところです。

ところで私たちは、食材で国内産か海外産の選択肢がある場合は、価格をほぼ度外視して可能なかぎり国内産のものを利用しています。例えばにんにくは国内産と中国産では価格が10倍近くも差があるときがありますが、やはり国内産の香りでは勝負にならないと思っています。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

有機にんにく・青じそ・有機玉ねぎ・国産レモン・
エキストラバージンオリーブオイル・有機醤油・野甫の塩・有機胡椒で作る
洋風の特製ドレッシングでかつおをモリモリいただきます。
ズッキーニやみょうがのあえものも添えて。

【末金典子】


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▶牧港コープで仕入れた高知県枕野崎産かつおのたたき(解凍)に、特性ドレッシングをかけます。この特製ドレッシングの原材料の組み合わせがなんとも絶妙。有機にんにく(すりおろし)、青じそ、有機たまねぎ(みじん切り)、国産有機レモン、エキストラバージンオリーブオイル、有機しょうゆ、野甫(伊平屋島)の塩、有機粗挽きこしょう、という組み合わせは、やはり自分では決して考えつきません。

国産有機レモンは、サンエーハンビータウンで時々入手できますが、手に入らないときも多いので、そんなときはBIOCA有機レモン果汁が便利です。エキストラバージンオリーブオイルでカツオのたたきがぐっと洋風になりますが、ドレッシングのオリーブオイルは絶対にケチらない方が人生が豊かになるというのが私たちの考えです。

▶お休みの日は、メインの他にもう一品用意するのが私たちの楽しみ。ズッキーニの塩昆布あえは、有機ズッキーニ、みょうが、無添加塩昆布、伊平屋島の塩、有機醤油で作ります。ズッキーニもみょうがも個性があって素晴らしい食材ですが、塩昆布と組み合わせると今まで経験しなかったおいしさになります。

▶昆布と鰹の合わせだし絹さやのお味噌汁に山椒(粉末)を振りかけて、龍の瞳のごはんと一緒に。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

友人から強く勧められてお正月休みに『インターステラー』を観た。ハリウッドのSFX娯楽映画の類いだろうと高をくくっていたのだが、予想は心地よく裏切られた。私の中ではこの10年間で最高の映画だったかも知れない。価値のある映画は、見かけとはまったく異なる意味を持っている。

料理の完成度は素材の質を超えることができない。映画も同様で、良い作品は良い脚本からしか生まれない。理論物理学者のキップ・ソーンが製作総指揮を務め、脚本家のジョナサン・ノーランは執筆のためにカリフォルニア工科大学で相対性理論などを学び、脚本完成までに実に4年間をかけた。

ソーンによると、「ワームホールやブラックホールを物理学的に正確に描いた映画は今までなかった」という。「本作品のワームホール、ブラックホールの描写は、アインシュタインの一般相対性理論に基づいて可能なかぎり正確に表現されている」のだそうだ。SFと言っても、Science Fictionではなく、Science Factと言えるかも知れない。

*   *   *

映画では「次元」の不思議な作用がひとつのカギになっている。舞台は、地球が人類の生存に適さなくなりつつある未来。新たな居住地(惑星)を探すため に、マシュー・マコノヒー、アン・ハサウェイらが演じる科学者、宇宙飛行士がワームホールを通って宇宙を探索する。ワームホールの入り口を土星近くに「用意」するなど、人類を助けようとする「何ものか」がいるのだが、この「何ものか」は、映画の後半になって、高次元に存在する自分自身であることが明らかになる。

「次元」とは科学の言葉だが、私たちの日常においても概念的にほぼ同じ使われ方をする。「次元の高い人」は「次元の低い人」の行動や意図をほとんどすべて理解するが、「次元の低い人」は「次元の高い人」の言葉をほとんど理解できないだけでなく、「次元の高い人」から受け取った「正しい」情報をまったく異なる(つまり誤った)解釈によって、誤った結論を導き出す。

「高い次元の人」が「低い次元の人」の役に立とうと思うとき(「高い次元の人」が「低い次元の人」を愛するとき)、「低い次元の人」が理解できる水準まで情報の質を落として、「低い次元の人」を導く必要がある。「低い次元の人」は「高い次元の人」に対して「なぜ真実を伝えてくれないのだ」と憤るが、「高い次元の人」が真実を語れない原因は「低い次元の人」が低い次元に留まっていることそのものにあり、さらに「高い次元の人」は「低い次元の人」にその事実を説明することができない。

一方で、「低い次元の人」は事実の認識、解釈、因果関係などの一切を文字通り低い次元でしか捉えることができない。どれだけ優れた思考を行っても、低い 次元に発想が制約されているかぎり、低い次元の回答しか得られない。そして「低い次元の人」の思考や判断は、低い次元を前提とする限りにおいて「正しい」 ため、「低い次元の人」は自分の判断の正しさにほとんど疑いを持たない。

すべての人は、自分が属する次元の中で「正しい」ことしかしていない。デール・カーネギーの名著『人を動かす』の中にこのような一節がある。

〈Quote〉

「おれは働き盛りの大半を、世のため人のためにつくしてきた。ところが、どうだ…おれの得たものは、冷たい世間の非難と、お尋ね者の烙印だけだ」と、嘆いたのは、かつて全米をふるえあがらせた暗黒街の王者アル・カポネである。

カポネほどの極悪人でも、自分では悪人だと思っていなかった。それどころか、自分は慈善家だと大真面目で考えていた。…世間は、彼の善行を誤解しているのだというのである。

シンシン刑務所長から、興味ある話を聞かされた。およそ受刑者で自分自身のことを悪人だと考えている者は、ほとんどいないそうだ。自分は一般の善良な市民と少しも変わらないと思っており、あくまでも自分の行為を正しいと信じている。

〈Unquote〉

つまり、私たちの人生における様々な問題、人間関係の苦しみのほとんどは、正に「次元」の問題なのだ。多くの人の人生が不幸なのは、社会が問題だらけなのは、「正しいこと」をしなかったからではない。低い次元で「正しいこと」をしたからだ。

マッキンゼーの創業者マービン・バウアーの名言「企業が躓くのは、正しい問いにまちがった答を出すからではなく、まちがった問いに正しく答えるからである」も同じ意味だ。

*   *   *

私たちの問題が問題である理由は、自分のいる「低い次元」で問題を解決しようとしているからだ。『インターステラー』では、私たちが存在する4次元世界 (地球)が生存に適さなくなる。この(4次元の)問題を解決しようと研究者や宇宙飛行士が4次元宇宙の中で回答を探そうとするのだが、なかなかうまく行かない。最終的にその解を見いだすのは、マシュー・マコノヒー扮する宇宙飛行士クーパーがブラックホールの中?の5次元から4次元を見たときだ。

その瞬間5次元に存在するクーパーは、驚くことに、4次元世界に存在する人類にとって、あたかも神として機能することになる。5次元からは4次元世界が破綻する理由が良く分かるからだ。4次元世界の時空間に制約を受けないため、この瞬間の小さな判断が、将来どのような出来事を引き起こすのかが同時に理解できる。複雑に絡みあったものごとの因果関係や、数多くの問題を引き起こしている原因の原因の原因、すなわち根本原因も。

結局人類を絶滅から救ったのは、5次元から4次元世界を見たクーパー自身だ。私たちにとっての神は、高次元に存在する私たち自身なのかも知れない。スピリチュアリティの概念では私たちは一人一人が神だと言う。私たちの心の中(の高い次元)に神が宿っていると言う考え方は、先端物理学とも符合するのだ。

*   *   *

さて、私たちの社会には問題が山積みで、それらの問題の大きさに、私たち自身が押し潰れされそうになっている。これを政治、経済、行政、経営など様々な手段で解決しようと試みているのだが、それらのすべては4次元における対症療法でしかないように感じるのは私だけだろうか。

私たちは目の前の問題の大きさに圧倒されながら、その解決方法を提供してくれそうなモノ、人、出来事、教えなどに期待する。この政治家だったら、この発明だったら、この政変だったら・・・。しかしながら、4次元にいる誰に頼んでも、はじめからそこに答えなど存在しないのだ。

沖縄の基地がすべて帰ってきたら私たちの社会は正常化するだろうか?沖縄の経済発展が天に届いたらどうだろう?失業率がゼロになったら?保守政権だったら?革新政権だったら?4次元世界ではそれぞれの「正義」が、対峙する「不正義」からパイの取り合いを続けている。

私たちが何よりも優先して取り組むべきことは、いかに5次元でものごとを捉え、思考し、発想し、行動するかということであって、目の前の「問題」解決(対症療法)に時間と労力を費やすことではない、5次元では「問題」そのものが再定義されるからだ。「正義」を貫くことでもない、正義の反対は悪ではなく、もうひとつの正義に過ぎないからだ。目の前の「敵」と戦うことでもない。4次元における「敵」は5次元における全体世界を構成する要素に過ぎないからだ。

*   *   *

そこで、最大の問題に突き当たることになる。4次元で思考する私たちが、いかにして5次元に進むことができるのかということだ。5次元の視点を持つことで4次元世界の(ほとんどすべての)問題が解決できるとしても、4次元に生きる人間が5次元世界を理解できない以上、絵に描いた餅ではないか、と。

私たちの思考は4次元に制約されている。5次元世界の出来事は、4次元世界の非常識であり、まったくつじつまが合わないように見え、どれだけ4次元の論理を積み重ねても、決して5次元に辿り着くことはできない・・・。

その中で、たった一つ、4次元の制約を超えて、私たちを5次元に導く「コンパス」がある。そして、それはすべての人に生まれながらに備わっている。愛である。

ブランド博士(アン・ハサウェイ)、クーパー(マシュー・マコノヒー)、ロミリー(デビッド・ジャーシー)が、宇宙船エンデュランスの中で、人類の新たな居住地にもっとも適していると思われる候補地(惑星)を選別するシーンがある。

人類が選抜隊として送った2人の科学者たちが、それぞれ辿り着いた惑星からデータをエンデュランスに送信してきている。マン博士の氷の惑星、エドマンズ博士の砂漠の惑星だ。送られてきたデータを解析すると、エドマンズ博士の砂漠の惑星の方が移住に適しているように思えるが、既にエドマンズ博士が生きているという証拠はない。マン博士の氷の惑星は、データ上不適合に思えるのだが、マン博士は生きていてこの惑星が適当だという情報を送っている。

その状態で、エドマンズ博士の恋人でもあるブランド博士(アン・ハサウェイ)は、砂漠の惑星に進路を取ることを強く進める。マン博士の氷の惑星はブラックホールに近すぎて、生物の進化が生じない可能性が強いというのが根拠だ。これに対して、ブランド博士がエドマンズ博士の恋人であることから、彼女の科学者としての判断が偏っているのではないかとクーパーが指摘する。これに対する彼女の台詞に『インターステラー』最大のメッセージが表現されていると思う。

COOPER
She’s in love with Wolf Edmunds.

ROMILLY
(to Brand) Is that true?

BRAND
Yes. And that makes me want to follow my heart. But maybe we’ve spent too long trying to figure all this with theory -

COOPER
You’re a scientist, Brand -

BRAND
I am. So listen to me when I tell you that love isn’t something we invented - it’s observable, powerful. Why shouldn’t it mean something?

COOPER
It means social utility - child rearing, social bonding -

BRAND
We love people who’ve died … where’s the social utility in that? Maybe it means more - something we can’t understand, yet. Maybe it’s some evidence, some artifact of higher dimensions that we can’t consciously perceive. I’m drawn across the universe to someone I haven’t seen for a decade, who I know is probably dead. Love is the one thing we’re capable of perceiving that transcends dimensions of time and space. Maybe we should trust that, even if we can’t yet understand it.

(Brand looks at Romilly, who can’t meet her eye.)

BRAND
Cooper, yes - the tiniest possibility of seeing Wolf again excites me. But that doesn’t mean I’m wrong.

「・・・科学者だからこそこう考えるべきなの。愛は私たちが作り出したものではないのに、現実に存在していて、パワーに満ちている。それには何か意味があるに違いないわ。私たちがまだそのしくみを理解できず、きちんと認識していないだけであって、より高次の存在から送られてきているメッセージかも知れな い」

「現に私は、もう10年も会っていない人、そして恐らく既に死んでいるであろう人の方向へ、宇宙を超えて引き寄せられている。愛は、次元を超えて、時空間を超越して私たちが知覚できる唯一のものだから」

「その意味を理解できないとしても、そのインスピレーションを信じるベきではないのかしら」

「クーパー、 確かにエドマンズにもう一度会えるかも知れないという小さな期待は、私の心を動かすわ。だからといって、私の判断が間違っているとは限らないの」

物語の後半、氷の惑星のマン博士は、孤独のあまり噓の情報を送信していたことが明らかになる。結果として、ブランド博士が愛によって感じたインスピレーションは人類にとってもっとも正確な情報だったのだ。

*   *   *

最もパーソナルな愛が人類全体を救うというパラドックスは、私たちの社会にもそのまま当てはまる。そして、私たちの4次元社会はその反対の現象に溢れている。「家族のため」に働きながら自分の妻や子どもの話に心から耳を傾けない父親、人間が嫌いな環境主義者、人間関係をないがしろにして社会のために働く政治家、毎日の食事を味わうことのない料理人、「敵」に思いやりを示すことを後回しにして平和のために戦う人・・・。

私たちは4次元を超えた因果関係や真実を、4次元の論理で説明することはできない。4次元の問題を真に解決する唯一の方法が5次元の認識だとして、私たちがその認識に辿り着くためには、次元を超えて、時空を超えるインスピレーションに導かれなくてはならない。それが愛である。私たちが、目の前の人間関係のすべての接点において、社会におけるあらゆる選択において、愛を選ぶこと以外に、「いま、愛なら何をするだろうか?」と問いながら生きる以外に、4次元の問題を解決する方法は存在しないのだ。

私たちは本当に長らく、社会運営を、「論理」や「利害」や「力関係」や「怖れ」というものさしに任せてきた。その結果がこの社会だ。人を採用する時、政治家に一票を入れる 時、商品を開発する時、値段を決める時、同僚とお酒を飲む時、出張を決める時、ツイッターにつぶやく時、基地問題を語る時、車を運転する時、食事を作る時、愛をものさしにするのはどうだろう。5次元に存在する私たち自身が、この歪みすぎた社会を正常化するための正しい答えを用意しているのかも知れないからだ。

【2015.1.11 樋口耕太郎】

今日は樋口の次世代金融講座が夜にあり早目のお食事となるため
少し軽めのお夕食メニューです。
おいもを無添加コンソメスープでゆでる、まろやかでやさしい味わいが絶品の
ポテトサラダです! じゃがいもをつぶしすぎないように、少し食感を残して
作ります。
有精卵の卵焼きや、昆布だしの有機納豆のお味噌汁も添えて定食風に。

【末金典子】


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▶本日は焼きサバ定食風ですが、気持ちの中では、じゃがいもをコンソメスープでゆでて作る、創業昭和43年老舗居酒屋「青山ぼこい」の看板メニュー「コンソメポテサラ」がメインです。友人から段ボール箱ぎっしりの北海道産有機じゃがいもと有機たまねぎを頂いたので、それをたっぷり使います。

きゅうり、化学合成添加物不使用ベーコン、有精卵EMたまご、などはサンエーハンビータウンで。ベーコンは、発色剤・リン酸塩・保存料・酸化防止剤・合成着色料・化学調味料を添加せずに製造している信州ハムのスライスベーコンを使いました。欲を言えばもっとおいしい商品はたくさんありますが、サンエーハンビータウンに並んでいる「薬品漬け」とも言えそうな他のベーコン、ハムなどと比べると遥かに良質。手軽でちょっと使いには重宝します。

ポテサラにはマヨネーズをたっぷり120cc使いますので、マヨネーズの選択は重要。質の低いものを使うと、後味が悪いだけでなく、どうやら太りやすくなります。私たちは、創健社有精卵マヨネーズを牧港コープで仕入れます。見たところサンエーハンビータウンに良質なマヨネーズはありません。良質なマヨネーズと言えば松田のマヨネーズも有名ですが、私たちにはちょっと甘口に感じられます。こちらも牧港コープで入手できます。

▶サバは北海道釧路産の塩真鯖をサンエーハンビータウンで。スーパーで販売している鮮魚は添加物が加えられているものがずいぶんありますので、ひとつひとつ確認してから購入します。もちろん無添加。

▶焼きサバや卵焼きにかける醤油は、丸大豆の生しょうゆを使うことがあります。キッコーマンの生しょうゆは、火入れ(加熱処理)をしない、もろみを絞ったままの生しょうゆで、風味と香りが通常の醤油と異なります。生醤油は鮮度を維持することが難しく、これまでほとんど市販されていなかったようですが、キッコーマンが二重構造の特殊容器を開発したことで2010年に商品化されました。2013年頃にブームに火がつき、売れすぎて販売中止になるなど話題になりました。有機生しょうゆは私の知るかぎり存在しませんが、遠からず商品化されるに違いないと思います。今から楽しみにしています。キッコーマンの商品開発については、こちらの記事がとても参考になります。

*今日からデジカメ変えました。写真の腕は同じですが鮮明度が上がっています。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

昨日は珍しく外食の日となりましたので、今日は寒いことですしスタミナアップの
アツアツ鍋をいただきます。

酸味+ラー油のピリ辛な酸っぱさと、元気が出る豚肉などの素材を合わせた
酸辣湯(さんらーたん)鍋。
ジワッと汗をかいて、疲れ気味のときも元気になる鍋です!
白いご飯との相性もばっちりですよ~!
コリコリきくらげとやわらかなお豆腐の食感の違いも魅力です。
お豆腐と溶き卵は、とろみをつけてから入れると、やわらかく、ふんわり仕上がります。

【末金典子】


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▶『彼ごはん』シリーズが340万部突破するなど人気の高いSHIORIさんのレシピ。豚バラとの指定がありましたが、私たちは沖縄県産紅豚の肩ロース2ミリスライスを使いました。やっぱりバラよりも肩ロースの方がおいしいでしょう?24センチのル・クルーゼにたっぷりつくりましたが、大食いの私たちにはこれで二人前。

いつものことですが、おいしくて質の高い食事を食べると一気に汗が噴き出します。今日は沖縄にしては寒い日でしたが、窓を開けて涼しい風を入れたくらいです。おいしい食事に体が喜んでいる感じ。

また、「人間の生活の中でもっともエネルギーを使うのが消化だ」とどこかで聞いたことがあります。おいしくて質の高い食事は消化も早くてスムーズ。質の低い食材や添加物の消化にムダなエネルギーを費やし体に余計な負荷がかからなくなれば、パワーを別の活動に振り向けることができますので、毎日が溌剌として精力的に過ごせるようになるのは必然であるような気がします。

▶有機しょうが、万能ねぎ、乾燥きくらげ、有精EM卵などはいずれもサンエーハンビータウンで。

▶私たちは、目立たない「つなぎ」の食材や調味料に妥協しないことが、料理の味をぐっと引き上げると思うのです。例えば、今日のレシピでは、食感にとろみをつけるための片栗粉、酸味を加える酢、辛みをつけるラー油、香り高くコクを出すごま油などは、その風味と香りが料理の隅々まで行き渡る重要な脇役です。料理に加える量はそれぞれ少量ですが、質の低いものを使えば、どれだけ良い食材を使っていても料理全体が台無しになってしまいます。使う量が少量だからこそ、少しの効果で料理全体の価値をぐっと引き上げる質の高いものを選びたいと思います。

特に酢(美濃有機純米酢)は60ccたっぷり使いましたので、質が良くないととてもたくさん食べられません。ごま油はマルホンの太香ごま油を利用しました。有機しょうがのみじん切りを太香で炒めた瞬間から立ち上る香りが食欲を誘います。

料理に限りませんが、質を追求するときのポイントは、90点は0点に等しいということ。最後の1割に妥協するかどうかで価値が10倍変わります。スーパーでもせっかくの有機食材に添加物を入れて販売しているものがありますが、これでは質の高い食材を使う意味がまったくありませんね。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

今日7日は七草です。
歴史は平安時代にさかのぼります。
朝廷では一月七日に若葉を摘み、冬の寒さを打ち払おうとする習わしがありました。
一方、海を隔てた中国でも、この日に7種類の菜の煮物を食べれば、万病に
かからないという言い伝えがありました。
七草がゆは、この日本と中国の風習が合体し、一月七日に、一年の無病息災を
願い、七草を入れたおかゆをいただいて、冬に不足しがちな野菜を補い、
お正月の暴飲暴食で疲れた胃袋をいたわるという古人の知恵が、
現代に生き続けている行事なんです。
お休みモードからふだんの生活に切り替えるきっかけとしてはとってもおすすめです!
苦みのあるものを食べたいときはからだが浄化を求めているサインともいえそうですね。

我が家は天然の焼き鮭や、有精卵の温泉卵や、
無添加の数種のお漬け物を添えていただきます。

【末金典子】


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▶春の七草は、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。この若草を龍の瞳といっしょに炊いてお粥を作ります。

▶お粥の一杯目は焼き鮭とお漬け物で頂きました。北海道産天然鮭(もちろん無添加。スーパーで売られているお魚にはph調整材など多くの添加物が含まれているものが少なくありません。成分表示を確認して購入します。できれば国産、天然、非解凍を選びます)は牧港コープで購入。お魚のラインアップはサンエーハンビータウンよりもやや充実している印象があります。

宮崎県産有機大根をつかったたくあん柴漬けはいずれもオーサワのものをグリーンリーフで購入しました。「昔ながらの梅干し」はサンエーハンビータウンに置いてある50種類の梅干しの中で唯一無添加のもの。おいしい漬け物を食べるとほっとします。このシリーズでもたびたび登場しますが、安心安全な食材を提供する卸企業、オーサワ(昭和23年創業、本社東京都)、ムソー(昭和44年創業、本社大阪)は数多くの素晴らしい食材を揃えている良企業です。両社とも、オーガニックという言葉が存在する遥か以前からこの分野で努力を重ねている相当な老舗であることが素晴らしいですね。

▶お粥の二杯目は温泉たまごに有機しょうゆをたらして食べました。温泉たまごはEM有精卵のたまごで作りました。湧かせたお湯の火を止め、たまごをつけて15分置くだけ。

【樋口耕太郎】

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無添加梅干しの酸味がすっきりした味わいの無添加梅しょうゆダレを
日本酒と利尻昆布と有機醤油とカツオ節で先に作っておきます。
(梅干しは種からうま味が出るので、一緒に煮立てるのがポイント)
そのタレの酸味で紅豚がほどよいさっぱり味に!
有機タマネギは歯触りよく仕上げたいので、手早く炒めます。

【末金典子】


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▶日本人は梅干しが大好きです。サンエーハンビータウンにはざっと50種類の梅干しが売られていて、様々な産地の様々な種類のものが所狭しと並んでいますが、すべての商品のラベルを確認して、原材料が、梅、しそ、塩、のみで添加物が使用されていないものはたった一種類しかありませんでした。

ちなみに、お漬け物も同じような状態で、添加物が含まれていない商品を沖縄のスーパーで入手することはとても難しいのです。保存食であるはずのお漬け物に保存料などが使われているのは、発酵時間を節約したり、原材料の質を下げた分の味と香りと色を添加するなど、要はコストを下げるためなのだと思います。私たちの社会で本当の(というより普通の)漬け物はほとんど流通していません。驚きですね。

▶梅しょうゆだれは、純米酒をベースに昆布と梅干しの種を入れて旨味だしをとります。4分煮てアルコールが飛んだところで梅の果肉、有機しょうゆ、かつお節を加えて作ります。私たちがレシピに忠実に料理するのは、多くの発見があるからです。これも私たちでは絶対に考えつかないレシピでした。水ではなくお酒で、そして、梅干しの種からだしを取るなんて考えたこともありませんでした。このたれはそうめんのつけだれ、和風ドレッシング、冷や奴など、万能に利用できるそうです。

オールクラッドのフライパンオーサワの菜種油をしいて、紅豚もも肉2㎜のスライスを炒め、有機こしょうをふります。私はスライスされたお肉を一枚ずつ広げて焼きつけるのが好きです。一枚一枚のお肉がひらひらして食感が楽しいのです。お肉の色が変わったところで2㎝幅のくし形に切った有機タマネギを加えて、しんなりしたところで梅しょうゆだれを加えて出来上がり。

▶私たちは、基本的にメインの料理を一品だけ作ることにしています(週末はもう一品増やすこともあります)。なぜならば、本当においしい料理は一品でもたくさんたくさん食べられるからです。例えばバイキング。20種類以上並んでいるたくさんの料理を食べるのは楽しいことですが、冷静に考えてみるとひとつひとつはそれほどおいしくないと感じた経験はありませんか?もしも、20種類ではなく「その中からひとつだけ選んで、今日はその一品で夕ご飯にして下さい」と言われたら、とてもたくさんは食べられません。でも、良質の食材で丁寧に作った本当においしい料理は一品でも、というより、その一品をどこまでも食べたくなります。逆に考えれば、一品で満足できないのは料理の質が低いからではないかと思うのです。

▶ごはんはもちろん龍の瞳ハリオの土鍋で炊きます。私たちはお米研ぎ、炊飯に水道水を使いません。いったん湧かした水を使って、水道水に混じっている塩素などを飛ばします。お米は水で味が大きく変わりますので、これもぜひお勧めします。

▶付け合わせのお豆腐は北海道十勝産丸大豆100%を使った「十勝十富(とかちどうふ)」をオイシックスで取り寄せました。実は賞味期限が12月21日(2週間以上前)のものですが、普通においしく頂きました(もちろん無添加です。充てん豆腐であれば、それほど簡単に腐りません)。賞味期限は過剰に重要視されているように思います。自分の五感を信じて味わいたいと思います。
【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

昨日の晩ごはんがとても遅かったので今日の仕事始めには
あっさりとしたものをいただきます。
有機しょうがと有機みりんとお醤油でづけにしたかつおと、
有機酢めしを手で混ぜた三重県名物のアレンジ版のおすしです。
温かいおうどんも添えて。

【末金典子】


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▶お米(「龍の瞳」)は磨いで約30分水に浸し、ざるにあけてハリオの土鍋に入れ、お酒を加えて昆布をのせ普通に炊きます。ごはんが炊けたら昆布を除いて、すし酢調味料(酢、粗糖伊平屋の塩)を回しかけ、しゃもじで切るように混ぜてさまします。酢は美濃有機純米酢をサンエーハンビータウンで購入。

▶かつおは太平洋産の生食用スライスを牧港コープで購入したものを、有機醤油、有機本みりん、有機しょうが皮付き薄切りに、裏表を返しながら15分間つけます。

▶アスパラガス、絹さや、しそ、有機しょうが、有機白ごまはいずれもサンエーハンビータウンにて。アスパラ、絹さや、しそは沖縄では有機が入手しにくいです。

かつお、アスパラ、絹さや、しそ、しょうが、ごまの組み合わせはちょっと自分では思いつきません。私たちは料理にあたって、(良くも悪くも)レシピ通り忠実に作るようにしています。料理研究家の中には本当に料理を知り尽くしている方もいらっしゃいます。彼らの一段深い意図を理解するためにも、付け合わせの野菜から組み合わせから、調味料から、かけずり回ってでも指示されたものを集めてその通りに作ってみると、なるほど、それぞれの食材を利用した理由、料理方法の工夫などを知ることができ、とても良い学びになるのです。

▶100%国産小麦のうどんは、かつおと昆布のあわせ出しをベース。有機ねぎと有精卵のEMたまごを加えてます。汁を最後まで飲みたくなるおいしいうどんです。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

新しい年が始まりましたね!
あなたはどんな2015年の始まりをお迎えでしたでしょうか。
私はと言いますと、ごくごくオーソドックスに、大晦日は年越しそばをいただき、
紅白歌合戦を観て今やもうついていけない流行歌のお勉強をこなし、
おせち料理をゆっくり作り、元旦にお雑煮・お屠蘇とともにいただき、
初詣には普天間神宮までランニングで行ってお参りをし、
あとはひたすら読書とお料理とDVD三昧というお正月でしたよ~。

昨年中も麗王でいろいろな方々とお話させていただきました。
当然のことなのですが、以前のお客さまは私よりも年上の方々が圧倒的に
多かったものですが、私も50代ともなりますと、今や年下の方々が
とても多くなりました。(それはすごくありがたいことでもあります。)
さて、そうなりますと、みなさんが今悩んでおられることなどをよくお話くださいます。
それは私がみなさんの悩みにアドバイスするなどという烏滸がましいことではなく
お話なさることによって御自分の考えを整理なさり、向き合っておられる
という感じです。
その多くの悩みが、
「自分は何をして生きていきたいのか、何をしたいのかがわからない」
「自分はこれでいいのだろうか、この仕事のままで、この職場のままで
いいのだろうか」
「自分が好きになれないんです」……といったことでした。

そこで年の始めに私が感じたことをお話したいと思います。
少し長くなりますがあなたのために心を込めて書いてみます。

自分なりに考えて人生を選ぶには勇気がいります。その勇気はどうやって
見つけたらいいのでしょう。

まずは、自分を信じること。あなたには、あなただけの素質があり、
それを世界が求め、必要としています。世界があなたを必要としているなんて
言うと、「そんな~」と思うかもしれないけれど、とにかく、そう考えることが大切。

自分の才能や能力を人に認めてもらいたいなら、まず自分で、
それを認めてあげる。人に言う必要はありません。自分のことを「大切な人間」と
感じることが目的なのですから。

音楽でも美術でも文学でも、名作を生み出した人の多くは、若いころみんな、
あなたとおなじような不安を抱えていました。
大発明をした人、革命を起こした人もおなじこと。でも彼らは、認めてくれる人が
いないときでも、自分を信じ、目的に向かってまっすぐに進んだのです。
そんな生き方は、人から理解されないこともあります。だけど、あなたの努力は
世界を豊かにするかもしれません。

目の前の仕事をする、周りの人と話す、気になることを調べてみる、映画を観る、
本を読む、写真を撮る。なんでもいい。すべてを忘れて打ち込んでみましょう。
そしていつでも自分自身を信じていること。

たいていの人の頭は、矛盾だらけの情報や意見でいっぱいになっています。
きっとあなたの頭のなかにも、いろいろな人の、いろいろな声がぎっしりつまって
いることでしょう。その声は、あなたが大事な選択をしようとするときになると、
きまっていっせいに話しはじめます。まるでラジオのチャンネルが、ぜんぶ同時に
鳴っているような感じ。

その声は、上司や家族、友達や専門家の声です。だれもが「ああしなさい」
「こうしなさい」と叫んでいます。なかには、まるで正反対の意見を言う人だって
います。彼らの声に耳を傾けていたら、それこそ頭が変になりそう。

子供のころから、いつも問題にされてきたのは、あなたの頭でした。
身体はいつも乱暴に扱われ、「じっとしていなさい」とか「しゃんとしなさい」
とか、そんなことばっかり。

そのせいで、あなたは自分の身体に注意を向けることができなくなりました。
あなたは、身体の声を聞いたり感じたりする能力を失ってしまったのです。

身体には、味覚・嗅覚・視覚・聴覚・触覚という五感が備わっています。
そこから入ってくる情報によって、あなたの身体は、緊張したり、疲れたり、
痛がったり、苦しがったりします。リラックスしたり、興奮したり、うれしくて
踊りだしたくなったりもします。気づいていないかもしれないけれど、
あなたの身体は、あなたを幸せに導く「誘導システム」なのです。

あなたの身体は、五感からどのような情報が入ってきたときに、
幸せを感じているでしょうか。

個人的な悩みがあるときは、あなたの話を黙って聞いてくれる人に
話をしましょう。解決策を教えてもらおうなんて思わない方がいいのです。
あなたには、自分にとって一番いい、的確な決断をくだす知恵が
備わっているのです。ただ、自分の気持ちを言葉にしたり、
確かめたりするために、人に話してみる必要があるだけなのです。
麗王もそういう店で場でありたいと思っています。

せっかくの人生なんだから、すばらしい人生にしたい。
心温まる友情やロマンス、出会いや旅行。美しいものでいっぱいの
人生にしたい。
そのためには、自分が必要としているものを、ためらわず自分自身に
与えましょう。ただ待ち続けているだけではだめ。積極的に自分で行動を
起こしましょう。

働きすぎないように、ストレスになることはできるだけしないように
気をつけましょう。疲れたら休んで、いつでも身体の声に耳を傾けましょう。
そして、自分のことをいたわりましょう。あなたのいちばんの財産は、
あなたなのだから。

自己愛というものがあります。愛を外に向けたがる人が多いのですが、
私は自分へ向ける愛こそが裏切りのない崇高な愛の一つの形であると
信じてやみません。人間は孤独なものです。天国へは誰もがみんなひとりで
旅立ちます。愛する人ともいずれ別れないとなりません。「さよなら」を常に
自分の傍に用意しておく必要があります。「さよならいつか」、これは人間の
掟なのです。どんなに幸福な人であろうと、死から免れる者などいません。
この絶対の孤独を前にして、それでも人間は幸せを目指す生き物なのです。
死後の世界へも連れて行くことのできる愛が、自己愛なのかもしれません。
決して裏切らない自分自身を創造する過程こそが自己愛なのです。

仮に自分を好きになることができればこんなに楽しい人生はありません。
自分をなおざりにして他人を愛したり思いやったり、美しく生きることなど
できません。輝いている人は、結局、自分遊びの上手な人、自分の中に
可能性を見つけ大いに自分をイキイキと転がしている人なのです。
自分を励ましましょう。
自分自身で遊びましょう。
自分の可能性を信じましょう。
自分が自分であることを誇りに思いましょう。

鏡をまっすぐにのぞいて、自分の名前を10回、
はっきりと声に出してみてください。誇りが蘇ります。

愛は人間の孤独の上に成り立っています。そのことを人が知るとき、愛は、
自分の中にささやかな灯りをともします。「共に生きよう最期の時まで」と
自分自身に言うことができる今でありたいものです。自分のなかにこそ、愛、の
一つの崇高な形があるのです。そして自分を愛することができるからこそ、
他の人も思いっきり愛することができるのです。

ほかの人にふりまわされるだけの人生を送ってはいけません。
いつでも前向きに考えるよう心がけましょう。つらいことがあったら、
がまんするのではなくて、自分で行動してなんとかすること。

幸せになるんだと決めて、心のなかにイメージを持ち続けていれば、
夢は必ず実現できるものなのです。

どうぞ今年はあなたらしく生きてくださいね。

そんなあなたに寄り添い、麗王でのひとときを優しさや楽しさで包むことが
できますように。
私もそんな想いで今日からスタートをきりたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます!

***

7日の水曜日は七草です。
歴史は平安時代にさかのぼります。
朝廷では一月七日に若葉を摘み、冬の寒さを打ち払おうとする習わしが
ありました。
一方、海を隔てた中国でも、この日に7種類の菜の煮物を食べれば、万病に
かからないという言い伝えがありました。
七草がゆは、この日本と中国の風習が合体し、一月七日に、一年の無病息災を
願い、七草を入れたおかゆをいただいて、冬に不足しがちな野菜を補い、
お正月の暴飲暴食で疲れた胃袋をいたわるという古人の知恵が、
現代に生き続けている行事なんです。
お休みモードからふだんの生活に切り替えるきっかけとしてはとっても
おすすめです!
麗王では今日明日はおせち料理を、7日はこの七草粥を御用意しておりますので
ぜひ召し上がってみてくださいね。なお10日には「鏡開き」のおぜんざいも
ご用意いたしておりますよ~。

【2015.1.5 末金典子】

香ばしく焼けた紅豚を、とろけた無添加チーズがやさしく包みます。
食べごたえ満点のひと皿です。

トマトと青じそのさっぱりとした酸味を楽しむサラダも添えて。
ドレッシングはスペイン産メルガレホのピクアル・プレミアムと
オーガニック白ワインビネガーと野甫島の塩とオーガニックペッパーと
粗糖でフレンチドレッシングを作りました。

【末金典子】


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▶豚肉のチーズ照り焼きは、沖縄県産紅豚のロース1センチ切りを一人250gたっぷりと用意します。豚肉は脂身がおいしいという方も多いのですが、私たちは脂身を取ってしまうことが多いです。ボールに紅豚、有機醤油、純米酒、有機しょうがすり下ろしを入れて10分ほどなじませます。2分焼きつけて裏返し、フタをしてまた2分、その上にナチュラルモッツァレラチーズをのせて、再びフタをして2分。チーズがとろけたところで有機粗挽きこしょうをふります。

▶ブロッコリーは沖縄ではなかなか有機が入手できません。今日は通常の国産ブロッコリーをサンエーで購入。縦半分に切ってから油を引いたフライパンで両面をこんがり焼いて塩をふります。油は料理においてとても重要です。サラダ油はムソーの純正菜種油またはオーサワの圧搾一番搾り国産菜種油を使っています。前者は比嘉健康食品センター、後者はグリーンリーフで入手できます。塩はいつもの伊平屋の塩夢寿美(えんむすび)の塩。私が知るかぎり沖縄本島では販売していませんので、生産者の松宮さんから直接取り寄せています。この塩をふるだけで、野菜を焼きつけただけのシンプルな付け合わせが、びっくりするほどおいしくなります。

▶サイドはトマトと青じそのサラダです。ドレッシングはスペイン産メルガレホのピクアル・プレミアムを試してみました。私たちはドレッシングはすべて自家製です。といっても、質の良いエクストラ・バージン・オリーブオイルに有機醤油、有機レモン汁、有機こしょうなどを混ぜるだけ。副菜のサラダが、スーパーリッチなごちそうになります。今回のフレンチドレッシングは、有機白ワインヴィネガーと粗糖を使いました。いずれもサンエーハンビータウンで購入できます。

▶レシピについて、豚ロースに有機しょうがと有機醤油で既においしい味がしみているので、モツァレラチーズを乗っけるのはかえってもったいないような気がしました。よって★★。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

「料亭で出されるクラスのお取り寄せタラバガニのボイル
我が家特製醤油にんにくバターソース添え」
「カラマラータ」

クリスマスやお正月などのイベントの時には、我が家では必ず大好物の
タラバガニをお取り寄せします。料亭や高級レストランに卸している業者さんから
送っていただき、二人で1キロを蒸してガッツリと、醤油・有機にんにく・
溶かしバター・ピンクペッパー・イタリアンハーブで作る特製のソースでいただきます。

いつもいっしょにいただくのがパスタ料理です。
今日はイタリア人もよく食べるイカ(カラマーリ)の味を引き立てる
リガトーニペンネで作ったカラマラータで、
無添加のケッパーやオーガニック黒オリーブやオーガニック白ワインや
有機にんにくなどを使い、トマトソースではなく、甘めの生のトマトで
白く仕上げます。

【末金典子】


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▶タラバガニに合わせるソースは、末金オリジナルのレシピです。そのあまりのおいしさに、「タラバガニを食べるときにはこのソースなしではあり得ない」と心に決めています。そんなわけで、希に外食でカニを食べにいくときも、このソースを密かに持ち込んでいます。電子レンジなどで溶かしたバター(カルピスバターの有塩がおすすめです)に、有機醤油、すり下ろした有機にんにく、イタリアンハーブミックス、ピンクペッパーを混ぜてできあがりです。材料はいずれもサンエーハンビータウンなどで入手可能です。ぜひ試してみて下さい。このソースはタラバにもっとも合います。毛ガニは自家製ポン酢などの方がおいしいと思います。

▶カラマラータの材料は、イカ、無添加ケッパー、有機黒オリーブ、有機白ワイン、有機にんにく、有機小麦粉、トマト、ルッコラ、海水塩、エキストラバージンオリーブオイル、リガトーニペンネです。

イカはサンエーコンベンションシティで長崎産のものを仕入れました。

無添加ケッパーはそのお隣のカルディ・コーヒーファームにて。

有機オリーブ、有機白ワイン、有機にんにく、有機小麦もサンエーコンベンションシティで手に入ります。オリーブはこのパスタには緑のものは風味が強すぎてしまうので黒を使用。

トマトとルッコラはこの時期有機のものがありませんでした。私たちは、それがたとえ有機無農薬であっても水耕栽培の野菜を好まないのですが、今回のルッコラは宮古島産水耕栽培のもの。土耕野菜が手に入るときは必ずそちらを選びます。

塩はいろいろ試した結果、伊平屋島の塩がいちばんのお気に入りです。塩を変えるだけで料理全体の味がこうまで豊かになるものかと驚かれると思います。

リガトーニペンネは100%イタリア産にこだわったグラノ・アルマーノ社製のものを、プラザハウスの食品コーナーで見つけました。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

私たちは、ほぼ365日違うレシピを試していますので、同じメニューで食事をすることがほとんどありません。二日連続で同じものを食べるのは、一年を通じてお正月の二日間だけだと思います。私たちの「今日のごちそう」は昨日と同じおせち料理ですので、同じものを掲載する代わりに、ペットフードを取り上げたいと思います。

多くの書籍や資料に目を通し、私たちなりに試行錯誤をくり返していくうちに、動物たちが見るからに元気になっていったのです。ペットオーナーは病気になると動物病院に連れて行きますが、ひょっとしたら毎日の食事が病気の原因かも知れません。私たちの同居人?は毎日のように近隣パトロール?のために外出するのですが、もう何年もノミがつかず、目立った病気にもかからず、高齢にも関わらず毛並みがつややかなのは、決して偶然ではないと思います。

▶今までにいろいろなフードを試しましたが、現在は殺処分ゼロの国ドイツ産アニモンダ社のラフィーネをメインに与えています。アニモンダ社は1913年に設立されたドイツ有数の食品メーカー、ストックマイヤーの子会社で、100年の歴史がある親会社のノウハウを活かして高品質ペットフードを製造しています。基本的に遺伝子組み換えでない、人間と同じ食材を利用し、砂糖、塩などの不要な調味料を加えず、人口保存料や着色料などを使用しない製法によって製造されています。

▶フードに加えて、1日一回生の魚やお肉を用意しています。「今日のごちそう」は沖縄近海産のマグロ角切り(非冷凍)です。サンエーハンビータウンなどで比較的手頃なもの、特売品になったものなどから、好物を選びます。栄養素が足りているからといって、私たち人間が毎日毎日同じ固形食を食べ続ける人生など考えられません。感情豊かなペットだって、同じように感じているに違いありません。それが証拠に、生のマグロの切り身など、彼らの好物を買ってくると準備しているときから大変な興奮状態です。私たちがおいしいごちそうを目の前にしてお腹を鳴らすのと何も変わりません。

▶飲み水は、サントリー阿蘇の天然水など、ナチュラル・ミネラル・ウォーターの安価なものをサンエーハンビータウンなどで買っています。比較すると良く分かるのですが、普通の水道水を与えたときと、ミネラル・ウォーターを与えたときとでは、水の減り方がはっきり異なります。人間よりも遥かに五感の鋭い動物が、より自然な食べものや飲み水を好むのは当たり前のことなのですね。

ちなみに、私たちは氷を買わずにこのミネラル・ウォーターで自家製します。アイスコーヒーなど大量の氷を必要とする飲み物は特に、自然な水から作った氷を使用することで味わいがずいぶん異なります。せっかくおいしいコーヒーを入れても、氷で味が台無しになってはもったいないですからね。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。


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今日はもちろん定番の「おせち料理」と「お雑煮」と「お屠蘇」です。
我が家は前日から仕込むのはかずのこだけ。
元旦に起きるとまずは普天満神宮までの初ランニングに出発。
その後初お風呂に浸かってさっぱりしてから、さぁ!とばかりにおせちを一気に作り
ずら~っと食卓に並べ、お屠蘇でお祝いしてからバクバクもりもりいただきます。

大阪出身の私のお雑煮は、主に白みそ仕立て。
京都の御所の中で食べられていたものが一般に広まったようですが、
お肉やお魚は入れず、お餅とお野菜だけを具に精進風に仕上げます。
お寺の多い京都ならではでしょうか。お野菜は主に京野菜が使われ、
特に有機京にんじんの鮮やかな赤色は、白みその中でひときわ映え、
紅白の彩りがめでたさを感じさせます。お餅は新潟産の有機餅を
焼かずにゆでて入れます。

かずのこは前日に塩抜きしてから、だし汁、日本酒、有機醤油、粗糖、
有機赤唐辛子で漬け込んでおきます。

柔らかくて、甘辛い味がしっかりしみた煮豚は紅豚で。

筑前煮は、主役の無投薬の刀根鶏を、煮汁にコクを出すのとうまみを
凝縮させるため、先に焼いて表面にこんがり焼き目をつけます。
もう1つの主役、根菜は水から下ゆでしておき、雑味をなくしてやわらかく
煮ることができるよう準備し、合わせ出しと有機醤油と有機みりんと粗糖で
煮てとろみを出し素材に味をしっかりしみこませます。

他にも、黒豆、紅白なます、無添加のいくらや、無添加のかまぼこ、
さばの塩焼きなど盛りだくさんにお祝いします。

【末金典子】


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筑前煮は、無投薬刀根鶏もも肉、里芋、れんこん、にんじん、原木椎茸、有機醤油、有機本みりん、粗糖、カツオ昆布の合わせだし汁が材料です。

鶏肉は私たちはいつも無投薬平飼いの刀根鶏を宮崎から取り寄せています。

里芋、れんこん、にんじんはサンエーハンビータウンなどで有機のものが手に入るときがあります。あいにく今年は通常のもの。

椎茸は原木椎茸が手に入る場合は必ずこちらを購入します。菌床栽培のものと比べて香りも味もずいぶん異なります。こちらもサンエーハンビータウンにて購入。

有機醤油、有機本みりんもサンエーハンビータウンなどで取り扱いがあります。私の印象では、沖縄の大手スーパーの店舗の中でも、サンエーハンビータウンは有機食材の取り扱いが多い方だと思います。私たちが毎週のように「有機食材を仕入れて欲しい」と、うるさく投書をしているせいかもしれません。

私たちは白糖は料理にほとんどと言っていいほど使いません。甘いだけで砂糖の風味がありませんし、料理に使うと何となく粗暴な味になるという印象です。私たちは100%沖縄県産の粗糖天糖太陽を よく使います。粗糖は精製する前のミネラルや栄養分を含んだ茶色い砂糖で(三温糖などの茶色とは違います)、料理を控えめかつふくよかに引き立てます。サンエーハンビータウンで入手できます。個人的にはなぜもっと多くの人が白糖ではなく粗糖を料理に使わないのか不思議でなりません。残念ながら沖縄県産の有機砂糖はほとんど存在しません。今後の変化を待ちたいと思います。

▶これも我が家のお正月の定番煮豚。豚肩ロース、たまご、ネギ(青い部分)、有機にんにく、有機しょうが、純米酒、有機醤油、粗糖で作ります。

たまごは沖縄県南城市みやぎ農園のEM有精卵をよく使います。サンエーハンビータウンで入手。

豚肉は沖縄県産の紅豚を利用することが多いです。紅豚ブランドは現在三件の農家が生産しています。中心となっている喜納さんをはじめ、皆さんを個人的に存じていますし、県産豚の中では特に品質が高いと言う印象です。

私たちはいわゆる「料理酒」は使いません。手頃な純米酒を使います。お酒としておいしい方が、料理に使ってもおいしいと思うからです。

お雑煮はカツオ昆布の合わせだし、味噌、大根、金時にんじん、みつば、有機もち、イクラが材料です。

今年のお雑煮の味噌は信州産大豆、国産米、五島灘の塩を使用した木桶仕込み信州みそを使ってみました。100年使い続けている木桶で歳月をかけて天然醸造したもの。グリーンリーフで入手しました。

金時にんじんはお正月ということもあって、有機のものがサンエーハンビータウンで入手できました。

有機もちは100%新潟県産有機水稲もち米を原材料とした、新潟県産有機こがねもち(有機JAS)を、やはりサンエーハンビータウンで購入。サンエーハンビータウンで比較的多くの有機食材・野菜が揃うようになってきたのは嬉しいことです。

▶イクラは、恐らく沖縄県内では無添加のものを入手できるところはないのではないでしょうか。名門北海道のカネコメ田中水産のイクラオイシックス経由で取り寄せました。沖縄県内で入手できない食材も、オイシックスでほとんど賄うことができます。購入金額が一定額を超えると送料が無料になりますので、必要なものをストックしておいてまとめて注文することにしています。今年は他にも、かまぼこ、丹波の黒煮豆などを一緒に注文しました。沖縄県にはかまぼこも無添加のものは存在しないのではないでしょうか。

カズノコはサンエーハンビータウンで購入しました。塩カズノコ以外は添加物が入っていますので、自分で塩抜きをしてから、だし汁、有機醤油、お酒、粗糖、有機唐辛子で味付けします。

お屠蘇の原料は桂皮、山椒、陳皮、桔梗、浜防風、丁字などの薬草。いまでもスーパーではなく薬局で売っているんですね。これを純米酒に浸して「水出し」してから有機本みりんを加えます。

▶最初と最後のカットに登場するのは、我が家のレオくんです。自由をこよなく愛し、人に迎合せず、自分に嘘をつかず、愛に生きています。ネコにしておくにはもったいない逸材です。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

今日のメニューは「年越し有機そば」と「有機ほうれんそうと梅干のチャーハン」。
茹で上げた出雲の有機そばを、かつおと利尻昆布の合わせだしを作り、
煮た揚げと有精卵の卵で月見きつねそばに。
薄味仕上げの有機ほうれん草のおひたしを先に作り、汁気を絞って
炊き立てごはんと炒め合わせ仕上げに無添加梅干のたたいたものを混ぜたチャーハンに
有機の柴漬けを添えて。
あまりにおなかがすきすぎていて写真を撮ることを忘れ一気に食べてしまいました!

【末金典子】

年越し有機そばは、本格派奥出雲そば専門店本田の有機出雲そばを使用(サンエーハンビータウン)。有機そば粉と有機小麦粉を原料とした5割そばです。有機そば粉はカナダ、中国産、有機小麦粉は北米、トルコ産。一般にそばをゆでると臭みが出ることがありますが、これは添加物によるもの。このそばは本来のそばの香りが楽しめます。

有機ほうれん草はサンエーハンビータウンの有機コーナーで購入。

梅干しはどこのスーパーにもたくさんの種類が並んでいます。サンエーハンビータウンでもざっと50種類の梅干しが売られていますが、そのすべての商品を確認すると原材料が、梅、しそ、塩、のみで、添加物が使用されていないものはたった一種類しかありません。

ごはんは、岐阜県下呂産の「龍の瞳」(有機JAS)を、ハリオ製フタがガラスの炊飯鍋で炊いたもの。チャーハンと言えば、残りの冷や飯を使用する人も多いと思いますが、敢えて炊きたてのごはんを惜しげなく使うのがおいしいのです。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

安全且つ美味しいものをとほぼ毎日自宅で二人で手料理を作っています。
毎回の食材には、できる限り有機無農薬野菜を揃え、
お肉は、紅豚や、無投薬の刀根鶏や、
無投薬オーガニックの尾崎牛やニュージーランド牛などを使用し、
化学性の調味料は一切使わず、有機の調味料などで味付けをするなど、
無添加のこだわりのメニューです。ごはんは、NHKでも紹介され
ますます手に入りにくくなった突然変異でできたという昨今話題の貴重な
「龍の瞳有機JAS大粒米」を送ってもらって、土鍋で炊いています。

今日のメインメニューは
「ナチュラルビーフ・ペッパーステーキ」です。
我が家は今日が今年の仕事納め。
一年のお互いを労って特別なステーキを。
オーガニックのあらびきブラックペパー。ただ、それだけをまぶしつけた
ナチュラルビーフをよ~く熱したオールクラッドのフライパンで焼きつけます。
よいお肉なのでうまみがグッとくる一品です。

【末金典子】


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▶ナチュラルビーフはニュージーランド産のオーシャンビーフを試してみました。ロースの芯の部位だけを使ったリブロースです。スローフード専門のネットショップ「ハイ食材室」から取り寄せ。

ウェブサイトの説明文より:「広大で豊かな自然環境のかな飼育され(牛にストレスとためない環境=お肉が硬くならない)、 とさつ前、150日~180日の間小麦を主体とした飼料を与え飼育されます。よってその運動量によりお肉に刺しが入り、そして穀物飼育を行うことにより、 甘みのある肉質になるのです。つまり強制的にトウモロコシなどを与え強制的に刺しを入れこんだお肉ではないのです。あくまでも自然環境の中で、自然に健康 的に育った牛のみをご提案させて頂きます。」

▶有機ペッパーはS&Bの有機ブラックペッパー粗挽きはサンエーコンベンションシティの有機コーナーで購入(なぜかサンエーハンビータウンでの扱いはありません)。コショウなど香の物はオーガニックを使用すると料理全体がぐっと引き立ちます。片面にペッパーをふって、こちらの面から焼きつけます。

▶写真右に見える有機フレンチマスタードはドイツで1947年創業のツヴァルゲンヴィーゼ社製(ホットマスタード)。昔ながらの製法で石臼で丁寧に挽いて作られたもの。たっぷりのマスタードに包丁で叩いたパセリを散らしています。お肉にマスタードを付けながら頂きます。自宅の近所でよく利用するグリーンリーフ(北谷町)で購入しましたが、現在は取り扱いがないので他の商品または仕入れ先を検討中です。

▶付け合わせは、ブロッコリーを茹でてから、トマト、ズッキーニ、ベーコンと一緒に炒めたもの。野菜は入手できるときは必ず有機を購入しますが、タイミングが合わなければ国産を選びます。有機トマト、有機ズッキーニはときどきサンエーハンビータウンなどで置いています。

ベーコンは添加物が多く使用されがちな食品の代表格で、注意して購入しなければほぼ確実に着色料、保存料などが添加されています。ベーコンがメインの料理のときはネットで取り寄せますが、付け合わせなどの場合は、サンエーハンビータウンでグリーンマークブランド無塩析のベーコンスライスを購入します。

オリーブオイルフレスコバルディ・ラウデミオを 使っています。ラウデミオは、トスカーナの生産組合「リ・オリバンティ」が自ら制定した厳しい基準に合格したエキストラヴァージンオリーブオイルだけに与 えられる名称で、現在35種類のラウデミオが生産されています。中でも800年続いているフィレンツェの名門フレスコバルディ公爵家のワイン/オリーブ農 園で生産されるオリーブオイルは世界最高品質と言われています。香りが高く、スパイシーで、上品なコクがあり、私もこれに勝るオリーブオイルを経験したこ とがありません。500mlで4200円と高価ですが、その価値は十分にあります。

お米は、末金のコメントにもありました、岐阜県下呂温泉でとれる「龍の瞳」。 様々なコンテストで何度も日本一に選ばれているお米で、驚くほどの瑞々しさとハリがあります。いくつかの種類が販売されていますが、私たちはその中でも有 機JAS米を年間予約して、送付してもらっています。今年も11月から新米が発売されていますが、このお米は水分を多く含むため、新米はより大きな粒でさ らにおいしさが際立っています。

▶最近は土鍋炊飯がブームのようですが、私たちはハリオ製フタがガラスの炊飯鍋で炊いています。この土鍋は実に扱いやすく、電気炊飯器並みの手軽さで、最高に価値のある買い物のひとつになりました。土鍋で炊いたごはんは電気やIHの炊飯器とは比較にならないおいしさで、一度経験されると二度と手放せなくなると思います。

飲み物はいつも料理に合わせることにしています。和食には有機緑茶、中華には有機ウーロン茶、韓国料理には有機コーン茶といった感じです。今回のステーキには、ムソーの有機ストレートアップルジュースをドイツ産の天然炭酸水ゲロルシュタイナーで割って頂きました。アップルジュース100%有機果汁であることはもちろんですが、ストレートは濃縮還元とは比較にならないおいしさです。炭酸水も天然のものがやはり個性と味があって、安価な炭酸水とはまったく別物です。いずれもサンエーハンビータウンで購入できます。

【樋口耕太郎】

なぜ私たちが食に関心を持つのか、おいしいレジスタンスを参照下さい。

「たべる毒薬」

私とパートナーの末金が農業と食について深い関心を持つようになって9年ほどが経ちますが、食の現実を知れば知るほど、私たちが「食べていると思っているもの」と「実際に食べているもの」が、どれだけ乖離しているかに愕然とすることの連続です。私たちの食べものは惨憺たる状態にあります。

私たちが毎日食べているもの、子どもたちに与えているものの大半は、コストを削るために極力低価格の素材で作られています。その質の低さにも関わらず、私たちに「食べたい」「もっと食べたい」と思わせるために、糖分と脂肪分と塩分がふんだんに添加されるため、命を支えるはずの食品が、体を蝕む最大の要因になっています。現代の食品製造技術では、ほとんどどのような素材であっても「おいしい」味に変えてしまうことができます。食欲をそそる香りを加え、食感を豊かにし、見た目に美しく、コクと旨味を加え、簡単に用意できて、便利で、流通・保存を容易にするために大量の食品添加物が駆使されます。私たちの食は、薬品で味が整えられていて、カロリーたっぷりで「おいしく」感じるのですが、質と栄養素と素材は劣悪で、食品というよりも、「たべる毒薬」に近いと思うことがあります。

幸せな社会は幸せな食事から

私たちは、社会をよりよくするために、自分自身が行動することにこそ最大の価値があると考えています。社会を変えるために、まず自分が変わる。理想の社会を目指すのであれば、自分こそが、まず、理想社会を生きるべきでしょう。同様に、理想の食を考えるのであれば、何よりも自然で、安全で、おいしく、エネルギーに溢れ、愛情に満ちた毎日の食事をとることが何よりも大切だと思うのです。私たちにとって理想の食事を深く丁寧に追求することは、効率重視の価値観によって愛情が常に後回しにされがちな現代社会への「おいしいレジスタンス」なのです。

そのような動機から、積極的かつ頻繁に買い物に出るようになり、スーパーでの買い物の際に食品の成分表示を確認するようになり、有機無農薬野菜を優先して食べるようになり、無農薬のお米を取り寄せ、牛乳を吟味し、飲み物に注意を払い、塩、砂糖、醤油、なたね油、ごま油、オリーブオイル、味噌、酒、みりん、酢、スパイス、ハーブ、豆板醤、甜麺醤、コチジャン、オイスターソース、バターなどを始めとした調味料、ハム、ソーセージ、肉、魚、チーズ、たまご、漬け物、梅干し、パスタなど食材の一切を見直し、新鮮な素材を使って、自分たちで美味しく料理し、味わい楽しみながら食べはじめたところ、文字通り人生が変わりました。

明らかな変化は、短期間で体がびっくりするほど若返ったことです。子どもの頃から毎年必ず何回かは病気に臥せっていたことが噓のように、一切病気にかからなくなりました。風邪を引くのは当たり前のことだと思っていましたが、どうやら、風邪を引かないことの方が当たり前だったようです。「おいしい毒薬」を食べることを止めれば、本来の健康な状態に回復するということでしょう。以来私の医療費はほとんどゼロで、ありがたいことに医療保険は払い損の状態が続いています。自分が健康になれば、その保険料が誰かの役に立ちますので、それだけで向社会的と言えるでしょう。

単に病気にならなくなっただけではなく、体に力がみなぎり(回復し)、疲れなくなり、夜は深く眠り、朝は溌剌と起き、学ぶことへの意欲が増し、仕事がさらに楽しくなり、情熱的に働き、人間関係に恵まれ、不安がなくなり、ストレスを感じなくなり、愛に溢れ、幸せで、生産性の高い人生を送っています。お世辞も混じっていると思いますが、多くの人から年齢よりも相当若く見られますし、美容室では髪と頭皮の若々しさを褒められ、白髪もいまのところ目立たず、週何日かは6キロを苦もなく走る体力があります。

おいしいレジスタンス

私たちは、毎月およそ50冊程度の雑誌に目を通していますが、その中で、おいしそう!試してみたい!とひらめいた料理のレシピをストックして、その中から毎日必ず違う料理を二人で作って食べています。少なくとも年間300日300食の異なる料理を作るのですが、私たちはこのような生活をもう8年以上続けていますので、これまで恐らく2400種類の異なるレシピを作って食べていることになります。

食べることは、単にカロリーを獲得することではありません。私たちの人生を豊かにし、ひいては幸せな社会を実現する強力な市民運動でもあるのです。このような趣旨で、沖縄大学でも「観光と食」という講義を開講し、学生たちに「おいしいレジスタンス」の実践を勧めているのですが、私が講義でこの話をするたびに、学生たちからは私が具体的にどのような食事をとっているのか、興味津々で問い合わせを受けることが多くなりました。そこで学生たちにより具体的なイメージを伝えるために、そして、今までの私たちの実践をよりインスピレーショナルな形で表現するために、私たちの「今日のごちそう」を紹介することに致しました。

これだけの回数を重ねていくと、料理を美味しくする要素がだんだんと分ってきますし、レシピを作っている料理研究家の方々の意図や経験の深さや考え方が理解できるようになってきます。単なる料理ブログではなく、食材の内容、調達先、価格、料理の考え方などをまとめ、「おいしい市民運動」の実践の場としていこうと思っています。

【樋口耕太郎】

「王国全土を崩壊させようとした力のある魔法使いが、全国民が飲む井戸に魔法の薬を入れたの。その水を飲んだものはおかしくなるように。

次の朝、誰もがその井戸から水を飲み、みんなおかしくなったわ。王様とその家族以外はね。彼らには王族だけの井戸があり、魔法使いの毒薬は撒かれていな かったから。そこで心配した王様は安全を図り、公共の福祉を守るためにいくつかの勅令を発布したの。でも、警察官も、警部も、すでに毒の入った水を飲んで いたから、王様の決定を愚かだと思って、従わないことにしたの。

王国の臣民がその勅令を耳にした時も、みんな、王様がおかしくなって、バカげた命令を下しているんだって確信したの。彼らは城まで大挙して押し寄せ、その勅令の破棄を求めたわ。

絶望した王様は、王位から退く心づもりでいたけど、女王が彼を引き止めて言ったの。『さあ、みんなと同じ共同井戸の水を飲むのよ。そうすれば、みんなと同じようになるはずだから』。

そして彼らはそうしたの。王様と女王様は狂気の水を飲み、すぐに不条理なことを口走り始めた。彼らの臣民は、すぐに悔い改め、王様がすごい知恵を見せている今、このまま国を統治させようではないか、と思ったの。

その国は、近隣諸国よりもおかしな行動を取っていたけど、それから平和な日々を送り続けた。そしてその王様はその最後まで国を支配することができたとさ」

パウロ・コエーリョ著『ベロニカは死ぬことにした』より

*   *   *

・・・井戸の水を飲んだ人たちは、自分たちが正気だと信じている。しかしながら、その「正気」の根拠は、「他の皆も同じように行動している」、ということ以外には存在しないのだ。

「井戸の水を飲んだ人」が作る(資本主義)社会では、まだ水を飲んでいない「精神患者」を隔離し、井戸の水を飲ませ、社会に復帰させることが「治療」とされ、そのために膨大な社会費用が支出されている。

・・・私はどうしてもこう考えずにはいられない。「治療すべき対症は個人ではなく社会そのものであるということはないのだろうか」、と。・・・そしてもちろん、私のこの発想は、明らかに統合失調症のそれと一致するのだ。

*   *   *

「自分の世界に住んでいる人はみんな狂っていることになるのよ。多重人格者、精神異常者、マニアのように。人と違うだけでね。

… まず、時間も空間もなく、あるのはその二つを合わせたものだと言っていたアインシュタインがいたでしょ?

それから、世界の反対側にあるのは大きな溝ではなく、大陸だと固執したコロンブスがいるでしょ?

人がエベレストの山頂に到達できると信じていたエドムンド・ヒラリーがいるでしょ?

それに、それまでと全く違う音楽を創り、全く違う時代の人みたいな格好をしてたビートルズもいたでしょ?

そんな人たちと、他にも何千という人たちは、みんな自分の世界に住んでいたのよ」

パウロ・コエーリョ著『ベロニカは死ぬことにした』より

*   *   *

私はむしろ、沖縄に「狂人」が少ないことの方が問題だと思っているのです。

アップルCM『クレイジーな人たちがいる』

【樋口耕太郎】

今月投開票された衆議院選挙において、沖縄選挙区で自民党が全敗した。知事選や衆院選での辺野古移設への反対派の勝利は、どのような沖縄県民の民意を代表しているのか、多くの人はその意味を量りかねているように見える。

沖縄選挙区の特徴であり問題点は、常に「基地撤去」か 「経済発展」かという二者択一に論点が矮小化してしまうことだろう。論点が常に単純化されてしまうのは、政治家が票を取るためであり民意とは無関係だ。かくして選挙のたびに、沖縄にはあたかもそれ以外の民意が存在しないかの様相となってしまうのだが、これは誤りだ。選択肢が二つしかないもののひとつを選んだからと言って、それが選択者の望みとは限らない。争点の支持・不支持は有権者の「表現のひとつ」 に過ぎず、往々にして民意は争点とは別のところにある。

一般に、「革新系」に票が投じられるのは、現県政に対する不満による。どれだけ「経済発展」を遂げても、一括交付金を獲得しても、基地返還跡地を開発しても、沖縄の社会問題は悪化する一方だ。一向に所得が上がらず、共同体は解体し、労働環境が悪化し、教育が劣化し、健康が悪化し、環境が破壊され、街並が美しさを失い、沖縄らしさが失われ、閉塞感は増し、県内格差は拡大し続けている。今回の選挙結果は、社会に対して漠然と違和感を持つサイレント・マジョリティが辺野古移設反対の流れに合流したことの結果ではないかと思う。

象徴的なのは、先の知事選で普天間飛行場を擁する宜野湾市の投票結果が翁長氏21,995票、仲井真氏19,066票であったこと。宜野湾市にとって普天間飛行場の「危険性除去」よりも重要なことが他に存在したということになる。大半の沖縄県民が基地返還を望んでいるのは当然だが、どのように返還を望むか、そして返還ということの優先順位はけっして一枚岩ではない。・・・争点が単純化されすぎることで見失われがちな民意を理解するためには、このような現象を冷静に見つめることが有効だ。

辺野古移転の推進派(前知事、自民党ら)の敗北の主な理由は、彼らが宜野湾市の、そして沖縄県民の民意を読み違えたことだろう。本当に社会を良くするための真っ当な政策を望んでいたサイレント・マジョリティ(民意)が、「危険性除去」という選挙スローガンに嫌気がさしたとも言えそうだ。

単純な二者択一の視点から離れ、保守革新の立場と政策を超え、普天間移設問題には何らかの発想の転換が必要だろう。「辺野古移設撤回」が実現しても「経済発展」を遂げても、それだけで県民は幸せにならないからだ。むしろ県民が幸せでないからこそ、基地反対運動が高まっているのではないか?

例えばよく選挙公約に上げられる、経済成長、安定した仕事、生活費の確保、待機児童ゼロなどの実現は不幸の解消には役立つが、県民を幸福にすることはない。「人の不幸を解消することと、人を幸福にすることは、 まったく別の要素である」。経営心理学の世界ではフレデリック・ハーズバーグが唱えた「二要因理論」という概念がそれで、人間の不幸を解消しても、それだけで人を幸福にすることはできないのだ。

不幸を解消することの最右翼が「お金」である。経済成長で貧困を脱して豊かになれば、不幸は解消するが、決してそれだけで社会は幸福にならない。政治や行政に関わる方々は、この心理学的社会学的事実をぜひ理解してもらいたいと思う。

県民の幸福とは、ひとりひとりの生きがいに関わる変化から生まれる。例えば月曜日が楽しみな仕事であり、柔軟な労働時間であり、家族とのより長い時間であり、家族が一緒に食べる健康的で安全な食事であり、人の役に立つ役割を持つことだ。

一見無関係のようだが、単なるスローガンでない県民の幸せを、具体的かつ徹底的に追及することが、沖縄の基地問題を含む、多くの問題を解消することに繋がるだろう。

*本稿は、沖縄タイムスデジタル版に掲載された。【2014.12.24 樋口耕太郎】

お元気ですか?
街にクリスマスキャロルが流れるころ、北風は寒くても心はウキウキしてきますね。
クリスマスはだれもが幸せを感じるシーズンです。
このクリスマス、実はキリスト教よりも古い起源をもっていることを
ご存じでしたか?
クリスマスはイエス・キリストの誕生日を祝うものではありますが、もともとは
ローマで行われていた冬至の祝祭をキリスト教が取り入れたものだと
いわれているのです。冬至の日、昼が一番短くなりますがこの日を境に光は
また徐々に復活していきます。光の死と再生を祝うとても大事な
祝祭だったようです。クリスマスのころ、人々の希望がもう一度復活します。
贈り物をしあうのは、そのことをお互いに歓び、わかちあうため。
また、このころには、目には見えない世界からたくさんの妖精たちもやってくると
されています。
このクリスマスのシーズンにあなたの心にある希望にもう一度、
目を向けてみてはどうでしょう?

さて。
今年も残すところ10日ほどとなりました。
この一年本当にお疲れさまでした。
今年もいろいろと御苦労があり大変でしたね。
あなたは今どんなお気持ちでお過ごしでしょうか。
お疲れになっていませんか。
心配事はございませんか。
夜はよく眠れていますでしょうか。
ご病気などされていませんでしょうか。
楽しいことはありましたか。
困ったことなどありませんでしょうか。……

日々麗王に立ちながら、ふと手をとめて、こんなことばかりを思います。
あの人のお顔、この人のお顔…。
とても不安定な世の中の今、たくさんのお店の中から、麗王を選んで
いらしてくださることが、どんなにありがたいことかと考えると、
こんなふうにみなさまのことを思わずにはいられないのです。
この前いらしてくださった時、何かひとつでもお役に立つことはできただろうか。
行ってよかったと思っていただけただろうかと、一人一人のお声を聞きに
お伺いしたい気持ちで一杯です。
いつものように麗王に行ってはみたものの今日はつまらなくて損をしたと
がっかりされないよう、みなさまの大切なお金を無駄にしないよう、
隅々まで心を配り、そしてみなさまにどんなふうに楽しく時間を
お過ごしいただこうかと深く考えながら、大きく反省もしながら、
お一人お一人の肩にそっと手を当てるような気持ちでありたいと
麗王を続けさせていただいて今年で19年が過ぎました。

「継続は力なり」といいますが、継続するにはコツがあります。
そのコツのひとつがリセットなのです。
リセット無くして、継続無しといってもいいでしょう。
言うなれば、リセット上手であれば、コツコツとマイペースで
何事も続けられるということです。

さて、ではリセットとは何でしょう。
何かを頑張って続けていくと、必ずどこかで行き詰まります。
行き詰まるのは自然なことだから気にすることはないのですが、
それまで順調だったことが行き詰まることでそうではなくなるので
やめたくなってしまいます。もはやこれまでかと。もういい、さあ、次と。
でもその時こそリセットの出番なのです。

まずは一息つくこと。
そして、それまで使いこんだ気持ちとか考え方、想い、習慣など、
自分がこだわっていたいろいろを、元にあった場所に戻すような感じで、
これはここ、あれはここ、それはここというように片付けてみます。
片付けをしながら、なんだこれ?というようなもので、無くてもよさそうなものは
ポイと捨ててしまえばいいのです。

そうすると、行き詰まった時に散らかりまくっていた心の中が、だんだんと
整ってきます。
そうなのです。行き詰まるということは、心というひとつの部屋の中が
いろいろなもので散らかってしまうことなのです。
そしてリセットとは、自分の心と向き合い、ちょっと整理整頓して片付けること
なのです。
いらないものは捨てて、いつかまた使う大事なものは、次にまた使う時に
困らないように、あった場所に戻しておくというように。

その片付けですが、実際どうすればよいかとお思いでしょうか。
一番よいのは、ゆっくりじっくり何かをするのがよいのです。
たとえば、時間や手間のかかるお料理を作ってみるとか、
大工仕事をしてみるとか、絵を描いてみるとか、長い距離を歩くのもいい。
こんなふうにいろいろなことを忘れて、2時間くらい無心になることをすると、
自然と心の中の片付けがされるものです。
ゆっくり息を吸って、ゆっくり息を吐くことを思い出しながら。

片付いたら、何かをすぐに始めるのではなく、まずはリラックスして
休憩することです。
この休憩というのが大事。やめるのではなく休憩。
まわりがどんなに自分を追い抜いていこうと気にせず休憩。
あせらずあわてない。

休憩してぼんやりしていると、心の中に自然と浮かんでくることがあります。
想うもの、欲しいもの、したいこと、見たいこと、知りたいことなど。
それこそが行き詰まった先へ行くための、新しい地図であり手がかりです。
あとはそれを心に置いて、「さてと、また始めよう」とリスタートすればいい。

リセットとリスタートというのは、仕事や趣味でも大事なことだけど、
恋愛関係や人付き合いでも同じことなのです。

今回のこのテーマは、IT事業家で沖縄にも長く関わっておられる
尾関茂雄さんが先月40歳を迎えられた時にブログにとても素敵な文章を
綴っておられて、そのなかでも触れておられますが、
麗王にいらしてくださった時に、以前経営なさっていた六本木の「Birth」という
お店を、「Re Birth」としてもう一度オープンするんですよ、と
お話しなさっていたので、私はみなさんにこんなふうなことをお伝えしたいな~
というヒントをいただいたというわけなのです。

リセットするのにちょうどいいお正月休みです。どうぞのんびりなさってくださいね。
そしてまた新年から素敵なリスタートをきってください。
あなたがどうかこの上もなくお幸せでありますように。

みなさまのおかげで、こうしてまた一年間、麗王を続けることができました。
本当にありがとうございました。
また来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

【2014.12.22 末金典子】

撮影:初沢亜利

はじめに

本稿では、2014年の衆議院選挙に関する細かな分析は完全に割愛した。選挙において私たちがどのような行動をとるかは、私たちが社会をどのように解釈するか次第だ。このため、本稿は沖縄社会の基本的な構造についてのモデルを提示する構成となっている。沖縄選挙区に関心のない読者には適さないようにも見えるが、「沖縄問題はそのまま日本問題の縮図であり、日本と沖縄は入れ子構造になっている」、という前提で捉える場合は一定の意味を持つだろう。本稿は、提示した社会モデルが正しいと主張するためのものではなく、仮にこの社会モデルによって沖縄が直面する問題の多くを説明できるのであれば、読者はどのような意見を持つだろうか、どのような行動をとるだろうか、と問いかけるためのものだ。


サイレント・マジョリティ

2014年の沖縄県知事選挙は翁長雄志氏の圧勝で幕を閉じた。現職仲井真弘多氏との実質的な一騎打ちは、翁長氏が優勢と予想されていたが、ふたを開ければ、投票終了時刻と同時と思えるほどのタイミングで翁長氏が当選確実とし、二期務めた現職仲井真知事に10万票以上の差で圧勝した。最大の争点となったのは、米軍普天間飛行場の返還・移設問題だ。仲井真氏は、普天間飛行場の「危険性除去」をアピールし、一方の翁長氏は「辺野古の埋め立て阻止」に焦点を当てて選挙を戦った

投開票日の夜遅く、自民党の議員から電話があった。「今回の選挙でともかくショックだったのは宜野湾市で負けたこと。普天間飛行場を地域住民に取り戻すために、ここまで努力してきたのに……」お膝元の宜野湾市民が翁長氏を支持したことで、自分たちの努力が否定されたように感じたのだろう。仲井真氏と自民党は「民意」を読み違えたのだろうか? そうだとするならば、宜野湾市の民意とは、ひいては沖縄の民意とは何だったのだろう?

辺野古以外の移設先は現時点において存在しないため、「辺野古移設反対」というカードの裏側には、「普天間飛行場の返還を(実質的に)行わない」、という判断が不可分に結びついている。翁長氏を支持した有権者の多くが辺野古移設に反対しているのは明らかだが、翁長氏はそれ以外にも、基地返還に対して冷静な層を多く取り込んだ可能性がある。辺野古移設反対の熱気に包まれた選挙だったが、実は、基地返還にクールなサイレント・マジョリティが、翁長氏躍進の原動力となっていたとしたらどうだろう。沖縄県民にとって、普天間飛行場の返還を行わないという判断は、苦渋の選択ではなく、なんらかの積極的な意思表示であるという可能性だ。そうだとすると、普天間飛行場の危険性除去を訴えて選挙を戦った自民党は、民意から外れた戦略によって敗北を喫したことになる。

撮影:初沢亜利

それを示唆する根拠の第一は、宜野湾市の投票結果だ。有権者7万1000人に対して、翁長氏2万2000票、仲井真氏1万9000票であり、今回の知事選挙で宜野湾市は普天間飛行場の返還を(実質的に)望まなかった*(注)と言わざるを得ない。宜野湾市が基地返還を望んでいないのであれば、沖縄県全体では推して知るべしではないか。

*(注)宜野湾市が普天間飛行場の返還に積極的でない理由として指摘される点は、基地が戻ってきたら多額の軍用地代が消失し、多数の地主が困るというもの。しかし、普天間飛行場の3000人の地主は宜野湾市の有権者数7.2万人の4%強に過ぎず、これだけで今回の選挙結果を説明することは難しい。

第二は、辺野古移設に伴う「埋め立て申請の承認撤回または取り消し」を確約した候補者が喜納昌吉氏だけだったという点だ。翁長氏は「承認撤回を求める県民の声を尊重し、辺野古新基地を造らせません」と述べるにとどめ、最後まで「撤回または取り消し」を公約にしなかった。その結果は、翁長氏の得票36万に対して喜納氏7800票沖縄の民意が辺野古移設断固反対、埋め立て絶対阻止であるならば、喜納氏の票が翁長氏の僅か2%という選挙結果は説明しにくいように思われる。

第三は、辺野古移設撤回のそもそもの可能性だ。2009年に政権を奪取した民主党鳩山由紀夫首相は「最低でも県外」と発言して、本人の地位どころか政権を揺るがせる遠因をつくってしまった。一国の首相が実現できなかったことを一県の知事ができるとは思いづらい。翁長氏が埋め立て申請の承認撤回を確約していないのは、その難しさを良く知っているからだ。有権者の中にもそう考えている者は多く、必ずしも辺野古撤回を目的としていなかった層が翁長票の中に相当数含まれていると考えるべきだろう。

撮影:初沢亜利

選挙後も多くの有識者、候補者、市民と会話を続けているが、私が会話した沖縄人たちの多くは、驚くほど基地問題に関してクールだ。「沖縄の問題は基地だけじゃない」、「中部の方々には気の毒だが、都市部で生まれ育った私の中に基地問題は存在しない」、「沖縄の社会問題は、経済発展によって減るどころか増加している」、「本土復帰以来、沖縄がどんどん沖縄ではなくなっていくような気がする」などなど……。彼らの言葉を聞きながら、私は、沖縄のサイレント・マジョリティとは、基本的な社会の方向性、つまり、沖縄が本土並みを目指して進んできた振興計画のあり方と、それが生み出した環境問題格差問題共同体の分裂など、今の社会の現状に疑問を持っている層ではないかと感じた。積極的な翁長票というよりも反仲井真・反自民票の流れが顕在化したのではないか。サイレント・マジョリティの望みは、辺野古反対でも、経済成長でも、一括交付金でもない、もっと素朴な沖縄社会を求めているのではないだろうか。その意味で、今回の知事選での勝利者は存在しないのかもしれない


社会は「豊かに」なったか?

これまでの沖縄の「発展」のあり方を、虚心坦懐に見直してみよう。沖縄県政が本土復帰以来追い求めてきた「本土並み」とは、補助金とコンクリートで日本の平均を目指すという意味だった。選挙では辺野古の埋め立てに伴う環境破壊が問題になったが、沖縄は復帰以来海岸線を容赦なく埋め立ててきた歴史を持つ。結果として現在の沖縄本島で、嘉手納以南に自然のビーチは事実上残されていない。

宜野湾市では1980年代の西海岸埋め立て事業で、もっとも経済価値のある海岸線をコンクリートの護岸で固め尽くしている。現在の街並は倉庫とラブホテルとパチンコ店とショッピングセンターが連なる様相だ。宜野湾市民が普天間返還後のイメージに重ねあわせたとしても不思議はない。

豊見城市豊崎糸満市西崎・潮崎与那原町東浜もおおよそ同時期の埋め立てだが、美しい海岸線を個性のない街で塗り替えてきた。浦添市では昨年1キロ近くもあるキャンプキンザーの美しい自然の西海岸をコンクリートで埋めてしまったが、その後どのような開発をするべきかの青写真はまだない。沖縄では土木工事に伴う高率の補助金(工事代金の最大95%)を獲得することが目的化し、埋め立てのための埋め立てが止まらない。良い街を造るということは、はじめから埋め立ての目的ではないのだ

せっかく返還された基地の再開発も同様だ。1987年に返還された200haを超える米軍牧港住宅地区の再開発によって誕生した那覇新都心おもろまちは、基地返還後の経済波及効果のモデルケースとして取り上げられることが多いが、その街並は減歩率が不足して道路面積が十分に確保できず、日中は渋滞で車では出ることも入ることもままならない。目抜き通り、沖縄県の顔とも言うべき県立博物館・美術館の正面に、パチンコ店と量販店と低価格のビジネスホテルが連なる街並を見て無念と感じる県民は少なくない。長年基地返還のために戦って、県民が手に入れようとしていたものはこんな街なのだろうか。

撮影:初沢亜利

今年から開発が始まっている北谷町キャンプ桑江返還跡地北側地区38haは、あっという間に雑然とした街並に変化した。今後南側68haの返還を控えているが、その変化を見届けるのが不安になる。会話をしていたある沖縄人の言葉が心に刺さった。「どれだけ基地が返還されても悲しい街ができるだけ、基地返還が怖い」と。

発展を遂げていると言われている沖縄の観光産業も、来訪客数と観光収入は増加しているが、観光客一人当たりの滞在日数と消費額の低下に歯止めがかからない。沖縄本島の魅力はどんどん褪せて観光事業者の利益率は低下を続ける。沖縄の観光産業は今やもっとも低所得で、もっとも臨時職員比率が高く、もっとも労働者の流動性が高い業種の代表格になってしまっている。従業員が幸せでなければ、思いやりで顧客に接することはできない。観光立県を支える観光産業の現場には夢がなく、疲弊している

成長著しいとされる「IT産業」も、その実体は大半がコールセンターなどのBPO(外出し事業)であり、人件費が安いという理由で沖縄が選ばれている業態の典型だ。本土大手企業が低価格の沖縄子会社に単純作業を投げ、東京本社では付加価値の高い業務を行う分担が出来上がっている。沖縄の従業員は、将来上がる見込みのない低賃金で働き続けるだけでなく、発展性のない単純作業をくり返すことが求められているため、十分な学習機会が得られず、やる気を失い、人材が育たず、マネージャーはいつまでたっても本土からの派遣で賄われる

沖縄は豊かになったか?答えは、あなたがどの階級に属するかによってまったく異なる。復帰以来40年を経過した沖縄振興計画は、土木事業を中心に経済の「量」的拡大を見事に達成したものの、「質」を置き去りにして環境を毀損し、美しい街を奪い、観光資源を消費し、拡大する一方の格差社会の中で県民の大半は低賃金に喘いでいる。沖縄振興のなにかが間違っていたのだろうか?


基地経済「5%」の謎

今後ますますアジア経済圏が成長する中で、 人件費の安さではなく、人材とイノベーションと産業の付加価値によって社会を支えなければならないのだが、沖縄はこの流れに逆行することで自らの付加価値を低下させている。それにも関わらず沖縄経済が日本の地方都市の中でも絶好調であるように見えるのは、基地関連の莫大な補助金が存在するからだ。

沖縄の基地経済を語る上で、沖縄の「基地関連収入」は県民総所得の「5%」程度まで縮小し、現在の沖縄経済はほとんど米軍基地に依存していないという議論が存在する。沖縄県庁、学識者、マスコミなどが一貫してこれを支持し、先の知事選では仲井真、翁長両氏がくり返し引用するなど、沖縄ではこの論旨がほとんど無批判に受け入れられている。

「沖縄は基地経済に依存していない」と主張できれば基地反対の声が強くなりやすいため、この数字は政治的に利用されてきた。しかしながら、この「基地関連収入」は沖縄経済の補助金依存度を計る指標としてはミスリーディングで、ほとんど事実ではないとすら言える。「5%」の根拠となる「基地関連収入」は一般に、 (1)軍用地料 (2)軍雇用者所得 (3)軍人・軍属消費支出(米軍などへの財・サービス) の合計額と定義されているが、沖縄に米軍基地が集中していることの「見返り」として提供されてきた有形無形の補助金、税制優遇、観光プロモーションなどの一切はこの中にカウントされていない

顕著な例では、辺野古移設への事実上のバーターとして沖縄に提供される一括交付金など、年間3000億円を超える沖縄関連予算あくまで沖縄「振興」予算であって、「基地」関連経済ではないという解釈だ。よって先の計算からはまるまる除外されている

沖縄自立経済の代表格とされる観光産業においても、那覇空港を発着する国内便の着陸料、空港施設利用料、燃料税が1997年から大幅に減額され、この年から沖縄への観光客数は急カーブを描くように上昇して15年間で倍増したこの税制優遇措置が観光客の増加に寄与したことは明らかだが、この効果も先の計算には入っていない

ビールや泡盛など、沖縄で生産・販売される酒類には酒税の減免措置があり、軽減分は復帰から2009年までの累計で約1060億円であるこの優遇措置によって支えられている酒造産業が地域に及ぼす経済効果、雇用で支えられる生活、教育、消費支出なども計算外だ。 その他、沖縄経済の隅々に浸透している補助金経済のほとんどは、この「5%」にカウントされていない。このように考えた場合の基地依存型経済の規模は 「5%」どころか、県民総所得の相当規模を占めると考えるべきだろう。正確な統計は存在しないが、私の感覚では少なく見積もっても県民総所得の25%、恐らくは50%前後が順当な水準ではないか。そうだとすると沖縄県庁が主張する「5%」の10倍である。

撮影:初沢亜利

県内格差の構造

大量の補助金がこれほど狭い地域に投下されているにも関わらず、沖縄では最低賃金で働く労働者数、非正規社員数、平均所得、平均家計収入、完全失業率いずれも全国最低水準である。いったいぜんたいこれだけの補助金はどこに消えているのだろう? 回答のひとつが県内格差である。沖縄の平均所得は日本で最低水準だが、年収1000万円以上の対人口比は全国第9位だ。沖縄は一般に言われているような単純な「貧乏県」ではなく、日本最大の「超・格差県」なのだ。沖縄と本土の格差はよく議論に上るが、沖縄問題の本質はこの県内格差にこそある。沖縄県内において、補助金の「川上」に位置する保守層が補助金経済の多くを享受する構造が存在する。県内格差を生み出し、維持しているメカニズムは沖縄の内部にあるのだ。

例えば先月、沖縄県内の有名泡盛メーカーが役員4名に4年間で20億円近くの報酬を支払い、沖縄国税事務所から申告漏れを指摘されていたという報道があった。 この泡盛メーカーは戦後間もなく創業した老舗で、従業員40人弱の中堅企業である。先にも述べたように、沖縄で製造・販売される泡盛は、沖縄振興特別措置法によって酒税が35%減免されているために安価で求めやすい。この減免措置によって沖縄の酒造メーカーは大いに潤っているのだが、内実はそれだけの補助金が激しい格差を生み出す原動力になってしまっている。沖縄全体の振興が目的であるはずの補助金や税制優遇措置が、一部の保守層に傾斜的に配分されている典型的な事例だ

酒税軽減の特別措置は過去8回延長されているが、その延長運動はオリオンビールと県酒造組合連合会で組織する県酒類製造業連絡協議会が中心となり、 日本政府に対しては沖縄県知事が交渉を行ってきた。酒税軽減措置は、本土復帰の激変緩和策および沖縄振興政策の一環ではあるものの、現実的には沖縄側が基地反対を唱えることで更新が続けられてきた面があることは否めない。例えば先に示した「基地依存度5%」という数字が県民の基地反対の声を高め、政府に対して酒税などの特別措置を継続する圧力となり、沖縄の保守層が既得権を維持することにつながる。「5%」が政治的に利用されてきたとはそういう意味だ

基地反対の精神はまったく正しいことだし、米軍基地が沖縄に集中している現状はどのような論理によっても正当化できるものではないが、一方で、沖縄で基地反対の声が強くなるほど、政府は躍起になって補助金を増額し、その多くが県内の保守層に集中して、格差がさらに拡大し、経済的にも精神的にも真の自立から遠のき、基地経済への依存をさらに深めるという皮肉な連鎖が続いている。

そう考えると、「5%」という数字は、沖縄の自立の象徴というよりもむしろ、本土への経済的依存を促すマジックワードとして機能している。同様に、辺野古移設問題のように基地反対の声が高まるほど、補助金が増額され、結果として保守層が富み、格差が拡大するが、これは基地の固定化を目指す日本政府の意図とも一致する。

撮影:初沢亜利

悪意なき独占

とても酷い言い方に聞こえると思うのだが、沖縄の保守層は(必ずしもそれを意図としなくても、結果的に)多額の補助金を不均等に分配する役割を果たすことで、沖縄内部に激しい格差を生み出す原動力になってしまっている。沖縄の労働者は全国でもっとも低い賃金で働いているが、彼らは保守層が経営する事業に安価な労働力を提供することで、結果として保守層の既得権を支えている。保守層の立場では、自分たちが富を蓄え、県内格差が拡大するほど安い労働力が手に入り、自分たちの経営がさらに安定するという皮肉な図式だ

——私は、沖縄の社会構造と米軍基地が復帰以来40年間を経過してもいまだに維持されている理由を正確に理解したいと望んでいるのであって、特定の誰かを批難したいわけではない。実際のところ、保守層が従業員や地域に資本を還元しようと思っても、独特の人間関係のバランスで成り立っている沖縄社会において、それほど事は単純ではないのだ。

例えば、先日私の友人の医師が開業することになった。経営に関して相談を受けたので、私は、何よりも従業員の働きやすさを優先するようにとアドバイスした。可能であれば正社員だけで運営し、業界水準以上の給与を支払い、労働時間や福利厚生を手厚くすることを勧め、彼らの声に注意深く、頻繁に耳を傾 け、従業員の自主性と成長を重んじることが、莫大な生産性を生み出すことを説明した。社会はこれから大きく変化する。今はきれいごとに聞こえるかもしれな いが、人を何よりも大切にする経営が遠からず報われるようになる。その方向に経営の舵を切るのは、重要な経営戦略である、と。

私のアドバイスに納得した友人医師が手厚い待遇で従業員を募集したところ、同業者から様々な妨害を受けた、と私に語ってくれた。沖縄では革新者に対してやんわりと、曖昧な言葉で、ときには無言で、目には見えない暴力的な圧力がかかることが珍しくない。「おまえのところだけ従業員に高い給料を払っていいカッコすれば周りが迷惑する。沖縄社会のバランスを乱すものは悪である」といった声だ。

恐らくこのようなことも理由のひとつだと思うのだが、沖縄は企業経営者の大半が2代目、3代目であり、成功した創業者が非常に少ない地域だ。それが悪平等であったとしても、競争の芽を潰し、新しいものの誕生を妨げる社会風土が根強く存在する。ひとりで事を起こすことは難しく、親しい間柄、特に血縁内の「承諾」なしで強行すれば、重要な人間関係を壊すことになる。緊密な血縁者から十分な協力が得られなければ、小さな沖縄のマーケットで事業は成り立たない

血縁社会沖縄では、自分の身内に忠誠を誓うのは重大なルールである。多くの人は仕事よりも、友人関係よりも、親戚同士の関係を優先し、本土で暮らしている沖縄人が沖縄に戻ってくる理由はたいてい家庭の事情だ。血縁を大事にしているということももちろんあるが、それ以上に、このルールを破れば沖縄社会で居場所を失ってしまう。沖縄には模合(もあい)という頼母子講が根強く存在するが、30年間毎月続いているような模合も珍しくない。親密さの現れということ以上に、続けなければやはり人間関係に重大な亀裂が入る可能性がある。沖縄人が常に身内を優先することで、外部から見れば筋が通らない振る舞いをしたとしても、他に仕様がないのだ。同様に、沖縄の保守層が自分たちの身内の利害を何よりも優先させることは当然の行動原理であり、逆に、そのように振る舞わなければ、彼ら自身も居場所をなくすことになる。

敢えて先の泡盛メーカーの経営者の立場を代弁するならば、仮に従業員に十分な報酬を与えると「あそこはやたら羽振りが良い」と噂になって、経営上さまざまな不都合が生じる可能性がある。 経営者のご都合のようにも見えるが、周囲とのバランスが崩れれば経営そのものが成り立たないというジレンマが存在する。かくして沖縄の賃金は全国最低水準で相場が形成される。ただでさえ事業収益の確保を最優先する経営者が、相場以上の給与を積極的に支払うインセンティブは生まれない。沖縄の企業で働く従業員の給与が一向に上がらないのは、事業的な理由も然ることながら、そもそも報酬を積極的に上げようと考えている、あるいは、上げることができると考えている経営者がほとんど存在しないことが原因だろう。

復帰以来40年以上沖縄県政が様々な政策を試みているにもかかわらず沖縄県民の所得がいつまでも上がらないのは、このような社会構造を見落としているか、あるいは看過しているためではないか。いずれにしても、誰かが積極的な悪意を持ってこのような構造を引き起こしている訳ではない。「地獄への道は善意で敷き詰められている」というが、誰もが自分が守るべきもののために、目の前の利害を積み重ねた結果なのだ。

撮影:初沢亜利

現状維持の社会

沖縄の保守層は、補助金経済が継続し、県内格差の勝ち組として独占的な地位を獲得している現状に痛痒を感じないため、現状維持を図ろうとするインセンティブがどうしても生じる。変化が少ないほど好都合で、新たな取り組みに消極的であり、外部からの参入を嫌う。企業内部でも英断派は出世しづらく、敵を作らない決断の少ない穏やかな人物が経営を引き継いでゆく。保守層にとっては現状を守ることが重要だから、おもろまちも、宜野湾西海岸も、北谷町桑江も、泡瀬干潟も、浦添西海岸も、過去のやり方で問題にならない。むしろ、異なる発想で開発を試みたり、より良いものを生み出そうと奔走したりすると、周囲から無言の圧力が加わって社会から浮き上がってしまうどれだけ基地が返還されても、いつも通りの雑然とした街になっていくのはこのような理由による。繰り返しになるが、沖縄の保守層も血縁組織の内部に生きている。一人が「このやり方はおかしい」と感じたとしても、緊密な人間関係の輪を乱すリスクをとって単独行動を起こすことは極めて難しい。

結果として、沖縄経済はイノベーションを生み出す力を失ってしまった。創業社長またはそれに匹敵する新規事業分野を開拓し、本土市場でも競争力を持ち、補助金に頼らず、オンリーワン企業として活躍していける沖縄企業はほとんど存在しない。生産性を生み出すことができなければ補助金に頼るほかはなく、創造的な仕事がなければ人材は育たず、大半の県民が低所得で生活し、生活の質が低下し、依存の構図が深まり、教育が劣化し、社会問題の数々が広がり、県内格差が深まる。

このような沖縄の社会問題が生み出された原因は、沖縄の政治が過去40年間にわたって、人材の「質」を高めるよりも、補助金による「量」的な経済成長を何よりも優先してきたからである。経済成長優先、補助金中心の沖縄振興計画は、保守層の基盤を安定させる一方で、基地の固定化を望む日本政府の意図に適っている。そのような明確な意図はないかもしれないのだが、保守層にとっての基地問題とは、解決を目的とするものではなく、社会の現状維持のための手段になってしまっている。

一方で、革新と呼ばれている人たちの基本的な世界観は、沖縄の社会問題のほとんどは本土との対立構造に起因するという認識に基づいているために、沖縄の内部に現状維持を望む強い動機が存在すると言う真実にたどり着かない。 対本土あるいは反基地に対する感情が高まるほど、日本政府からは「火消し」としての補助金増額がなされて基地依存の基本構造が強化されると同時に、本土 vs沖縄という分りやすい対立構造の中に本当の問題が隠されてしまうため、結果として保守層を利して現状維持に力を貸してしまっている。

真に革新するべきは、沖縄内部の格差であり、個人の創造性を殺してしまう社会圧力であり、人を育てきれない風土であり、有能な人材を活かすことができない組織のあり方である。

撮影:初沢亜利

動機の高さで選ぶリーダー

先の知事選では、サイレント・マジョリティが動いた。彼らが本当に突きつけたNOは、現状維持を目的としてきたこれまでのリーダーシップに対してだったのではないか

あと数年もすれば団塊の世代が70代に突入し、就労人口の減少と相まって日本の労働環境は劇的に変化する。介護問題、年金問題、医療問題など大問題の数々があらゆる産業を直撃するとき、県内格差が進みすぎた沖縄でこれまでの社会構造を維持することは難しいだろう。そのときに何よりも必要とされるのが、新たなリーダー像である。

沖縄は社会全体のために奉仕するリーダーを輩出しにくい社会だ。社会の全体最適を優先すると自分の血縁組織からは「裏切り」に映るため、どうしても身内を優先せざるを得ない。その結果が今の沖縄の姿である。自分にとって大切な人のために働くことは容易なことである。可哀想だと思う人に優しくすること、自分を評価してくれる人のために尽くすこと、気心の知れた人に思いやりを示すことも別段難しいことではない。しかしながら、自分と利害が対立する人を助けること、自分の主義主張と異なる人のために働くことこそが、リーダーのリーダーたる所以なのだ

沖縄から基地がすべてなくなっても、それだけで私たちの社会は決して豊かにならない。補助金をどれだけ獲得しても、天に届くまで経済成長を成し遂げても、である。社会のために心を尽くす人材、高い動機に突き動かされて生きるリーダーをこの沖縄社会で発掘し、育てることができるかどうかに未来がかかっている。

撮影:初沢亜利

*本稿は、ポリタス に掲載された。 【2014.12.14 樋口耕太郎】

沖縄知事選も終わり、今年もあと一か月と少し。
わぁ~、もうそんな~?  月日のたつのの早いことったら!
それに随分ひんやりともしてまいりましたね~。
ここのところアラハビーチをランニングする際の服装を半袖半パンから
長袖長パンに切り替えました。
北海道の真冬にも半袖半パン姿で旅行されるぜんざいの富士家の
大嶺社長からは「なんとひ弱な!」と言われそうですが…。

さて、秋も深まりつつあり、明日はいよいよ今年のボジョレーヌーボーが
解禁される日! 今年の出来具合はどうでしょうか。

そのワインには美味しいお料理が欠かせません。
私は「食べる」ということを毎日の生活の中で本当に大事にしていますので
今日は愛のある食べものについて書こうと思います。

麗王にはよく女性のお客様がいらしてくださるのですが、そのなかの、
みどりちゃんという女性が随分以前にいった言葉を、
今でも忘れることができません。
みどりちゃんはこういいました。
「ねぇ、典子さん。私のおかあさんは、料理があまり得意でないの。
なんかまずいの。でも、不思議と、おいしいの。
おかあさんの料理は、まずいけれどおいしいの。」
おかあさんの作った料理は、愛のある食べものの筆頭で、いくらおかあさんが
料理が不得意だとしても、「まずいけれどおいしい」ものなんだと思います。
食べものは、エネルギーなのです。

つくり手の、目には見えない、「もわっ」としたもの……つまりエネルギーそのものが、
その食べものに転写されています。
だから、おかあさんの料理を食べるという行為は、おかあさんのエネルギー、
愛そのものを食べるということになる。
いちばん栄養になるのが、この、愛のある食べものだと思います。
誰かが誰かのしあわせを思って、一生懸命つくった食べもの。
ほら、お茶だってそう。淹れる人によって、まるきり味が違います。
おにぎりだってそうですよね。おかあさんが熱々ご飯をやけどしそうになりながら
握ってくれたおにぎりと、売っているおにぎりとでは、全然おいしさが違います。
つくる人のその日の機嫌によっても変わります。
あの味の違いは、エネルギーの違い、なんだと思います。
私は、何かを食べるとき、このことを本当に大事に考えています。栄養よりも。
できるだけ、誰がつくったか、また、つくった人との関係性、など、
愛のエネルギーが高そうなものを選ぶのです。
一番いいのは、体が消化するときにやさしい、体と同じ自然な無農薬で丁寧に
育てられたお野菜などの素材を、無添加で丁寧につくられた調味料で、
愛する人と一緒にお料理して、一緒においしくいただくことだと思います。

逆にいえば、怒っている人、上から目線の人、悲しみでいっぱいの人が
作ったものを私はなるべく食べません。
以前、東京の有名なイタリアンレストランで修業したという人が宜野湾市に
お店を出されて行ったことがあるのですが、残念ながら、あまりおいしいとは
思いませんでした。案の定、お店の空気は冷たくて、
お客さまがいるにもかかわらず、オーナーがお店でスタッフを
怒鳴りつけている声が店に響き渡っていました。人間関係がさびしさで
いっぱいでした。
おいしさは愛の度合いなのです。

手前味噌で大変申し訳ないのですが、わたしの母の実家は代々、
大阪で洋食レストランを営んでいますが、その味がやさしくておいしくて
飛び上がるほどと、お帰りの際にはみなさんが10種類もあるサンドイッチや
フライの盛り合わせなどのメニューの中から持ち帰りされるほど評判店でした。
母の家族がみんなで経営していて、店の二階に居間があって、
おじいちゃん、おばあちゃん、おばさん、おじさん、いとこたち、私…と
大勢で手伝いながらわいわいと働いていました。
おじいちゃんが畑で育てた無農薬野菜や、選びぬいたこだわり食材など
家族に食べさせたいものをお客さまにも、というそのお料理の数々は、
愛のエネルギーがいっぱいだったと思うのです。
「本当においしい」とは、愛のある食べもののことを指す言葉だと
わたしは今つくづく思っています。

あなたも今年のボジョレーヌーボーとともに、「本当においしい」お料理を
愛する人と一緒に召し上がってくださいね。

(麗王の今年のボジョレーヌーボーは、ドメーヌ デュ クレ ド ビーヌ
(シュブラン家)のワイン。  シュブラン家はボジョレー地区南西部で
5世代前から続くぶどう農家です。現当主のフランソワさんは
元農学校教授。2008年にビオディナミを実践する友人のワインに
感動したことからオーガニック、ビオディナミ農法への転換を
決意しました。畑には草花があふれ、みみずなどの動植物が
土を耕します。醸造は、ドアットさんと同じ昔ながらの
マセラシオンセミカルボニックを実践。25℃を超えない低温で
ゆっくりと仕上げます。そんなシュブランさんのワインは花崗岩質の
畑の特長を生かしたミネラル感ときれいな酸味を楽しむことができる
味わいです。酸化防止剤は入っておりませんので安心して
お召し上がりください。)

【2014.11.19 末金典子】

今週末は沖縄の県知事選挙。それにしても、なぜこれだけ多くの人が、政治の勝ち負けに熱中するのか、保守だ革新だと立場を決めたがるのか、私には理解ができない。政治議論に熱くなったり、政治に不満を持つ人は多いのだが、それは「政治こそが世の中を良くする手段だ」という大前提があるからこそだろう。

私が疑問に思うのは、(少なくとも現在の)政治という社会運営システムは、そもそも、社会を良くする機能を構造的に備えているのだろうか?ということだ。例えば、政治は自殺率を減らせるだろうか?政治は虐待を減らせるだろうか?政治はシングルマザーと夜中の無認可保育を減らせるだろうか?

政治は沖縄のホテル従業員の手取り給与を12万円から上げられるだろうか?政治はキャンプキンザーの醜い埋め立てと無粋な架橋を止められるだろうか?政 治は補助金漬けで自立心を失った沖縄県民の魂を取り戻せるだろうか?政治はアトピー性皮膚炎や花粉症の蔓延を治せるだろうか?

政治は農薬漬けと添加物漬けで毒薬と化した我々の食を正常化できるのだろうか?政治はインシュリンや常備薬がなければ1週間と生きられない病人だらけの 高齢化社会を修正できるのだろうか?政治は儲けるだけではない、人に嘘をつかない、思いやりを目的とした経済を実現できるのだろうか?

これらのすべての問いについて、政治が解決してくれるだろうと期待している人は、少し立ち止まって考え直した方が良い。このシステムで過去60年間実現しなかったこと、それどころが、悪化の一途を辿っていることが、今度は違う!明日から改善する!と思える根拠は一体何処にあるのだろう?

アルバート・アインシュタインは、「同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という」と言う言葉を残したが、その言葉どおりに解釈すると、我々の社会は既に正気を失っているということになる。そして、正にその通りの社会が生まれているのだ。

正反対のことを言うようだが、実は、我々は誰も政治に対して、先の各問いにYESと答えることなど期待していないのだろうと思う。我々が政治に期待しているものは、突き詰めれば結局「経済成長」であり、それによって(実質的に)お金の分配に預かるということだ。

少々乱暴な一般化だが、実際、過去60年間政治が果たした機能は「経済成長」であり、それ以外のことで政治が社会運営に対して本質的な役割を担ったことは、そもそもあったのだろうか?

国民が欲するお金を、政治家が再分配する。その対価が先の社会問題の数々である。このように考えれば、我々の社会がなぜ現在の姿のようになっているのか、とても説明できると思う。それが、始めから政治という構造の持つ機能なのだ、と。

恐らく最も重要なことは、政治はあくまで国民の欲するものを実現する機能だということ。政治の目的は、一般に認識されているような「世の中を良くすること」では始めからない。社会にお金を増やすことだ。しかし、それは、国民がそれを望んでいるからなのだ。

現在の社会問題の数々は、本当は「問題」ではない。我々が望んだことが、政治家というエージェントを通じて100%叶ったというだけのことだ。社会の本当の「問題」とは、それが解決できないことではなく、我々が解決したくないということにある。

我々がこの社会を本当に良くしたいと望むのであれば、解決するフリをするのではなく、我々が望むものそのものを変えるべきだろう。そして、社会に変化を生むための必要条件は、今までとは(本質的に)異なる何かを試すということである。

【2014.11.14 樋口耕太郎】

“プレ県知事選”としての2013年浦添市長選挙

2013年2月10日に行われた浦添市長選挙で、無党派の松本哲治氏が当選した。現職の儀間光男氏、元教育長の西原廣美氏を破っての当選である。この選挙の論点のひとつに、もう一つの基地問題があったことはあまり知られていない。沖縄の本土復帰早々、1974年に返還が決まったはずの那覇軍港である。日米で返還が合意されてから40年が経過する今もほとんど進展がないのは、那覇軍港返還が「移設条件付き」だからだ。移設先が見つからなければ返還されることはない。そして長らく移設先の調整は沖縄県政の懸案事項だった。

那覇軍港の移設推進は、1998年に知事に初当選した稲嶺恵一氏の公約でもあった。稲嶺氏の支持を得て2001年に浦添市長選挙に初当選した儀間光男氏(現参議院議員)は、選挙期間中から、浦添市西海岸を埋め立てて、那覇軍港代替施設を受け入れることを明言していた。儀間氏が、移設反対派の革新系現職宮城健一を破ったことによって、那覇軍港移設計画がようやく具体的な進展を見せる。沖縄県(稲嶺恵一知事)、那覇市(翁長雄志市長)、浦添市(儀間光男市長)の意向が一致し、翌2002年、移設手続きを進めるための那覇港管理組合が三者共同で設立され、現在に至っている。現段階では、那覇軍港の返還と浦添西海岸埋め立て地への移設はワンセットなのである。

このような背景の中、松本氏が西海岸埋め立て及び那覇軍港移設受け入れ反対、を公約にして「まさかの」当選を果たしたのだ。長らく続いた現職儀間市長への批判票を取り込み、公開選考(公募)で選ばれた松本氏ならば、利権中心ではなく、地域を守り、環境に配慮した、市民目線の政治が実現するのではないかと期待した幅広い層から票を集めた。松本陣営の選挙スローガンは「浦添リニューアル」。結果として革新色の強い市政が誕生した。

しがらみを「改革」できなかった松本市長

ところが、革新色と言っても、松本市長の支持層はひとつの哲学でまとまっている訳ではない。共産党から保守系まで、平時であれば到底理念が一致し得ない者たちが「統一」市長を誕生させたのは、反現職、そして、基地移設受け入れ反対、という点においてである。当の松本氏自身すら、初めから那覇軍港移設受け入れに反対だったわけではなく、現職との争点を明らかにするという意図から選挙直前になって態度を変えたくらいだ。少々クールに表現すれば、松本陣営は「現職儀間氏を打倒し、松本市長を誕生させる」ということ以外、政治哲学、将来社会のビジョン、市政の運営戦略いずれにおいても、曖昧な点が多かったと言わざるを得ないだろう。

松本氏は、当選が決まった直後、「嬉しいという気持ちがまったく湧いてこなかった」と言う。「選挙に勝つために精一杯で、その後のことを十分に考えていなかった。当選から一夜明けて市長という重責を担うことが現実となり、これから具体的に何をすべきかを考えれば考えるほど途方に暮れて、たまらなく落ち込んだ」とも。

その後の松本市政は、彼が懸念したとおりの迷走状態となる。「支持者の本当の意図は、選挙で実際に勝って見るまでまったくわからない……」——松本市長の言葉が印象的だった。選挙であまりに幅広い支持層を取り込んでしまったため、市政を前に進めようとするほどに、支持議員は割れ、支持者の利害調整は難航し、後援会は空中分解した。松本市長が提案した副市長人事は議会で否決され、紆余曲折を経て就任した名護副市長は短期間で辞任に追い込まれ池原寛安教育長への辞職勧告が議会で可決され、議会は連日空転した。それに加えて、那覇軍港移設受け入れ反対、西海岸埋め立て反対という公約の重さが、松本市長の双肩にのしかかる。実際の運用において、ここまで埋め立て推進派からの圧力が強く、一旦動き出した国家プロジェクトを覆すことがどれだけ困難か、松本市長は後になってことの重大さに気がついたに違いない。

辺野古と那覇軍港の違いはどこにあるのか

その結果、信じられないことが起こった。2013年の年末頃から、松本市長が自ら革新色を払拭して、自民党と完全に歩調を合わせる方針へと実質的に完全転換したのだ。自民党の後ろ盾で後援会を再結成すると同時に自民党議員との連絡会を設立した。やがて西海岸の埋め立てどころか、那覇軍港の移設受け入れにも肯定的な発言が報道されるようになり今回の県知事選挙ではすっかり「自民党員」として普天間基地の辺野古移設を支持し、仲井真知事の選挙応援に日々奮闘している

その松本市長が、最近彼のブログで興味深いコメントをつぶやいていた

・・・オナガ候補者は「これ以上の基地負担は差別である」「新基地建設は許さない」「美しい海を埋め立てさせない」ことを理由に辺野古基地建設はあ らゆる手段を使って絶対阻止すると明言しています。しかしながら同時に、儀間前浦添市長との合意事項であることを理由に、那覇港湾施設(通称・那覇軍港) の浦添西海岸への移設計画を進めるとも明言しています。辺野古新基地建設は絶対ダメと言いつつ、その一方で、浦添への新基地建設は推進するのは、なぜでしょうか。辺野古と浦添との違いは何なのでしょうか。・・・

「那覇軍港移設受け入れ反対」の公約を実質的に翻した松本市長が問いかけるという、ブラックユーモアのような納まりの悪さは別にして、松本市長の発言自体は、無視できない論点を提起している。翁長氏は信念の人なのか、それとも機を見るに敏な政治家に過ぎないのか、という問いだ。

「オール沖縄」は茨の道を切り開けるのか

仮に翁長新知事が誕生したとして、試練はその後だろう。リーダーの信念がこれほど試される立場もないと思うからだ。選挙前の「オール沖縄」は、選挙後「共通理念に乏しい多数の利害調整」作業に変わる。「辺野古移設反対の盛り上がり」は、攻守交代して「埋め立て推進派からの強力な圧力」という逆風に転じる。「新基地建設を許さない」という選挙スローガンは、国家プロジェクトを一地方自治体がひっくり返すという困難極まりない法務作業に引き継がれる。

私が浦添市の埋め立て手続きについて調べたときにアドバイスをしてくれた専門家によると、日本では国の開発計画が動き出した後で、自治体がそれを覆した事例は(ほとんど)存在しないそうだ。翁長氏は「埋め立て申請手続きに法務上の瑕疵があれば、作業の停止を求めることができる」と発言しているが、これは裏を返せば「法律に基づいて瑕疵がなければなす術がない」という意味にも取れる。法治国家日本で、県知事にできることはそれ以外のものではないのだが、県民はそれで納得するだろうか。仮に辺野古移設を阻止することができない、という事態が生じれば、選挙で翁長氏を情熱的に支持した革新系の失望は別のエネルギーに転じるかも知れない。

沖縄の革新県政は茨の道だ。その道を敢えて選んだ翁長氏には敬意を表したいが、選挙のゴールは当選ではない、良い社会の実現である。そのゴールに到達するために重要なことは、右折か左折かを決めること以上に、そもそも車を動かすということ。最後は一人のリーダーの生き方にかかっている。そんなリーダーが沖縄には存在するのか? 沖縄は信念に生きる人材を生み出す地域力があるのか? 今回の選挙で本当に問われていることは、そういうことではないかと思うのだ。

*本稿は、ポリタス に掲載された。【2014.11.13 樋口耕太郎】

めっきりと秋らしい毎日になりました。
明後日はハロウィンですね~。
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、
充分な供物がないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、
同時に秋の収穫を祝う祭りを行っていたとか。
その後、多くの聖人たち(Hallow)を祝う万聖節となり、近年、欧米では
魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を回ったり
仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのことで、
子供のお祭りのようになっていますが、ハロウィンの行事がポピュラーなアメリカでは
大人達も本格的な仮装に身を包み、街中はもちろん職場にまで登場。
仲間同士で集まり盛り上がります。
大人もたまには童心に戻って遊ぶという気持ちって大切なことかもしれませんね。

この世界に「たった一人の自分」という存在で生まれてきた私達。
子供の頃の自分と、大人になった今の自分とでは、どう変わりましたか?
同じでしょうか?
「自分探し」などとよく言いますが、自分ってどんな人でしょうか?
知っていますか?

心だって無限に変化しますよね。
本居宣長は「情」という文字を「こころ」と読ませ「たえず揺れ動くもの」と
規定しましたが、どんな文字を使ってみたところでその本質は無限の変化にこそ
あるのでしょう。だから「ころころ」から「こころ」という和語が作られたのだと思います。
そして、善人だって悪人だって心の中に一緒に住んでいて、
あらゆる可能性が自分という一人に凝縮されているからこそ「只一人」
なのでしょうね。

人類の遺伝子は99.99%まで共通だと言われていますが、これこそ私達の
無限の可能性と見ることができると思います。
そしてそう思ったうえで、問題になるのは目覚めている遺伝子ということになります。
なんでも、普通の大人で目覚めているのは3%~5%程度らしいのですが、
このちゃんと目覚めて情報を提供しているDNAのズレが「個性」などと呼ばれ、
また大袈裟に言えば人間の能力も決定づけているのです。

よく人は根本的には変わらないと言われますが、
生活習慣こそが自分というものを形づくっていくそうです。
だからこそ、生活でのさまざまな試みのなかで、6%、7%と新たな遺伝子を
目覚めさせていこうではありませんか。

つまりは、今の自分の、生活習慣によって勝手に作り上げた輪郭を破りなさい、
ということなのです。
換言すれば、合理的理解の中で判断してやめてしまっては新しい遺伝子は
目覚めないのです。新しい世界にチャレンジすることで新しい能力が
目覚めるのでしょうから、フロンティア・スピリットで楽しむことを生活習慣に
してしまえばよいのです。

自分で自分をみくびらない。
それは幾つになっても自分の無限の可能性を信じることですし、
だからこそ相手の可能性も信じることができるのです。

ただ新しい行為にチャレンジすることは刺激に満ちていますが、
やはり勇気を必要としますよね。
現状維持を破る勇気です。
でも「勇猛心」を奮って挑戦すれば必ずや新しい世界が拓けてきます。
それを、そのまま自分そのものの成長と考えていいのではないでしょうか。
この世でたった一人の自分。ぜひとも成長したいものですね。

さぁ、私も明後日は魔女に変装してまずは童心にかえってみようっと!

【2014.10.29 末金典子】

リーダーに必要なことは、突き詰めれば三つしかないのではないか。

第一に、問題を特定すること。

第二に、人を信じること。

第三に、執着しないこと。

いずれも経営者の(心の)問題だが、不断の修練によってこの力を磨くことができれば、いわゆる経営努力とよばれるもののほとんどすべては不要になると思う。

その意味を多少補足すると、「問題を特定する」とは、100の問題を見つけるということではない。問題がどれほど多くても、それぞれの原因を辿って行くことで、少数の根源的な問題を特定することができる。ひとつ直せば100の問題が解消するような、根源的な問題である。言葉を変えれば、ひとつの問題を直すことで、ほとんどすべての問題が解消しない「問題解決」は、ボタンを押し間違えている。

また、多くの人は、症状を解消することが問題解決だと考えている。このような「問題解決」は対症療法に過ぎず、新たな問題を作り上げるだけで、社会や組織にほとんど寄与しない。例えば、クレーム処理が問題解決ではない。クレームが生じる組織的な原因を特定して根絶することが本当の問題解決であるが、現実にはほとんどの人はこれに関心を示さない。

「人を信じる」とは、「信頼に値する人間を選別して、自分の判断が正しいことを祈る」という意味ではない。信じるに値するかどうか分らない状態でありながら、無条件に相手の善意を信じて「騙される覚悟をする」という意味である。

しかしまた、これは相手に対して盲目的になることでもない。相手の善意を信じて、人間関係の行方を相手に委ね、正面から向き合うことで、相手の心の真実 が初めて明らかになるのだ。相手の心の真実が、結果として、悪意であろうと善意であろうと、得られた真実には千金の価値があるが、それは相手に身を投じて 「信じた」後にしか得られない。

「執着しない」とは、夢をあきらめるということではない。大きなことを望まないということでもない。人が聞いたら呆れるほど壮大な夢を、人生賭けて真剣に追うべきである。ただし、それがどれほど重要なものに見えても、結果に執着しないということである。人生をかけて積み上げたものであっても、必要に応じて惜しげもなく手放すということだ。

【樋口耕太郎】

今月は十五夜、重陽の節句、敬老の日、お彼岸の入り、ともう過ぎてしまって
来週は秋分の日。いよいよ本格的な秋の訪れですね。
日々の雑事に追われているうちに
「え~っ?もう今年もあと三ヶ月ほどなの~っ?」って感じで、
本当に月日の経つのの早いことったら!

「自分はいったい今年何を成し遂げたのだろう?」
「こんなことしていて、このまままで、いいのだろうか?」……
そんなふうに不安な気持ちになったり、将来に対する怖れの気持ちなどで
いっぱいになったりしていないでしょうか。
今日はその不安を取り除くためのお話を書こうと思います。

人間の感情は、突き詰めると「愛」と「怖れ」の二つしかないと言われています。
「愛」こそが私たちの真実で、「怖れ」は人間が作り出した幻想でしかありません。
確かに、自分が怖れや不安に思うことのほぼ90%は当たらないそうです。
であるにもかかわらず、怖れの気持ちでいっぱいでいると、
かけがえのない「いま」この一瞬がおろそかにされてしまいます。

現在、このひとときが幸福であるなら、それを充分に味わえばよいのに、
いろいろなことを考えて悩みはじめると、その幸福は手の中から
こぼれていってしまいます。

世の中はべつに心配事に満ちているわけではありません。
私達は、つねに心配したりおびえたりする気持ちから解放されることが
できるのです。
それには、「人はだれかを助けようと夢中になっているときは怖れを感じない。」
ということが心配やおびえから解放される唯一の道のようです。

いろいろな怖れや怒りは心をトレーニングすることによって、
解放し自由になることができると説く国際的に有名な精神科医の
ジェラルド・G・ジャンポルスキー博士のエピソードを御紹介します。

「人はだれかを助けようと夢中になっているときは怖れを感じない。」

このことをはっきりと意識したのは、1945年、私がスタンフォード大学医学部で
インターン三か月目の時でした。医学部では、クラスの三分の一の学生が
そのとき勉強している病気の症状を引き起こしているように見えました。
そしてそのうちの何人かは勉強中の病気に実際にかかってしまうのです。
私が一番恐れていたのは結核で、自分は結核にかかって死ぬのに
ちがいないとまで思いこんでいました。そしてインターンのとき、ついに
結核病棟の担当になってしまったのです。ある朝、目覚めて
一息呼吸したとたんに、そのまま死んでしまう、そんな自分の姿が何度も何度も
目に浮かびました。

ある夜のことです。私は、結核に加え、アルコールによる肝硬変を併発している
55歳の女性患者のことで緊急に呼び出されました。肝硬変を起こすと、
食道に静脈瘤ができやすくなるのですが、この女性患者は、食道静脈瘤が
破裂して吐血し、ショック状態に陥っていました。脈拍は微弱になっており、
血圧は低下して脈拍はふれることができませんでした。私はまず、
食道と気管からあふれ出る血液を吸引した後心臓マッサージを行いました。
ところが、あいにくその日は、酸素吸入器が故障しており、
私はマウス・ツー・マウスの人工呼吸を行わなければなりませんでしたが、
幸いなことにこの緊急処置は、患者の容態を好転させました。

当直室に戻った私は、鏡に映る自分の姿を眺めました。緑色の手術着は
患者の血で、赤く染まっていました。そして、そのとき突然私は、患者の処置に
必死になっている間、ただの一度も恐れを感じなかったのに気がついたのです。

人を助けることに集中しているとき、恐れを感じることはない。

私はこの真実に気づきました。これは猛烈な体験でした。それまでは、
結核にかかるのではないか、と内心おびえていたため、その恐怖にすくみ
動けなくなってしまうことさえあったのです。

人が、与えることだけを考えているとき、恐れを感じることはない。
このことをはっきり教えてくれた体験でした。

これを読んでいて私の子供の頃のことを思い出しました。

それは、幼稚園でのお昼ご飯の光景。
子供たちそれぞれの前には、お母さんの心のこもったお弁当が広げられています。
でもその中でひとり、不安そうにまわりを見ているちずるちゃんという
女の子がいました。
実はその日、ちずるちゃんのお母さんから幼稚園に電話が入り、
「ちずるを送り出してから、使っていた包丁が欠けていたのに気づいたので、
持たせたお弁当は食べさせないようにお願いします」という言伝があったのです。
そこで先生は、ちずるちゃんのお弁当箱のフタをお皿代わりにして、私たちに
語りかけました。
「みんなのおいしそうなお弁当からおすそわけしてくれる人はいるかな?」
すると、いっせいに手が挙がって、それはもうオモチャ箱をひっくり返したような
大騒ぎです。私も一生懸命手を挙げましたが、見ると、
普段は意地悪でいじめっ子の男の子たちまで、割れるような大声を出して、
必死に手を挙げています。私は小さいながらも、「ああ、みんな同じなんだ。
本当はみんな優しいんだ」と感じたのを覚えています。
その時、先生と私の目が合いました。すると先生は、「じゃあ、卵焼きを一つ
分けてあげてね」といって、先生のお箸が、私の卵焼きを拾いあげてゆく…。
その時、小さな私の胸はとても幸せにときめいたのです。
「ああこれでちずるちゃんも、お弁当が食べられるんだ」と、何ともいえない
温かさが湧き、澄んだ喜びが心の奥からこぼれ落ちそうになりました。
お腹がすいているのに、自分の食べ物が減ってゆくことが、何だか嬉しい…。
今思えばあれは「誰かのお役に立てる」という、最初のときめきだったのでしょう。
大人になると、こういう純粋さはついつい忘れてしまいがちですが、
あの日クラスのみんなが手を挙げたように、本当は誰もの中に、純粋で優しい
気持ちが息づいているのだと思います。
そしてそんな気持ちで生きていくことこそが、怖れや不安を感じずに、
幸せに生きていくことなのではと、私なりに感じたことでした。

あなたが秋の毎日をうんと幸せにお過ごしになられますように。

【2014.9.18 末金典子】

本日の沖縄タイムス社会面に、沖縄基地経済に関するインタビュー記事を掲載頂きました。冒頭のサーカスの子象の話は、私が学生に必ずする話です。 サーカスの象は巨大な身体と人並みはずれた力を持っています。少し力をかければ簡単に逃げ出すことができそうなちっぽけな杭に繋がれているのですが、それ を振りほどいて自由になろうとは決して考えないそうです。それは、生まれたばかりの小さな子象の時から杭に繋がれているからです。

心理学的には「学習性無力感」と呼ばれる現象で、現代社会に疲れた大人の姿、情熱を忘れた若者の姿、思考力と自立心を失った沖縄の姿に重なります。

私が学生に伝えたいメッセージは、自分の足を繋いでいるように見える鎖と杭は、子象の頃の記憶を根拠にした幻想に過ぎないということです。自分自身 を縛っているのは、自分が作り上げた記憶であり、その記憶に捉われている限り、現実を直視する力も、分析する思考力も、自分を変える行動力も生まれませ ん。

サーカスいちの巨体を誇る象は、物理的には(あるいは経済的には)大きな存在かもしれませんが、精神的にはちっぽけな子象用の檻に入って暮らしてい るのと変わりません。沖縄の基地経済の最大の問題は、経済でも、産業でも、金融でも、政治でも、軍事でもありません。心と勇気の問題です。

【樋口耕太郎】

先週の沖縄は特別警報が出るほどの大型台風に見舞われました。
あなたは被害に遭われませんでしたでしょうか。
北谷に住んでおります私の方は、今回は東からの風だったこともあり、
電話線が切れるぐらいのことで済みました。
今時はスマホもあり、電話もネットもスマホが固定電話の代わりを
果たしてくれました。

台風でいつも大きく困るのは何よりも停電です。
前回の台風では停電が長く続き大変困りましたので
今回はほっと胸をなでおろしました。
ただ、前回の停電の時は、長時間ろうそくの灯りで生活をし暗く、
クーラーも止まり暑くと、大変不便でもあったのですが、
柔らかい光のもと、昔の人達の生活を偲び、何かしら温かく
ほのぼのとした想いにも包まれたものです。

社会において、まだまだ不安なことが多い中、目新しい便利なものや
サービスが次々とできあがり、それらによって、私達の暮らしはどんどん
変化しています。でもどうでしょうか。
新しいものが、私達の暮らしに増えていくということは、
一見うきうきすることですが、暮らしの中に古くからあった大切なものを、
知らず知らずに失ってしまうようにも思うのです。
私が思うに、日常の煩わしいこと、面倒くさいこと、手間がかかること、
時間がかかること、淋しく思うこと、不安に思うことなどと、
ひとつも向き合わない暮らしになっていくようで怖いのです。
面倒くさいことを丁寧に仕上げたり、一人で淋しさに耐えたり、
目の前の人や周りの人間関係に丁寧に向き合ったりすることは、
生きていく中でとても大切なことではないでしょうか。
そうした出来事や感情と向き合わない生き方というのは、
だんだんと人間らしさを失ってしまうのではないでしょうか。

健全な進歩を考えますと、前に進むことだけではなく、
時には少し戻ってみることも進歩のひとつではないでしょうか。
あなたはどのようにお考えでしょうか。

麗王は、日常の煩わしいこと、面倒くさいこと、手間がかかること、
時間がかかること、淋しく思うこと、不安に思うこと、
人に対し愛情を持って丁寧に向き合うことなど、そういった
「あたりまえのことと、しっかり向き合う」ことにこそ、
豊かさやしあわせ、楽しさや喜びがある、ということを
伝えていく店でありたいと思います。

麗王の中には、いわゆる一般のお店にある最新のカラオケや美しい女性達など
何もありません。でも、決して逆を行くつもりではありません。
私達が望む新しさは、何度も言うようですが、
あたりまえのことと向き合う中で、その奥底から見つけたいのです。
そういう生き方、暮らし方を、あなたと共に考えていきたいのです。
そんなことを台風でお休みしている日に改めて考えたことでした。

この海の日の連休にはいつものように北谷のアラハビーチの海辺を走りながら
自分にももっと向き合いたいと思います。
あなたもどうぞ御自分と周りの方々に、ていねいでやさしい週末を
お過ごしくださいね。

【2014.7.17 末金典子】

愛ではないもの

1.あなたの外側にあるすべてのもの。
2.あなたが必要とするすべてのもの。
3.あなたが捨てられないすべてのもの。
4.あなたが獲得しようとしているすべてのもの。
5.あなたがオープンにできないすべてのもの。
6.あなたが維持したいと思うすべてのもの。
7.あなたが独占したいと思うすべてのもの。
8.あなたが誰かを犠牲にするすべてのこと。

【樋口耕太郎】

梅雨~っという感じで、じとじとじとと暑いですね~。
あなたはお元気にお暮らしでしょうか。

この間、拓実住宅の上原社長がいらした時のことです。
「私には5人子供がいるのですが、上の4人はもうみんな本土で就職したり
大学に通っていていて、今日は残る一番下の女の子を本土の大学に
空港まで送り出してきたのですが、実に寂しいものですね…。」
とのことでした。おまけに若くして亡くなられた弟さんの子供達を
ずっと見守っていらした上原社長なのですが、その子供さんがハワイに
結婚して行かれることになり、併せてとても感慨深そうになさっておられました。
また、私がいつも乗せていただいているタクシーの高山運転手さんも
「子供達全員が本土で就職してしまって、また夫婦水入らずの新婚生活が
戻ってきました。男の子が出て行く時はなんということもなく玄関で
見送りましたが、女の子が東京に行ってしまう時はもう寂しさが
こみあげてきて空港まで見送り、思わず泣きそうになりましたよ~。」
とのことでした。

私の父もそんな気持ちだったのかなぁ。
昭和8年生まれの私の父は両親との関係が希薄だったこともあったのか、
そういう時代の人だからか、私と弟に愛情を表現することが
とてもへたくそな人で、人一倍厳しい人でもありました。
なので私は「お父さん大好き!」なんていう明るい感情をついぞ持つことが
できず、それは弟も同じ思いだったようです。

麗王でもいろいろな方々の親子関係の悩みやトラウマ話をよくうかがいます。
子供の頃からなどの無意識に抑圧している感情や欲求があるうちは、
人間は百パーセントまるごとの自分自身になれないため、
その悪影響を払拭しようと、自分自身の奥底に押し込めている欲求と
少しずつ向き合うようになるのかもしれません。
それが自分の親にまつわることが圧倒的多数のように感じます。
親に愛されたい、認められたい、関心を持ってほしい、かまってほしい、
そんな子供の頃の想いを、ほとんどすべての人がそのまま抱えて
生きているのかもしれません。
そして、その主な対象が、父親なのです。
子供と接する時間は圧倒的に母親のほうが長いですし、
育児は母親の仕事と考えられがちなので、母親に対しての
感情を持つ人のほうが多いだろうと思われるかもしれません。
けれども私がお話をうかがってきた方々のほとんどは
父親がらみのものでした。
そういう人があまりに多いので、まるでこの世に「父親」がいないのではと
思うくらいです。父親との間に具体的な衝突がなくても、父親の存在の薄さ、
つまり子供時代に仕事でいつも忙しくて家にいなかった、必要な時に
そばにいてくれなかったということが、大人になっても消えない感情を
引き起こし、弊害をもたらすのかもしれません。

父親の存在の希薄さが、なぜその子供のトラウマになるほど重要な
問題なのかを考えてみると、
子供は父親を通して社会とのつながりを学ぶからだと私は思うのです。
生まれてまもない子供にとって、母親はまだ自分自身の延長のようなもの。
お腹の中にいたときはそれこそ一体でしたから、生まれてからしばらくの間も、
他者としての認識をあまり持ちません。
一方の父親は、ある意味、初めて会う他者です。
家と社会を結ぶ窓口が父親の大事な役目なので、子供にとっては父親は
「初めて会う社会」といえるかもしれません。
子供の世話をし、愛情を注ぐ母親のサポートをしながら、社会のしくみや
ルールを教えるのが父親です。
その父親との関係に問題があると、子供は成長して社会に出たときに、
困難を感じやすくなります。
父親が愛してくれない。関心を持ってくれない。認めてくれない。
自分に対して否定的。
するとその子供は、大人になって社会に出ていこうとするときに
自分に自信を持てず、他者とうまくやっていきにくい傾向にあるようなのです。
受け入れてもらえるか、認めてもらえるかが不安で、
怖じ気づいてしまうのかもしれませんね。

ただ、どうやらその父親の感情の希薄さも、生化学的に説明が
つくようなのです。
最近の研究によれば、女性は生化学的に、男性よりも他人とのつながりを
求める傾向があることがわかっています。
男女ともにストレスを感じればアドレナリンやコルチゾールといった
ストレスホルモンを分泌しますが、この悪影響を和らげるために、
女性の脳は「結びつきのホルモン」であるオキシトシンを放出しようとします。
女性が落ち込んだ時、友達と集まっておしゃべりに興じたり、子供やペットに
接したりするのはそのためなのでしょう。こうした行為がオキシトシンの分泌を
うながし、女性の心を穏やかにして、ストレスを消していくのだそうです。

また、ストレスやホルモンと性別の関係について幅広い研究を行っている
心理学者のジョン・グレイによれば、
ストレスを感じたとき女性はオキシトシンを分泌しますが、
男性にはそれがなく、コルチゾールの分泌によってドーパミンや
テストステロンの値が抑えられ、憂うつや不満を感じるようになるといいます。
こういった幸福のホルモンの生成をうながすために、
男性は、女性のようにおしゃべりや愛情を与える行為でストレスを
解消しようとせず、問題の解決や克服などの行動に出ようとします。
つまり、男性はオキシトシンの量が少なくなっているために、人間関係に
さほど注意を払わなくなるというのです。

なるほどねぇ。
なんだか女性が男性よりもおしゃべりなことが納得できるような…。
じゃあ、日曜日の父の日はお父さんにもっと優しい言葉で
電話してみようかなぁ。
あなたもどうぞそういうお父さんを理解し、思いやりと労りを
プレゼントなさる日にしてみてくださいね。
そしてあなた自身がお父さんでおありでしたら、
存在感をうんとアピールするべく御家族との楽しいコミュニケーションの日に
どうぞなさってみてくださいね。

【2014.6.12 末金典子】

ゴールデンウィークはのんびりとリフレッシュなさいましたでしょうか。

私の後半4連休はと言いますと、
まず1日目は、「明日から4連休だ~っ!」と興奮し、
いきなり那覇の街歩きに出かけ、
2日目からは日頃の疲れがどっと出てきて、帯状疱疹後神経痛で体中がびりびりし
休みなさいと警告を始めたので、これはおうちに籠らねばと、ひたすらのんびり
本を読んだりDVDを観たりお料理を作ったりしておとなしく過ごしたものの、
それだけでは太る~!っと焦りランニングもしっかりとこなした日々でした。

さて、この週末は母の日ですね。
今年は母に叱られた思い出について書いてみようと思います。

「お天道さまがちゃんと見ているよ」。
うっかり気をゆるめて、目の前のことをいい加減にしようとしたり、
さぼろうとしたりすると、こんなふうに母に叱られて「はっ」と目を
覚ましたものです。
幼い頃から、よく耳にしませんでしたか?
「お天道さまはお見通し」。
きっと誰もがよく知っている言葉だと思います。
お天道さまは、親しみを込めた太陽の呼び名で、お月さまとかお星さまと
同じように、私達にとっていつも身近にあるものですね。
まわりに誰もいず、自分一人でしていることを必ず見ていてくれるお天道さま。

たとえば、いいことをすれば、お天道さまはしっかり見ていて、
いいことをほめてくれて、いつか必ずご褒美をくれ、守ってもくれる。
逆のことをすれば、お天道さまは決して見逃さずにいて、いつか必ず
身にしみるような罰を与えて学ばせてくれる。

幼い頃から今に至るまで、一日に何度も「お天道さまはお見通し」
という言葉を心の中でつぶやきます。そうやって、できるかぎり自分を律し、
いつも人を思いやり、過ちを誤魔化さない毎日でありたいと思います。

世界、そして日本、自分の暮らす街、職場、家など、今どこを見ても、
不条理なことや理不尽なこと、ひどいことや正しくないことが、多少なりとも
あるでしょう。そのことに向き合うと、とてもつらい気持ちで一杯になります。
けれどもそんな時こそ「お天道さまはお見通し」という言葉を思うのです。
自分は無力だけれど、お天道さまがいつかきちんと正してくれるはず。
そして毎日、お天道さま、ありがとうございます。お天道さま、ごめんなさい。
と心の中で手を合わせ、頭を下げるのです。
そんな呑気でいいのかと呆れられるかもしれませんが、ほとんどの問題が
そうであるように、相手が人の場合「お天道さまにおまかせする」というのも
一つの方法かと思います。

日々、正しさは何かと考え、人を思いやり、社会や自然が喜んでくれることを、
こつこつと努力する。そうすれば、いつか必ずお天道さまがほめてくれる
そういう考えは、なんて心強いのでしょう。
そんな母から教えてもらった「お天道さまはお見通し」という言葉を、
あなたと一緒に、今日のはげみにして、明日のお守りにして、
笑顔を失わずに、暮らしと仕事を一歩一歩歩んでいきたいなぁと
母の日を前に改めて思いました。

連休も終わり、また仕事の毎日ですね。
本当にいろいろなことが通り過ぎていく毎日ですが、元気を出しましょう!

【2014.5.8 末金典子】

ゴールデンウィークを前に今日はしとしとと梅雨かのようなお天気ですが
お元気にお仕事にお励みでしょうか?

麗王には毎日いろいろな方がいらしてくださいますが、
そのなかにはとてもセンスのいい方がいらして、はっとすることがあります。
「センスがいい」といったってもういろいろ。
服装のセンス、話し方のセンス、立ち居振る舞いのセンス…

そもそもセンスには、教養のような意味合いがあると私は思っていて、
なぜなら両者は、学習して身につける、という性質が似ているからです。
では、どのように学んだり、身につけたりしていくのかというと、どんなものにも
「すてき」を見つけるアンテナを、いつも立てておくことだと思うのです。
自分があまり好きではないもの、もっと言うと、第一印象では正直苦手だなと
思う人にも、「すてき」を見つけ出すのです。
苦手といっても、100%嫌いということはあり得ません。
必ずどこかにすてきなところがあるはずだと、好奇心を持って探すのです。
もしも見つけられたら、宝物を発見したみたいに感動するはずです。
小さな感動かもしれませんが、その感動こそが、実はセンスの種と言えます。
感動したことは必ず真似したくなりますし、真似を重ねていくと、
他人のセンスだったものがいつの間にか自分だけのオリジナルのセンスに
昇華するのです。

「すてき」だと感じるものは、恥ずかしがらずにどんどん真似していいと
思います。ただ、そのとき「自分らしさ」を打ち消さないように。
自分らしさとは、長所ではなく、短所とか欠点に顕著に表れます。
すてきな自分になろうとするあまり、短所や欠点を直そうとする人もいますが、
それらはもとから持っているものなので、ゼロにするのはむつかしい。
むしろ短所や欠点に、人間のかわいらしさとか愛嬌が含まれていることを知って、
大切にしてあげたほうが、人間的な魅力に映ります。

自分にはセンスがないと思い込んで、すてきなものを選んだり、判断する自信が
ないという人もいます。そんな方はまず、心身のコンディションを整えるように
つとめてくださいね。センスを磨くことと、一見なんの関係もなさそうですが、
実はこれがとても大事。健やかさがキープできていなければ、すてきなものを
見つけるアンテナの感度が鈍ってしまうからです。
仕事などやらなければいけないことでいっぱいになっていると、たとえ目の前に
美しいお花があっても、気づけなくなってしまいますよね。
いつでも心に余白を持つことが必要なのです。

今、私は本や雑誌はよく読むのですが、テレビはまったくと言っていいほど
見ませんし、SNSを利用することもありません。
どういうことかというと、自分に入ってくる情報や刺激を少しだけ抑えている
というのでしょうか。
そして仕事についても、暮らしについても、頑張りすぎないというか、
全力を尽くさないというと誤解を生むけれど、八割くらいのちからしか
出していないように思います。
なぜかというと、私がとても大事にしていることは、自分にいつも余白もしくは
空いたスペースを残しておきたいからなのです。
学びって何だろうと考えると、いつでもすてきなことを敏感にキャッチできる
コンディションと、心の素直さ、そして、そのための身体と心のすこやかさを
保つことからはじまると思っているからです。

そのためには本当にベーシックなことですが、きちんと睡眠をとって、
安全でおいしいものを食べて、よく笑い、しっかり体を休めるのが一番です。
そういう生活が、感度のアンテナを養い、いろいろなことに、ぱっと反応できる
元気さを作り、ひいてはそれが、センスが磨かれることへつながるのです。

一日の中にはたくさんのチャンスが飛び交っています。そんなチャンスの中から
これだと思うチャンスに飛びつく瞬発力もあってほしい。
直感の鋭さもほしい。
イザというときに全力を出すためにも、何かから逃げる機敏さも残しておきたい。

それらはなぜかというと、一日のすべてを出来るだけ楽しみたいから。
楽しむというのは、誰にでもできる毎日の努力。
私達の人生は楽しむためにあるのです!

さぁ、ゴールデンウィークですよ~。
忙しい毎日から、のんびりと自分をリセットして、
センスを磨き、毎日を楽しむための素地作りをしてくださいね。
そしてどうぞ、うんとうんと楽しんでくださいね~!

【2014.4.24 末金典子】

ほんのりと暖かくなってまいりましたね。春は近そうです。
お元気にしていらっしゃいますか?
週明けはおひな祭りですね。

この数年麗王では女性のお客さまが多くなってきていて、
みなさんのお話をうかがっていますと、今の女性は男性よりもよほど思考が
アグレッシブで、話題を突き詰めれば「これからいかに幸せになるか」と
いうことに行き着きます。
ただあまりにも「人生の目的は幸福になること」だと一種の呪縛のように
思い込みすぎている方も多く、こんなふうに考えてみてはどうでしょうということを
今回は書いてみたいと思います。

19世紀末から20世紀初めにかけて活躍したアメリカの高名な哲学者に、
ウィリアム・ジェームズという人がいます。
プラグマティズム(行動を重視する考え方)を世に広めた人で、夏目漱石にも
大きな影響を与えました。そんな彼の著書「宗教的経験の諸相」に「二度生まれ」
という概念が出てきます。
普段、人々は生きていることの不可思議さを日常の忙しさの中で忘却し、
あたりまえの光景として受け止めて日々を送っています。
でもその中の幾人かは、ある一線を超えることで
大地が決して強固ではないことを知り、その亀裂に飲み込まれ、大事な何かを
捨てさせられたり、恐怖を実感するようなのです。
これにより、その人は二度目の誕生を経験し、それはある意味で「本当の誕生」
であるとジェームズは書いています。
これは彼自身の個人的な体験に拠るところが大きいらしく、人生が破綻するほどの
精神的なダメージを受けた時期を乗り越えて再生した経験が反映されているようです。
彼はその経験によって、個人に起きるそういう変化の中に
新しい自分が誕生する瞬間があると考えるようになったのでしょう。

ジェームズが生きた20世紀初頭のアメリカでは、今で言う「ポジティブ・シンキング」
が大流行していました。クヨクヨしたって始まらない、前向きに生きることが
大事だと。
ジェームスの二度生まれは、それとはまったく異なるものです。
ポジティブ・シンキングのように苦痛や苦悩を安直にやりすごしたり、
違うものとすり替えたたり、他人に転嫁するのではなく、苦痛や苦悩を引き受ける
ということなのです。
もちろん不幸に見舞われれば、「どうして私がこんなつらい目にあわなければ
ならないんだろう」と誰もが思うでしょう。誰かを恨んだりするかもしれません。
それは当然のこと。でも、そこから始まって、それを受け入れることで
自分の中の価値観が大きく変わり、新しい自分に目覚めていく。
このようなあり方をジェームズは考えたのだと思います。

「二度生まれ」について、私自身が深く考えるようになったのは、
沖縄に住んだことがひとつのきっかけでした。
それまでの考え方や価値観やものの受け止め方など、
変えざるをえないことや捨てなければならないことが続きました。
また年齢的なこともありました。女性として結婚もせず子供も産まず
それでいいのだろうかといったことも含め、生き方を模索していた時で、
当初はいろんな思いに思い迷い打ちのめされました。
でも、そういう自分に向き合う中でやがて、別にいつも幸せでなくても
生きがいのある人生、意味のある人生はあるのではないかしら――そう思うように
なりました。

そもそも私達は、「人生の目的は幸福になること」だと一種の呪縛のように
思い込んでいます。でも、生きるということは、不可避的に苦痛や苦悩が
訪れるものです。
たとえ今は、お金にも仕事にも恵まれて、悩みひとつないような人でも、
やがて両親が亡くなる場面に直面したり、いつかは自分にも病や死が訪れます。
それは否応なしにやってくるもので避けることができません。

ですから「人生の目的は幸福になること」と考えると、幸せと不幸の間に何か分断を
感じがちですが、そうではありません。幸せもあるけれど、不幸もある、
それが人生なのです。健康もあれば、病気もある、生もあれば、死もあります。
それはどこかで地続きなのだから引き受けざるをえないということです。
そう考えると、いつか自分は不幸になるのではないだろうかという不安からも
開放されますよね。
苦痛や苦悩から逃げずに向き合ってみる、そんな「二度生まれ」の経験は、
きっとあなたの人生をより深く、豊かなものにしてくれるはずです。

まぁそんなことを書きながらも実は、あなたも私も、健康で、仕事があって、
ちゃんと衣食住ができていて、友達がいて……数え切れないほどうんと幸せな人生
なのですよね。人間ってなんて幸せという感覚に一番麻痺する動物なのでしょうか。

さあ、週明けの月曜日は桃のお節句。ひな祭り。
今では、女の子のお祭りと考えられることが多いようですが、もともとは
この日に川で手足を洗って心身の穢れを祓い、邪気を、身代わりの人形に移し
川や海に流し、家族全員の厄をはらい、夫婦円満を願うという
行事だったそうですから、子どもが男の子だけの家庭であっても、
家族の、周りのみんなの、幸せと健康を願ってぜひお祝いいたしましょう。
【2014.2.27 末金典子】

1989年のバブル華やかりしころ、私は新卒で野村証券に入社し、岐阜支店営業課に配属になった。バブル時代の証券営業は激烈だった。野村証券は当時日本でもっとも厳しい会社の代名詞とされていたが、実際に入社してみてその評判に違いはなかった。

ある金曜日の夜、ようやく仕事を終え、新入社員同期4名で、柳ヶ瀬(岐阜市の歓楽街)に飲みに行こうということになり、そちらの方向に連れ立って歩いていた。すると、向こうから営業課の吉川課長がずんずんと歩いてきて、私たち新入社員のことに気がつくと、声をかけてくれた。

「おぅ、お前たち飲みに行くのか」
「ハイ!」

すると、吉川さんはおもむろに自分の財布を取り出し、一瞬の躊躇もせずに1万円を「ピッ」と取り出すと、私たちに差し出して言った。

「これ、飲み代の足しにしろ。お疲れ!」

吉川さんは、そう言い残すと、さきほどの勢いで、またずんずんとどこかへ歩いて行った。

これはもう、20年以上前の話だが、なんといっても、お札を差し出すときに、彼がまったく躊躇しなかったことが、強く私の心に残っている。それは単に、彼の気前がいいということではなかった。吉川さんの意識は、新入社員の私たちの心に向けられていたからだ。

野村証券の社員であれば、誰しも営業の厳しさを痛いほど経験している。新入社員が人生をかけて必死に努力している姿に対して、「金曜日の夜に報酬があるのは当然だろう」、という気持ちが彼の行動に現れていた。それを私たちが受け取ることが、当然であるかのようなそぶりだったのだ。その1万円札を通じて、「いまの辛さも、お前たちの頑張りも、ちゃんと分かっているぞ」といってくれているような気がしたのだ。

お札の額面は1万円だったかも知れないが、私たちにとってその価値は明らかに1万円を超えていた。私はこのとき吉川さんから、お金は、使い方次第で額面以上の価値が生まれるということを学んだ。

それ以来20年間、このことを時折思い出すたびに、1万円以上の価値が生まれた理由は何だったのだろうか、自分にはそのようなお金の使い方ができているだろうか、と考えている。

【樋口耕太郎】

雨続きの寒い毎日が続いておりますが、体調などくずしておられませんでしょうか。
明後日は心ほんわかバレンタインデーですよ~。

私と年齢の違うあなたといえども、きっと私と同じお気持ちではないかと
思うのですが…、今の自分の年齢って、自分が感じている年齢の方が、
実際の年齢よりも、う~んと若いのではないでしょうか?
私なんて気持ちはまだまだ20代なのに、え~っ?いつの間にやらもう50代!?
って感じなのですよね~。となると、必然麗王にいらしてくださるお客さまは
私よりも年下という方がどんどん多くなってくる…というわけです。
そんな年齢の私でも「麗王に訪ねて行ってやろう」という心優しいみなさんの
ために、このバレンタインメールは何かプレゼントになるようなことを
書きたいなと愛情を込めてお贈りいたします。

よくうかがう悩みごとが
「自分の生き方に自身が持てない」「何となく毎日を生きている感じがする」
「成功やお金儲けはしたいけど、どうしたらいいのかわからない」
ということです。

私はいつもこうお話ししています。
「できるだけ自分に素直に、今やりたいと思うことを全部やっておいたほうが
いいですよ」って。
それは、体験から来る実感だから。
いろんなコンプレックスを抱えて、仕事のことで悩み、始終葛藤していて、
おまけに結婚もせずに自分はひとりで生きているんだと信じ込んでいたので、
他人への理解度もまだまだ浅かった失敗だらけの、今振り返ると赤っ恥の若い時代。
でもそういう失敗の数々もまた何かを「為した」ゆえなのです。
つまり、自分に多くのものをもたらしてくれたのは
「成功の反対は失敗ではなく、何もしないこと」だという事実でした。
傷ついたり悩んだりする中で、何となくいろんなことを学んで、気がついたら
自分にとって大切なものや使う言葉、選ぶべきものがだんだんわかってきた気が
します。

今感じるのは、結局は若いときに経験してきたことが貯金になっている
ということなのです。今の私は、その利息で生きているようなものです。
(もちろん今でも必死に経験貯金してはいるつもり…)
だから、若いうちに、自分に正直になって、一所懸命、経験を増やしたほうがいいと
思うんです。

それでも、モヤモヤを抱えて生きるのは苦しいものですよね。
ではこんなふうに考えてみてはどうでしょう?

自分のいいところ、理想的な部分ってありますよね。
反対に捨てたほうがいいと思うだめなところもありますね。
いいと思うところは他の皆と似たり寄ったりの価値観で、
実はだめなところのほうがユニークだったりすることが多いのです。
これこそが個性なんです。ここを捨てたり、否定したりすると、
一見いい人になるかもしれないけれど、いったい自分って何なんだ、
こんな自分を誰が愛するんだという気がしませんか。

欠点こそが、愛すべき個性になりうる。
それを私に教えてくれたのは、詩人・高村光太郎でした。
彼は「最低にして最高の道」という詩に、醜いものと美しいもの、最低と最高は、
常に自分の中に共存していると書き、私はその価値観に、大いに影響を受けました。
「道程」も「レモン哀歌」も大好きでしたが、この詩はそれまでの価値観が
ひっくり返ってしまうくらいの大きな衝撃でした。
「そうなんだ~、何も他人の価値観の最高を目指さなくても、こんな自分の中での
最高の道を行けばいいんだ」と、急に視界が開けた気持ちになったのを
今でも覚えています。そして今までずっとこの詩のようにありたいと
生きてきたように思います。

人生だって、良いこともあり、悪いこともあります。
人間だって同じことで、欠点だけを消そうと思うと、魅力はなくなってしまいます。
両方をありのままに調和させて生きていくことが、人間らしく生きる
ということであり、人生そのものなのでしょう。

誰もが最高を目指し、そういう自分でありたいと思っています。
でも、それで人間として魅力的かというと、決してそうなっていないんです。
むしろ弱いところ、だめなところにこそ自分らしさがあって、強みになるんだと、
認めてあげてほしいのです。
きれいじゃない自分も大切な自分。
弱さを否定せず、抱きしめて生きてくださいね。

ネガティブな部分を愛するようになれば、人は不思議と自分らしい顔つきに
なっていくものです。
また、他人を許し、受け容れることもできるようになります。
それこそが、とても素直な生き方なのではないでしょうか。
きっと、真っ暗闇から日向に出たような気持ちになることができると思いますよ~。

明後日はバレンタインデー。
あなたと感動を分かち合いながら最後に、「最低にして最高の道」をともに行こうよ、
と高村光太郎の詩をプレゼントさせていただきます。

「最低にして最高の道」
高村光太郎

もう止そう。
ちひさな利慾とちひさな不平と、
ちひさなぐちとちひさな怒りと、
さういふうるさいけちなものは、
ああ、きれいにもう止そう。
わたくし事のいざこざに
見にくい皺を縦によせて
この世を地獄に住むのは止そう。
こそこそと裏から裏へ
うす汚い企みをやるのは止そう。
この世の抜駆けはもう止そう。
さういふ事はともかく忘れて
みんなと一緒に大きく生きよう。
見えもかけ値もない裸のこころで
らくらくと、のびのびと、
あの空を仰いでわれらは生きよう。
泣くも笑うもみんなと一緒に
最低にして最高の道をゆかう。

* この詩は昭和21年の中等の教科書に1年間だけ掲載され、新制中学の教科書には
掲載されなかったそうです。
今もずっと掲載されていたなら、もしかしたら世の中の何かが変わっていたかも
しれませんね。

【2014.2.12 末金典子】

本土はこの冬は厳寒・大雪ということで、今をピークにインフルエンザが
流行っているようですが、なんと!沖縄は、その本土の4倍もの
インフルエンザ患者数とのこと!!

かくいう私も先週やられてしまいまいました!
先週の木曜日から麗王も休み、信頼するかかりつけ医の西平守樹先生の迅速な処置と
西平医院の優秀で心優しい看護師さん達のおかげで熱はすぐに下がったものの、
西平先生から「熱が下がっても人にうつさないように3日は外出厳禁」とのお達し。
咳がひどかったので喉が荒れて声が出にくかったこともあり、
大事をとって昨日の木曜日まで丸1週間お休みさせていただきました。
その間、麗王にいらしてくださった方々、予約やお見舞いのお電話やメールを
くださった方々、本当にすみませんでした。そしてありがとうございました。
西平先生と西平医院の方々も本当にありがとうございました。

お休みさせていただいた8日間の最初の3日間はうんうんと熱と咳にうなり苦しみ
その後はひたすら静養のためぐ~ぐ~寝たり、本を読んだり…。
お正月休みなどとは違って、みんなが働いている日なのに自分だけ働きもせずに
だらだら過ごしていると、日が経つにつれ、楽しいというよりはなんだか
「自分だけこんなことしていていいのだろうか?」なんて、
自分だけがどんどん取り残された気分になっていくのです。
やっぱり働くことって素晴らしいことなんだなって。
それでも、必ず治っていく病気なのですからどんなにありがたいことでしょう。
不治の病と闘っている方々は日々どんなに苦しんでおられることでしょう。
改めて病と人との関わりにいろいろな想いをめぐらしたことでした。
痛みを知ることって本当に大事なことですね。
さぁ、旧正月の本日よりまた気持ちをまっさらにして
元気よく営業させていただきます!
どうぞまた本日より麗王をよろしくお願いいたします。

あなたのほうはお元気にしていらっしゃるでしょうか。
1月も早や終わり、週が明けるともう節分ですね。
節分というのは、平安時代の宮中儀式「追儺(ついな)」が始まりといわれていて、
この日は立春の前日で文字通り季節を分ける境目。旧暦でいう大晦日なのです。
それで前年の悪疫邪気払いの行事としてこの「追儺」が行われていました。

で、なぜ「豆」を投げるのでしょう?
実は鬼の目「魔目」に豆を投げれば「魔滅」するからだとか。

また煎った豆でないといけないのはどうしてでしょう?
生の豆は芽が出てくるため、そこから鬼が芽を出という説や、
豆(魔目)を煎ることにより鬼を退治するという説もあるそうです。
つまり豆自体が鬼なので、外に投げ「鬼は外!」、あるいは食べてやっつけろ!
というわけですね。

それに、新年のエネルギーは一月ではなく二月の節分を越えたあたりに
動き始めるのだとか。つまり、節分を越えると、今年のエネルギーが非常に
はっきりしてきますので、今年の幸せに向かう目標や新しいトライは、
この頃にまっさらな気持ちで始めてみるのもいいかもしれません。
旧暦大晦日の節分の次の日は、新年元旦。
新年って、合理的に考えれば単に年の数字が一つ増えるだけのことなのですが、
それでも、新年を迎えると心身ともにリフレッシュされる気がします。
近年以前の人たちは、新しい年を迎えるときには、そのつど、この世界そのものが
一新されると考えていたのです。そのなかでは、もちろん、私達自身も新しくなる
というわけです。
一年の計は元旦にあり。1月1日に計を立てられなかった方は、今日の旧正月や
来週の節分の次の日がいいチャンス。去年の出来事やいろいろな思いを振っきって、
新しい年に踏み出しましょう。

私の今年の目標はといいますと…、麗王でもっともっとあなたの心に寄り添って
お話をうかがうことができるようになること。
昨年も静かな日はともかくとしてもバタバタしている日などは、
まだまだできていないなぁと日々反省の毎日でしたから。

昭和女子大学学長の坂東眞理子さん曰く、一番品格のある会話とは、
自分のことを話したくてたまらない人(ほとんどすべての人)の話を聞くこと、
なのだそうです。

確かに、コミュニケーションの一番の基礎は聞くことです。
会話の中で気の利いたことを言おうとか、笑いを取ろうとか、
ユーモアとセンスのよさを見せようとする必要はありません。
ひたすら相手のお話を肯定的な態度で聞くのです。

傾聴という言葉を知っておられますか?
それはただ聞き流す、尋ねるのではなく、
相手の話すことに耳も心も傾けて聞く、話し手を中心に置く聞き方です。
批判したり、評価するのではなく、相手の言い分を無心に聞く。
これは心理カウンセラーの重要な手法ですが、傾聴によって、
問題を抱えている話し手が、聞き手に受容されていると感じ、悩みを吐き出し、
新しい気づきが生まれるといわれます。
日常生活でも傾聴することによって相手に安心感、信頼感が生まれ、
よい人間関係ができるようです。

とはいっても本格的に傾聴することはなかなか難しい。
ともすれば相手の話をありのままに受け止めないで批評や批判の言葉が出たり、
とんちんかんな相槌を打ったり、気休めにしかならない激励をしてしまったり
ついしがちですね。
私なんて相手に向き合おうとするあまり、暑苦しく入り込みすぎたりしてしまう
なんてもうしょっちゅう!
専門家ではないのですから、百パーセント完全にできないにしても、
話すより聞くことを心がけるだけで、人間関係はずっとよくなるはずですよね。

今年こそ私も傾聴ができるように努めたいと思います。
麗王にいらしてくださるあなたのお話をしっかりうかがって、
そっと肩を押すことができるようになるためにも。

さぁ、週明けは節分。
複雑な課題の多い今日この頃、厄払いはしっかりとしたいものです。
あなたも大きな声で豆をまいて。
「鬼は~外、福は~内。」
私も邪気を払うべく、もっと元気になるべく豆を今までより少し多めに撒き、
しっかりと数え歳プラス1個のお豆さんをいただくことにいたします。
そして今年の恵方の東北東に向かって、幸運をおいしく呼び込む恵方巻き寿司を
ガブリ!とまるかぶりするぞ~!
あなたと私の今年一年の幸せを、今日を元気に生きていることの幸せを、
心から願って。

【2014.1.31 末金典子】

あけましておめでとうございます。

いつもよりは暖かめのお正月でしたね。
私はと言いますと、ごくごくオーソドックスに、大晦日は年越しそばをいただき、
紅白歌合戦を観て今やもうついていけない流行歌のお勉強をこなし、
おせち料理をゆっくり作り、元旦にお雑煮・お屠蘇とともにいただき、
初詣には普天間神宮までランニングで行ってお参りをし、
あとはひたすら読書とお料理とDVD三昧というお正月でした。
あなたはいかがお過ごしでしたでしょうか。

さて、東京から時折いらしてくださるお客さまで、ドイツ史やドイツの軍服を研究し
著書も出しておられる山下氏は、私にいつもこんなふうに話しかけられます。

「マダム、私はこう思うんですがね…」

こんなふうに「マダム」とよばれるのは、なんと気持ちのよいことだろう、と
いつも思うのです。フランスの女の人は、結婚していようと、していまいと、
若かろうと、若くなかろうと、みんな一様に「マダム」と呼ばれます。
マダムという呼び方は、大人の男の人がすべてムッシューとよばれるのと一対で、
もちろん、職業のいかんも、地位の高低も、年令も問いません。

ドゴール将軍がなくなられた時、テレビを通じてドゴールの死を告げる
ときのフランスのポンピドウ大統領のスピーチは、「フランセーズ、フランセ」で
はじまっていたのを子供心に覚えています。
日本語になおせば、「フランスの女の人達、フランスの男の人達」と
なるところではないでしょうか。でも日本語ではどうも格好がつきません。
こういう呼びかけは、その国の習慣と、片づけてしまえばそれまでですが、
日常の習慣のなかに、相手の年令や職業にかかわらず同じに呼びかける、
そういう気持ちが出ていて、本当にいいと思います。

おばさん、おかみさん、奥さん、ママさん、……
相手によって呼びかえている私達の日本語も、なにか「マダム」のように、
ひとことで、誰も同じに呼ぶことができる言葉が出来るといいなと。

今、日本はいろいろな面でとても子供っぽいと私は思うのです。
ファッションも子供っぽいし、仕事の仕方も子供っぽいし、
結婚の仕方もすごく子供っぽい。
若さに価値を置いたり、それをよしとしすぎる社会も子どもっぽい気がします。
これは見方を変えると、「だれかにプロテクトしてほしい」とみんなが
思っているからかもしれません。

女性が結婚をゴールと思っていた時代は、相手に求めるもの、依存するものは
とてもたくさんあったと思います。だけど、今はもう男性にはそれだけの
キャパシティがないのではないでしょうか。
自分では生活の糧を得るすべもなく衣食住すべてを男性に依存するという女性を
背負い込むだけのゆとりは、若い男性にはもう持つことができない社会の構造に
なってきているのだと思います。生活にかかるコストとか、世の中に転がっている
チャンスの比率とか、ゆとりや隙間があまりにないと思いませんか?

だから、今、どういう女性と本当に結婚したいと男性が思うかといったら、
「自分で自分のことができる女性」だと私は思うのです。
今の女性は社会的にも、別に男性に衣食住を用意してもらう必要はないかも
しれません。自分で手に入れられる収入があれば、相手に依存することなく、
もっと純粋に一緒に居て楽しい関係でいられるし、また男性側も
それを望んでいるのではないでしょうか。

去年の麗王は若い女性がとても多くいらしてくださったので書いておきたいのですが、
27歳くらいから34歳の間が一番女性が迷ってしまう時かもしれません。
この時期というのは、恋愛も盛り上がる頃だし、気持ちが何かに集中すると同時に
見失いやすく、すごく気持ちが揺れる時でもあると思います。
だからこそ、その時期に、寂しいからとか年齢的なことだけで無理に結婚をして
キャリアを失うことは避けたほうがいいと思います。仕事は絶対に続けたほうがいい。
結婚までいかない恋愛にしても、相手に自分を守ってもらおうと思ったら、
そこでもう何か違うものになっている気がするのです。

年をとったら不安だから特定の人を決めておきたいという考え方もあるけれど、
自分の老後を見させるために配偶者を選ぶものではありません。
そんなことはなんの価値もない投資で、相手が先に死んだり病に倒れたりしたら、
自分のほうが面倒を見ないとならない。まったくあてにならないことです。
それよりも純粋に「この人と一緒にいたい」「この人と時間を過ごしたい」という
気持ちが重要であって、面倒を見てくれることに価値を置くと、実は不安を自分で
抱え込んでしまうということに気づくべきなのです。

人はなぜ不安になるかというと、「失ったら困る」というものを持っているから。
失ったら自分はどうやって生きてこの生活を維持していけばいいの?と
執着する相手やお金や空間……失うものを持っていればいるほど不安の原因は
多いということです。でも、何を失っても自分の足で立って生きていくことが
できるという心の準備があれば不安は和らぎます。
それには、自分で食べていくことができる、つまりは収入があることが基本です。

大人は自分で自分の身を守らなくてはいけないもの。
そして極力、自分の中から不安を取り除いて生きる姿勢が、
快適な人生といい運を引き寄せるのだと私は思っています。

さぁ私もまた今年もしっかり働かなくては!
麗王にいらしてくださるあなたとのひとときを優しさや楽しさで包むことが
どうぞできますように。
そんな想いでスタートをきりたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

明日は七草です。
歴史は平安時代にさかのぼります。
朝廷では一月七日に若葉を摘み、冬の寒さを打ち払おうとする習わしが
ありました。
一方、海を隔てた中国でも、この日に7種類の菜の煮物を食べれば、万病に
かからないという言い伝えがありました。
七草がゆは、この日本と中国の風習が合体し、一月七日に、一年の無病息災を
願い、七草を入れたおかゆをいただいて、冬に不足しがちな野菜を補い、
お正月の暴飲暴食で疲れた胃袋をいたわるという古人の知恵が、
現代に生き続けている行事なんです。
お休みモードからふだんの生活に切り替えるきっかけとしてはとっても
おすすめです!
明日は麗王でもこの七草粥を御用意しておりますので
ぜひ召し上がってみてくださいね。

なお、今日はおせち料理を、
11日土曜日には「鏡開き」のおぜんざいをご用意いたしておりますよ~。

【2014.1.6 末金典子】

お元気ですか?
街にクリスマスキャロルが流れるころ、北風は寒くても心はウキウキしてきますね。
クリスマスはだれもが幸せを感じるシーズンです。
このクリスマス、実はキリスト教よりも古い起源をもっていることを
ご存じでしたか?
クリスマスはイエス・キリストの誕生日を祝うものではありますが、もともとは
ローマで行われていた冬至の祝祭をキリスト教が取り入れたものだと
いわれているのです。冬至の日、昼が一番短くなりますがこの日を境に光は
また徐々に復活していきます。光の死と再生を祝うとても大事な祝祭だったようです。
クリスマスのころ、人々の希望がもう一度復活します。
贈り物をしあうのは、そのことをお互いに歓び、わかちあうため。
また、このころには、目には見えない世界からたくさんの妖精たちもやってくると
されています。
このクリスマスのシーズンにあなたの心にある希望にもう一度、目を向けてみては
どうでしょう?

文筆家の松浦弥太郎氏がヘンリー・ディヴィッド・ソローの「森の生活」について
書いておられるのを読んで懐かしくなりました。
私が読んだのは何歳の時だったかなぁ。

「気持ちのよい春の朝には、すべての人間が持つ罪は許されている…」。

私はこの一文がとても好きです。朝、目が覚めてから部屋の窓を開けたとき、
この一文を、あたかも祈りの言葉のように唱えることがあります。
そんなときは、疲れていたり、弱っているときかもしれません。
季節がいつであろうとも、気持ちのよい朝は、どこにいる誰にとっても、
心が新しく生き返り、安らぎと平和と慈愛に満ちたひとときなのでしょう。
そして夜になり、明日になれば、そんな朝は必ずまたやってくる。
なんてすばらしいのだろうと思うのです。
朝がまたやってくるなんて、当たり前すぎて、なにを言っているのだろうと
思われるかもしれませんが、当たり前のことにこそ、その一つ一つにありがとうと
感謝したい。いつもそこにある、当たり前のことが、私達の日々の暮らしを
助けてくれているからです。

今年もいろいろと不安なことや悲しいことばかりが起きる世の中でしたが、
リスが夏の間に、冬のための木の実をたくわえるように、そういった出来事にも
感謝し、麗王にいらしてくださるみなさまとの語らいのために、来年からもまた
努力を積み重ねたいと思います。

人は話すことで、心の内を整理しています。
もし私の周りに悩んでいる人がいたら、話し相手になりたいなぁと思って
19年前にはじめた麗王でもありました。
なにも意見を言わなくても、ただ話を聞くだけで、相手の気持ちが
落ち着くはずではと思ったからです。

そうして学んだことの一つは、人にやさしく接するということは、
細かく世話を焼くことではなく、その人の状態にあった態度で接する
ということでした。過干渉は、かえって相手の不安を大きくしてしまいますから。
でもこれがまたなかなか難しい。その人の状態をちゃんと知ることも、
それにみあった態度とは何かを見つけることも。

人が集まれば、その数だけ価値観や考え方があります。
自分が周りにどう見られているかを気にしすぎると、自分が感じていることや
思っていることを、素直に表現するのが難しくなってしまいます。
「私は私。あなたはあなた。」なのです。

なので、意見の食い違いを恐れてはいけないのです。
他人と意見が食い違うことはよくあること。
大切なのは、意見が食い違ったときに、お互いにどう歩み寄ることができるか
なのだと思います。

そのなかでは時に、人に傷つけられたり、人を傷つけてしまったりということも
起こってきます。傷つけられた方も、傷つけた方も、苦しまねばなりません。
そして、どれほど苦しんでも、傷は癒えないかもしれません。
他人はどこまでいっても自分の思い通りにはなりませんから。
たとえ、相手から「もう気にしてないよ」なんて言われても、そう単純には
救われないですよね。
考えてみれば、私達は人を傷つけ、嘘をつき、自分をも傷つけながら
生きていくしかないような存在です。
だから人を傷つけた苦しみを背負ったまま生きていかねばなりません。
そして、そのことをごまかさず、きちんと背負うのです。
ひとつ間違えれば、自分を守るために大切な人さえも傷つけかねない、
それが私達の実相です。
そのことに自覚的であるか、無自覚であるか、そこが分岐点なのでは
ないでしょうか。
自覚的にあろうと決意して、踏み出した一歩先に救いの扉があるように思うのです。

さて。
今年も残すところ2週間ほどとなりました。
この一年本当にお疲れさまでした。
今年もいろいろと苦労があり大変でしたね。
あなたは今どんなお気持ちでお過ごしでしょうか。
お疲れになっていませんか。
心配事はございませんか。
夜はよく眠れていますでしょうか。
ご病気などされていませんでしょうか。
楽しいことはありましたか。
困ったことなどありませんでしょうか。……

日々麗王に立ちながら、ふと手をとめて、こんなことばかりを思います。
あの人のお顔、この人のお顔…。
とても不安定で、不景気な今、たくさんのお店の中から、麗王を選んで
いらしてくださることが、どんなにありがたいことかと考えると、
こんなふうにみなさまのことを思わずにはいられないのです。
この前いらしてくださった時、何かひとつでもお役に立つことはできただろうか。
行ってよかったと思っていただけただろうかと、一人一人のお声を聞きに
お伺いしたい気持ちで一杯です。
いつものように麗王に行ってはみたものの今日はつまらなくて損をしたと
がっかりされないよう、みなさまの大切なお金を無駄にしないよう、
隅々まで心を配り、そしてみなさまにどんなふうに楽しく時間を
お過ごしいただこうかと深く考えながら、大きく反省もしながら、
お一人お一人の肩にそっと手を当てるような気持ちで、
これからも麗王に立たせていただきます。
みなさまのおかげで、こうしてまた一年間、麗王を続けることができました。
本当にありがとうございました。
どうか来年からもまた麗王にいらしてくださいますよう心からお願い申し上げます。

あなたが穏やかに一年を締めくくることができますように。
そして、あなたがどうかこの上もなくお幸せでありますように。

【2013.12.19 末金典子】

今年7月に松本市長から口頭で委嘱を依頼され、その後「浦添市政策アドバイザー(市長補佐)に内定」との報道がなされて以来、浦添市役所からこの件についての連絡がなく現在に至っています。ほぼ半年が経過していますが、政策アドバイザー職の委嘱は受けておらず、その予定(の有無)についても曖昧なままでした。

9月に開催された浦添市の定例議会において、政策アドバイザーに関連する法案が提出され、同期中に取り下げられたこと、現在会期中の浦添市定例議会では政策アドバイザー法案が実質的に廃案になっている様子であることは、善意の第三者から噂としてお聞きしたのみであり、浦添市からはいかなる説明も頂いておりません。

西海岸埋め立てについて、私が反対の立場をとっていたことは、誰もがご存知のことです。正確に表現すれば、私は西海岸の埋め立てに反対している訳ではなく、浦添市と沖縄の将来を破壊する安易な都市計画、事業計画に反対しているに過ぎないのですが。

いずれにせよ、このような私の立場と利害が対立するとお考えの方々を中心に、極めて強い反発があったとお聞きしています。そのような背景があり、浦添市としてもどのように対応してよいのか、苦慮された結果だと想像しています。

そのような事情によるものかどうか、松本市長は何度か私を尋ねていらっしゃいましたが、役職や、政策や、ビジョンなどについて、具体的に言及されたことはありませんし、私が意見を求められたこともありません。

従って、西海岸アセス凍結と解除、10月の宮崎衆議院議員を中心とする保守系議員の連絡会設置、そして、本日琉球新報、昨日沖縄タイムスに報道されてい る、「普天間飛行場の返還について、辺野古への移設を容認した」と報道されている松本市長の決断に関しても、私は関与しておりませんし、その術も立場もあ りません。

私が7月に政策アドバイザーの件で、個人的に相談した方々10人中10人に強く反対されましたが、それでも当職をお受けしたのは、当時の松本市長の政策が、社会的に価値があると思えたからです。私のことをご存知の方々が、ここ数日の報道について、とても違和感を感じられたのは当然だと思います。

本日の辺野古移設容認報道を含む、松本市長の一連の決断が私のアドバイスによる、と誤解された方々から多くの問い合わせを頂きましたので、そのような事実関係はないことを、この場にてお伝えしたいと思います。

【樋口耕太郎】

カレンダーも残すところもうあとひと月ちょっととなりましたね~!
本当に月日の経つことの早いことったら!

今年の麗王は女性のお客さまが多くて、カウンターのお客さまのほとんどが女性
なんてことも少なくありませんでしたし、
男性でも以前のように既婚者が圧倒的というのではなく、
バツイチや(マルイチと言ったほうがいいのでしょうか)、
独身の方も多かったように思います。
そんななかでよく耳にした言葉が「出あいがない」という悩みについてでした。

でも、実際私達は毎日のように、なにかに出あっています。
それが「運命の恋人」のようなものでなくとも、道端で見かけた新しいお店や
季節の移り変わりを教えてくれる花達、はっとさせられるような誰かの優しさなど、
さまざまなものに出あい続けているわけです。
出あいは「単体」ではなく、一連の小さな出あいの連鎖が、
最終的に大きな出あいに結びついていきます。これは、特に珍しいことでは
ありません。
例えば、友達に出あうこと、親戚に会うこと、好きな仕事に出あうこと。
それが、結婚や出産などの縁に結びついていくことが、実際、非常に多いわけです。
小さな出あいを大切にすくいあげていくうちに、それらが飛び石のように、
私達を特別な出あいの場所にいつのまにか、導いてくれるのです。

私は星占いも好きなのですが、この世界では2013年の後半から来年の夏までは
「水の時間」と言われています。
水は、霊的な世界とこの世との触媒になるらしく、
だからなのか私は夏場でも毎日お風呂にしっかり浸かっていますし、
住んでいる自宅は海の真ん前にあって、海沿いの道は車にも遭わず、
途中には何本かの川も流れているなど、日課である夕方のランニングに
ちょうどいいコースになっていて、水に近いそんな暮らしを
私は結構気に入っております。
海の波が寄せては返し、川の水が流れているという景色は、
取るに足りないことですが、私にとっては、日々のささやかな癒しになっています。
気持ちが落ち着かないときや、何かあって悲しいとき、気分がすっきりしないとき、
水辺をぼんやりと眺めながらゆっくり走るのです。
あなたには、何かあった時、ぼんやりできる場所があるでしょうか。

川の流れを見ていて、いつも心に浮かぶ好きな言葉があります。
「流水不争先」(流れる水は先を争わない)という中国の教えです。
水はかたちも無く、どんないれものにもこだわりなく入ることができます。
傾ければ下に流れるようになすがままです。
自分自身が、水のように自由自在で、ゆるやかで流れるようであれという教えです。

川の流れをぼんやり眺めていると気づくのです。
まっすぐまっすぐ流れようとしがちで、頭でものごとをあれやこれやと考えて、
いつも先を争って、流れる川になることができない自分がいることを。

力を抜こうよ、
素直さや、心の柔らかさを取り戻そうよ、
何でも受け入れようよ、
と川の流れは教えてくれます。

また、星占いの世界では、水は、感情、すなわち、喜怒哀楽を表します。
感情を表に出すことを恥ずかしがる人は大勢いますが
(特に沖縄は多いような気がします)、人と人とを結びつけるものは、まさに
感情でしかありません。
もし、この先大切な出あいを望むならば、今出あったもの達に感情ゆたかな
レスポンスを返していくことこそが、心から望むものにたどり着くためのコツ、
と言うことができるかもしれません。
つまりは、出あった相手にしっかりと向き合い、恐がることなく喜怒哀楽を
しっかりと伝え、また相手の感情もしっかりと受け止め、お互いの心を
触れ合わせていくという作業です。

そして、水のようにいつも透明であり続け、流されるのではなく、
自分自身で、自由自在にゆるやかにさらさらと流れていきたいものですね。

さぁ、明日は今年のボジョレーヌーボーが解禁となる日。
日々いろんなものに巡りあい、新たな気づきを得て成長を続けている
あなた御自身への御褒美に、人生を豊かにしてくれる今年の新しいワインを
プレゼントしてあげてくださいね。

(麗王では今年もJAL国際線ファーストクラスで唯一採用された
EUオーガニック認証ボジョレーヌーボーを御用意いたしております。
酸化防止剤は入っておりませんので安心してお召し上がりください。)

【2013.11.20 末金典子】

私は、愛とは何かは良く分からないのですが、愛でないものなら分かります。例えば、それが愛であるならば、それは必ず「いま」にあるもので、過去や未来のどこかにあるものは、愛ではありません。私たちに与えられた時間は、「いま」のみで、過去はもう既に存在しませんし、未来を生きることは永遠に不可能です。 つまり、誰かを愛することができる唯一の瞬間は、「いま」しかありません。誰であっても、「明日」人を愛することはできないのですから。したがって、い ま、この瞬間を生きていなければ、愛に生きることは不可能だと思うのです。

人を愛するのであれば、明日人を幸せにするということに意味はありません。明日人を幸せにするために、いま、何をしているかが、愛ということの意味ではないでしょうか。

【樋口耕太郎】

今回の台風は来るような来ないような、のろのろ・ゆるゆる台風ですが
なんだかもう大丈夫なようですね。
そして季節は秋へ。
来週はハロウィンです。
ハロウィンの始まりは、古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教行事。
11月1日を新年とする彼らはその前夜に死者の霊が訪れると信じ、充分な供物が
ないと悪霊に呪われると恐れていました。そのため魔よけをし、同時に秋の
収穫を祝う祭りを行っていたとか。
その後、多くの聖人たち(Hallow)を祝う万聖節となり、近年、欧米では
魔女やお化けなどの仮装をした子供たちが
「Trick or treat!(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)」と家々を回ったり
仮装をしたりして楽しむ日に変化しています。
日本でも注目されるようになったのはここ20年ほどのこと。
このハロウィンといい、クリスマスやバレンタインデーといい、
もう日本のひな祭りやこどもの日のような「年中行事」になりつつありますね。

私の祖母や母は、関西人ということもあってか、とにかく「年中行事」や
「お祝い事」を大切にしていて、五節句やお誕生日やクリスマスなどはもちろん、
1月はお正月にやるべきことはひと通り。松の内があけると同時に七草がゆ、
11日は鏡開き…などとしきたり通りに行事を次々にこなし、
それだけでとても忙しい家族でした。またそれをいつも生き生きと楽しそうに
こなしているようでもありました。

もともと前向きでエネルギッシュな関西女達だからそういうことを楽々と
こなすことができるのだろうとずっと思っていたのですが、ある時ふと
それはまったく逆ではないかと思うようになりました。
つまり、毎月毎月確実に訪れる行事を、ひとつひとつきちんとこなすごとに、
ひょっとしたら命を浄化して、生命力を高めてくれるような作用が
あるのではないかと、そう思い始めたのです。

言うまでもなく年中行事は、そもそもが神さまをまつるために宮中で始まったもの。
宗教的な意味合いがとても強いものの、民間では豊作を祈るものだったりして、
どちらにしても人が生きるうえでの重要な意味を持たされていました。
その語源は、毎年恒例の行事を忘れないように書き記された表に
由来するということで、そこはとても人間的。でも宮中の人々はそれらを次々と
こなすことを生きがいにしていたのではないでしょうか。これほど「退屈」を
回避し、「達成感」を得ることができるものもないから。

人生の「節目」は、苦悩や試練を伴うこともあるけれど、
人はそれこそ「節目」がないとうまく生きることができません。
節も何もない1本の棒を登っていくのは不可能で、「節」があるからこそ
それを足掛かりにして、危なげなく上へ登っていくことができるのです。
だから「節目」の多い人ほど高みに昇ることができるのだと私は思います。
何のひっかかりもないつるりとした平坦な人生を生きている人は、
うっかりすると同じ場所にぼんやり居続けたりしかねません。
上へ登る気力も体力も必要ないから、身も心も生き方も脆弱になっていく。
何もない退屈な日常をただぼんやりと生きていると、前向きさもエネルギーも
いらないから、人間が輝かないのです。

だとすると、朝昼晩、1ヶ月1ヶ月、そして春夏秋冬と区切りをつけ、
別々の時間としてきちんきちんと生きる人が、生き生きしていて幸せなのでは
ないでしょうか。
その区切りもただただ暦を眺めているだけでは少しも区切られません。
そこは昔人の知恵。人をぼんやりさせないため、それぞれに意味もしきたりも
違う「年中行事」が生まれたのでしょうね。それは人間が生き生きと1年を紡ぎ、
1日1日を幸せに営むための意外な手段なのでしょう。

また、年中行事は「ひとり」でやるものではなく、そのたびに家族が集まって
お互いの無病息災を願い合います。当然のことながら絆が深まって、
その「特別な食卓」を囲むとき、人は無情の幸せを感じます。
だから「年中行事」をきちんとやる人ほど、忙しいけれど生き生きとしているし、
決してぼんやり年をとらないから、いつまでも若々しいのでしょうね。

さぁ、月末のハロウィンはあなたも子ども心に戻って楽しんでみてくださいね。
私も魔女の扮装であなたをお待ちしております!
え? 扮装しなくても魔女ですって?

麗王に来てくれなきゃイタズラするぞ!

政治家が政策やビジョンを語るとき、いつも違和感を感じていたのだが、その理由を自分なりに考えてみた。私は、ビジョンには4つの要素が不可欠だと思う。

第一に、ビジョンとは社会全体に寄与するものであるべき。例えば、沖縄のビジョンとは、沖縄を良くするためのものではなく、沖縄がいかに日本と世界に役に立つか、という視点に立つべきであり、それがひいては沖縄をもっとも繁栄に導くことになる。

第二に、「量」はビジョンではない。ビジョンとは常に「質」の議論でなければならない。「観光客を1,000万人にする」というのはビジョンではない。「10年以内に月への有人飛行を実現する」ことはビジョンである。

第三に、「何を」するかはビジョンではない。「なぜ」それをするかがビジョンである。「基地返還」はビジョンではない。「基地跡地で我々が何に挑戦するか」がビジョンである。アポロ計画が人を感動させたのは、ロケットを飛ばしたからではない。もっとも困難なことに挑戦することの象徴だったからだ。

第四に、実現できないものはビジョンではない。ビジョンを実現するための具体的な方法と有効な戦略は、ビジョンの重要な一部である。なぜそれが実現できるか、合理的に説明できないものはビジョンではないということだ。

記憶にある限り、私が個人的に、ビジョンと呼ぶに相応しい政策を目にしたことがないと感じるのは以上の理由による。我々の社会を毎日少しずつ良いものにするために、「ビジョン」を語ろうではないか。

・・・その中でも、我々が特に改めなければならない考え方がある。「経済成長が問題を解決する」という大前提である。

経済成長はビジョンではない。仮に経済成長を目指すとして、それによって何を実現したいのか、がビジョンである。

そして、次に問うべきことは、「それは経済成長以外では実現不可能か?」ということだ。現実には、経済成長がなくても実現できるビジョンが非常に多いことに気がつくのではないだろうか。

ところで、沖縄県には、県がまとめた沖縄21世紀ビジョン、内閣府総合事務局の沖縄経済産業ビジョン、沖縄経済同友会の沖縄21世紀経済ビジョン、民主党の沖縄ビジョンなどなど・・・沖縄は「ビジョン」花盛りだ。

それぞれの文章を何度も読み返しているのだが、まったく日本語の意味が分からず苦労している。・・・「地域資源などの掘り起こしや磨き上げによって、それ らを地域の宝・財産として共有します。また、地域社会を構成する住民や多様な主体の連携により、共助・共創型のまちづくりを進めます」・・・「都市再生の観点から跡地利用を推進し、人と自然が調和する生活空間を回復します」・・・

これだけ曖昧かつ意味不明の日本語を並べておけば、沖縄の将来がどのようになっても、「ビジョンが実現した」といえるに違いない。結局これをまとめた人たちは、沖縄の将来を「信じて」などいないのだ。信念が存在しないから心に響かない。これが山ほどある沖縄ビジョンの最大の欠点だと思う。

【樋口耕太郎】

猛暑の夏も少し落ち着き、お盆も過ぎて、
今月は重陽のお節句や十五夜のお月見、敬老の日・秋分の日の連休と
もう秋の訪れですね。
あなたは夏のお疲れなど出てきてはいませんでしょうか。

私はといいますと、先月の旧盆の時にお誕生日を迎え、あたたかなお誕生日会を
開いていただき、思い切って4連休の夏休みも取らせていただきました!
4日間もお休みがあると、心身ともにほっと落ち着いて、
日頃の疲れが日を追うごとにゆっくりゆっくりと出てきます。
いつもなら短い睡眠時間でもぱっと目が覚めるのに、4日間もお休みして
のんびりしているにもかかわらず、どこまでも毎日たっぷり眠れてしまうのですから
もうびっくり! 知らず知らずのうちに疲れって溜まっているものなのですね。
で、その4日間一体何をしていたのかといえば、いつものお休みの時と
なんら変わらず、たっぷり眠って、ランニングして、お風呂にゆったり入って、
手の込んだディナーを作って食べて、後はもう、観たかったDVDと
読みたかった本を心ゆくまで…の繰り返しでした。

でもそうしてのんびり過ごしていると「ぼうっと」する時がしばしばあるのです。
人間って誰しも「ぼうっと」する時がありますよね。
たとえば、会議やセミナーなどの席で話がわかりにくい時や、好きな人ができた時、
何かしら衝撃的なことが起こった時、ついつい飲みすぎてしまった翌日などには、
ぼうっとしている人が多いのではないでしょうか。
私など子供の時からいつも空想の世界に入っておりましたので、
頭の中は動いていたとは思うのですが、傍から見るとぼうっとした子供に
みえたかもしれません。

人間は一日の三分の一の時間は空想にふけっているそうですが、
ぼうっとした外見で判断してはいけないそうですよ。
心理学の研究から、脳はそのような時に休んでいるのではなく、
活発に動いていることがわかっているそうです。
私もよくランニングで海べりを走っている時やお風呂に入っている時などに
とてもいいアイディアが浮かんできたり、何かを思い出したりします。
英語では、物思いにふけっていることを「デイ・ドリーミング」、つまり
昼間に夢を見ているといいますが、夢同様すぐに書きとめておかないと
いつの間にかその時に思いついたことを忘れてしまうという事実も興味深いですね。

たとえ脳が一所懸命に回転していたとしても、傍から見てぼうっとした状態を
「心ここにあらず」とも申しますが、それでは心はどこにいるのでしょう。
脳や理性に対して心、気や魂が別に存在するのなら、ぼうっとした時に、
この心や気、そして魂は休息をとるのでしょうか。
もしかしたら、どこか素敵なところに出かけてしまうのかもしれませんね。
問題を引き起こすのも、希望を現実に変えるのも、共に同じ心の働きによるのだと
考えるとこれもまた興味深いことですね。

最近は心の病に苦しむ人の話題があとを絶ちません。
ぼうっとしたあとに「我に返る」、呆然としたあとに「気を取り戻す」などと
いいますが、心や気、魂という無形の存在にも、身体の一部分である脳と
同じように元気でいてもらわなければなりません。
あなたも秋の爽やかな青空を眺めながら、ぼうっと考える時間をつくり、
それが「良い時間の使い方ですよ~」と訴える心の声に耳を傾けるところから
ぜひ始めてみてくださいね。

私はそんなふうに夏休みの4日間をぼうっと過ごして、
ふと浮かび上がってきた言葉がありました。

「毎日ひとつ、心が躍ることをする。」

「私が82歳まで生きながらえた秘訣」とオノ・ヨーコさんが言われた言葉です。
自分自身、もしくは誰かの心が躍ることを三ヶ月間、毎日続ける。
すると、だんだん身体の調子がよくなってくるのがわかるそうです。
「そうやって、私は、82年かけて健康になったのだと思います。」と
おっしゃるのです。
あなたは心躍ることがありますか?
今ワクワク、ドキドキしていますか?

「生きながらえる」という言葉もオノ・ヨーコさんはよく使われます。
ここまで生きながらえたことが、素直に嬉しいと。
やりたい仕事がまだまだある。まだまだ知らないことがある。毎日毎日発見がある。
もっともっと生きたいと。

長生きしたい。幸せになりたい。カッコよくなりたい。健康でありたい。
それは人の根源的な願いであり、人として輝くことにほかなりません。
あなたは、その願望にきちんと向き合っているでしょうか?
あなたが輝くことが、周囲を、そして世界を変えていきます。
毎日ワクワク、ドキドキして一緒に生き続けましょう!

生きるって楽しいことですよ~。人生はいいものです。
まずそう信じること。そこからすべてが始まります。
あなたもどうぞいい人生を。心からそう願っています。

【2013.9.12 末金典子】

大学経営の最近のトレンドのひとつは、リベラルアーツ(Liberal Arts: 教養)教育への関心が高まっていることだろうか。就職率100%で有名になった秋田の国際教養大学など、教養教育をウリにしている大学の急成長が各種メディアで取り上げられていることがその一因だろう。入学者の大幅な定員割れが大問題になって久しい大学経営の現場にあって、学力の高い学生をヤスヤスと集め、入学定員をラクラク確保し、就職氷河期においても名だたる大手企業から引く手あまたという事例が、経営難に喘ぐ学長、理事長の関心を引くのだと思う。 多くの大学で、「国際教養」を冠した名称の学部・学科が新設・強化されているが、早稲田大学や上智大学が新設した国際教養学部、法政大学のグローバル教養学部などもこのスタイルで、典型的に100%英語教育、留学必修などのプログラムが導入されている。日本におけるこれらの動きは、学問や教育についての本質的な議論によるというよりも、大学経営の「成功事例」を起点にしているように見える。

アメリカ社会におけるリベラルアーツ大学は、学士限定、少人数で、全米に150校程度 存在し、個別の専門分野に偏ること無く、社会の全体最適のために学問を指向する。オバマ大統領の卒業校として話題になったオクシデンタル、スティーブ・ ジョブズが入学したリード・カレッジ、ヒラリー・クリントンやクリントン政権で国務長官を務めたマデレーン・オルブライトの出身校ウェルズリー大学など、 リベラルアーツ大学は社会に大きな影響を与える逸材を少なからず輩出している。リベラルアーツ大学の卒業者数は、全大学の僅か1〜2%でありながら、歴代大統領を12名も輩出しているし、最近10年間のノーベル賞受賞者53名のうち、実に12名がリベラルアーツ大学出身である。「教養教育」のパワーに目を見張らざるを得ない。

そもそも、教養教育とは何だろうか?私も教養教育には、専門教育以上に大いなる価値があると信じている一人だが、私の超解釈では、「世の中は見かけと違うから」ではないかと思う。物事が見かけ通りに機能するのであるならば、専門教育が全体最適を導くはずなのだが、現実の人生や社会の法則は、まったく正反対と言って良い。最悪に見える出来事が人生最高の転機になったり、合理的だと思った処置が想定外の要因によって非効率になってしまったり、ある目的のために 行った行動が、まったく異なる結果をもたらしたりすることは、誰もが、そして何度も経験していることだ。見かけと違う、真の法則を導くために、そして、実社会において直面する様々な問題を乗り越えるめには、物事に対する深い洞察が必要で、その洞察を得るためには、多様な知識や、深みのある解釈や、物事のつながりや、因果関係の広がりを理解しなければならない。変数を繋ぎ合わせ、視点を変え、思考を深め、行動を通じて、現実社会で応用しなければならないの だ。逆に考えると、ちょっと乱暴な言い方だが、「世の中は見かけと違う」というメッセージを発するものであれば、教養教育と言えなくもない。

教養教育は社会のエリートのために施されてきた歴史があり、教養とはエリートのものだという常識が強固に存在するのだが、私はそれはまったく根拠のないことだと思っている。先日も沖縄大学で教養教育の可能性を議論していた時に、ある先生が、沖縄大学の学力水準ではとても教養教育は不可能だと断言していたが、世の中が教養教育をどのように定義しようと、取り敢えず私には関係ない。

その意味で、私は私なりの「教養教育」を試みている。もう4年半くらい続けている「次世代金融講座」も、沖縄大学での講義も、あるいは事業再生の現場でも、私が基本的に行っていることは一つだけだ。「事実」と「その解釈」。皆が共有できる事実を挙げ、これを「常識」とはまったく異なる視点から解釈することは、「世の中は見かけと違う」ということを思考するプロセスだ。事実はひとつでも、解釈が異なれば問題解決のための合理的な道筋が異なる。人にとっての 合理性が変われば行動が変わり、後は皆が勝手に人生を変えて行く。これは、教養を学ぶということの一つの形だと思うのだ。

このアプローチの素晴らしさは、異なる解釈を提示するだけで後は相手の思考に委ね、人をコントロールする必要がないということだ。人の意見や行動を変えようとすることほど、無駄なエネルギーを要し非効率なことはない。人は「事実」を変えようとするが、「解釈」を変えた方がよほど効率と生産性が高い。だから 本当の意味で教養を学んだ「エリート」は、自分に向き合う習慣があり、生産性が高いのではないだろうか。

【樋口耕太郎】

現代社会の企業や組織において、従業員はどれだけ働いても幸福になりません。これは、幸福の実現が難しいからではなく、目的と手段を混同しているからではないでしょうか? 問題解決でも、経営計画でも、事業戦略でも、組織改革でも、でも、それが組織のほんとうの「目的」として相応しいかどうかを突き詰めて考えている経営者に、私は殆どお会いした記憶がないのですが、それは偶然ではないと思います。

ほんとうの目的を特定するために私が試みるアプローチのひとつは、現在の超・高望み、自分の中の究極の目標が120%実現した世界を想像してみることです。沖縄大学の同僚が先日、「どんなに綺麗ごとをいっても、母校の学力水準が低ければ、やはり胸を張れない自分がいる」とおっしゃっていました。私は、 「沖縄大学が数年後、2位以下を大きく引き離した沖縄随一の教育水準に到達し、入試難易度、志願倍率、偏差値、就職率、沖縄県政への人材輩出度、その他すべての面において、琉球大学を遥かに超える存在になったとして、それは、ほんとうに、私たちが望むことでしょうか?それが実現したとき、私たちは琉球大学よりも幸福になっているでしょうか?」と申し上げました。「必死で努力した数年間の後、今度は東京大学に対して、かつて我々が琉球大学に抱いていた気持ちを投影し直すだけにならないでしょうか?」

・・・現代に生きる私たちの大問題は、「私たちの思いどおりにならない現実」にあるのではなく、「私たちの願望は、私たちを幸福にしない」ということではないでしょうか? 自分のやりたいことがあり、貫くべき正義があり、それらの実現を妨げる制約が「問題」と定義され、その「問題」を取り除くプロセスが 「問題解決」だとされています。しかし、前述の通り、その「実現すべきこと」とは、ほんとうに価値のあることなのでしょうか? 排除すべき「問題」は、本当に私たちに有害なものでしょうか?

もっとも典型的なものは「経済成長」でしょう。私たちの社会は随分長い間、経済成長が社会問題の万能薬であるかの如く振る舞ってきましたが、どれだけ一人当たりのGDPが増加しても、私たちの幸福度は上昇しないどころか、低下し続けているという事実があります。自然を破壊し、人を飽くなき労働に駆り立て、家族を分断し、共同体を解体し、社会を疲弊させながら、人々の幸福にも寄与しないのであれば、私たちは一体何のためにそれをしているのでしょう?この問いに答えることができる政治家や経済学者はどこかにいるのでしょうか?

私たちは、お金を稼ぐのも、偏差値を上げるのも、結婚するのも、就職するのも、人間関係を改善するのも、おいしいものを食べるのも・・・それらのすべては、つきつめると、誰しもが幸せになりたいという「目的」のための「手段」であるはずなのですが、現実には殆どの場合、それ自体が目的となってしまっているように見えるのです。大学経営でも同じで、教育改革、組織改革、ナントカ改革、対策、管理・・・そのすべてが目的化している以上、学生と教職員の幸福という最も肝心なことは、永遠に先延ばしされています。

私の発想では、シンプルに、その逆をすればよいと思うのです。ひとり一人が幸せになるために、経営のすべて、仕事のすべてを行うということ。それがどんなに小さなことであっても、当たり前の日常業務に思えても、もう一度自分の仕事や、人間関係を見直して、いま、この作業が、目の前の人を、あるいは、その他大勢を長期的かつ本質的に幸せにするだろうか? つまり、「いま、愛なら何をするだろうか?」を人間関係のあらゆる接点において問い続けること。そして、 自分の言葉や行動が、人を幸福にしないのであれば、それがどれだけ重要なものに思えても、それを停止するということです。

そして、経営がすべきことは、この一見突飛な発想を肯定すること、みんなのこの作業を応援して背中を押すこと。みんなを勇気づけること、怖れを取り除くこと、結果に責任を取ること、これだけです。このような見方で、日常業務を見直すと、私たちがやるべきこと、やめるべきことが随分はっきりしてくると思うのです。

【樋口耕太郎】

一般に、私たちは「問題解決は難しい」と考えていると思います。でも、ほんとうにそうでしょうか? 実は、殆どすべてのケースにおいて、問題が解決する時は「簡単に」解決しています。確かに、社会には未解決の問題が山積みですが、解決した問題を振り返ってみると、解決までの苦労とは裏腹に、結局最後は簡単に問題解決がなされているということはないでしょうか。言葉を変えると、問題解決への長い道のりは、問題解決方法を見つけるまでの、試行錯誤のことを言い、問題解決自体は、ほんの僅か(簡単)なのだと思うのです。簡単な方法でしか問題解決することはできない、すなわち、問題解決自体は常に簡単である、という発想が成り立ちます。

これはちょっと禁煙に似ています。実は、苦労して、意思の力でタバコを止めた人は殆どいません。タバコをやめた時は、殆どの人が簡単に止めていますし、止められないときにのみ、禁煙が難しく、どこまでも意思の力が必要だと感じるのだと思います。禁煙に成功した人に話を聞くと、それまで、試した100回の禁煙は「難しくて」失敗したかも知れないけれど、成功した一回は、例外無く「簡単だった」と。禁煙は難しいものです。誰もが、100万回でも禁煙に失敗します。しかしながら、誰にとっても、例外無く、成功するのは(簡単な)たった一回の禁煙なのです。

同様に、殆どの経営者は、「経営は難しい」と口にしますが、少なくとも私の経験では、それはまったく事実ではありません。経営は極めて簡単なものですし、 再生しない組織など殆ど存在しません。経営を難しくしている経営者が存在するだけです。組織の中で、経営が難しいと言いふらしているのは、多くの場合経営者自身です。経営者が経営を激務だとか、難しいとか言いたがるのは、それによって自分の居場所が安定するからで、多くの従業員はその経営者の言葉を信じているという悲劇性(喜劇性?)があります。

そして、一般的な経営者が、経営における問題解決に成功しないのは、問題解決が難しいからではなく、そもそも、ほんとうの問題を知らない(特定していない)からでしょう。その証拠に、経営者に対して、「組織のもっとも重要な問題、これが解決すれば殆どの問題が解決するような、最大のカギは何か?」と聞いてみると、どんなに言葉を飾ろうと、その問いを突き詰めた先には、結局「分からない」という趣旨の回答が帰って来ます。それでも正直に「分からない」と答えるのはかなり誠実な方で、十中八九「経営はそんなに単純ではない」「あなたは、経営の本質を理解していない」「あなたは、経営がいかに激務かを知らな い」・・・といった答えを聞くことがになります。彼らは「いかに経営が難しいか」を説明しながら胸を張りますが、その発想こそが、「ほんとうの問題を特定することには関心がない」と告白しているようなものでしょう。そして、この世の中で、ほんとうの問題を知らずに、問題解決ができる経営者はいないのです。

現在選挙真っ最中ですが、どの政党にも共通しているのは、それぞれのマニフェストが100%実現したとして、豊かな理想社会がイメージできないという点で しょう。同様に、どの組織にも、経営計画・戦略が存在しますが、仮に、現在の経営方針が100%実現したとしても、残念ながら組織の明るい将来が開けるとは思えないものばかりです。それならば、そもそも、なぜそれが経営の目標なのでしょう?・・・問題解決を妨げている最大の問題は、私たちが問題を知らないということなのです。

すなわち、問題解決をする前に、そもそも論として、ほんとうの問題を特定するという根源的なプロセスが必要になるのですが、なぜ、これほど自明なことが、 殆どの組織でなされないかと言えば、組織の問題の大半の原因は、経営者自身によるものだからです。経営者は、自分以外のすべてを変えることで「問題解決」 を図ろうとする人種ですが、それは、ほんとうの問題(つまり経営者)の特定を避けるために、もっとも有効だという側面があります。以上の理由から、一般的な組織のなかで、ほんとうの問題解決をもっとも避けているのは、経営者であり、問題解決の試行錯誤のために大半の時間が費やされ、組織に無駄な仕事が増え、従業員は疲弊し、出口のない坂を下るような、二百三高地を戦うような現場が生まれているのです。そんな状態で、どれだけ問題解決を図っても、なるほ ど、「問題解決は難しい」といい続けて、経営者は任期を無事全うすることになります。テレビドラマ『坂の上の雲』で、日本海海戦を指揮して、当時世界最強水準のロシアのバルチック艦隊と戦い、奇跡の勝利を日本にもたらした、参謀秋山真之の台詞「無識の指揮者は殺人犯である」がリアリティを持ちます。

自分の「常識」から抜け出し、経営者が真剣に自分自身を変える決意をした瞬間、いかなる組織も短期間で再生します。禁煙と同じで、人が変わるということはとても難しいことですが、変わる時には、いつも簡単に成功するのです。ほんとうの問題は、誰にとっても辛い現実ですが、それから目を伏せると大きくなり、 向き合って直視すると溶けてなくなります。組織の再生でまずすべきことは、ほんとうの問題をまず見つめるということなのです。

【樋口耕太郎】

今年は特に暑さが厳しくて、猛暑の毎日が続いておりますが、
暑さに負けずにがんばってお仕事にお励みでしょうか。

さて、過日のことですが、麗王でもお馴染みの沖縄大学准教授・樋口先生と
お話しようと、沖縄大学に息子さんを通わせておられるお母さま達が麗王に
いらっしゃいました。
(お母さま達と言っても私よりもうんと若くお美しい方達ですが。)
お話をうかがってみると、樋口先生の授業を受けてから息子さん達が
イキイキとし始め、前向きな人生を送るようになり、
態度も激変してきたのが嬉しくて、いったいどんな授業を受けているのかしらと
興味が湧いたので、樋口先生の社会人向け「次世代金融講座」を
受講しておられるとのこと。旦那様も巻き込んで一緒に受けておられる方も
いらっしゃいます。

私も学生時代に教育学を少しばかり齧った人間なので、この方達のお話を
うかがいながら、改めて教育っていったいどういうことなのだろうと
考えました。
教育(education)という言葉の意味は、ラテン語のエド(ed)、つまり何々から
というのと、ドゥカール(ducar)、引き出すという二つの言葉からできています。
つまり、何々から引き出す、または内部にあるものを引き出すという意味です。
ということは、ちょっと霊感少女もどきの私が考えるに、
教育とは、その人がもうすでに知っていることを引き出す、
その人本来のものを引き出す、ということなのではないのでしょうか。
私達が輪廻転生を繰り返しているとすれば、私達はもうすでに何回も
学んできたはず。だから私達はそれぞれ、ものすごい知識と経験を
前世から得ているに違いありません。
きっと昔の人は、教育とは人々がすでに知っていることを見つけるのを
手伝うだけだと知っていたのではないでしょうか。
本当の私達はすべてのことをすでに知っているのかもしれません。
今改めて読んでいるプラトンの「国家論」の最終章にも出てきますが、
どうもプラトンやソクラテスもそう信じていたようなのです。

また、あるお母さまは、息子さんのことで悩んだ時期もあったけれど、
親御さんの介護をしておられる時にウツも経験され苦しまれたということでした。
女の子ばかりの姉妹の末っ子に生まれた彼女は、介護をしてあげているお母様から
「男の子を期待していたのに、あなたなんて産まなければよかった」というような
内容のひどい言葉を投げられたそうなのです。
私も父から言葉の暴力を受けた思いがあるので胸に応えました。
これまた、ちょっと霊感少女もどきの私が考えるに、
時には、血のつながった家族が本当の家族ではないことがあるように思うのです。
あなたの両親、兄弟姉妹、親類が、あなたを理解しないこともあります。
あなたに愛と思いやりを示さない場合もあるでしょう。
あなたを拒否し、残酷に扱うかもしれません。
あなたには非人間的に扱われても仕方ないような負い目はありません。
家族であろうと何であろうと、その人達の虐待的行動のターゲットに
なることによって借りを返すといったカルマ的な責任はあり得ません。
誰かを虐待し傷つけるのは、虐待する人の選択や自由意志による行為です。
虐待が当然だということは、絶対にありません。
でも、もっと成長すると、自分を本当に愛してくれる友人や知人に囲まれるように
なります。尊敬と敬意をもって愛され、大切にされることによって
得ることができる安心感を、彼らはあなたに与えてくれます。
こうした友人や知人は本当の家族となります。彼らはあなたと同じ霊的な価値観を
持っているかもしれず、あなた方はお互いに助け合いながら、良き方向へと
成長してゆくこともできます。
こうした人々は、あなたの魂の家族です。血のつながった家族から拒否されると、
魂の家族があなたを受け入れ、育て、そしてあなたにとってとても大切な家族と
なります。
血は水よりも濃いという、昔の格言があります。
これはつらい時に、たとえ友人知人があなたを見捨てても、血のつながった親類は
助けてくれるとあてにできる、という意味です。もし、本当に血は水よりも
濃いのであれば、魂は血よりも濃いのです。あなたのためにそこにいる魂の家族は
どんな時にも頼りにできるのです。

じゃあどうして実の親子は傷つけ合ったりするのでしょう?
実は、私達は両親を選んで生まれてくるそうです。
このお母さんの子供に生まれよう、この人をお父さんにしようと決め、
相手と約束して生まれてくるのだそうです。
「こんな家族の下に生れてきていやだった」と言う人が時々いますが、
これはとんでもないことで、私達はこの世界に生まれたくて、自分で親を選び、
彼らにお願いしてここへと生れて来ているのです。
もちろん親のほうにしても、お願いされるだけではなく、
「このような子供がほしい。ついてはこの人に子供として生れてきてもらおう」
と決めていたわけですから、お互いさまだとも言うことができます。
そんなこと信じられないと言う人もいるかもしれませんね。でも、最近の子供達が
このことをどんどん証明しています。
「僕はお母さんを選んで生れてきたんだ。とても優しそうな人だったから」
「お空にいたころ、どの人がいいかなぁと思ってお母さんになってくれる人を
探していたよ」
などとお話しする、小さな子供達がいっぱいいるのです。
(こういう事例の研究は社会学者・飯田史彦さんの一連の著書「生きがいの創造」
などに詳しく書かれています)
両親と子供の関係が悪いこともよくありますが、そんな親子でさえも、お互いに
選び、頼み合って親子となり、この世にやってきたのです。
子供は、自分に必要な試練を与えてくれることを期待して親を選ぶことも
あるからです。
反対に、子供のことで苦労して成長したいと願って、子供と約束してくる
お母さんやお父さんもいっぱいいます。
とくに今は、多くの人達が自分の本質や魂の世界に目覚めようとしている時代です。
親子関係から魂の目覚めと探求を始めようと、親と子供がお互いに必要な
学びのために約束し合って生まれてきています。
そう考えると、親子の関係がどうあれ、お互いに感謝し合うことが大切だと
思うことができるような気がしますよね。

人は誰でも、人とのつながりを求めているのです。つながりを確かめるために、
人はマイナスの行動にでも出てしまう生き物ですから。
生理的未成熟で生まれてくる私達人間という生き物は、
生まれてからしばらくの間、誰かの優しさをもらわないと生存できない存在
なのです。
だから、赤ちゃんは、存在をかけて必死で泣きます。
大人になった私達は、泣かないまでも、心で叫びます。
「誰か、私のこと、知っていますか!」と。
絆。つながり。
自分で生きていくことができる大人になった今でも、他者とのつながりは、
根源的に大切なものであることを本能の部分で知っているのです。

そんなこんなを週末の七夕の空を見上げながら考えました。
さぁ~、これからまたありがたくも麗王で知り合うことができたみなさんのお話を
じっくりうかがうのが楽しみになってきました!
次の連休は海の日。あなたの大切な人とぜひお出かけくださいね。

【2013.7.11 末金典子】

2013年7月4日 10:02

【浦添】松本哲治市長は3日までに、非常勤ポストの「政策アドバイザー」を新設し、沖縄大学人文学部国際コミュニケーション学科准教授(観光学専攻)で株式会社トリニティ社長の樋口耕太郎氏(48)を起用する方針を固めた。今月中にも委嘱する。

樋口氏は、松本市長同様、キャンプ・キンザー沖の西海岸埋め立て計画見直しに前向きな立場。国際金融や事業再生に携わってきた経験から、西海岸とキンザー跡地の一体的な利活用などについて助言する。

樋口氏は、1965年盛岡市生まれ。筑波大学比較文化学類卒。ニューヨーク大学経営学修士課程修了。米国野村証券、レーサムリサーチ(現レーサム)、グランドオーシャンホテルズ社長兼サンマリーナホテル社長を経て、2012年4月から沖大准教授。沖縄経済同友会常任幹事。

松本市長は、埋め立て済みの西海岸第1ステージで企業誘致を進める一方、第2ステージ(コースタルリゾート計画)や第3ステージ(物流拠点整備計画)については「ゼロベースで議論」する考え。

沖縄タイムスの取材に対し「樋口氏の助言をもとに、市民との議論を深めていきたい」と話している。

あれ?梅雨ってもう終わったっけ?というほどいいお天気が続いていて
気持ちのいいうりずんの頃ですね~。
でもさすがに今日はちょっと雨模様って感じでしょうか。
あなたはお元気にしていらっしゃいますか? 素敵な毎日を過ごしておいでですか?

今日はまずまずいい一日だったなぁ。私は、一日の終わりに、そう思います。
毎日そう思うのですから、かなりのんきな人間だと思われるかもしれません。
私の暮らしは、ごく普通で、特に恵まれている訳でも、幸運ばかりの人生でも
ありません。いいこともあれば、悪いこともあります。ラッキーなこともあれば、
不運なこともあります。
疲れた日。うれしい日。何もなかった日。怒りがおさまらない日。くやしい日。
悲しかった日。楽しかった日。
毎日というのは、くるくる変わり、そこには、楽しいことも、嫌なことも、
いっぱい詰まっています。
けれども、どんな日であれ、一日の終わりには、今日もまずまずいい一日だったなぁ
と思います。たとえその日に嫌なことがあったとしても、私は何かを見たり、
聞いたり、感じたりしながら、今日一日をまるごと体験し、五感と思考、
喜怒哀楽の感情を持ったひとりの人間として、今日という一日を生きたのですもの。

以前にも書かせていただきましたが、私は麗王を始めた17年前から
「今日のいい事日記」を書いています。
一日の中で良かった事をひとつ捜して書くだけです。
今、その日記をパラパラとめくってみると、
「お天気が良くて、お洗たく物がカラッと乾いて気持ちがいいなぁ」
「お客さまに、やせたね、と言われて嬉しい」
など、些細なことが多いですが、それを幸せだと感じられる喜びを知り、
また心の持ち方ひとつで毎日が変わるんだとも学びました。
どんなにちっぽけなことでも、寝る前にひとついい事を見つけると、
あぁ今日もいい一日だったなと思うことができ、感謝する気持ちが大切だと
気づくのです。
こんな日もあります。「今日はほんとサイテーなことがあったなぁ。
でもサイテーを100%経験できたし、まずまずいい日だった。」
ちょっと理屈っぽいかもしれないけど、そんなふうに、ありのままの一日を
受け止めて、素直にいい日だったと思うことができるのです。
今あらためて「今日のいい事日記」を見てみると、
今日のいい事が集まって、あっという間に17年。
私って実は17年間毎日幸せだったんだなぁなんて単純に感動してしまいました。
幸せは自分の心の中にあるもの。
幸せがやってくるのをじっと待つだけではなく
見つけ出すことのほうが大切なのだとしみじみ思いました。

毎日というのは、虹みたいなものだなと思ったことがあります。
虹はいろんな色が集まってできています。仮に色がひとつしかなかったら、
たぶん虹を見るたびに感動することはないでしょう。どんないきれいな色でも、
いつもいつも同じ色だったら、きっとすぐにあきてしまうにちがいありません。
毎日というのもそれと同じで、いろんな出来事があって、いろんな感情が
湧いてきて、だからこそ、楽しいことを楽しいと思うことができ、
悲しいことを悲しいと思うことができるのではないでしょうか。
毎日が楽しい事だらけだったら、楽しいと感じることさえ
できなくなってしまうかもしれません。
今日一日を振り返ると、どんな一日だったでしょう。
一杯のお茶がおいしかった日。自分が無価値に感じた日。猫が甘えてきて
うれしかった日。涙がぼろぼろ止まらなかった日。穴があったら入りたい日。
空がとても青かった日。
小さな事から大きな事まで、毎日というのはいろんな色を持っています。
私達はたくさんの色を通り過ぎながら、ひとつの大きな虹をかけているのでは
ないでしょうか。
もうそろそろの梅雨明けの虹が楽しみですね。

そういえば、沖縄に引っ越してきた24年前、初めて空いっぱいにかかる大きな虹を
見た日が父の日でした。父に電話をかけてその話をしたことを覚えています。
今週末の父の日にはどんな話をしようかな…。

【2013.6.13 末金典子】

いつもこのことを言うと、私の頭がおかしいと思われる可能性を考えざるを得ないのですが、私は、ほぼ毎日、午後8時半ころから午前2時前後まで、那覇市松山の麗王(れお)というお店におります。このお店は、沖縄県内外の知識人が集まるお店として、知る人ぞ知る有名店です。カラオケもなく、女の子もおりませんので、基本的に会話だけで成り立っている場所です。おまけに私は8年前にお酒を止めてしまいましたので、このお店ではいわゆる 「キープ料金」相当を毎回お支払いして、お茶を頂いています。私はこのお店の経営者でも資本家でもありませんので、純粋な(とはいえ、いつも居るちょっと変わった、あるいは不思議な)お客として毎晩平均4・5時間を過ごしています。

麗王には毎日平均すると7名のお客様がいらっしゃいますが、年間営業日が300日として延べ2100名。私はもう8年以上これを続けていますので、延べ 1.6万人以上の方々のお話をお聞きし、会話してきたことになります。もちろん、多くのお客様は私と会話をするためにいらっしゃる訳ではないので、私が主としてお話をするよりも、聞くことの方が多くなります。恐らく昨年か今年あたりで、麗王で過ごした時間が1万時間を超えたと思います。

どう考えても、あり得ないこの行動を、これほど長い間続けているのは、私にとって、重要ないくつかの理由があります。沖縄人(うちなーんちゅ)同士であれば、「子供の頃からの40年来の知り合い」というような繋がりが一般的な社会の中で、まったく地縁も血縁もない異物(私)が、利害なく沖縄社会と意味ある深さで接点を持とうと思えば、実際のところ他にそれほど選択肢はありません。

沖縄はほんとうに狭い社会で、誰かは必ず誰かの知り合いで、まったく知らない誰かの評判や人となりも、何人かと会話するだけでほぼ確実に把握することができるイメージです。目の前の人がどれほど「とるに足らない」人物に思えても、その人がどのような人間関係を持っているか、そして、それがどれほどの広がりを持つのかは、計り知ることができません。つまり、沖縄においては(恐らく本質的にはどの社会でも同様だとは思いますが)、ただの一人も、ないがしろにできる人は存在しないと考えるべきなのだと思います。すべての人間関係の接点は、自分自身の沖縄における「意味」を決定する瞬間であり、決して無駄にすることはできないという、厳しさがあります。

私たちの人生を振り返ると、事実上殆どすべての出来事は、人間関係からもたらされていることに気がつきます。現在の私の日常において、麗王での「人間関係」がもっとも広範囲かつ深いため、結果として、私が9年前、沖縄に人生のホームグラウンドを完全に移して以来の多くの変化や出来事は、特に重要なものほど麗王での人間関係によって「仲介」されているものが相当な数に上ります。例えば、ここでは詳細な経緯は省きますが、麗王との接点がなければ、私がサンマリーナで愛の経営を実践することはありませんでしたし、その後事業再生を専業とするトリニティ株式会社を創業することも、次世代金融講座を開講すること も、次世代社会の具体的な青写真を描くことも、有機野菜の生産と流通に深く関わることも、沖縄大学で教鞭をとることもありませんでした。

麗王(のような場所)がパワフルなのは、そのような数々の、私にとって重要な出来事に恵まれた際、それがどのような人との繋がりによってもたらされたか、その過程で、私がどのようにそれぞれの方々と接してきたか、どのような会話をしてきたか、そしてそれぞれのお互いの反応や、心の動きはどのようなものであったかを、詳細に、それも何年も遡って辿ることができるのです。例えば、沖縄大学で職を得るきっかけとなったAさんは、Bさんの友人で、BさんはCくんと付き合っており、Cくんとの一連の会話や付き合いがなければ、そのご縁の一切は生じていませんし、Cくんと関係が深まることになったきっかけはDくんの 存在なくしてはありえませんでしたし、その関係を前に進めたきっかけは、ある晩のこころを開いた深い会話でした・・・。

このように人間関係と出来事を時間とは逆に辿ることによって、普段は余り意味がないと感じられるような些細な発言や、無意識の決断や、心の微妙な動きや、自分が苦手とする人たちとの接点が、巡り巡っていかに大きく重要な結果をもたらしているかを強く実感することができるのです。

その結果はほんとうに驚くべきものです。例えば、自分にとって意味ある出来事は、それをもたらした一連の人間関係の中で、100%の確率で、自分が苦手と考える人との深い接点や、手痛い裏切りや、利用されるという経験を、それも数多く介していることがわかったのです。つまり、苦手な人を遠ざけるのではなく、できるかぎり愛情で接し続けること、例えその人に裏切られても、何度でも赦し、自分の役割を果たし続けること、彼らが奪って行ったものに執着しないこと・・・などなどの経験のどれひとつが欠けても、最終的に価値のある出来事はもたらされることはなかったのです。そして、それらの長い長い過程を辿りながら、一言一言を思い出しながら、やはり、無駄な言葉ややり取りや人間関係の接点など、ひとつもなかったのだと強く心に刻むことができるのです。

私たちの毎日は何気なく過ぎているように感じられるのですが、それは違います。それぞれの瞬間に、将来もたらされる重大な出来事の種を大量に撒き続けているのだと思うのです。

*   *   *

・・・2021年2月をもって麗王は閉店いたしました。25年間ほんとうにお疲れさま。最後の麗王だより

【樋口耕太郎】

私なりの勝手な解釈ですが、クリスタキスのネットワーク理論が明らかにすることは、社会は「魚群」のようなものだということではないでしょうか。

私たちは誰もが自分で自分の人生における選択を行っていると考えていますが、実は、魚群が進む方向に著しい影響を受けているのでしょう。例えば、私たちは毎日自分が会社に着ていく服を「選択」していますが、そもそも、服を着るあるいはスーツを着るという社会規範を大前提にしており、私たちの「選択」がその規範を逸脱することは殆どありません。また例えば、私たちが「自分は最近幸福度が増したなぁ」、あるいは、「自分は明るい人間だ」と考えたとしても、実は その原因を担っているのは、自分が会ったこともない友人の友人の、贈与的な生き方に依る可能性が、想像以上に高いということです。

もっとも、個人が「自分の選択だ」と認識していながら、実はその他の要素に多大な影響を受けているということは、必ずしも悪いことばかりではありません。 社会のそれぞれの構成要員が各人の世界観に従って(つまり、主観的に)ほぼ例外なく「主体的な」選択をしていながら、同時にネットワーク全体が一つの統合された選択を行うという、一見背反した現象を矛盾なく統合するためです。

同様に、事業再生の観点でも、私は、誰が再生の起点になっているのかが、一見明確でないものこそが、事業再生の理想形態ではないかと思っています。誰が起点かが明確でないということは、逆に考えれば、各人が主体的に行動していると考えていることを示しますので、それぞれの構成員は例外なく、誰かのためではなく、みんなが自分のために行動した結果、自分のこととして、事業や地域が再生するということになります。

また、「魚群」の進行方向は頻繁に変更されるわけですが、その時々で方向性を決める「一匹」は、組織的なリーダーとはまったく無関係だという特徴がありま す。これは、私の組織運営の実感とも一致しており、実際に組織に影響を与えている人物は、意外なくらい地位とは無関係だったりします。その構成員(一匹) は組織的に力があるとは認知されておらず、多くの場合本人さえも自分が果たしている重大な機能に気がついていません。ところが、そのような人物が組織から 離れてしまうと、組織が急速に劣化し、場合によっては破綻に瀕するほどのインパクトを及ぼすことが良くあるのですが、これについ ても、経営者はそのような認識がないために、一体組織に何が起こったのか、業績が悪化した原因は何なのか、殆ど当てのない宝探しのような状態で、さらに混乱を深めがちです。

いずれにせよ、このような社会ネットワークの原理とメカニズムを理解することができれば、そして、「一匹」の魚が魚群全体の進行方向を変えるの要素を学ぶことができれば、一介の平教員であれ、パートタイマーであれ、組織を全体最適に導くことは、それほど難しいことではないのだと思うのです。

【樋口耕太郎】

ゴールデンウィークはのんびりなさいましたか?
私はといいますと、おうちでひたすらのんびりと本を読んだりDVDを観たり
お料理を作ったりして過ごし、それだけでは太る~!っと、ランニングもしっかり
こなした連休でした。

さて、この週末は母の日ですが、あなたのお母さまはどんな方ですか?

私の母は、昭和9年生まれの79歳で、学校を卒業するとすぐに祖父の代からの
洋食レストランで働き、数年前に引退するまでずっとレストランの看板として
店を切り盛りしてきた「大阪下町のおばちゃんアイドル」のような女性なんです。
以前も書かせていただいたことですが、母は子供である私が言うのもなんなのですが、
いつもすること言うことが仏さま・観音さまのような人なのです。
例えば、私が子供の頃、母と一緒に一緒にゆうげのお買い物に行く途中、
道端のお乞食さんに出会うということがありました。
すると母は、自分のお財布の中に1000円しか入っていなくても、
今日使うことができるお金を惜しげもなく全部あげてしまうのです。
それも迷うことなく間髪をいれずにさっとあげてしまうのです。
私達の夕食のお買い物にあてるお金を全て、です。
私が「なんでぇ? 今日のお夕食はどうすんの?」と聞くと、
母は決まって「お家にあるもんですませよね。」と言うのです。
「コロッケ作ってくれるって言うたのにぃ。」と恨めしく言う私に、
「こういうことを“お布施”って言うねんよ。
考えてごらん。もしもあのお乞食さんが神さまやったらどうすんのん?
それに、お布施はしてあげるんやないよ。させていただくんやで。
させていただくことによって私達の心の中に清々しい気持ちが湧いてきて
その気持ちを逆に恵んでいただいてるんやよ。
そういう世界に私達を導いてくれはるために神さまがお乞食さんの姿に
なってはるのかもしれへんやろ?
あげてるんやなくて、もらっていただいてるんやよ。」と。
はぁ~、お坊さんだったおじいちゃんにして、この娘あり、って感じですよね~。
まぁ、そんな母でしたので、レストランには、純粋に「布施名物のコロッケ」や
洋食を食べにいらしてくださる人達の他に、いろいろな悩み事を抱えた人達が、
相談やお話をなさりに連日わんさかといらして、母はただただみなさんのお話を
じっくりとうかがっていたものです。

母親がこのように家業でお商売をしていたものですから、私も子供の頃から必然
学校から帰ってきてランドセルを置いたらすぐにお手伝いです。
遊びにも行けません。限りないお皿洗いに、寸胴いっぱいのゆで卵や海老の殻むき、
ダンボール箱にいっぱいのじゃがいもやにんじんの皮むき、紙ナプキン折り、
フライ売り場の売り子さん、ウエイトレス…。
それが終わったら暖房も冷房もない倉庫で、みかん箱の机と裸電球で宿題です。
今思えば、けなげ~。 だから、私は子供の頃に誓ったことがあります。
「大人になったら絶対商売人になんてならないから!」と。
それが何の因果でしょう…。結果、自分もお商売をし、いろいろな方達のお話を
うかがわせていただく毎日を送ることになるとは…。
ただ、母と私の違うところは、私はお節介でせっかちなところがあって、
みなさんの悩みやお話をうかがううちに、解決してあげたいという想いから
「ではこうしたらどうでしょう?」なんてつい言ってしまうんです。
でも、母の日を前に、母の仕事をゆっくり思い出し気づいたことがあります。

悩みに押しつぶされそうになる人、心を病む人というのは、
もともと心が純粋で、繊細なのだと思います。
心に傷を負った時、すぐに家族や友人達の中に支えてくれる人を見つけることが
できればよいのですが、それができないと、どうしたらよいのか自分では
わからなくなって、精神状態が大変不安定になってしまいます。
そのような人達がレストランにいらっしゃると、母は、その人の話したいこと、
思っていることを全部うけとめて聞くようにしていました。
「あなたはそう言うけれど、それは間違っているわよ」とか、
「こうすればいいのよ」とか、途中で話をさえぎるようなことはしません。
そのようなことをすれば、相手は開きかけた心をまた閉ざしてしまいます。
また、ただぼんやりと聞いているだけでは、相手もなかなか話してはくれません。
そこを母は「そうやね」「それは大変やったね」と、自分をその人の身に置きかえ、
共に喜び、共に悲しむという気持ちで聞いてました。
そうすると、自分が受け入れられているという安心感からなのでしょう、
次から次へと、みなさん心の内を話しておられました。
そうして最後には、母がその人に最も伝えたいと思っていることに
自分で気がつかれ、自分で答を出しておられたように思います。

そうなのですよね。
悩みを抱える多くの人は、本当はどうすればいいのか、自分でわかっています。
ですから、ああしなさい、こうしなさいと、アドバイスめいた指示をするのではなく、
そばにいて共感し、その人が自分なりの解決の方法を見つけるのを
お手伝いすることが、私や麗王が、いらしてくださる方のためにできること、
もしくは少しでもお役にたつことができることなのではないかしらと
改めて感じました。
支えるとは共にいることであり、寄り添うこと。
そんなふうでありたいなと思っています。

あなたがお母さまから学ばれたことはなんですか?

【2013.5.9 末金典子】

もう梅雨入り!?と思ったほどじとじととお天気が悪い日が続いている沖縄ですが
あなたは毎日心晴れやかにお過ごしでしたでしょうか。

今回の麗王便りはゴールデンウィーク前ですのでいつもより少~し長めに
お送りいたします。ゆっくりお読みになってみてくださいね。

麗王という店は「会話すること」以外何もない店ということもあってか、
お客さまはみなさんとても知性的且つ個性的。
いつも感じ入りつついろいろなお話をうかがっているのですが、
たまに新しくいらしたお客さまから
「麗王のお客さまって変わった方が多いですね~。」と言われることがあります。
実は私はそういう意見を聞くと嬉しくなってしまうのです。

子供から大人になる過程で、私達は、平均的であることをまわりに強要されて
育ってきます。「協調性」と「平等性」という名の個性切りが続くと、
私達は自分自身のユニークさを忘れていきます。
社会人になっても、平均点を重視するマニュアル型の会社で働くようになると、
いよいよ完全に自分の個性を忘れてしまいます。
でも思い出してほしいのです。
もともと人は、個性あふれる存在だということを。
他人の個性をまねるほど個性が不足している人は、一人もいないのです。
個性を表現していないから忘れているだけで、なくなってはいないのです。
個性を思い出すヒントは、たとえば、あなたが感じる「違和感」の中にあるのでは
ないでしょうか。
同じような違和感を何度も感じたとき、それは眠っていた個性が無意識に
反応している可能性が高いのです。

例えば、会社員の方ならこんな違和感をお感じになられた方は
いらっしゃいませんか?

ある方がお話してくださったことですが、
新入社員の時に毎年、問答無用でアップされる売り上げ目標を達成するために、
毎日夜遅くまで残業する先輩社員に向かって、
「なぜ、毎日皆さんこんなに遅くまで仕事をするんですか?
売り上げの拡大が社員を幸せにしないのであれば、ちょうどいい売り上げ規模で
皆が無理なく仕事ができる方法を会社はなぜ考えないのでしょうか?
一体いつまでアップし続け、売り続けたらたらいいのでしょうか?」
先輩社員は、「わかってないなあ」という顔で苦笑いをして、この質問には
答えてくれませんでしたが、その方はずっとこの青臭い疑問を持ち続けておられる
ということでした。

他にもこんな違和感はありませんか?

商品をモノとして売るだけの営業アプローチへの違和感。
売り上げ至上主義から派生する、お客さまを顧みない売り込み型営業手法への
違和感。
「戦略」「戦術」「戦力」「囲い込み」「攻略」といった、お客さまに向かって
使っている「戦争用語」への違和感。
価格を下げてお客さまに満足を提供するという手法への違和感。

こんな違和感を感じてしまう自分は、「きっと変わり者なのだろう」と思って
少し落ち込みながらも、違和感を捨てずに心に秘めながら
お仕事をなさっておられませんか?
社会に出れば、不条理な出来事は日常茶飯事ですから、いちいち正論を
主張していたら組織からはじき出されます。
普通は、折り合いをつけながら、「大人」になっていくのでしょうが、なかには
主張することも妥協することもしないで、会社の内外で、「どうすればいいのか?」
の答を探し続けておられる方もいるのではないでしょうか。

でも、こういう違和感を、新しいノウハウやメッセージを生みだす重要な要素に
替えた方もいらっしゃいます。
説得話法ではなく納得話法で話し、会社の大規模な業績向上に貢献したり、
戦争用語ではなく幸福用語を使って、満足の先の感動を生みだす手法を発明したり、
商品をモノではなくコトで表現できる感動セールストークを編み出すことが
できたり。
つまりは、違和感を無視せずに、どうすればいいのかを自分なりに
追求し続けたことが、その人自身の才能の開花へとつながり、
変わり者と思っていたその人自身のユニークさに、逆に自信を持つことが
できるようになっていったのだと思います。
またそれこそが個性ということなのではないでしょうか。

少しお話は変わりますが、アメリカの俳優養成スクール「アクターズスタジオ」の
セミナーに、ゴールデングローブ主演女優賞を受賞したシャロン・ストーンが
出演した時のこと。
セミナー後の質疑応答の時間に、俳優志望の女子学生が彼女に質問しました。
「私は、女というレッテルを張られるのが嫌で、女を前面に出すのを
避けてきました。対処の方法を教えてください。」
シャロン・ストーンは、この質問に誠実に、かつ情熱的に答えました。
「何をしようと、他人はあなたを型にはめて見ます。
女はあなたの一部であり、人格の一部。色気の有無など関係ないわ。
女に生まれたからこそ、今の歩き方や話し方、考え方になったのよ。
自分の根本を否定してしまったら、生きていく上で一番大切な心の炎を
失ってしまうわ。
あなたには、すばらしい面がたくさんあるはず。
他人の目を恐れて、開花のチャンスを逃さないで。」
そのアドバイスに対して、女子学生が笑顔でこう言いました。
「明日は、タイトなドレスを着てきます!」
笑いが広がった会場に向かって、シャロン・ストーンは静かに確信を持って
言いました。
「それが自分らしいと思うことができるならね。
身体の線が出るドレスは、私は気恥ずかしいの。
それよりも、ミニスカートが私らしい。
何であれ、自分のことを考えてね。」

女=タイトなドレスではなくて、あくまで自分らしく感じることを第一義とする。
心の炎はそうして燃え続けるのだということを伝えるすばらしいスピーチだと
思いました。
自分の中に眠るすばらしい個性を開花させるには、
ステレオタイプで自分という存在を規定するのではなく、
自分らしさを常に感じることが大切なのですね。

さて、以前麗王にいらしてくださっていた女性が沖縄から東京に転勤することに
なり、2年ほど経った後、次のようなお手紙をいただきました。

典子さん お元気ですか?
折々の麗王便りを本当にありがとうございます。

東京に引っ越した時、私は東京の生活や仕事や人間関係になじめず、
またそんな自分に耐えられず、どんどん自分を追い詰めてしまいました。
自分がつまらない人間で、生きている価値がまったくないと信じ込んでいました。
何もできなくて、息をすることすら苦しかった。こんな姿を誰にも見せられない。
だから沖縄の友達とは誰とも連絡を取りませんでした。

だけどある日、もう頭の中がぐちゃぐちゃになって、何もわからないうちに
典子さんに電話をかけていました。何を話したのかあまり覚えていないけれど、
とにかく東京での暮らしが辛いんだと泣きながらに言ったように思います。
そう言いながら、内心は、久し振りに電話なのに楽しく晴れやかな話もできない
自分が嫌でたまりませんでした。

私は自分が自分にしているように、典子さんも私のことを否定するのだと
思っていました。それまで頭の中で繰り返し聞いた言葉のように、典子さんも
「あなたは駄目な人間だ」と言うのだと思っていました。ところが典子さんは
私のことを否定しなかった。否定しないどころか、典子さんはそのままの私を
受け入れてくれました。私のことを差別したり、裁いたりせず、私は私のままで
いいんだと言いました。

それを聞いて驚きました。そのままの自分でいいなんて、考えたことも
なかったからです。その時に、自分を壊してしまおうとする力と、自分を必死で
守ろうとする力の間にあった壁が、パリンと割れてなくなってしまいました。
少し大げさな表現だけど、本当にパリンという音が聞こえたかのようでした。
それほど劇的に、自分の中のかたいものがその時に消えてしまったのです。

その日を境に、少しずついろんなことが変わってきました。
もう自分でない何かになろうと無理をする必要はなくなりました。
それができずに自分を責めることもなくなりました。私は私のままでいい。
そう思うと、毎日の生活が少しずつ楽しくなっていっています。

典子さん、麗王にいらっしゃるみなさんにもぜひそう言ってあげてください。
あなたはあなたのままでいい、って。

また沖縄に帰ったら麗王に寄りますね。その時にはうんと楽しく晴れやかな私で。
どうぞお元気で。

さぁ、ゴールデンウィークです。
たっぷりのお休みのなかで、ゆったりとあなた自身の個性を見つめ、感じてみて
くださいね。
そしてどうぞあなたらしい人生を歩まれますように。

【2013.4.25 末金典子】